濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百九十八回
大田黒氏からの手紙
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大田黒明良氏から、お手紙をいただいた。
その手紙を、ここに転載させていただく。
大田黒氏からの来信は、いつも手書きであり、つまり肉筆であり、一点一画もゆるがせにしないていねいな楷書である。
私のほうも、しぜんに、襟を正すような気持ちになって拝読することになる。
きちんと郵便切手が貼られた封筒に入れられ、大田黒氏の手から、見知らぬ幾人かの人たちの手をわずらわして、最後は郵便配達の人の手によって、私のところの郵便箱に届けられたものである。
まぎれもなく、小さな旅を経てきたものである。
指先でポンとキイを押し、つぎの瞬間相手方の機械の上に出現する文字とはちがう。
お手紙をここに紹介させていただくことについては、もちろん、ご当人の了解を得てあり、すこしでもさしさわりのありそうな箇所は、十分に注意して伏せさせていただいた。
たとえば、ご本名を発表されてもかまわないとおっしゃられたが、万一の迷惑を考え、仮名にさせていただいた。
濡木痴夢男先生。
このたび縁あって千代田区の某出版社にて勤務することが決まりましたので御報告申し上げたく、お手紙させて頂きます。
新しい勤務に慣れてくれば、再び「裏窓」研究を行おう(求職中も細々と研究は続けており、今年三月には「新青年」研究会の定例会で、研究発表を行いました)と準備を進めておりますので、今後もよろしく御指導願います。
最近の調査では、岩崎旭氏が「傑作倶楽部」へも寄稿していた事を確認し、昭和三十一年から同三十二年にかけて「裏窓」で活躍した岩堀光氏が「りべらる」等で活躍した岩堀泰三と同一人物であることをつきとめました(肝心の岩堀光の正体は不明のままですが……)。
濡木先生が別名義(たしか塔婆十郎だったと思います)で発表された短編の掲載された「読切雑誌」も古書目録で見つけましたし、それなりの収穫はありました。
注文したので、現物が入手できれば(少し古い目録だったので、売り切れていないことを願うばかりです)コピーをお送りします。
おくればせながら「内田康夫ミステリー文学賞」を受賞された田端六々名義の時代小説「g天狗のいたずら」を読みました。
不可解な謎で読者を冒頭から引きつけ、聞き込みを中心とした推理シーンをじっくりと描き、粋な計らいで、だれも傷つかない事件の収拾をつける。
相変わらず見事な構成であり、文章もしっかりしていたので一気に読めました。
プロの技巧を見せて頂きました。
第八節で明かされる真相は意外性に満ちており、(2511頁13行〜17行の与吉の告白にはおどろきました)事件を天狗のいたずらとして結びとする終章も、濡木作品らしい後味の良さでした。
この作品を読み、「裏窓」連載の濡木先生の捕物帳を再読したくなりました(先日、時代小説の先生の単行本を再読したばかりですが……)
まずは出版社へ就職が決まりましたこと、御報告いたします。
機械がありましたら、また当時のこと(久保書店時代のお話)をおきかせ下さい。今後もよろしく御指導願います。
大田黒明良
以上が、このところ私と往復書簡を交わしている大田黒明良氏の第一回目のお手紙である。
この手紙をいただいたとき、私は偶然にも「天狗のいたずら」の続編を執筆中であり、クライマックスに向けての展開の趣向に苦しんでいた。
正直にいうと、七転八倒状態であった。
これまでだれも書かなかったシチュエーションで、前作以上の意外性を盛り込もうとして、ああでもない、こうでもない、と悩み、果てはおのれの才能の貧しさに絶望しかけていた。
そんな状態が一週間以上もつづいていた。
(私のような傲岸不遜、自慢高慢いつでも自信たっぷりのバカ人間でも、たまにはこういうときがあるのだ)
こんなときに大田黒氏から、善意のこもった前作「天狗のいたずら」の評をいただいたのである。
(ここに紹介させていただいた文章よりも、さらにお褒めの言葉があったのだが、さすがに気恥ずかしいので省略した)
これは、ありがたかった。
勇気を得た。
私は大田黒氏に礼状を書き、ふたたび原稿紙にむかった。
(もちろん、私の原稿はすべて手書きである。私はあいかわらずパソコンもワープロも、ケータイ電話機すら持っていない)
「天狗のいたずら」のことばかり書いたが、大田黒氏の「裏窓」研究もありがたいし(いまどきこんなにも「裏窓」のことを熱く気にかけてくださる人なんて、他にいない)、双葉社発行の「傑作倶楽部」や「読切雑誌」や、岩崎旭氏や塔婆十郎のことを言ってくださる人もいない。
ありがたい、と思う。
(私のような人間でも、すこしは人の記憶にのこるような仕事をしてきたのだ!)
「傑作倶楽部」や「読切雑誌」その他の当時「クラブ雑誌」といわれた数種類の大衆娯楽雑誌を、私は、現在の住所に移転してくるときに、約百五十冊、すべて、すててきてしまったのですよ!
(そこには私の書いたものが掲載されていたのです。私は私のしてきた仕事に、なんの価値も認めていなかったのだ!)
ああ。でも、もうすてることはやめよう。
私の「天狗のいたずら」の下書きノートを、大田黒さん、あなたに差し上げましょう。
それから、久保書店時代、島本春雄、美濃村晃、私とが写っている旅行のときの写真が出てきたので、これもあなたに上げましょう。(これはコピーして上げます)
岩堀光氏のこと、これはここに書くと長くなるので、こんどお会いしたときに。
(つづく)
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