隅田川をさかのぼった日
まず一言説明しておきたい。 テルシとかシンゴとか、なにやらまぎらわしい片仮名を使い、彼らが活動する周辺の状況なども、わかりやすい固有名詞を使わずに、なぜぼかして書いているかというと、これにはわけがあります。 通常使われている名称だけをみて、世間に流布されている従来の通俗的イメージをすぐに思いうかべ、安易な差別感にとらわれる人たちがいます(ほとんどがそうだといっていい)。 彼らの実態を自分の目で見極めようとしない、そういう軽薄な輩(やから)に対する私の敵意が、こんな書き方をさせているのです。そういう俗物どもに、彼らのことをわかってもらいたくない。 わかってもらおうとして、私が誠意をこめて努力しても、たいていはむなしい結果に終わる。 中には顔をゆがめ、ひどいものを見てしまったと、吐きすてるように言った人もいた。 その人が言う、その「ひどいもの」の中にキラキラ光る素敵なものが存在するのだが、そんな俗物には言ってもわからない。 (ああこの人も結局はこの程度の器量だったのか) と私は落胆し、この人とはこれ以上のつきあいはできないな、と思う。 わからない人には、いくら見てもらっても、懇切ていねいに説明してもわからないのである。そうなのだ、その点、SMの世界に似ている。 じつは、SM心理に共通するシーンが、テルシやシンゴたちのステージには多く登場する(ああ正直にいうと私も落花さんも、そういうシーンにぶつかりたいために胸を躍らせていつも彼らに会いにいくのだ)。 さらに憎まれ口をたたくと、マニアの深層心理におかまいなく、形だけをへたに真似しているいまの商業SM販売物よりも、私たちマニアの感覚にぴったりきて、キューンと胸が痛くなるようなホットシーンを、テルシやシンゴたちは見せてくれる。 (すばらしいと思うのは、彼らはSMなんてことを全く意識せずに、彼らの物語の中でそれを演じてくれることだ) さあどうだ、これがSMだぞ、凄いだろうと威張って展示されるSMよりも、そういう気配をみせずに、いきなりさらりと演じられるSMシーンのほうが、マニアの心をしびれさせてくれるのだ。 どうですか、おわかりですかね、SM商品製造業にたずさわっているみなさま方よ。 え、わからない? ウーン、ま、そうでしょうねえ。 わからなくてもいいのです。 それが世の中というものです。わかってしまうと、かえって困るのです。 なぜ困るかというと、ホンモノのSM感覚の希少価値に影響してくるからです。希少が希少でなくなってしまうからです。 私たちが両腕に抱きしめて生涯離すことのできない尊い希少なものを、かんたんに作られてたまるものですか、ねえ。私たちにもいささかの誇りみたいなものがあります。 や、話が横道に外れた。 テルシに話をもどさなければならない。 ですから、落花さんにはじめて彼らを見せるときの私の緊張感といったら、それはそれは大変なものでした。彼女に見せて、 「ひどいものを見せてくれましたねえ」 などと侮蔑の言葉を浴びせられたらどうしよう。 彼女に対する私の信頼感、あるいは、私に対する彼女の信頼感は、そこで断ち切られるかもしれない。 信頼感の全部が断ち切られるというわけでもないだろうけど、彼女とつながっていた線の中で、最も太いものがプツリッと切断されてしまいます。 ですから、その日そのとき、つまりそういう状態になったとき、東京ビッグサイトの有明埠頭から、東京水辺ラインの汽船に乗り、水路、有明運河から隅田川をさかのぼって、彼らのところへ行くあいだじゅう、私は緊張し、心配のしどおしでした。 (なぜいきなりビッグサイトが出てきて汽船に乗るのか、その説明をしたいのですが、それを書くとまた長くなるので、ここでは省略します。このビッグサイトでのエピドードも、落花さんという人の感覚、生き方の本質を如実に表す決定的ともいえる「事件」だったので、あとで書くことにします) 東京湾から船で隅田川をさかのぼったのは、いまから六、七年前のことでした。 この日、私が落花さんに見てもらったのは、テルシでもなければ、シンゴでもない。タケヤでもなければ、キョーカでもない。ハルノジョーでもなければ、キョーノスケでもない。センタローでもなければ、ノボルでも、ジョージでもなく、ツヨシでもリョータローでもない。 だれだかはっきりとは覚えていないのですが、とにかく、一度見ただけで彼女は感動してくれたのでした。皮肉でも揶揄でもなく、純粋な感動だったと思います。 私が常日頃彼らから得ている感動と同質、同程度の感動を、彼女は受けてくれたのでした。たしかに、彼女にとっては一種のカルチャーショックだったにちがいありません。 この世の中にこういうものが存在しているということが、まず信じられなかったと思います。「こういうもの」とは、全く無縁の環境に彼女は生まれ育っているのでした。 私はといえば「こういうもの」と同じ屋根の下で呼吸をし、生きてきたのでした。私にぬきがたい劣等感があるのも、そのせいだと思います。 私がうれしかったのは、彼女が一片の嫌悪感も侮蔑感も抱かずに、彼らの持つ独特のSM感覚を、親しく感じ取ってくれたことでした。 このへんの私と彼女の感覚的な実態や心理を正確に描写するのは、じつは非常にむずかしいのです。私の拙劣な文章力ではとても書ききれないのです。だが、書かずにはいられない。 そこからの彼女は、私以上に彼らのステージを愛してくれました。私がすこしでもためらっていると、私のお尻を叩いて彼らのところへ連れていくのでした。 彼らのステージから匂い溢れるSMの匂いを、私と彼女は互いの心を寄せ合い、体を密着させるようにして楽しむのです。 そのことをもっと綿密に正確に書きたいのだが、表現力が貧しいために、どうもうまく描写できず、無念であります。それでもホンの一部分だけですが、この「おしゃべり芝居」や、その他の原稿に書いてきました。 そして最近のテルシのビョーキのことになります。 こんな思いでひいきにしている相手なのに、ビョーキだときいても何もしてやれない。口さきだけでなんだかんだといっても、貧しく無力な私には、どうすることもできない。無情の世であります。あるいは、無常の世であります。 私が「白蘭」という、あまり気のすすまなかった喫茶店に入っていったのは、あるいはテルシのビョーキというショックを、何かでまぎらわしたかったのかもしれません。 (つづく)
(つづく)