2013.2.3
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第二百五回

 喫茶店「白蘭」で


 二カ月前、いやそのずっと前に通りかかったときにも、落花さんはその喫茶店の表構えの時代離れした雰囲気に興味を示し、
「入ってみたい」
 と言った。
 私はウーンとうなって首を横にふり、おれは入りたくないなあ、という意志を示した。そして、さっさとその店の前を素通りした。
 敗戦後すぐに、つまり六、七十年前に建てられたような、あまりにも古ぼけた、オーバーな言い方をすれば半分朽ちかけた建物の、角の二階にある喫茶店である。
 外から見ただけで私には、その店の内部の暗く淀んだ空気と、どろりと濁ったコーヒーの味がわかるのだ。
 店の表構えと書いたが、通りからは二階の窓の時代遅れのデザインの飾りしか見えない。窓の横に「白蘭」という店の名を記した看板がかかっている。窓際にすわっている客の上半身が見える。
 通りに面したすぐのところに木の階段があり、上がり口の左側に、これも古ぼけたむかしふうのショーウィンドウがある。
 この種のたたずまいを、私も嫌いではない。好きなほうである。
 好きとか嫌いよりも、もともと下町生まれで、下町の貧民窟で育った私だ。
 そのせいで私は、こういう風格を持った喫茶店の「味」を知りすぎていた。
 で、落花さんに言った。
「その木の階段を上がっていくとね、コーヒーの香りよりも、まず、フライパンでスパゲティをいためるトマトケチャップの匂いが、むうっと顔にかぶさってくるんだ。コーヒーは、おそろしくまずいよ。ビニール張りのべとべとした椅子の破れに、ガムテープが貼ってあったりするんだよ」
 だが彼女はますます興にのり、ときには息をはずませて、
「へええ、入ってみたいわ」
 駄々っ子のような口調で言う。
 この数年間のうちに、私と彼女はすでに十数回もこのJRの駅を下車し、戦後の闇市の面影を残す商店街の入り口に位置するその喫茶店の前を通りすぎている。
 古めかしいだけで情緒のようなものはなく、どこか怪しげなうす汚い感じの店なのに、前を通るたびに彼女は「入りたい」と言い、私は首を横にふる。
 が、この日二人でこの町へ来た目的を終え、四時間後に駅にもどる途中、私はふっと、そうだ、きょうはあの店へ寄ってみようと思ったのだ。
 それはこの数年間の落花さんの念願をかなえてあげることになる。かなえてあげよう、と思ったのだ。
 いや、そんな大仰なことではない。彼女の念願、といってしまってはオーバーに過ぎる。彼女にとっては、前を通るたびにふと目について気になる店、といった程度の軽いものであろう。
 そもそも私と彼女がこの町へくる目的は、芝居を見るためである。それだけのことである。
 芝居を見るために電車にのり、駅で待ち合わせ、この町のどこか時代に遅れた貧しげな軒並みを通りぬける。
 私と落花さんの心をとらえて離さないその芝居は、闇市に似た商店街をぬけて、右側の道を曲がった建物の中にある。
 そうだ、きょうはあの喫茶店へ寄って帰ろう、と私が思ったのは、あるいはこの町へはもう来ないかもしれない、という気持ちがあったせいであろう。
 四時間に近い舞台を見終えてからの帰りがけ、「送り出し」に立っているテルシという役者と、二言三言、言葉を交わすチャンスがあった。
「どうしたの、パワーが落ちてるよ」
 と、私は彼の正面に立ち、いきなり声をかけた。
 その返事に、思いもよらぬ衝撃をうけたことと、あの二階の喫茶店「白蘭」の階段を上がる気持ちになったことが、なぜか私の中でつながるのだ。
 いってみれば、このとき発したテルシの私への返事が、私の「白蘭」へ上がっていくきっかけとなったのだ。
 私はテルシに、
「いや、一座全体のパワーが落ちてるよ」
 と言ったのだ。
 それは場合によっては、かなり失礼な批判の言葉のはずだった。
 が、彼は素直に応じ、低い静かな声ですぐにこたえてくれたのだ。
「わかってるんです。ガンなんです。スイゾーが悪いんです。本当は入院しなくてはいけないんです」
 胸を衝かれ、私はうっとうめいた。
 私のすぐ左横で、落花さんもそれを聞いていた。
「そりゃたいへんだ」
 と私は言ったが、あとの言葉が出なかった。衝撃が大きかった。
 だいじにしてくれよ、と言ったような記憶がある。落花さんがそばから、
「この人はあなたの舞台がとても好きなんですよ」
 という意味のことを言っていたような気がする。この人というのは、私のことだ。
 舞台化粧のままなので、彼の顔色はよくわからなかったが、やはり沈痛な表情だったように思う。
 テルシは座長ということになっている。この一座にはもう一人座長がいて、それはテルシの肉親の兄ということなのだが、その彼にもいつもの覇気や愛嬌が見られなかった。
 座長が入院を必要とする病気となれば、総勢十五、六人の一座の志気に影響するのは当然であろう。テルシは人気のある役者である。考えてみると、私も落花さんもテルシを見るためにここへやってくるのだ。
 私は言葉を失ったまま、彼の前から離れた。彼としゃべったのは、ほんの二、三分間だけだった。
 だが、彼のことが頭から離れなくなった。
 複雑にゆれ動き渦巻く波涛が心に立ち、それをまぎらわせるために、駅へもどる途中にある「白蘭」への階段を上がることになる。
 テルシの病気を知ったことと、「白蘭」のコーヒーとの間に、何のつながりがあるというのか。
 テルシがガンになって舞台における精彩が乏しくなったからといって、それが私とどんな関係があるというのか。自問自答する。
 関係なんて、何もないはずではないか。
 第一、テルシと言葉を交わしたのは、このときが初めてであった。
 これまでは、一座の芝居を見にくる多勢の客の中の一人にすぎなかった。
 彼に祝儀をやったことなんて、一度もない。私は貧乏なので、気持ちはあっても役者にハナ(祝儀)をつけてやることができない。
 ファンレターを送ったこともない。
 ただ、彼らが東京周辺に現れたときには、落花さんに誘われて、つづけて二度見にいったこともある。
 客として目立つことは何もしていない。多勢いる客の一人にすぎない。彼にとって私の存在なんて無きにひとしいはずである。
 強いていえば、若い美女(落花さんのことである)と一緒にときどき客席に姿を見せる得体の知れない年齢不詳の腹のつき出た男(私のことである)程度の印象であろう。
 その私が近寄っていったからといって、なぜ彼は、あんなにも素直に、自然に、自分の大事を語ってくれたのだろう。
 そのことにまず私は感動し、彼が告げた内容の深刻さに、さらに衝撃をうけたのだった。
 芝居を見終え、「送り出し」の役目を果たしたテルシと別れて、私と落花さんは駅へ向かう。帰りの道である。
「いつもの道を歩くの?」
 と私は彼女に聞く。
「もちろんです」
 と彼女は力強くこたえる。
「好きだなあ」
 と、私はつぶやく。
 彼女の好きなそのせまい路地は、往きに歩く表通りの裏側に沿って存在する。
 細く暗く曲がりくねっている小路の両側に、軒の低いバラック建ての安酒場が密集している。
 入り口の戸や窓をあけ放してモツ焼きの煙を吐き出している安直な店ばかりが、折り重なるようにして雑然と並び、戦後の闇市の風景を残している表通りよりも、さらにあの当時の色彩と匂いの濃い一画である。
 酒場の二階はほとんどがマッサージとか、手揉み、足揉み、垢すりサービスの店になっているらしく、その看板が所せましと掲げられている。建物の形自体が怪しい。
 道路に面して細くて急な木の階段の入り口があり、その周辺にドレスを着た国籍不明の女性が立っている。日本語とはちがうイントネーションで酔客を誘っている。
 私は落花さんにくっついて歩いているので、そういう女性たちからの声がかからない。
 刺激的でちょっと怖いような退廃美が漂うその路地の端の、駅前の通りへ出る左側の建物の二階に「白蘭」はあるのだ。
 この数年の間に、落花さんが何度も興味を示して入ろうと言っているのに、私が首を横にふって応じなかったのは、その喫茶店が、そういう一画の延長に位置していたからである。私はじつは、とても臆病な人間なのである。私には魔界の入り口のように見えるのだ。
 いや、いまはそういう怖い路地の説明なんかしている場合ではない。
 テルシという役者、そしてテルシが所属している一座の芝居を、これまでどんな思いで、私と落花さんが見続けてきたか。それを書かねばならない。
 ひとことでいえば、いま、他では味わうことのできない泥絵のような、なんとも魅惑的な土着味のある退廃美が、彼らの演ずる芝居にはあるのだ。
 彼らはおそらく、そのことを自分では意識していない。意識していないで演じているところが、おもしろいのだ。凄いのだ。楽しいのだ。そのことをいま書かなければ、彼の病気に私が(そして落花さんが)衝撃をうけた心境がわからない。
 ぎしぎしと鳴る古い木の階段を上がって、喫茶店「白蘭」のドアを押したときに落花さんが発した歓声から、つぎには書こう。
 私が予言したように、ドアをあけたとたんに、店内からナポリタンのトマトケチャップのなまあたたかい温気が、むうんと私の顔に襲いかかったということだけ、先に書いておこう。

つづく

濡木痴夢男へのお便りはこちら

TOP | 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 | プロフィル | 作品リスト | 掲示板リンク

copyright2007 (C) Chimuo NUREKI All Right Reserved.
サイト内の画像及び文章等の無断転載を固く禁じます。