お勉強の季節がきた!
目の前に山のようにそびえていたシゴトを、一心不乱、夢中になって片付け、いま、ようやく一段落したところです。 この三カ月余、無理を承知で、なんだかよく働きました。 オーバーにいえば、死物狂い、肉体の限界を超えた毎日だったような気がする。 (おかげで、この「おしゃべり芝居」もすっかりご無沙汰状態になってしまった) もうすぐ八十三歳になろうとする高齢者が、たとえば、つい一週間前には、舞台に立って役者をやっていたんですよ、それも、なんと五役もやった! (しかもこれはまあ、正確にいうと、シゴトとはいえないのかもしれないけど) 暴走バスの運転手、引退した老政治家、女子高校生(?)、町をさまよう認知症の老人、アンパンマンを追いまわすジャムおじさんの五役をやったのです。 (役名をみればおわかりのように、コントを寄せあつめた軽い芝居ですけど) ウソじゃありません。証人はたくさんいます。 日頃私のアタマと体を心配してくださるみなさん方に招待状を送り、見に来ていただきました。この方々が証人です。 まず風俗資料館の館長、そして、このところたびたびこの「おしゃべり芝居」に登場していただく大田黒明良氏。 まあこの大田黒さんは仕事熱心な方で、当日の昼の部を見ていただいたのですが、夜の部が開演するまでの二時間半、ホールのロビーで私と語り合ったことといえば、いま私が演じた舞台については一言半句も触れずに、これからの私との出版のほうの仕事の話ばかりでした。 (私は私の役者ぶりについて褒めてもらいたかったのに) ホントにホントにまじめな方です。出版編集の仕事が好きで好きでたまらず、凝り固まっているような人です。 中原館長に見ていただいたのは、じつは本番前日の総げいこのときでした。 セットも照明も音楽も衣装も、すべて本番どおりのステージを客席で見てもらったのですが、このときの館長の感想が、いやはやもう、じつにキビしいものでした。 もうすぐ八十三になる老優が、命をけずって(それほどでもないか)熱演している芝居の感想を、こわい顔をして、なさけ容赦もなく、もうボロクソに言うのです。 その酷評の内容というのは、じつは私自身もそう思っていて、納得できるものだったので、反論もできない。 ただ「ハイ、ハイ、そのとおりです」とうなずくばかりです。 館長というのは、まあ正直な人です。ウソとかお世辞の言えない、鋼鉄のような人だということを、再認識しました。 でも本番の日は昼も夜も大入り満員となり、わが劇団を愛してくださるお客さん方の熱気で舞台は盛りあがり、たくさん笑っていただき、全体としては大好評だったので、私もホッとしました。 この公演のために本番の日まで毎日のように電車に乗ってけいこ場へ通いながら、同時に、大田黒氏への通信にも書いたように、本職のほうの「作品」にも魂をこめて取り組んでいました。 おまけにこの夏は記録的な猛暑でした。 つまりこの三カ月間、八十三歳の心身を酷使して、私へとへとになっていたのです。 ひいひいふうふう悲鳴をあげながら、そのシゴト群をひととおり片付けると、ようやく猛暑も去り、ひといきつける季節となりました。 おや、自分はまだ生きているぞ、呼吸しているぞ、手足もまだ動かせるぞ。 そう実感すると、私が館長のお供をして、ボケないためのお勉強をする季節が、待ってましたとばかりに到来しました。 ボケないためのこのお勉強を怠ると、私は、いや私だけでなく館長も、一種の精神的飢餓状態におちいります。 「さあ、行きましょう!」 「行きましょう!」 まず手始めに、新宿の某スタジオで開催されている某カメラマンの写真展へ。 ここは早々に切り上げて、新宿から東銀座へまわり、東劇へ。 シネマ歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒」(かごつるべさとのよいざめ)を見る。 佐野次郎左衛門が中村勘三郎、八ツ橋が坂東玉三郎、繁山栄之丞が片岡仁左衛門、立花屋長兵衛に片岡我当。そして下男治六に中村勘太郎(現・勘九郎)という魅力的な配役。 実際に舞台に接するわけではなく、スクリーンに映る歌舞伎ではあるが、バカにできない。けっして軽いものではない。 見ているうちに、すぐ感覚的に本物の舞台と映像の区別がつかなくなる。 シネマ歌舞伎のカメラマンも編集する人(つまり演出家)も、歌舞伎芝居そのものの特徴と魅力をよく知っている。 舞台を見ているときよりも役者の演技に引き込まれる瞬間がある。 客席と舞台の間には距離があるが、スクリーンにはそれがない。 映像のほうがあきらかにすぐれていると思われるのは、俳優のこまかい表情、目玉の位置、目線の動かし方、口の動かし方つまり発声、その他体の各部の動きによる心理表現が、ときにアップつまり大写しとなって客席からよく観察できるのだ。 それは見る側にとって、演目の本質や、俳優個々の役柄を、深く正確に理解できることになる。 精密な映像のカメラは、演技する者にとっては寸秒の油断もできなくなるが、観客にとっては、じつにこまかい、ていねいな説明力を発揮してありがたい。ドラマの興趣を深く味わうことができる。 この「籠釣瓶」では、勘太郎の下男治六を、とくにおもしろく見た。 こんなに若くてピチピチした治六を見たのは、私ははじめてであった(ということは、私も館長もこの「籠釣瓶」を舞台では見なかったということになる。その前の松本幸四郎の次郎左衛門は、たしか歌舞伎座で見ている。このときは大詰に、裏二階屋根上の大立ちまわりがついた)。 勘太郎の治六は、色に狂う主人を思う忠実な下男の心情が熱っぽく表現されていて新鮮だった。 ただし、元気がありすぎて田舎者の雰囲気に乏しかった。数年後には、この勘太郎が次郎左衛門を演じ、となると八ツ橋は七之助かなどと思いながら、私は楽しく見ていた。 帰りは、改築中の歌舞伎座のとなりの「蜂の家」で、カレーライスと一緒に別注文のカキフライをたべ、コーヒーを飲みながら、見てきたばかりの「籠釣瓶」についてしゃべり合った。 これが私のお勉強再開の第一発目であり、同時に、ご無沙汰していた「おしゃべり芝居」の再開となる。 このあと、中原館長に尻を叩かれながら、休んでいたお勉強の日々を取り返すべく、怒涛のような勢いで、芝居や映画を見続けるのだ。 すなわち、浅草・恋川純一座の「らくだの馬」「一本刀土俵入」の踊り。「藤十郎の恋」の踊り。 日比谷、アメリカ映画「荒野の七人」、マカロニ・ウェスタン「荒野の用心棒」。 国立劇場、幸四郎、福助の「浮世柄比翼稲妻」(うきよづかひよくのいまづま)。 詳細は次回に。 (つづく)
(つづく)