濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百七十四回
引きずり回しの恐怖
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私たち「ともしび」が、いま作っている写真集は、過去に出版社がひんぱんに出していた、雑誌掲載後の緊縛写真を寄せあつめて一冊にしたものではなく、つまり、まったくの「撮り下ろし」であり、はじめから終わりまで一つのストーリーで構成されている。
(その台本をこの「おしゃべり芝居」の中にのせているので、読んでいただいている方にはおわかりのはずである)
掲載した写真のすべてが、すべて筋の通った物語になっている。
縛られるヒロインは、同一人である。
考えてみると、これはきわめてめずらしい写真集で、こんなこと、過去のどこの出版社でもやっていない。
私自身、こういうものを作った記憶も、出演した記憶もない。
しかも、なりゆきで、二作目の「木賊(とくさ)の庭」も、ストーリーは「夕日の部屋」のつづきとなっている。
そして、ついだからいま書いてしまうが、三作目も撮影準備段階に入っている。
これもストーリーはきちんとつながっている。悪い金貸しに責められる哀れな人妻の話であり、タイトルは「水の感触」というのだ。
撮影場所は、カメラマンの山之内幸邸である。
一回の撮影で終了する予定だったこの緊縛ドラマが、なぜ、アッという間に三部作になってしまったのか、その最大の原因は、じつはこの山之内邸の魅力にある。
あまりにも「味」が濃厚なのだ。
その「味」は、もちろん私たちが好むところの「味」である。
山之内邸の魅力については、「おしゃべり芝居」の中にすでに書いているので省略するが、実際に撮影していると、さらに奥深い妙味(というか人間臭というか)が、ドラマティックなムードを加えて、汲めども尽きせぬという情感で、私たちの目の前にせまってくるのだ。
なにしろ、山之内カメラマン自身が、カメラのファインダーをのぞきこみながら、
「へええッ、なんだかとても新鮮だわ。私の部屋じゃないみたい。ここが私が何年も住んでいる家なのかしら。ウーン、ぜんぜんちがう感じに見えるわ」
などと感嘆し、うっとりするくらいなのである。
もっとも、住み慣れた部屋ではあっても、そこに早乙女宏美を絶妙の構図で配するがゆえに、新鮮に映る、ということもある。
「緊縛」ではないが、他のテーマの撮影のときに、この山之内邸を借りて使用することがあるという。
しかし、そのときの作品の印象とは、まるでちがう、という。
早乙女宏美一人を加えると、見慣れている部屋が、たちまちあやしげな背徳の色に染まり、刺激的な情景になると、山之内カメラマンはいう。
「それはね、早乙女が扮する不幸な人妻の存在感がこの部屋にぴったりだということもあるけど、この家のどこを、どういうふうに利用すれば効果的か、その判断と決定に、おれのSM的センスがあるんだよ」
と私は、ここぞとばかりに自己主張する。
こういうところで自慢をしておかないと、「ともしび」女性たちの卓越した重量感に、私はとてもかなわない。
人妻ヒロミの夫は、ギャンブル好きのしようがない男で、金貸しの田丸に百五十万の金を借りたまま返さず、家出して、ゆくえ不明になっているのだ。
田丸はヒロミをおさえておけば、やがて男のゆくえもわかるだろうと思って、しつこくまとわりついているのが、このフォトストーリーの芯である。
この「木賊の庭」のなかごろになると、田丸はこの部屋の引き出しを勝手にあけ、現金入りの封筒をみつけてしまう。
それはヒロミの夫がメール便で送ってきた十万円の金なのである。
田丸はこれを見て怒る。
「男がかくれている場所を知ってるだろう。おしえろ!」
といってヒロミの縄尻をつかみ、部屋じゅうを引きずり回すのである。
中原るつ氏はなぜかこの「引きずり回し」シーンにこだわっていて、
「さあ、ここをしっかりやりましょう。ここをしっかり撮らないと、この緊縛ドラマは成り立ちませんよ。濡木先生、いいですね!」
熱い声で言いながら、私に大きな目玉をむける。
進行係であると同時に、このときの彼女はもうまぎれもなく演出家の気迫を全身にみなぎらせている。こわい!
ビデオのように動く映像ではないのだから、たとえ引きずり回しシーンでも、私は断片的にやすみやすみ、ゆっくりそれらしいポーズをとればいいじゃないのかと思い、口にも出して言ったのだが、中原演出家の情熱は、私のそんな妥協をゆるしてくれない。
「後ろ手に縛られた女が、無残に引きずり回されている、というシーンは、これまでの映像にはなく、写真にもないのです。たとえ同じ縛り方をしていても、そういう情景を表現したものはないのです。だからこそ、しっかりと演じて撮らなければいけないのです」
と、中原演出家はなおも大きく目玉をむきだして言う。
「でも、畳に全身がこすれて、早乙女はかなり痛いよ」
と私はやはりフェミニストである。
「早乙女さん、がんばってください。ここは不運で哀れな人妻の運命を象徴する、とても被虐的な情感のあるシーンなのですから、すこし痛くても我慢して、ごまかしなく、みっちりと撮りましょう」
中原演出家は異様に燃えている。
早乙女は女優としても年期の入ったベテランなので、黙ってうなずく。もっとも手拭いのサルグツワでびっちり口をふさがれているので、うなずくより仕方がない。
私は腰をやや落とし、両足をふんばり、フーッとひといきついて、引きずり回しを開始する。縄をにぎりしめる。
早乙女の体は小柄だが、縛られて自由を奪われているので、ずっしりと重くなっている。しかも、隙をみて反抗の姿勢になる。
私もいささか本気を出さないと、畳の上に横たわっている女体を動かすことができない。だが、本気になって力まかせに引きずったところで、SM的魅力に充ちた官能ポーズにはならない。
当然、縄をつかんで引きずるのも演技であり、畳の上で女体を回すのも芸である。
(このへんのことは、前回にかなりしつこく書いた)
SM的観賞に耐え得る魅力ある官能ポーズを意識しながら縄のかかった女体を動かし、さらに、これを撮る山之内カメラマンの位置と、彼女がねらうアングルを考慮しながら、呼吸を測るようにして引きずり回しをくり返さなければいけない。
あわててはいけないし、力まかせではもちろんいけない。しかし、私はあくまでも田丸でなければならない。
早乙女も人妻ヒロミになりきり、全身をくねらせ、苦悶の動きで、被虐女のエロティシズムを表現する。苦悶と金貸し男への憎悪。
サルグツワをしっかりかけられたままでの引き回し責めなので、喉をくるしげにあえがせ、より非情で過酷な眺めになり、耐える女の痛々しいムードが出た。
せつないまなざし、胸と喉をふるわせるリアルな苦痛感。台本をよく読み込んでいる。
気合いのこもったこのシーンの早乙女の熱演で、特筆しておきたいのは、不幸な女の哀れさだけでなく、非道な金貸し男への恨みと憎しみが、人妻ヒロミの目に官能的な魅力となって悩ましく表現されていることである。
いったんは逃げかけるが、ふたたびつかまり、後ろ手に縛られ、サルグツワまでされる無念さ、くやしさ、男への憎悪、怒りが、そしてあきらめが、早乙女の持ち味もあって、あやしく熱っぽく、さらに官能味を加えている。恨みと憎悪が人妻を生き生きさせている。
弱い立場の人妻を容赦なくいじめる気持ちになって、男の動きは女体を責めつづけているが、このとき私の意識の半分は、山之内カメラマンの呼吸と表情を間断なく観察している。
カメラマンが「ここを撮りたい!」という呼吸を見せ、決断した瞬間、私は自分の動きをストップさせ、その被写体のポーズを、カメラマンの意志に合わせなければならない。
一糸乱れぬ全員の協力があって(いや、協力というより情熱のぶつかりあいがあって)このシーンも上々の結果となった。
「すごい、すごい、いいわ、いいわ、がんばってよかったわ、ああ、いいわあ!」
中原氏も山之内カメラマンも、心からの歓声をあげた。
早乙女はヒロインなので、やや離れたところで休みながら微笑している。
私は疲れ、片隅の椅子にぐったり腰をおろして、フウフウ息をついた。
(このたくましい女性チームに、自分はどこまでついていけるだろうか)
すこし横になりたい。
だが、それを口に出しては言えない。
言っても彼女たちはゆるしてくれない。
「木賊の庭」は、この段階でも、まだやっと半分を超えたところである。
これからまた人妻ヒロミを縛りなおし、部屋から玄関まで引きずり出し、「木賊」が密生している庭まで連れていかねばならないのである。
(つづく)
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