なるほどなるほどなるほど!
この一、二カ月の間に書き綴った「おしゃべり芝居」の内容を、目の前で中原館長がズバリと批評した。 「先生、初期の、書きはじめたころの『おしゃべり芝居』に、中身をもどしてくださいよ」 「えッ、なに? おれの『おしゃべり芝居』ちかごろそんなに変わってるの? 気がつかなかった。へええ、そうかなあ」 「読みなおしてごらんなさい」 中原館長はきびしい顔で言う。彼女の発案と指導で始めたサイトであった。 「はあ、わかりました」 自分ではべつに変わってると思わないけどなあ……。私は仕事部屋へもどると、高齢のためふらふらする足をふみしめ、机の上にのった。 そして机の真上の天井すれすれの高いところに十幾つもぶら下げてある大きな紙袋の中から、「おしゃべり芝居」の第一回から十回までを綴じて製本してある一冊を取り出した。 何度もくり返すようだが、私の原稿はすべて手書きなので、中原館長がそれをいちいちワープロで打ち、パソコン用にレイアウトして発表してくださる。 それをプリントアウトして一枚一枚紙を折り、そろえて綴じるという手間をかけて、きれいに製本までしてくださったのも中原館長である。 前回までで二百九回をかぞえ、四百字詰め原稿紙で約二千八百枚。 字数にすると、四百×二千八百=十一万二千字になります。 私の書いた原稿のために、十一万二千回も指を動かしてくれたのです(指よりも目のほうが疲れそうだ)。 ありがたいことです。感謝の言葉がみつからない。 「おしゃべり芝居」第一回から十回までをまとめた一冊、こまかい心遣いがすみずみまで感じられる、ていねいな手作りのその小冊子をひさしぶりに袋の中から取り出し、両手でひろげたとき、感触のあたたかさに私の胸に熱いものがジーンとこみあげた。 私の拙文もSMマニアの一資料である、この「負」の世界の記録として残しておこうという中原館長の心が感じられたのです。 自分が書いたものながら、この中原館長の骨身を惜しまない、入魂の作業ぶりを改めて手に取ると、あだやおろそかにできない一冊である。 (この場の「あだ」は、「徒」と書きます) 中原館長は、ちょっとこわい顔で、私に言った。 「はじめのころの、ご自分の書かれたものを読んでごらんなさい」 じつは私、はじめのころ書いたことは、もう忘れている。(スミマセン!) はじめのころというと、もうかなり前のことになる。 で、天井から苦労して下ろした一冊をひろげ、「おそるおそる」という気持ちにすこしなって、読みはじめた。 二〇〇七年八月十一日掲載、とされている。ということは、いまから六年前に書いたのだな。夏の暑いときだったのだな。 ……いやァ、おもしろい! 自分の書いたものを、こんな手放しで褒めるなんて、バカな話だと思うが、ホントにおもしろい。 この文章の若々しい息遣いはどうだ! おれはこんなにおもしろい、躍動感に充ちた刺激的な文章を書いていたのか! ただおもしろいだけでなく、いま激しく生きているリアリティがあり、人間心理のかなり深いところまでえぐった鋭い部分もある。 フーン、濡木痴夢男、こうしてみると、ただものではないな、と思ったりする。 自画自賛とは、このことだ。 わかってる。自慢高慢バカのうち。 だが、中原館長の言ってることも、よくわかった。 なるほど、なるほど、なるほど! そのとおりだ。 なるほどなるほどなるほどなるほど! ……落花さんとの緊縛プレイのことを、かなりしつこく、細密に私は書いているのだ。 (私はこの「プレイ」というあまりにも安易で浅薄で、通俗かつ卑俗な用語が大嫌いなのだが、他に適当な表現がないので仕方なく使う) なるほど、と思ったのは、かなり露骨に、つまりあからさまに描写しているにもかかわらず、下品なエロティシズムがあまり感じられないのだ。 この文章のくもりのない明かるさ、表現の軽快なリズム感はどうだ。 執拗な描写のくせに印象としては淡彩である。熱っぽいくせに冷静である。うまい。 感心した(また自画自賛である)。 むかし(一九五〇年代)「奇譚クラブ」の編集長・吉田稔から、 「貴殿の小説には、何を書いても明かるいロマンティシズムが感じられ、小誌のような陰惨になりがちの雑誌には救いになるので、どんどん書いてください」 と言われたのを、また思い出した。 ペンネームを変えてくれれば、一冊の雑誌に何編でものせます、とも言われ、私は調子にのって書きまくった。二十三歳のときであった。私のペンネームがやたらに多いのは、このときが原点である。 「おしゃべり芝居」の第一回から十回ごろまで、ほとんど落花さんとの大胆かつ冒険的な緊縛プレイの羅列であった。 明快であり、エネルギッシュで、ときに爽快である。この明快さは私の「人柄」かもしれない。 この明快な人柄ゆえに過去六千余回におよぶ緊縛撮影の現場を、無事に全うできたのかもしれない(ええい、ここまで自画自賛したんだからもっと言ってやれ!)。 そうか。「おしゃべり芝居」の初期のころ、というのは、こういうことか、私はうなずいた。 わかりました。書きます。落花さんとのことを書きます。 いや、もう一つの連載「濡木痴夢男の猥褻快楽遺書」のほうは、あいかわらず落花さんがひんぱんに登場しているのだが、彼女との交遊は、このところ一緒に見た「芝居」とからめて書くことが多くなっている。「プレイ」よりも「芝居」の描写に私は力をこめている。 私は芝居つまり演劇がかなり好きなのですよ。そっちのほうに現実に関係しているせいで、どうしても芝居のことを書いてしまう。 落花さんと一日遊ぶときも、芝居や映画に時間を取られてしまう。 だが、もの書き商売も私の天職です。書けと言われたら、書かねばならない。書けと言われるうちが花ではないか。 ……よし、きめた! こんどは芝居も映画も見ずに、いつもの場所で会ったら、まっすぐ、迷うことなく、ラブホへ直行しよう! そして一日をたっぷりと、あのひのき風呂のあるラブホで過ごそう! こんなかんたんなことが、どうして思いつかなかったのか。それは落花さんもまた、芝居や映画が好きだからである。私以上に好きだからである。見たい役者が私たちのテリトリーへ近づいてくると、どうしてもそっちへ足が向いてしまう。 だが、こんど約束の場所で会った瞬間、私はこう言う。 「きょうはテルシもシンゴも、ハルノジョーもツキノスケも、タケシもセンタローも見ずに、いきなりラブホへ行って、二人きりになろう!」 ああ、いい年をして私はなんという同志の気持ちのわからない朴念仁(これはボクネンジンと読む)だったのだろう。無粋な人間だったのだろう。濡木痴夢男たる者が、恥ずかしい! ……ということです、中原館長。 つぎはそういうふうにして、再び芝居ヌキの、落花さんオンリーの場面を作って書きます。 落花さんとのことだけは、実際にやらなければ書けない私です。 ……ご安心ください。 八十になろうが、九十になろうが、私には縄が一本あれば、彼女と一日じゅう極楽浄土の夢をみることができます。 え、そんなこと知ってる? そうでしたね、ご存知でしたね。 中原館長が知らないはずはない。あるいは落花さんよりも館長のほうがよくご存知かもしれない。 なにしろあなたは、知も情(じょう)もある、醜の中に美をみることのできる、花も実もある風俗資料館の館長なのですから。 ああ、いいサジェスチョンをいただいた。 やるぞ! (つづく)
(つづく)