濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百六十七回
「夕日の部屋」から「木賊の庭へ」
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「ともしび」が企画制作した早乙女宏美の緊縛写真集には「夕日の部屋」というタイトルをつけて、いま同人たちが集まって、心楽しく編集作業にとりかかっている最中である。
「ともしび」第一回の撮影の興奮と緊張、そして、予想したとおりの上々の結果に、みんな満足して、心は浮き浮きしている。
そしてみんな、心をはずませて、つぎの撮影に思いをはせている。
その日の撮影が終わって帰途につくとき、私は、
(この情趣情感に充ちた山之内邸の雰囲気、そして、早乙女宏美の内面からにじみでる、怨念エロティシズムとでもいうべき凄みのある被虐情緒。このシチュエーションでまだまだ撮れるぞ。いや、撮らなければならない!)
と、思ったのだ。
閑散とした無機物ばかりが漂う賃貸しスタジオとちがって、山之内邸には呼吸している生きた背景が、山ほどある。
玄関横の庭には、いまどきめずらしい木賊(とくさ)が、いっぱい生い茂っているのだ。
最近はあまり見なくなったが、私が子どものころは、木賊は家の裏庭とか、水辺の空地とかに群生していた。
「木賊」と書いて「トクサ」と読める人もすくなくなっているだろう。
よけいなことのようだが、辞書を引いてみる。
とくさ「木賊」……砥草(とくさ)の意。
シダ植物トクサ科の常緑多年草。湿地に自生。地下茎は管状で、節からりん片状の葉がさやになってつく。葉はかたく、物をみがくのに使う。
とある。りん片状の葉、というのがわからなかったので、「りん片」を引くと、あった。
「りん片」は「鱗片」なのである。
りんぺん「鱗片」……一枚のうろこ。うろこの形をした細片。
とある。私は下町育ちなので、近所に職人の家が多く、店先の仕事場で、タンスなどの木工品の素材を、このトクサを束にしたものにトノコをつけて、ごしごし磨いている風景をよく見たものだ。
つまり、茎が細くて固い筒状になっていて、表面はザラザラしているので適度に柔軟なヤスリとして使う。
細い路地を入った玄関わきの暗い場所に群生している木賊には、一種独特の酷薄な情感があり、縛った早乙女の体を配置するには、絶好のように思えたのだ。
そして、ストーリーは……。
そうだ、やはり「夕日の部屋」のつづきにしよう。
マチキン、つまり街の金融業者・田丸は、その後も二、三日おきにヒロミの家に上がりこみ、縄で縛ってネチネチとしつこく責めつづけているのだ。
夫が、田丸に百五十万という金を借りたまま、返さずに逃げまわっている負い目があるために、ヒロミは黙って耐えている。
いつかは夫が自分のもとに帰ってくることを信じ、屈辱をしのんで、ヒロミはこの家を守っているのだ。
それをいいことに、田丸はひまをみてはヒロミのところへやってくる。
そして、おのれのアブノーマルな欲望を充たしていく。
ふふふ……どうだい、奥さん、その後旦那から、なにか連絡はあったかい?
旦那がどこに隠れているのか、わかったら教えてくれよ。
なァに、おれのほうは、貸した金さえ返してくれれば、それでいいんだ。
だけど、借りっぱなしで、一円も返さないで逃げられたとあっては、おれたちの商売も上がったりだ。仲間たちにも顔向けできない。
それじゃ悪いけど、きょうも縛らせてもらうよ。大丈夫だよ、縛るだけで、あとはなんにもしやしないよ。それはもう、わかってるだろう、うふふふ……。
あんたを縛るのは、旦那に貸した金の、利息分だと思ってもらおうか。
そうだよ、あんたがおとなしく縛られてくれれば、利息は払わなくてもいいことにしようか。ありがたい取り引きだと思わないかね、ふふふ……。
おや、おれが縄を出したら、きょうはおとなしく黙って両手を背中にまわしたね。ふふふ……あんたはものわかりのいい、素直な奥さんだよ。気にいったよ。
気にいったからこそ、こうやって縛りにくるんだよ。いやな女だったら、とても縛る気になんかならないよ。
おお、可愛い手首だ。なんて可愛らしい手首なんだろう。
こんなに細くて可愛らしい手首を、むごたらしく縄で縛るなんて、おれは悪いやつだなあ……ふふふ……。
そら、手首をもうすこし高く、肩のあたりまで上げるんだ。そうそう、いい感じだ。さあ、ぎっちりと縛ってやる。
どうだ、どうだ、痛いかね? 痛くないだろう?
痛かったら痛いと言いなよ。ゆるめてやるからね。胸の縄がすこし痛かったかな。
おれは、あんたに、痛い思いはさせたくないんだ。あんたのことは、べつに憎んでいないからね。憎いのはあんたの旦那だよ。こんな可愛らしい奥さんを家に置いたまま、どこかへ消えてしまうなんてね。
それにしても、あんたという女は、ふしぎな人だなあ。
こうやって縄をかけると、なんだか急に色っぽくなるんだ。
首のあたり、肩のあたり、胸のあたり、腰から太腿まで、全身が丸く柔らかくなって、なんだか、ふわふわ、とろとろ色っぽくなるんだ。
見ているだけで、いい気分になって、ゾクゾクしてくる。
あ、いま、首をねじまげて、ふりかえっておれのことをにらんだな。
憎々しげににらんだな。軽蔑したような目で、にらんだな。
その目がまた、色っぽいんだ。
ああ、たまらねえ。もっとにらんでくれ。軽蔑してくれてもいいぜ。どうせおれは、こんな変態男なんだからよ。
思いつくままにメモ的に書いてみたが、ヒロミと田丸の心理の動きは前回どおり大体こんな調子で、あとは場所を変えながら撮っていこう。
私はやはり、木賊の庭の中で哀れなポーズでうずくまるヒロミの姿を撮ってみたい。
木賊というやや特殊な形の草の群れの中に女体を配して、異常性を象徴できたらいいな、などと考えている。
山之内幸カメラマンは、雨の日の軒先に、てるてる坊主を二、三吊り下げ、そのそばに縛られたヒロミを並べたい、という浪漫主義的イメージを、一回目の撮影のときから望んでいる。私はもちろん、大賛成である。大大大賛成である。
(そのてるてる坊主イメージは、私の「裏窓」時代の緊縛写真の発想と完全に一致しているのだ)
中原るつプロデューサーは、この前の撮影のとき、ビデオのカメラワークが鋭くてとてもよかったので、クライマックスシーンはまた動画で撮ってもらおう。
AVのカメラマンの職業的な手慣れた撮り方とちがって、中原プロデューサーは、責められている女のせつない呼吸に合わせて、カメラを呼吸させているのだ。(ヒロミに手拭いのサルグツワを噛ませるシーン)
技術的なものを超えている。これはもう教えてできる芸ではない。生来持っている貴重な感覚といっていい。
山之内カメラマンは、縛られて悶える早乙女宏美が、瞬間的に放つ凄艶さを撮ることにすぐれている。
幸カメラマンが、緊縛された女体にカメラをむけるとき、彼女が好きなショットが特別にあることを発見した。
それはやはり、縛られている女の内面の被虐の心理が盛り上がり、高潮した瞬間である。
幸カメラマンもまた、被写体の内面に、つまり心の動きに自分を同調させ、シャッターを押す感覚の持主である。
このことは以前から気づいていたのだが、今回はっきりとそれが確認できて、私はうれしい。
自分はSMの撮影が得意だと言い、SMカメラマンを自称するカメラマンでも、緊縛女体の表面だけ、形だけしか撮れていない場合が多い。
そういう人たちにくらべて「ともしび」のカメラマンは、二人とも的確に、鋭く被虐の「心」を撮り、表現する。
たのもしい。
さあ、第二回の撮影、どうなることか。
まだ書きたいことがあるので、それは次回に。
(つづく)
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