2012.5.8
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百九十七回

 市馬の「首提灯」


 柳亭市馬師の「首提灯」は怖かった。
 主人公は江戸ッ子で、後半はほとんどこの江戸ッ子のモノローグだけになる。つまり、時代物の世界である。
 なにが怖いと言ったって、自分の首が、自分の知らないうちに切り落とされ、首と胴がはなればなれになっているのに、それに気づかず、ひとりごとを言いながら歩いている人間、という状況が、まず怖かった。
 切り落とされた、とうっかり書いたが、切られて、落とされたわけではない。刀でサッと斬られ、切断されているのに、首は下に落ちることなく、そのまま胴体の上にのっているのである。
 つまり、斬った武士の腕がすぐれていたために首は動かず、かたむきもせず、胴の上にある。そのために切られた当人が、切られたという事実に気がつかず、ぶつぶつひとりごとを言いながら歩きつづける、という、ただそれだけの話である。
 ストーリーとしては、それだけなのである。場所は芝山内(しばさんだい)。暗い夜という設定である。
 江戸ッ子の首を切った武士はそのまま立ち去り、あとは残された江戸ッ子の一人舞台となる。
 ひとりごとを言いながら江戸ッ子が歩いていると、首が右側(客席から見て)に、すこしずつ回転をはじめる。軸は動かない。つまり体は正面に向いたまま、首だけが回って右側に向きはじめる。
 江戸ッ子がそれに気づき、おや、なんだかおかしいぞ、とつぶやくうちに、顔は完全に横を向いてしまう。
 顔が横に向いてはまっすぐ歩けない。
 江戸ッ子は両手で自分の首を左右からおさえ、回して、正面に顔をもどす。
 そしてまた歩きはじめる。
 すると首は、こんどは左側(客席から見て)にすこしずつ回転しはじめて、ついに完全に横を向いてしまう。
 おかしいな、とつぶやき、江戸ッ子はまた自分の首を手で左右からはさんで、顔を正面に向かせる。
 やがて、自分の首が動くことに気づいた江戸ッ子は、その首をつかんで目の前に掲げ、首を提灯にして夜道を駈けだす、というのがこの噺のオチである。
 不条理といえば、これほど不条理な話はない。シャレとか粋を超えている。
 このシュールな話を、市馬はおそろしくまじめに、リアルに演じた。文字どおり、シュールリアリズムである。
 よけいな説明をいっさいしない。
 客を笑わせようという意識を、市馬はまったく持たない。
 笑わせようという所作とかセリフを、ひとことも口にしない。
 あくまでも、まじめにやる。最後まで、くそまじめにやる。正座したままでやる。
 ストイックなほどリアルな姿勢で演じ切り、サゲまで持っていくのだが、もしこの姿勢をくずしたら、この話はごく平板なこっけい話にしかならないだろう。
(以前、東宝名人会における立川談志でこの噺を見たが、「どうだ、凄い話だろう、おどろいたか」という客席に対しての演者の意識がミエミエで、それが嫌味となって、私には不快感だけしか残らなかった)
 柳亭市馬の「首提灯」は、みごとだった。私はうなった。
 じつはこの日、私は客席の最前列の中央、つまり高座のすぐ前で見ていた。噺の世界に引きこまれ、私は市馬の首の周囲に、武士の刀によって切断された赤い糸のような一本の筋が見えるような錯覚におちいっていた。
 私が先に「怖い」と書いたのは、客席に対して市馬が、笑わせようという意識をひとかけらも持たずに、つまり、安易な「受け狙い」をいっさいせずに、最初から最後まで演じ切った、その姿勢を「怖い」といったのだ。
(六代目圓生でさえ客にむかって「愛想笑い」めいたしぐさをするときがあった)
 噺家は客に「受ける」ことを最大最高の目的として高座へ上がるのだ。「受ける」ことが芸人のすべてである。
 その目的を、客に意識させることなく達成してしまう市馬という人の芸を、私は畏怖したのだ。
 いうまでもなく、落語とは想像の世界である。演者が座布団の上にすわったままで表現する世界を、聴く側は自分の頭の中で広げていくものである。
 客の頭の中のイメージを、いかに豊饒に、鮮明に、ときには緻密に広げさせるかが、演者の腕である。
 私の意識は完全に江戸末期の夜の芝山内の中で起きた一つの風景の中に、はまり込んでしまっていた。
 この日、じつは私のとなりに中原館長もすわっていた。
 市馬は夜席のトリだったので、そのあいさつをし、幕がしまって打ち出しの太鼓が鳴る。私は中原館長に、
「終わりましたね」
 と言うと席を立ち、外へ出た。
 市馬の芸について、何か気のきいたことをしゃべろうと思ったのだが、やめた。
 いま口に出すと、
「余韻が余韻でなくなってしまう」
 ような気がしたので、だまっていた。この言葉は、じつは先日の私の会のあとで、モデルのカナさんからいただいたメールの中にある(前回参照)。
 新宿通りへ出てタクシーをとめ、四ツ谷駅まで行った。そこからJRに乗った。途中までは彼女も一緒である。電車の中でもあまり言葉を交わさなかった。
 前進座が国立劇場でやる「芝浜の革財布」と「鳴神」、同じく国立の小劇場でやる文楽の「八陣守護城」(はちじんしゅごのほんじょう)と「契情倭荘子」(けいせいやまとぞうし)を近いうちに見に行く予定であり、その打ち合わせをしなければいけなかったのだが、それさえ口に出す気力がなかった。
 くやしいが、私は柳亭市馬の「首提灯」にうちのめされていたのだった。

つづく

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