カナさんへのお返事
私のところへメールをくださったカナさんへ。 ありがとうございました。とてもいいお手紙でした。どこがよかったか、ということを、これから書いてみます。 こういう特殊な仕事を、長い間つづけてきたおかげで、私はたくさんの女性の方から、さまざまな形で、さまざまな内容のお手紙をいただきます。 みなさんそれぞれ、心のこもった、まじめな、ときには息苦しくなるほどの緊張感に充ちた内容のメールです。 カナさんからいただいた今回のお手紙は、私の心をやさしく、あたたかく包んでくれました。 今回の私の会で、あなたをモデルに選んでくださった早乙女宏美さんに、まずお礼を言いたいところです。 本当にいいモデルを紹介してくださった。 早乙女さんとは、もう長い、長い、長いつきあいになり、私の気持ちも好みも、よく知っている同志なので、あなたのような私の会にとって理想的なモデルを選んでくれたのでしょう。 こんどの会で、その早乙女さんがはじめにモデルになってくれたのですが、それを見ていたあなたが、 「……普段着の早乙女さんが縛られている様には、陶然とするものがありました」 と、メールに書いてくれました。 そうなんです、まず、そこなんですよ、私の会のひそかな主張は……。 モデルをやってくれる当人が、日頃身につけていて、体にしっくりと合って、自分の皮膚のようになじんでいる普段着、そのままの女性を縛るからこそ、私の縄も生き生きと呼吸するのです。 私がいつもピンとこないのは、営業用SM映像や写真撮影のとき、スタッフが用意した新品のショーツやブラジャーなどをわざわざモデルにあてがい、扇情的(とスタッフだけが思いこんでいる)な衣装をつけさせることです。 私はそういうモデルを相手にしているとき、人間ではなく、着せ替え人形を縛っているような、味気ない気持ちになります。 つまり、体温を失い、体臭を失い、脈の鼓動のない、魂を失っている人形を縛っているような気持ちです。 (わざわざ着替えさせたその衣装に、なにか特殊なフェティシズムの意味がある場合はべつですが) そういうフェチ的効果がとくにあるわけでもなく、商業SMの場合は、単に習慣的な、撮影前の手順にすぎないことがほとんどです。 先日、私たち仲良しグループ「ともしび」がつくった写真集「夕日の部屋」のときには全員の意志が一致して、モデルの早乙女さんに、日頃彼女が身につけている普段着のままで撮影しました。 ですから、あなたからのメールに、 「普段着の早乙女さんが縛られているのを見ると陶然としました」 とあるのを見ると「我が意を得たり」という気持ちになって、私は、いや私だけでなく私たち「ともしび」全員はうれしいのです。 ついでに書いてしまうと、私がどうにも好きになれないものは、あの、いわゆる類型的なボンデージふうの衣装を着ている女性です。あれには私、本心から、がっかりしてしまいます。 あれは営業のための一種の「看板」なので、マニア以外の世間一般の人々にアピールするためには、それなりの効果はあると思いますが、あそこまで類型に堕してしまうと、もう私などはうんざりしてしまいます。 はっきりいってしまうと、私はああいう看板衣装を見ると嫌悪感とか、拒否の感情しか抱きません。 ある緊縛マニアの方が、地味な普段着のままで縛られている女性を見て、 「わあ、これはわいせつだ、こんなナマな姿を見せられたらコーフンせずにはいられない、わいせつだ!」 と叫んだことがありましたが、これはカナさんが自分の目の前で、普段着のままの早乙女さんが縛られていく姿に陶然となったというのと同じ感覚でしょう。 普段着というのは、ごく日常的な姿です。日常の中で、緊縛という、あってはならない非日常の世界が展開していくのですから、刺激的なのは当然です。 そして、言わせていただければ、あなたを縛る前に、早乙女さんを普段着のままで縛ったのは、私に一つの魂胆があったからです。 つまり、こんどの会のメインモデルであるあなたを縛る前に、あなたの心を「濡木痴夢男の縄の世界」へ引き入れて、「陶然」とさせようという魂胆です。 私ははじめに早乙女さんを縛りながら、それをすぐそばで見ているあなたの表情を、さりげなく観察していました。 あなたは終始静かに、姿勢をくずさず、清潔感漂う風情で、きちんと見ていてくれましたね。 あのときのあなたの、まっすぐに背筋をのばした姿勢は、私にとても心地いい、さわやかな印象を与えてくれました。 が、早乙女さんをみつめるあなたの表情に、すこしずつ微妙な変化があり、私には確信がありました。 会が終了して数日後に、あなたは私に、 「陶然とするものがありました」 というメールを送ってくれました。どんな美辞麗句よりも、私にとってはうれしい一行でした。 あなたからのメールの終わりのほうに、 「……長々としたためると、余韻が余韻でなくなってしまうかもしれませんので、このあたりで抑えておきたいと思います」 とありましたが、これもまたどんな美辞麗句よりも心のこもった、実感のある表現で、私をうれしくさせました。 前にも書いたように、私はたくさんの女性から、さまざまな反応の言葉をいただきましたが、「余韻が余韻でなくなる」という表現は、はじめてでした。 私が言うのは変ですが、まさしくそのとおりの、実感だろうと思います。口に出さず、心の内に秘めておいたほうが「思い」は残ります。とはいうものの、考えてみると、あの日は会が終わると同時に解散となりました。やはり、反省会とか、お互いの感想を言い合う時間も欲しかったと思います。 あの「縄研究会」のときには、私の後見役として風俗資料館の中原館長にも来ていただき、お世話になりました。あの日は、ときどき中原館長と私との緊縛トークショーみたいになりましたが、楽しいなごやかな一刻となって効果的でした。ただモデルを縄で縛ったり解いたりするだけでなく、ああいう時間も大切なのです。会話の端々に緊縛に対する微妙なセンスが表れるからです。 私は仕事場が近いせいもあって、風俗資料館のほうにはひんぱんに顔を出しています。 私がこの何十年間に集めたSM関係の資料を、風俗資料館に預かってもらっているのです。まだ運びきれずに、いませっせと通っているところです。一度、資料館においでください。 私の顔を見たら、遠慮せずに声をかけてください。こんどはお茶など飲みながら、ゆっくりお話いたしましょう。私たち「ともしび」グループが理想とする緊縛のあれこれを、資料を見ながらお話いたしましょう。 (つづく)
(つづく)