濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百八十四回
「水の感触」撮影完了
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あんまりいそがしいいそがしいと書くと、フン、この不況のご時勢に、いそがしぶっていやがって、イヤミなやつだ、などと思われかねない。
だけど「ともしび」の全員、とにかく本当にいそがしかったのですよ。
いそがしいと言っても、べつに、それでお金が儲かるわけではないのです。
私たち、お金が儲かる仕事なんて、ほとんどしてないのですよ。
つまり、むかしから言う「貧乏ひまなし」というやつです。
たのまれて仕事が気にいれば、お金のことはさておいて、すぐに夢中になってやってしまうということです。
以上「水の感触」の撮影がのびてしまった釈明です。
それでも、いそがしい最中に、なんとか時間をやりくりして、中原館長と山之内カメラマンの二人は、夜中までかかって撮影ずみの「夕日の部屋」や「木賊の庭」を、写真集にするための編集をやってくれている。全体的には進行しているのだが「水の感触」の撮影だけが遅れてしまったというわけです。
撮影はのびのびになっていたが「ともしび」の同人たち、つねに「水の感触」に関しての意欲と緊張感を、間断なく維持しつづけておりました。当然のことであります。
四人が四人とも、それぞれ日常的に働く場所がちがい、毎日顔を合わせているわけではないが、つねに連絡をとり合い、気持ちの上で、写真集制作という目的を持った熱い意識でつながっている。
いや、働く場所はちがっていても、私たちの仕事は、結局は同種なので、連絡はとりやすい。
連絡の中心は、地理的な面からいっても、きめられた位置に、つねに存在するという利便性からいっても、どうしても、中原るつ館長ということになる。
そして、(これはあまり明確に書きたくないのだが)四人とも共通のステージの上に立つという趣味があり(早乙女宏美の場合は趣味ではなく本職だが)そのために四人が集まるということも結構多い。
その「趣味」のリーダーはもちろん私であり、私が他の三人を引きずりまわしている、と言えなくもない。
(しかし弁解すれば、私のこの「趣味」も、「緊縛写真撮影」とまったく同種の精神高揚の活動の場なのだが)
うっかり中原館長の所在を、地理的な利便性があって連絡しやすい、と書いてしまったが、彼女の存在感の重要さは、もちろんそれだけではない。
「水の感触」の撮影がのびのびになっているから、その分だけ時間的に余裕ができるはずだ、と思いがちだが、実際には、余裕どころか、さらにそれぞれが多忙になっている。
つまり、それぞれ、有能な人間ばかりなのだ。
新しい仕事が目の前に現われると、どうしてもそっちのほうに視線が向き、心が動く。
これはしぜんなことで、仕方がない。
そういうとき、すかさず、
「水の感触の撮影日が近づいてますよ、こっちを向いて!」
と、「檄」をとばすのが、中原館長なのである。
すると、あとの三人、
「そうだ、そうだ、水の感触がある!」
目を輝かして、うなずき合うのである。
そして中原館長は、私が一カ月前に書いた「水の感触」の台本を、さらにこまかく人物の動きや心理を補足した決定稿を自分で書き、それをきちんと、きれいに製本したものを、撮影当日、私たちに一冊ずつ手渡ししてくれたのである。
集合場所である駅前の喫茶店で、中原館長からその決定稿を受けとった私たち三人、
「わッ、へえッ、きれい、凄い!」
思わず感嘆したくらいに、完ぺきにまとめられた、しゃれた一冊であった。
(ビデオドラマなどの映像ではなく、写真集に台本、というところが、大体凄い)
私は、はじめに思いついたときから、この写真集は、中原館長に制作プロデューサーとしての役割りをお願いしていたので、それが思いどおりになり、この段階で大満足であった。
この「夕日の部屋」「木賊の庭」「水の感触」の台本は、さらに一冊にまとめて丈夫に製本して、風俗資料館に置くように、私は中原館長に進言したい。
写真集制作に対する「ともしび」同人たちの、ゆるぎない情熱を、如実に知ることができ、さらに「SMドラマ」の最も重要な、根本的な姿勢(思想といってもいい)が、この台本の中にこめられている、と私は自負している。
この台本を風俗資料館に置くことによって、二〇十一年に、こういう意識と意欲をもって、緊縛写真集を制作したグループがあった、という証拠が刻まれることになる。
やたらに股間を露出したり、残酷拷問我慢ゲーム的写真ばかりが氾濫している時代に、こういう作品をめざしていた小グループがあったということを、この台本によって、後世の同調者たちに伝えたい思いが、私にある。
あるいは、濡木痴夢男五十年間の緊縛稼業の成果は、中原るつ館長に内容を補足してもらって、まとめあげたこの三冊の台本だけかもしれない。
(いや、冗談ではない。本当にそうだ、この三冊の台本だけだ)
撮影は、うまくいった。
非常に、うまくいった。
これ以上うまくいくことは、わが「ともしび」グループにしても、もうないかもしれない。
撮影までの準備期間が長く、その長い分だけ、それぞれの心の中で、ドラマの内容がたっぷり熟成されている。
おまけに「夕日の部屋」のつづきが「木賊の庭」であり、そのつづきが「水の感触」である。
ストーリーはつながっており、出演者は早乙女宏美と私だけである。ヒロミという人妻と、田丸という金貸しだけである。
作り手は全員このドラマの裏も表も、何から何まで知りぬき、自分のものになっている。
考えようによっては、なんともぜいたくな撮り方である。
金儲けだけを考えて撮影する人たちとは、根本的なところでちがう。
そして、三度の撮影は、三度とも気心の知れた山之内邸を使わせていただいた。
邸内の各部屋の雰囲気、浴室へとつづく空間の位置も模様もわかっていた。
要するに、撮影場所として慣れていた。
慣れすぎると緊張感が希薄になり、多くの場合マイナスに働くが、そういう意味の慣れではない。
前に二度使わせてもらった場所ではあるが、そのことをまったく感じさせずに、より効果的に、ドラマティックに利用して、新しい空気感を持った作品にしようという心構えが、口には出さないが、四人の心の中に本能的にあった。
そういう反射神経にすぐれた感覚を持つ、鋭敏な「ともしび」同人たちである。
考えてみれば、その種の感覚に鈍感な人間だったが、私は本能的に、仲間に加えない。
黙っていても、同じ方向にむかって、心は一つになる。
相互に信頼感がある。
私があれこれ言わなくても、狙いはみごとに一点に集中する。
好調な展開のうちに撮影は無事に終わり、全員いい気分になって山之内邸を退去。
撮影前に集合したコーヒーショップと同じビルの中にある居酒屋で、打ち上げをやる。
びんビールで乾杯。
「お疲れさまでした!」
「お疲れさまア!」
天ぷらの盛り合わせ。
タマゴときくらげの炒めもの。
ポテトサラダ。
焼きうどん。
イカの塩から。
ニンニクのから揚げ。
カニみそ。
ゲソワサ。
(これは、ゲソワサってなんですか? ゲソワサってなんだろう? ゲソワサってどんなお料理ですか? と壁に貼ってあるメニューを眺めながら中原館長がしきりにつぶやき、みんなで説明したのだが、それでもふしぎそうな顔をしているので注文した)
まだ他に二、三品取り寄せたような気がしたが、忘れた。みんな一人前ずつである。
最後にアジのフライを注文したら、なんと、皿の上に一匹しかのっていない。
そこで山之内カメラマンが、割り箸を使って上品に四つに切ろうとしたが、うまく切れない。
しまいには手の指でつかんで四つに引きちぎり、それを四人でたべた。
カリカリ揚がっていて、うまかった。
一口ずつたべたので、よけいにうまかったのかもしれない。
びんビールは、キリンのラガーを四本か五本。
早乙女宏美と山之内カメラマンがほとんど飲み、みんな上機嫌で、いい気持ちで別れました。
(つづく)
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