2011.8.3
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百七十二回

 「木賊の庭」撮影記


 ちくしょう、なんということだ。
 テルシのこと、どうしても書けない。
 なんとかして書こうと思うのだけれど、書けない。
 書きたいのだけれど、書けない。
 どうしたというのだ。
 テルシという役者は、そんなにも大きいのか。
 いや、べつに大きいとも思わない。深い芸を持つ男だとも思わない。
 かなり達者な演技力を持つ男だとは思うが、ずばぬけてうまいと思ったことはない。
 ただ、私にとって、気になる役者だということだけだ。
 ちくしょう、それなのにどうして書けないのか。歯がゆい。
 他の役者にはない、何か不思議な、理屈の通らない不可解な魅力をもって、われわれ(私と中原氏)の前に現われるのだ。
 その何かとは、なんだ。
 それは一般的なものとはちがう、一種特殊な雰囲気だ。雰囲気というより、もっと直接的な、匂いだ、臭いだ。やはりオーラだ。
 表現しようにも、表現しようのない臭気だ。だから私は、この一カ月近く、てこずっているのだ。
 私はずいぶん長いあいだ文章を書いて生活してきたが、こんなにてこずったのはひさしぶりだ。
 私は売文業なので、どんな面倒な対象物でも、注文がくれば、なんでも一応はごまかし、辻褄を合わせて、それらしく書いてしまうのだ。
 それが、このテルシには、ちくしょう、こんなにてこずっている。

 だめだ。負けた。くやしいが、降参する。いや、降参ではない、退却である。
 ひとまず、テルシから離れよう。いつまでもテルシに関わっていられない。
 私はこれでもいそがしいのだ。あの怨霊のような役者のことばかり書いているヒマはない。
 他に書かねばならないことが、山ほどある(だが本当をいうと、テルシの芸と、われわれの芸の世界と、無縁ではないのだ。心情的に密接な、深いつながりがあるのだ。だから私は、こんなにもムキになって、テルシに挑んでいるのだ)。
 だが、くやしいけど、いまのところ私の力は、テルシに及ばない。
 ひとまずテルシから離れ、すこしたって、まだテルシのことが私の心をとらえていたら、ふたたび闘志を燃やして、あの男に挑戦しよう。

 私は、いまはテルシのことよりも、私たちのグループ「ともしび」制作による第二回目の写真集「木賊(とくさ)の庭」の撮影について記録しておかねばならないのだ。
 山之内幸カメラマンの隣家に、ふいの不祥事があって、延期していた撮影が、数日後、こんどは無事に実行された。
 結論を先にいうと、すばらしい出来であった。
 私が台本を書き、要所を演出し、出演もしている作品なので、「すばらしい出来」などと書くと、文字どおり、安っぽい自画自賛となる。
 しかし、これは内緒だが、私が自画自賛する以前に、撮影の成果を目の前にならべての「ともしび」同人たちの口から発せられる自画自賛の声のほうが上回っていた。
 はっきり言っておくが、彼女たちの自画自賛は、けっして底のあさい、軽薄なものではない。ときに私が舌を巻くほどの鋭い自己批判をしたりする。
 全員が、それぞれの立場で、マトを射た重厚な評価をしている。過去六十年間、この仕事に専念してきた私の理解力と実行力を凌駕するほどの、すばやく的確な動きを撮影現場において示し、それが成果をあげている。
 私が気のつかなかったこまかいところまでよく観察していることが作品を見るとはっきりわかり、私をよろこばせる。若い感覚というのは、やはり貴重なものである。
 私よりもぐんと年齢が若いだけに、全員が切れ味のいい、鋭利な感受性を有し、複雑怪奇で迷路の多いこの世界における表現のむずかしさを、よく理解している。
 正直、感心した。
 撮影現場での圧巻は、登場人物・人妻ヒロミに扮した早乙女宏美に、田丸という悪い金貸しに扮した私が、手拭いのサルグツワを強引に噛ませるシーンであった。
 私にとっては、過去に千回も二千回も、いや三千回もやっている手慣れたシーンであった。
 だから、つい手早く段取りをきめて、すいすいとやる。
 しかし、中原氏はこれをゆるさない。
 中原氏の担当は、制作・進行、そして撮影終了後の写真集編集ということになっている。
 だが、われわれ「ともしび」の同人たちは、ときとして、だれもが演出係となる。それも、きびしい演出家と化す。
「ちがう、ちがう、ちがいます、先生。それじゃだめ。そんななまぬるいサルグツワじゃだめです!」
 中原氏の真剣な叱声に、私はドキンとして、思わずサルグツワの手をとめる。
(ドキンとしたのは、言われそうな予感がしたからだ)
「指先に力が入ってないわ、先生。ここは田丸とヒロミにとって、すごくスリリングなシーンのはずでしょ? サルグツワは飾りじゃなくて、『ヒロミに声を出させない』っていう大切な目的があるんだから。田丸はサルグツワをかけおわるまで、どんな一瞬も絶対に気がぬけないはずだわ。私たちはサルグルワがきれいにかかった顔のポートレイトが撮りたいんじゃないでしょ? 先生の台本にあるそのスリリングな過程が見たいのよ。先生、田丸になりきって、力のこもった指先の動きをちゃんと見せてください。
人妻ヒロミの歯のおくにねじこんだ布が出てこないように、もっと指先でつよくおさえて、口の中へ押しこんで、それから細目の布でその上から横一文字に食いこませて……上下の歯のあいだにがっちりとおさえこんで……まずそれを頭のうしろでぎっちり縛り……それからべつの手拭いで、人妻の口全体に大きなサルグツワをかぶせて、ぐいぐいと……そう、そう、もっとつよく、もっとつよく!」
 これは映像作品ではないので、中原演出家のこういう声は残らない。
「こうかな、これでいいかな?」
 こうなったら私はもう、一出演者にすぎず、演出家の指示するがままに動く。
 この演出家の言うことはもちろん正しいので、私もまじめに、指示されたとおり動く。
 じつはこのとき私は、人妻ヒロミを演じる早乙女宏美の反応のほうを気にしている。
 早乙女は顔が小さく、比例して、口も小さいのだ。丸めた白布を口の中へつよく押しこむと、すぐ喉に達し、呼吸困難になる。
 早乙女の表情の変化を見守りながら、私は指先に力をこめ、中原ディレクターが意図するきびしいサルグツワ場面を演じた。
 歯のあいだにねじこむ一本目の手拭いを首のうしろで縛りとめたとき、早乙女の頬が、ぐぐぐ……と鳴った。
 ひゅうひゅうという息がもれ、ゼエゼエという低い声がきこえた。
 サルグツワ愛好家がこの場にいたら、気の遠くなるような凄い迫力である。
 音や動きを撮るための撮影でなかったことが残念であった。
 だが、音や動きがなくても、山之内カメラマンの繊細な陰影の写真は、このサルグツワ場面の激しさを十分に伝えている。
 人妻ヒロミは、この強烈なサルグツワのままで、金貸しの男に縄尻をつかまれ、部屋の中を引きずり回される。
 過酷な全身の動きとともに、サルグツワの中から、ふたたびグヒイ、ゼエゼエという苦しげなうめき声がもれ、さらに刺激的な、嗜虐的なシーンとなった。
 このシーンの一部分を、中原氏がこんどは動画のカメラマンになって、すこし撮影している。
(私は彼女がムービーカメラで撮っていることを、このとき知らなかった)
 サルグツワに関心のある人で、何かのチャンスがあって、もしこの映像を見られたとしたら、その人はこれまでにない貴重な、刺激的なシーンに遭遇したことになる。
 その人にとっては、おそらく一生の思い出になるほどの値打ちをもつ、名シーンのはずである。
 早乙女宏美は、やっぱり女優である。人妻ヒロミの心が乗り移っていた。よくがんばった。「木賊の庭」の撮影は、この日、このようにして、まだまだつづくのである。

つづく

濡木痴夢男へのお便りはこちら

TOP | 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 | プロフィル | 作品リスト | 掲示板リンク

copyright2007 (C) Chimuo NUREKI All Right Reserved.
サイト内の画像及び文章等の無断転載を固く禁じます。