濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百八十七回
話芸は結局人柄ですね
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「七人の侍」をラストまできっちり見てから会場まで駈けつけたので、恵比寿での都築さんの写真展のトークイベントは、始まってから十五分ほど経っていました。
しゃれた装飾ガラスのドアを押して中へ入ると、書棚と書棚のあいだの通路のような空間に並べられた椅子に、三十数人と思われる観客が、奥の正面をむいてすわっておられました。
ぎっしりと書棚がたちならぶ、その突き当たりの空間に、都築さんとそのお相手の戌井昭人氏の姿が見えました。
(戌井さんは私と中原館長にとって未知の方です)
お二人は向かい合う形で椅子にすわり、マイクを握ってお話の真最中でした。
その背後にスクリーンがあり、スライドの映写をしながら、主に都築さんが語られています。
私も中原館長もはじめて来たので、この場所の様子がよくわかりません。
よく見ると高価な美術書を専門に扱う書店らしい雰囲気がただよっていて、輸入品らしい分厚い書籍なんかがぎっしりと陳列されています。
お二人のトークが佳境に入っているらしく客席から静かな笑い声が上がり、華やいだ空気が湧いていたので、私はそれにひかれて立ちどまり、私の位置からはやや離れた位置にいる都築さんに視線をむけました。
笑い声が連続しました。
それは都築さんへの好意と親愛感のある、品のいい、つつしみのある笑い方でした。
地下のギャラリーへいくのはあとにして、私と中原館長は、三十数人のお客のいちばん後ろの椅子にすわり、お話をきかせていただくことにしました。
都築さんのほうからは、私たち二人の姿はほとんど見えない位置です。
中原館長は、係の人がすすめる椅子にすわらず、立ったままで、いつものように首と背筋をピンとのばして、都築さんに視線をむけています。
お二人のトークに目をそそぎながら、同時に、この大量の美術書に囲まれた部屋の模様を観察しているような表情でした。
彼女は、つねに風俗資料館の館長としての心構えをくずさない人です。
このときも、自分が管理し、経営する資料館と、いま立っているこの空間を、対比しているように私には思えました。
彼女の仕事への執念には、おそるべきものがあります。
私にはそれが、むろん、たのもしい。
マイクを片手に、おだやかな微笑を絶やさず、自然体のなめらかな口調で話しつづける都築さんの姿は、スポットライトに照らされているのか、ピンク色に明るく輝いていました。
(頭部だけでなく全身光り輝いていました)
いや、人工的な照明ではなく、都築さんの体から発しているオーラだったのかもしれません。
上野・浅草界隈で活躍している、いわゆるアンダーグラウンドの住人たちの姿が、スクリーンの上にさまざまな個性で映写されていきます。
すべて都築さんの作品なのでしょう。
ふつうの人たちにはまねのできない、独自の風味をもった楽しい人々をたずね、触れ合った体験を、じつに生き生きと話されるのです。
一見平坦であり、そして平淡でありながら、絶妙なニュアンスをもつその語り口に、私は魅了されました。
一歩あやまれば、単なる好奇趣味におちいりやすいテーマなのに、それをまったく感じさせないのは、都築さんのお人柄、被写体への畏敬の気持ち、そしてあの人たちに同調したい欲望も、すこしあるように思えました。
僭越ながら、私もあの人たちの仲間の端くれの一人だと思っています。
ですので、都築さんが語られる言葉、そして作品のやさしさにウソがないことが、直感的にわかるのです。
ウソでないあたたかさに包まれた、ひたむきで純粋な好奇心が、よくわかるのです。
アンダーグラウンドの住人たちは、みなさん楽しそうに自己表現なさりながら、都築さんに撮られていました。
あんたたちが好きだよ、よくわかってるよ、あんたたちの理解者だよ、などと猫撫で声で近寄ってくる多くの人たちに対して、私は本能的に警戒します。
警戒しないで、うっかり笑顔なんか見せると、いきなり足もとをすくわれて、ずでんどうと引っくり返され、にがい思いをすることが、ときどきあります。
引っくり返されないまでも、イヤーな思いをすることが多いのです。
都築さんの笑顔はやさしい。
むりにつくってない笑顔なのです。
私たちの心を、傷つけまい、傷つけまいと、ときにはお世辞を言いながら、つくり笑顔で近づいてくる人がいます。
すぐにわかります。そういう人の言辞行動こそ、じつは私たちの心をいちばんひどく、残酷に傷つけていることを、傷つける人たちは知らない。
いつもは用心ぶかい私なのですが、都築さんと二言三言しゃべっただけで、私は自分の秘密の仕事部屋をさらけだしてしまいました。
なんのためらいもなく、
「ああ、いいですよ、撮ってください」
とさらけだしたことを、私自身びっくりしています。
へえ、私にも人を信じるこんな気持ちがあったのか、と。
私の仕事部屋なんて、一目瞭然、私の羞恥全般の巣窟みたいなものです。
ああ、なんだかぐだぐだ書いてしまいました。
この夜の都築さんのトークについては、もっと他に感じたことがあったはずなのです。
(それはいささか突っ拍子もないことですが、いま見てきたばかりの「七人の侍」の感動に共通したものでした)
だけど、うまく書けない。
私は頭が悪く学問もないので、こんなふうにぐだぐだ書くことしか芸がないのです。
要するに表現力に乏しいのです。
ギャラリーには、浅草の木馬亭に立つ私の写真が、大きく引き伸ばして展示されていました。
(あ、このことは前回書きましたね)
トークはまだつづくようでしたので、地階のギャラリーを一巡し、階段を上がり、都築さんの後方を通って、おいとましようと思いました。
私と中原館長が通る気配を察しられて、都築さんがふり返られました。
私たちの姿を認められたので、軽くあいさつを交わしました。トークは続行中です。
画廊から駅へむかう途中で、喜多方ラーメンをたべました。
チャーハンも注文し、二人で半分ずつたべました。
たべながら中原館長と話し合いました。
「ともしび写真集発行記念に、支持者に集まってもらって、ああいうトークショーをやろうよ。あんなふうに、都築さんみたいにやれたら、どんなにすばらしいだろう」
と、私が言いました。
「いいですね、そのときは、うちの資料館でやりましょう」
「都築さんのお話が、とても誠実な感じがしてよかったね。聞いていて気持ちよかった。あれは立派な話芸ですよ。まいった、まいった」
「お客さんたちの反応も、静かで品のいい情熱が感じられて、とてもよかったですね」
「都築さんの作品と、そしてトークの内容に理解と興味をもつ人たちばかりが集まって、通俗世間の関心とはいささかちがう知的な雰囲気が充実していて、それがよかったね。あの会場をああいう上品であたたかい空気にもっていったのは、やっぱり都築さんのしゃべり方だろうな。話芸というのは、結局は当人の人柄なんだな」
「濡木先生のトークショーは、すぐにお客を笑わせよう、笑わせようという意識が働いて、いいところで内容が外れてしまうのよ」
あいかわらず中原館長は手きびしいことを言います。
じつは先日、独特の作風で知られる某画家と、銀座の画廊でトークショーをやったのです。
司会の早乙女宏美をまじえると、三人のショーでした。
多勢の観客の前に立つと、私は反射的に笑わせたくてしようがなくなるのです。
うまく笑わせることができると、私は結構うれしくなって、とてもいい気分になってしまうのです。
そういうとき、中原館長に、
「もっとまじめにしゃべらなければいけない」
と注意されると、たしかにそうなので、私は反論できません。
その「ともしび写真集」の第一冊目の「夕日の部屋」は、中原館長と山之内カメラマンが鋭意で編集をし、それを終えて、いま印刷所に原稿を渡してあるそうです。
みんなそれぞれ忙しい仕事を持っているので、どうしても進行は遅れがちです。
でも、これこそが私たちの写真集だといえる、いい記録ができあがります。
ラーメンとチャーハンを半分ずつたべて、恵比寿の駅をめざしましたが、数年前まで私の縄張りだった駅周辺は様相が一変し、まことに俗っぽい、どこでも見かけるうす汚れた繁華街になっていたのでした。
人に道を聞けばすぐにわかるものを、街のたたずまいの俗悪さに反発して、まるで暗夜行路をいくように、私たちは迷いました。
しばらくは彷徨して、結局は目の前にきたバスに乗って、渋谷の駅に出ました。
「七人の侍」と「都築さんのトークショー」の一日は、これでおしまいです。
(つづく)
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