いま八十三歳の私のプロフィール
○○○○様。ご返事申し上げます。 A4サイズの用紙二十四枚に、こまかい文字をていねいに並べたものをプリントアウトされた立派なご趣意の書類、日本郵便のレターパックライトという封筒で、たしかに私、濡木痴夢男宛に送られて参りました。 中に、ワープロで打たれたあなた様のお手紙が入っており。 「濡木様にお話を聞いていただきたいと思っております」 とありましたが、まことに申しわけございませんが、私いま、ちょっと手が離せない仕事を抱えており、ご期待に添うことは難しいように思われます。 忙しいと言ってしまっては失礼と存じ、私自身のこれから先数カ月の予定をかぞえてみることにしました。 いま私の仕事机の上、さらに頭の中が混乱を極めており、自分でもどこから手をつけてよいのかわからなくなっている状態なので、これを機にすこし整理してみようと思ったのです。 はじめに、きょうこれから一週間以内に書かねばならない原稿類をちょっとメモしてみます。 まず「SMネット」という隔月刊の雑誌に毎号「前略、縛り係の濡木痴夢男です」というタイトルの文章、これは連載で第二十九回目を書かねばなりません。 つぎに「濡木痴夢男の猥褻快楽遺書」というエッセイ、これは毎月連載でWEBスナイパーに書き、次回は第四十三回目になります。 さらに、形としては一応私のプライベートサイトということになっていますが、タイトルは「濡木痴夢男のおしゃべり芝居」。 これは原稿を書く以外の面倒な電脳作業は、何から何まですべて風俗資料館の中原館長のお世話になっていて、今回が二百七回目になります。 私はパソコンのことは全くわからないので、ワープロなどは一切使わず、原稿はすべて手書きで、四百字詰めの原稿紙に書きます。それをパソコン用に構成し、展示してくださるのが中原館長です。 この「おしゃべり芝居」は六、七年前から書きはじめ、これまでに二千八百枚に達しました。ありがたいことに某出版社の方が、本にまとめて刊行してくださるということで、いま話がすすんでおります。 以上三種類の連載エッセイは、一回がそれぞれ十枚前後です。「おしゃべり芝居」の初期のころは、一回が二十枚近い長さの回がありました。 私は一九五三年(昭和二十八年)、二十三歳ののときに「奇譚クラブ」という日本最初のSM月刊誌に小説を発表し、以後今日まで六十年間、SM関連の仕事にたずさわってきましたが、申し上げたエッセイは、私の幼少時代からの自伝、SMに対する接し方、考え方、体験その他を、私に接してくださった人々に迷惑が及ばないように心を配りながら綴ったものです。 これらの連載とはべつに、数年前から執筆をつづけているものに「美濃村晃物語」(仮題)という長編の伝記があります。 現在までに四百字詰め原稿紙に三百五十枚ほど書き終えてありますが、これももうすこし手を加えなければなりません。 太平洋戦争敗戦直後の、世情混沌、真ッ只中の時代に、SM専門商業誌としての「奇譚クラブ」を創り上げた美濃村晃の業績を、年譜を加えて作成し、ついでに私自身の足跡も書き添えるという原稿です。 これは単行本一冊分の枚数をすでに出版社の編集部に手渡ししてあり、さらに下巻を三百枚以上書き足すことになっています。これからただちに、美濃村晃と私濡木痴夢男の年譜を整えなければなりません。 同じ出版社から単行本で「出版人に聞く」という現在までに九巻つづいている地味ですが堅実な内容のシリーズが出ており、そのシリーズの一冊に、私の歩んできた人生が組み込まれることになりました。 はじめのうち、 「私には出版人と呼ばれるほどの経歴も実績もありません」 と言ってお断りしたのですが、再度説得され、先方の熱心さに次第にその気になり、ありがたいことだと思って、勇気を出してお引き受けしました。 この仕事は先方とわたしとのスケジュールのつごうのいいときに、本にするための具体的な話し合いを、ただちに開始する心の準備をしています。 この本を充実させるためにも、私は、私自身の年譜を、気合いを込めて、さらにこまかく正確に作り込もうと思っております。 またしばらくは飯田橋の風俗資料館へお邪魔して、中原館長のお力にすがることになります。中原館長、ご迷惑でしょうが、どうぞよろしくお願い申し上げます。 以上はすべて出版に関連した仕事ですが、他に私は演劇制作に多少の関わりがあり、そっちの方面にも結構時間をとられています。 じつはいま私は「海辺の桃太郎」という戯曲を書いている最中です。 これは直接SMに関係はありませんが、私にとっては大切な仕事なので、やり遂げねばなりません。 昔話の日本一の桃太郎が、イヌ、サル、キジを供にして、鬼が島に棲む鬼を退治するために、船を探して海辺へやってきます。 ところが、放射能のために海が汚染されていて渡ることができない。海だけでなく、陸地にも、次第に死の灰が充満してくる。 海辺にたたずむ桃太郎一行の前に、足柄山の金太郎、サルカニ合戦のサルとカニ、一寸法師とお姫さまなど、おとぎ話の登場人物たちが、つぎつぎと現われる。 あたりは死の灰に包まれ、さて、桃太郎一行の鬼退治の話はどうなっていくのか、というお芝居です。いま三十枚ほど書きすすめています。未完です。 一景書き終えるたびにこの台本はコピーされ、私の所属する劇団で役者たちが声を出して「本読み」をします。 このドラマの結末をどうするか、最後にすこしでも希望をもたせるか、それとも人類を滅亡させるか、いま考えているところです。完成したときには、私も役者としてこの芝居に登場するつもりです。私は「出たがり屋」で、「本読み」にもかならず出ます。 この劇団活動の他に、もう一つ或る特殊な伝統話芸の会に所属しており、月に一度の例会での勉強はもとより、この二十年間、毎年ステージに立ち、公演しております。 なんだかぐだぐだと書き並べてしまいました。こんなことをうっかり書いていると、八十三歳にもなっていそがしぶっているバカじじいの自慢話にとられそうです。 べつに、そんなつもりはありません。八十三年間も生きていると、何をやっても自慢にもならなければ、悪口を言われても失望したりもしません。 どっちにしろ、もうすぐ死んで、何もかもおしまいになってしまうのですから。 自慢話といえば、この数年来、私とってまことに理想的な「SM快楽プレイ」に私はふけっており、現在もその真只中におります。そのホンの一部分だけですが、前述した三種類の連載エッセイの中に、恥ずかしいことまで正直に、ときどき告白しております。 お読みいただければ幸甚に存じます。 この私のおそらく人生最後になるであろうSM的快楽プレイ(私はこのプレイという軽薄な表現が大嫌いであまり使いたくないのですが)こそが、過去八十年間、飽くことなくつづけてきた末に、ようやくめぐりあえた、金銭や営業的な掛け引きを伴わない、純粋にして最高のプレイだと思っております。 ですから現在進行中のこのプレイだけには、私は時間とエネルギーを惜しみません。他の仕事を犠牲にしても、時間とエネルギーをぜいたくに使っております。 以上、失礼をもかえりみず、あなた様のご希望に添えない、私の方の事情を、永々とのべさせていただきました。 ○○○○様。すこしでもおわかりいただけたら幸甚に存じます。 (つづく)
(つづく)