2013.3.26
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第二百九回

 やさしく、あたたかく


 負(ふ)の裏側にひそむ愛すべき人間の性を見ることのできる感覚、だれもが眉をひそめ、「醜」と決めつけるものの中に、他では見られない真実や「妙味」や、おもしろさ、そして「美」までを感じとる繊細な神経と鋭い目くばり。
 そういう感覚を持つ人が、美濃村晃であった。
 この連載の前回に、私は、私へ電話とお手紙をくださった○○○○氏へ返事を書いた。○○○○氏は私にとって全く未知の人であった。
 その返事の中に、いま私がたずさわっている仕事に話が触れ、そこに美濃村晃の名前が出てきた。
 そのこれまでの仕事には、美濃村晃の存在が深く大きく関わり合っているので、これは当然であった。
 ○○○○氏への返事の最初のうちは、そうでもなかったのだが、いつのまにか私は、漠然と美濃村晃のことを頭にうかべながら書いていた。
 そのうちに美濃村晃の顔や、声音や、歩き方や、机を並べて一緒に仕事をしていたときの彼の姿が、目の前に鮮明によみがえってきた。
 そして美濃村晃に関連して、中原館長の名前も、○○○○氏への返信の中に登場してきた。
 美濃村晃と同じく、中原館長も私の仕事と密接なつながりがある。
 ただし、中原館長が登場したのは、美濃村晃が死んでから数年後である。二人の間に、面識はない。
 唐突に、私は気がついた。あ、そうか、そうだ、そうなんだ、ちがいない。
「SM」に接するその接し方が、二人は同じなのだ。美濃村晃の体温と、中原館長の「SM」に密着する体温が同じなのだ。
 同じだといっても、男と女の違いがあるので、情熱の表れ方、愛着の手段に、当然差はあるが、私の感覚では、二人はそれが酷似しているのだ。
 美濃村と私とで創刊したSM月刊誌「あぶめんと」が、売れゆき不振で廃刊ときまったとき、「裏窓」「サスペンス・マガジン」時代からの掲載ずみのイラストの原画を、美濃村は一枚一枚、両手でいとおしみ、泣かんばかりの表情でダンボールの箱の中に入れていた。
 その何百枚という原画の入った箱は、やがて「SMセレクト」を出している出版社の倉庫へ移される運命にあった。
「あぶめんと」は壊滅し、編集部は解散するより他はなかった。「裏窓」を編集していた私たちは、権力者側から執拗に睨まれていた。原画は火事にあい、すべて焼失した。
 それから数十年後、深川佐賀町にあった風俗資料館の室内で、一人、木綿の作業ズボンをはき、山のように積み重なった古いSM雑誌を一冊一冊、いとおしみながらダンボールの箱に入れていた中原館長(そのときは館長ではなかった。館長はもう居なかった。そこにいるのは彼女一人だけだった)の姿が、私のまぶたの裏に、いまでも美濃村晃と重なってよみがえる。
 現在の飯田橋へ移転する以前の話である。そのときは風俗資料館を存続させるかどうか、明確な方向が決まっていなかった。
 いや、なんとしても続けたい、続けます、と彼女は瞳を光らせ、毅然と胸を張って言った。
 美濃村晃は、純粋で、正直な人柄だった。私は彼に裏切られたことは一度もない。甘えてばかりいた。
 中原館長は、美濃村晃以上に純粋で、嘘をつかない、正直な人である。正直すぎてこわいときがある。さらには美濃村晃にはない、強靭な精神力を持っている。
(美濃村晃は涙もろく、人情に負けることがあった)
 冗談ではなく、女は男より強い。したたかである。男は肉体も心も女よりもろい動物である。
 そして中原館長は、負(ふ)の裏側にひそむ愛すべき人間の性を見ることのできる感覚、だれもが眉をひそめ、「醜」と決めつけるものの中に、他では見られない人間の真実や「妙味」や、いとおしさ、そして「美」までを感じとる繊細な神経と鋭いまなざしを持つ。つまり美濃村晃と同じ感覚を有する女性である。
 や、私は何を書いているのだ。中原館長の人間像を描いている場合ではない。
 まことに申しわけないのだが、○○○○氏から、なんの前ぶれもなく突然かかってきた電話、FAX、さらに翌日郵送されてきたカラープリントされた二十四枚の趣意書は、私にとって、まさしく、反面教師となった。
 SMマニアたちに接する美濃村晃のやさしさ、心のあたたかさを私は思い出した。
 中原館長が、いかに深い理解と洞察力に基づく、マニアへのやさしくあたたかい心を持つ人であるかも、改めて確認した。
 やさしくあたたかい心は、深い理解と、強い意志と包容力を有する人間のみが持つ。
 微力ながらも私は、美濃村晃の意志を、中原館長へと伝え、つなげる役目を果たさなければならない。
 二人にくらべると、残念ながら私は俗物である。不純であり、不誠実であり、かなりの嘘つきでもある。
 それでも美濃村晃と中原館長の世代の間にはさまって、両方を知っている人間としては、なんとか努力して橋渡しをしなければならない。
 営利商略だけのためではなく、やさしく純粋で、包容力のあるあたたかいSMも存在するという事実を伝える橋。
 その橋になったつもりで、やさしいSMに生きた「美濃村晃物語」を、私は書かなければならない。

つづく

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