2011.8.7
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百七十六回

 監禁される人妻の心


 前回紹介した早乙女宏美さんからの手紙に、

「……そう、私の好みは"なぜ縛られてしまうのか"という設定重視の撮影だったのです。SM雑誌のグラビア撮影の現場でも、私の頭の中では、架空の設定を、つねに考えていました。
 設定がなければ、心も体も動かない。
 必然性があるからこそ、その縛りに体が反応し、泣ける……」

 という数行がある。
 早乙女は素直に、さらりと書いているけど、じつは、重い意味を持った、たいせつな言葉なのである。
(たいせつな言葉ではあるが、本当をいうと、きわめてあたりまえのことである)
 私たちが「ともしび」を結成した理由に、この、緊縛に至るまでの設定、ストーリー性重視という目的がある。
 それを改めて高々と提唱したのは中原るつ氏であり、その提唱も、かなり強固で、迫力のあるものであった。
 山之内カメラマンも、私も、当然賛成である。
 いまさら賛成などと手を上げなくても、緊縛写真撮影には、それしかないのである。
 もっと言ってしまうと、設定つまり物語性も必然性もない緊縛行為なんて、ただの縄スポーツでしかない。
 早乙女宏美は、テーマもストーリーもない、ただ緊縛だけを目的とする撮影の場合は、自分で勝手に頭の中でストーリーをつくるという。
 なんというせつない、いじらしい心。
「ともしび」が制作中の「夕日の部屋」にはじまる写真集シリーズは、まず私が台本を書き、それを中原氏が読んで、たりないところを補筆する。
 演出時の説明不足の箇所なども、中原氏がていねいに書き加える。
 そして完成した台本を、わざわざ撮影現場用として格好よく製本し、一人ずつ(といっても四人だけだが)手渡す。
 それも撮影する十日以上も前にしっかりと手渡す。
 こういう心構えの準備がきちんとできているので、早乙女も時間をかけて台本を読み込み、人妻ヒロミの心になりきった、いい表現をしているのも当然であろう。

 ところで「夕日の部屋」「木賊の庭」につづいて、これから撮影する「水の感触」。
 このタイトルだけは、きびしい中原るつ館長(中原氏は言わずと知れた風俗資料館の館長である)も、ひと目みるなり、
「いいわァ、これでいきましょう!」
 と、ほめてくれたのだが、さて、もんだいは台本である。
 前回書いたように、山之内邸の風呂場のあやしいムードに魅惑されている私は、どうしてもあの場所に、人妻ヒロミを監禁して、マニア仲間を、グウッとうならせる凄い緊縛写真をつくりたい。
 この欲望は私の業(ごう)のようなものである。
 いまのところ物語性よりも、風呂場に、水、湯を配して、女体緊縛の写真構成の魅力にとりつかれている。
 しかし、ストーリー性を重要視する私たち「ともしび」の撮影なのだから、構図のおもしろさだけをねらっては、底の浅いものになる。
 人妻ヒロミには確固たる設定が存在している。
 その設定を基にして話を進展させなければならない。
「水の感触」は、「夕日の部屋」からストーリーがつながっていなければならない。
「浴室を舞台にしての監禁シーンがメインになるんですか。いいですねえ。監禁というイメージが、まず、いいですね。感じますね。監禁……一室に閉じこめられている女……いいわ。何かの物語性を感じさせる情感があるわ」
 大きな目玉を黒々と光らせながら中原館長は乗り気である。
 浴室での撮影は、私のイメージは最初から「水責め」なのだが、中原館長のイメージは「監禁」もしくは「幽閉」なのである。
 なるほどね。このイメージ差はおもしろい。
 現場でのシーンの一つ一つは、具体的な形で、すでに私の頭の中に出来上がっているのだが、そこに至るまでのストーリーを台本の中に書きこむとなると、これはむずかしい。
 むずかしいけれど、書かなければならない。
 これを書かないで、ただ責め場だけをやったりすると、ヒロインの早乙女が、心の中で自分で勝手に状況をつくって、それらしく演技しなければならない。
 そうなると、演技者の心と、演出者の心が乖離(かいり)してしまう。
 山之内カメラマンも、ヒロインへの切実な感情移入がなければ、観賞者の心を打つ、迫力のある、いい写真は撮れないであろう。
 人妻ヒロミの感情の動きにしたがって、シャッターチャンスも、カメラのアングルも、微妙に変えねばならないはずである。
 緊縛写真は、縛られている女の心を表現しなければならない。
 裸の股間さえ撮ればいいという世界ではないのだ。
 金貸しの田丸が、人妻ヒロミを縛って浴室へ押し込め、「水責め」をやるのは、まず、金を借りて姿をくらました男の隠れ場所をききだすという目的がある。
 人妻は一見おとなしそうだが、じつは強情な性格で、金貸しのいやがらせや脅迫にしぶとく抵抗している。この女は憎たらしいほど頑固なのだ。
 すでに出来上がっている私の、人妻が責められるポーズのイメージは、やっぱり類型的であり、したがっていささか通俗的である。
 通俗的ではあるが、緊縛マニアにとっては刺激的な、いい写真になると信じている。自信がある。
 風呂場の中で水責めといっても、私はヒロインを裸にしない。
 裸にしてはエロティシズムはなくなる。
 服を着たままの人妻を、縛って水責めにする。全身に水をかける。
 あるいは下着だけにして縛るかもしれない。乳房は出さない。ショーツもぬがさない。
 スリップ姿にして縛る。
 そこで早乙女にお願い。
 当日は、生地のうすいワンピースみたいな服で、水にぬれると体にはりつくような衣装を持ってきてください。
 ちなみに書いておく。「夕日の部屋」のときも「木賊の庭」のときも、人妻ヒロミの着ている衣装は、早乙女宏美の自前の服である。つまり、日頃早乙女が身につけている自分の服である。
 ずぶぬれになって悶える緊縛女体の演出には、私、自信がある。
 現場では、中原館長も山之内カメラマンも、私の演出に、アッとおどろくことであろう。
 緊縛エロティシズムとはこれだ、という写真を、山之内カメラマンに撮ってもらう。
 緊縛エロティシズムとは、女の足を開かせるのではなく、閉じさせるのだということを「水の感触」の中で証明してやる。
 早乙女宏美が自分のその写真を見て、
「えッ、これが私なの? 私って、なんて色っぽいんだろう!」
 と、びっくりするような写真を、つくりあげてみせる。
 だが、もんだいは、そのときの人妻ヒロミと、金貸し男のセリフと「心」である。
 それを台本に書かなければならない。
 登場人物の行動を書くのはやさしい。
 しかし、心理を書くのは、やっぱりむずかしい。
 それは「SM」というものにたずさわった人間の、心理それ自体がむずかしいからである。

つづく

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