2012.2.4
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百九十一回

 切腹が好きな一座


 この芝居の主人公であり、本来は座長がやらねばならぬ下北の弥太郎の役を、たまたま上演の日が誕生日だからといって、祝いと激励を兼ねて若手の二枚目役者にまかせてしまう。
 そういう大胆不敵な融通性が、まず、凄いと前回私は書いた。
(融通性というか、座長の独断力というか、独裁力というべきか)
 この重要な配役交替を、客に知らせずに、いきなり勝手にやってしまう。
 客は幕があき、芝居が始まるまで、このことを知らない。
 開幕して主人公が舞台に登場してから、
(おや、ちがう、座長じゃない、姫乃まさかずだ)
 と、ようやく配役変更を知る。
 客はなんの予告もなく、告知もなく、いきなり知らされることになるのだが、だれも文句を言わない。
 文句を言わずに黙って(というより若い二枚目役者への期待に目を輝かして)見ている客のほうも「凄い」。
 たとえば大歌舞伎で、吉右衛門がやるべき「勧進帳」の弁慶を、予告もなしに又五郎とか、歌六にやらせたら、客席は怒り、芝居を安穏に進行させることは、とてもできない。
 さらに私が凄いと思うのは、座長の代わりをつとめる若い二枚目が、セリフも動も多く、難役といっていいこの芝居の主人公を、立派に演じきってしまうところである。
 役者の年齢が若いので、幼少時から逆境に育ち、かどわかされた盲目の妹を探すために、旅から旅をさすらうやくざになり果てた人間にしては、風貌が美しく格好よすぎる。
 足腰の運びもみずみずしく軽やかで、体にしみこんだ苦労のかげはない。
 が、そこは、芝居である。
 これは、これでいいのだ。
 わらじばきの足に、泥も土埃もなく、いつもきれいだからといって、そんなところを指摘するのは、まちがっている。
 座長は、この若く美しい二枚目に、ふだんは自分が演じている主役をまかせても大丈夫だという信念があったからこそ、やらせたのであろう。
(書くのを忘れたが、この種の劇団では座長が常に演出家である)
 その信念がなかったら、とても客の前には出せない。
 失敗したら一座の信用に関わり、客がこなくなる。
 そしてまた座長にくらべたら当然貫禄不足の若手二枚目の芝居を、脇にまわる一座の者全員が一丸となって助け、盛り上げる。
 その盛り上げ方に、熱気と愛情を感じる。
 脇役たちの熱演が客席に伝わり、気持ちがいい。
 こんなに力のこもった、まじめないい芝居をやっているのに、この一座にはプログラムというものがない。
 座員の名前を知るには、チラシが一枚あるだけだ。
 そのチラシに、劇団員十五人の名前と顔写真が出ている。
 びっくりするのは、座長が二人いることだ。おまけに、若座長というのが一人いる。
 さらに「若頭」というのが、なんと三人もいるのだ。
(主役の弥太郎を演じた二枚目が、その「若頭」の一人である)
 若頭は「わかがしら」と読むのであろうが、むかしの「鳶」や「火消し」を思わせるこの呼び名にはおどろいた。
 だが、この一座にはこういう「役職名」をつけなければならない必然性があると思うので、私も中原館長も、もう慣れていて、じつはさほどおどろかない。
 他の劇団で使っていた「幹部」とか「準幹部」ではいけない何かがあるのだ。
 座長、若座長、若頭ときて、あとの役者たちは、平座員ということであろう。
(前回私が絶賛した、やくざに殺される女郎に扮した二人の女優は、このチラシでは平座員の扱いである。顔写真も小さい)
 プログラムがないので、芝居のタイトルも配役も、客には正確なことはわからない。
 開幕直前に芝居のタイトルだけはマイクで告げられるが、雑音がひどく、スピーカーの性能がよくないので、ほとんど聞きとれない。
 客は神経を集中させて、舞台の進行を見守る他にない。

 この種の一座は、プログラムをつくろうと思ってもつくれないのだ。
 なぜなら、上演する芝居が毎日、いや毎回ちがうからである。
 じつは、この一座は、同じ場所で一日に昼と夜、舞台をつとめる場合には、昼と夜それぞれちがう演目をやる。
 同じ芝居を二度とはやらない。
 一カ月間、同じ場所で昼と夜二回ずつ上演するときには、ちがう芝居を計六十数回やることになる。日替わり狂言ということである。
 つまり、この一座を熱烈に愛するファンは、毎日毎回ちがう芝居を、一カ月間に六十演目楽しむことができるのだ。
 ファンの身になってみれば楽しいことだが、演じる側とすれば、毎回異なる演目を、客の前に披露しなければならない。
 ただ披露するだけでなく、熱演しなければならない。
 でなければ、ファンは納得しない。
 ファンはすぐにファンではなくなる。
(じつは、この一座を愛して詰めかけている熱烈なファン群を、私と中原館長は敬愛の情をこめて、ひそかに「マニア」と呼んでいる。そしてこの数年間のうちに五回か六回か、あるいは七回か、この一座に会いにくる私と中原館長も、あるいはマニア群の仲間なのかもしれない)
 この一座で無理してプログラムを発行するとすれば、毎日、毎回ちがったプログラムをつくらなければならない。
「下北の弥太郎」のように配役を大胆に変更し、大量の雪を間断なく降らせるような大掛かりな舞台をつくって全員が熱演しても、この芝居は、この土地では一度しかやらない。
 私たちが見たのは昼の部だったが、夜になれば、またべつの芝居を力いっぱい熱演しなければならないのだ。
 見るほうはおもしろいし感動するが、やるほうの緊張感とエネルギーの消耗は凄いと思う。
 プログラムなどなくても、マニアの人たちは不満を言わない。
 どんなに変わったメイクをほどこし、衣装を着て、突っ拍子もない役で登場しても、マニアの人たちはひと目みただけで、その役者がだれだかわかるのだ。
 そして役者たちは、かならずマニアの人たちを酔わせ、満足させる。
 今回の「下北の弥太郎」でも、座長は「若頭」に格好いい主役をやらせ、自分は序幕の冒頭にちょっとだけ出る茶店の親爺を演じている。
 しわだらけの白髪頭ですぐに引っ込むその親爺を、私はうかつにも座長だとは思わなかった。
(中原館長はさすがにすぐわかったらしい)
 冴えない端役の親爺で出る座長を私は凄いと思ったが、芝居のあとの「口上」で、その埋め合わせをきちんとしたとき、さらに凄いと感嘆した。
 観客へのサービス精神といってしまえばそれまでだが、ファン心理を読んでいる彼らのバランス感覚のこまやかさを、私はやはり凄いと思わずにはいられない。
 その「口上」のとき、「弥太郎」を演じた若い二枚目の祖父が、以前この一座の重要な役者の一人だったことを、座長は親近感をもって客席に説明するのだ。
 そして、いまは亡きその祖父の顔写真を、わざわざ舞台中央のスクリーンに大きくスライド映写して見せる。
 なごやかな笑顔で説明しながら、座長はこの一座に伝わる芸道のきびしさ、団結力の強さを、それとなく客席に告げる。
 たのしい音楽のような話術で語られる劇団の内部の話が、ファンは大好きだ(私も大好きだ)。聞きながらマニアたちはよく笑う。
 この一座に二人いる座長(二人はどうやら兄弟らしい)の他に、若座長(その兄弟のどちらかの子供らしい)というのがいて、よく似た顔つきの若頭が三人もいるのは、血縁関係で結ばれている強固さを感じさせる。
 その上、代々受け継がれている師弟の結び付きがあって、それがこの一座の芸の伝統となり、強い団結力を構成していることは、私にもおぼろげながら想像できる。
 芝居に対するきびしい目標を維持し、常に前向きの意志を持続させていれば、血縁のつながりほど強い武器はない。
 そして、血のつながりに頼らなくても、父も祖父も同じ一座の役者だったとしたら、心情的に結束力は固くなるはずである。
 私みたいなすれっからしの口うるさい芝居好きを、これほど感動させるのだ。この座長には、卓抜した役者魂と、人心を把握し引きずっていく統率力があるのだろう。
 私と中原館長を、これほど「凄い」と感じさせ、興味を抱かせる理由は、じつはまだある。
 それこそが、この一文を私に書かせる最大の理由なのかもしれない。

「下北の弥太郎」において、観客が声援を送る主要人物は、すべて適役の手で斬り殺されてしまうことは前に述べた。
 そうなのである。
 この芝居だけではない。
 ラストに主人公が非業の死、あるいは悲惨な最期をとげる物語を、この一座は好んで演ずるのである。
 さらにいってしまうと、主役が、もしくは主役に準ずる役の人間が、腹を切って死ぬシーンが多い。
 その切腹の演技を、かなりリアルにていねいにやるのだ。一つの芝居の見せ場にして、赤い血の色を出してみせるのだ。
 切腹しなくてもいいストーリーなのに、いきなり刀を逆手に握って腹に突きさしたりする。衝撃的である。
 意外な展開にびっくりし、思わず、
「あれあれあれ、なにもここで腹を切らなくても……」
 口の中で叫んだことが何度かあった。
 主人公が窮地におちいったときなど、私は中原館長の耳に、
「ここでいきなり刀をぬいて切腹するぞ、見ていてごらん」
 と、ささやく。
 すると、たいていそのとおりになる。
 私は思わず、
「うーん、やっぱり好きなんだ」
 うなってしまうのだ。
 客席のファンたちも、主人公の死の熱演に拍手喝采する。涙をふいたりしている。
 これはこういう物語の流れであり、演ずる側も見る側も、切腹シーンに明確な目的意識などあるはずはない、と思う。
 だが、この一座には切腹シーンが多いこと、それを演ずる役者の気の入れ方を、こまかく具体的に書きたい気持ちが私にある。
 この種の大衆芝居の常識としては、途中でどんなに悲惨なお涙頂戴のシーンがあろうとも、幕がしまるときには無理にでもハッピーエンドにして、客を明かるい浮き浮きした笑顔にさせて送り出さねばならないという鉄則があるはずなのである。
 それを逆手にとって人気を得ているこの一座の特色を書きたいのだが長くなったので、いまは触れずにおく。
 いずれ書く機会があるはずである。

 そうだ。梅沢昇一座、そして金井修一座のプログラムを、二冊だけ、ようやく探し出すことができた。
 七十六年前に発行されたプログラムであり、紙質は変色し、もうボロボロである。
 このうすっぺらな二冊のプログラムの中に、私がいまこうして、このような芝居を熱く見続けている魂の原点が詰まっている。
 梅沢昇一座のほうは二十四ページ。表紙に「梅沢昇タイムス」昭和十一年度 第十二号 梅沢文芸部編輯 新緑二号 吉本興業合名会社 昭和座
 とある。奥付はちぎれていてもう見ることはできない。
 金井修一座のプログラムも、表紙に吉本興業合名会社 公園劇場とある。第七号で一部10センと記されている。これも昭和十一年発行である。
 昭和十一年つまり一九三六年、私六歳のときのいたずら書きが、このプログラムの表紙に残されている。
 金井修一座の芝居の舞台装置が、伊藤晴雨であることを、いまこのプログラムを見て私は知った。
 なんと私は六歳のときから、伊藤晴雨の仕事に触れているのである。因縁めいたものを感じる。このプログラムに関してのさまざまな思い出も、いずれ書くときがあると思う。

つづく

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