2011.8.6
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百七十五回

 「ともしび」の情熱


 後ろ手に縛りあげ、手拭いのサルグツワをしっかりかませたままの人妻ヒロミを、畳敷きの部屋の中でさんざん引きずり回してから、さらに玄関へ引き出し、ドアをあけて庭へ連れ出した。
 人妻ヒロミは裸足のままのむごたらしい姿である。
 ここからタイトルの「木賊(とくさ)の庭」のシーンになるのだが、ここで特筆すべきエピソードは、あまりなかった。
 ということは、群生する木賊を効果的な背景にして、じつにスムーズに、「ともしび」全員のイメージどおりに撮影は進行したのだ。
 草むらの中にカタツムリが一匹這っていた。私はそれを指でつまみあげ、イタズラの気分で、人妻ヒロミの太腿の上に置いた。
 ヒロミはたちまち早乙女宏美にもどって、
「ヒャアッ! だめだめ、私、そういうの、だめなの!」
 と悲鳴をあげた。
 山之内カメラマンがそんなところもまじめに撮っていたが、まあ、これはご愛嬌というものである。
 そうだ、早乙女の虫嫌いを確認した小さなエピソードが一つあった。
 今回の撮影のクライマックスは庭へ出ることを知っている早乙女は、あらかじめ虫除けスプレーを自分で買って持参してきたのである。
 ヒロインみずから虫除けの薬を買ってくる撮影の現場というのも、めったにお目にかかれない。このへんが「ともしび」のいいところである。
 はじめからADがいないことがわかっているので、時に応じて全員が気軽にADの仕事をする。
 こういうところが、また楽しい。ADの仕事がどんなに手慣れていても、「SM」を知らない人は、私たちの助手とはなり得ないのである。
 こんなぐあいに、見た目には冷酷無残、むごたらしいシーンの連続なのだが、現場は楽しさいっぱい、和気あいあいのムードのうちに、午後四時前には予定どおり撮影は終了した。
 なにしろ台本はもう十日以上も前に出来上がっていて、みんなもうじっくりと読み込んでいるので、テーマもストーリーも把握している。
 進行は瞬時のとまどいもためらいもなく、きわめて快調である。
 お世話になった山之内邸を退去し、駅前へもどって、前回も打ち上げをやった居酒屋で、成功を祝って気分よく四人で乾杯。
(撮った写真のすべてを見たわけではないが、山之内カメラマンの的確なシャッターチャンス、アングルの決め方などで、作品の成功はもうわかっている)
「きょう、もし時間と体力があったら、浴室をすこし撮ってみようと思っていたんだけど、あそこはじっくりと考えて、つぎに使わせてもらおう。あの風呂場はいいぞ。おれの頭の中には、あの浴室の浴槽と洗い場で責められる人妻ヒロミの悩ましいポーズが渦巻いているよ」
 と、一杯の生ビールで顔を赤くして酔って広言を放つ私。
 山之内邸の風呂場は、なんど見てもいいのだ。見るたびにゾクゾクしてくるのだ。
 私のイメージを引き出し、刺激し、興奮させる風呂場の情景なんて、めったにない。
 きれいに整頓された貸しスタジオの中の浴室なんかには絶対にない、生きた人間の存在感がみっちりと、あやしく、ちょっと不気味な情感をもって漂っている。
 人間の汗と脂と、快楽と懊悩をしみこませながら、ざらざらした非情な質感に光っているところが、たまらなくいい。
 考えてみると、はじめは山之内邸を一日だけ借りて、一冊の小さな写真集におさめる作品を撮る予定だったのである。
 それが、私の頭の中では、いつのまにか、早乙女宏美主演の、山之内邸を生かしたストーリー、三部作になってしまっている。
「夕日の部屋」につづいての「木賊の庭」、そして三冊目となる写真集のタイトルは、いまの段階では撮影日もまだきまってないのだが、「水の感触」と、私が勝手につけてしまった。
 これはやはり山之内邸の底知れぬ魅力と、さらに早乙女宏美の、縛られる女としての血のかよっている存在感のせいであろう。

 と、ここまで書いたとき、その早乙女宏美から、FAXで手紙がきた。
 私同様、早乙女も手書き文字である。
「おしゃべり芝居」一七四回「引きずり回しの恐怖」を読んでの感想文である。
 偽りのない心情が書かれていて、こういうものにすこしでも関心をもたれる方には、興味ぶかい文章だと思われるので、さしさわりのある箇所は省略して、つぎに紹介する。

 濡木先生、今回も力作……いや、情熱のある、熱いものになっていますね!
「引きずり回し」の大変さが、よみがえってきましたよ。
「ともしび」企画をやって、縛られることが好き、という事は、こういう事だったと思っています。
 SM雑誌全盛でグラビア撮影が多かった時代、たしかにカメラマンの要求にこたえ、終了後には達成感がありました。
 身体をなすがままにさせて、きびしい緊縛をこなした、という気持ち良さがありました。
 しかし、年を経るごとに、体力、筋力的につらくなり、私自身、縄つき散歩程度が本当は好きだったのかなあ、緊縛好きではなかったのかなあ、と考えだしていたのです。
「ともしび」で試みた事は、縛られてしまう状況下にある、必然的な縛り。
 一作目の「夕日の部屋」を撮っている最中に、私は思い出したのです。
 そう、私の好みは、「なぜ縛られてしまうのか」という設定重視だったのです。
 グラビア撮影の時でも、私の頭の中では、架空の設定をつねに考えていました。
 設定がなければ、心も体も動かない。
 必然性があるからこそ、その縛りに体が反応し、泣ける。
「ともしび」発足の記念となる作品をやらせてもらって、本当に良かったと思っています。
 中原るつさん、山之内幸さん、ご両人とも女性というワクを完全に越えておられて、本物の同志です。そのことを確認しました。
 いま三作目の「水の感触」というのをお書きになっているそうですね。
 楽しみにしています。
 金貸しの田丸と、人妻ヒロミはどうなるのでしょう。
 田丸に責められつづけて、ヒロミの心はどのように変化していくのでしょうか。

 以上である。
「ともしび」の同人たち(私もふくめて)はいま三作目の「水の感触」の撮影準備に夢中であり、これが私には思わず笑いたくなるほどおかしい。
 撮り終えた「夕日の部屋」や「木賊の庭」の作品群を写真集にまとめて、多くの人に見せたいという作業はさておいて、新しいつぎの撮影のほうに心が向いている。
 しかし、これはいいことなのだ。
 新作を撮影するほうに情熱が集中しているのは、未知の新しい作品を制作するほうに欲望の炎が燃えているということだ。
 こういう情熱の形こそが、私にとって好ましいのだ。
 でも、せっかくだから、写真集編集発行のほうの作業もすすめましょうよ、中原さん、山之内さん。

つづく

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