2007.11.16
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第二十一回

 「縄師」を名乗る気持ち


 飯田橋駅は、いまはJRだけでなく、地下鉄営団線、都営大江戸線も通っていて、たいそう便利になった。
 その飯田橋駅の近くにある風俗資料館の館長である中原るつさんから、私のところへ電話があった。
 「濡木先生のことを『縄師』と書かないほうがいいと思うんですけど、紹介文を書くときはどうしましょうか」
 というおたずねである。
 じつは、河出書房新社から、こんど発行される濡木痴夢男の六冊目の文庫本「緊縛・命あるかぎり」の解説文を、中原さんにお願いしているのである。
 中原さんは、私がこの五十年間に書いた小説、読み物、エッセイ類のほとんどを読んでくれていて、私にとっては、まことにありがたい存在なのだ。
 なにしろ私のペンネームは、嗜好の種類に合わせて十幾つある。さまざまなペンネームで書いた長短さまざまな文章を、彼女はこまかく読んでくれている。風俗資料館の館長として、全くもって、うってつけの人なのである。
 ただ読んでいるだけでなく、作品の内容の理解力、さらに分析力にすぐれている。いわゆる「SM」全般にわたっての知識の豊富さ、理解力の深さ、感性の鋭さは、この複雑怪奇(と世間の人はみるだろう、私はそうは思わない)ときに優雅な異端美に充ちた猥雑世界のなかに、首までどっぷり浸っている私を仰天させる。
 これはお世辞なんかではなく、彼女はホントに「SM」嗜好の多岐にわたってくわしく、しゃべっていると、ぐいぐい核心をついてくる。ときに私はたじたじとなり、舌を巻く。
 きりがないので、彼女への讃辞はこれくらいにする。
 つまり、一冊にまとまった私の新刊のエッセイ集の「解説文」の筆者として、これほど適切な人物はいないと思い、館長としての多忙な毎日を承知で、むりやりお願いしたのである。さいわい、お引き受けくださり、現在その「解説文」を執筆中なのである。
 「濡木先生は『縄師』といわれるのは、おきらいでしょうから」
 と、中原館長はいう。
 「きらいというよりも、その呼び方は、まちがっていると思うんですよ。人形師といったら、人形を作る人のことでしょう。人形を操る人のことは、人形使いという。縄師といったら、縄を作る人、縄を編む人のことになってしまう。縄で女の人の体を縛って、吊るしたり叩いたりして、それで雇い主からお金をもらって、なにか『師』ですか。『師』とは人を教え、導く人のことですよ。手本となるような、りっぱな人のこと、と辞典に載っています。女を縛ってよろこんでいる人間の、どこがりっぱですか。ちゃんちゃらおかしい。『師』というのは、元来、僧職にある人の尊称ですよ。たとえば、法師、牧師、禅師、大師とか……」
 これは、私が、これまでにあちこちの雑誌に書き、本のなかにも書き、ビデオ映像に出演のときにも、何度もくり返してしゃべっている屁理屈である。
 屁理屈かもしれないが、私は本心でそう思っている。
 「ちゃんちゃらおかしい」という言葉の意味がわからなかったら、どうか辞書でお調べください。どんな辞書にも載っています。
 「だったら、なんて書けばいいんですか」
 と、中原館長。
 「そうですねえ。館長もご存知のように、自分のことを自分で書く文章のなかでは、私はわかりやすく『縛り係』と書いていますけど……」
 この二十数年間、私はいわゆる「SMビデオ」の撮影の現場で使っていただくことが多い。
 ビデオ撮影の現場には、男女の出演者のほかに、その作品の全責任者であるプロデューサーがいて、監督がいて、カメラマンがいて、照明係がいて、音録係がいて、衣装と化粧係がいる。それぞれの係には、助手がついている。
 そういう人たちの同列に「縛り係」もいる。権限としては全く同列であろう。べつに『師』と呼ばれるほど偉くはない。助手もついていない。
 出演する女優さんを、必要なときに、監督の指示で、縄で縛るだけの役目である。
 照明係や音録係のように、ドラマ全編を通して責任があるというわけではない。女優さんはドラマの最初から最後まで縛られているわけではないので、「縛り係」を必要とするのは、きわめてわずかな時間である。
 ときには自分もドラマのなかに出演して、女優さんを縛っているその縄の動きを、カメラにおさめることもあるが、たいていの場合は、画面に出ない「裏方」である。
 出演する女優さんの体を、それらしく縄で縛るのは重要な役目かもしれないが、それを言ったら、照明も音録もメイクも、カメラマンも、それぞれみなさん重要な任務である。一人が欠けても撮影は進行しない。
 それなのに、なぜ「縛り係」に「縄師」だなんて、そぐわない、妙な名前をつけられたのか。
 単なる縛り係のことを、もっともらしく、「縄師」だなんて言いだしたのは、一体、どこのどいつだ?
 どこのどいつか、私は知っているのである。いちばんはじめに言い、名乗ったのは、じつは、美濃村晃なのだ。
 喜多玲子の名前で責め絵画家、そして緊縛挿画家として多くの筆名を駆使して、あらゆる分野のアブノーマルの世界を描き分け、さらに数々のペンネームのもとにSM小説を書いて、マニア読者をよろこばせた美濃村晃が、「縄」への限りない愛着と、そして自虐と自嘲と韜晦を綯い交ぜにした複雑な心で、その夜、新宿のいきつけの某酒場で口走ったのだ。
 「私は、縄師をやっています」
 その席には、田中小実昌がいた、深井俊彦がいた、吉村平吉がいた、そして、たこ八郎もいた。もちろん、私もいた。私のとなりには小田桐爽がいた。知らない客もいた。未知の客のために、彼は自己紹介をしたのだ。
 「私は、縄師をやっているヘンタイ男の須磨です。スケベのス、マヌケのマで、スマといいます。どうぞよろしく」
 美濃村晃の本名は、須磨利之である。このときの美濃村晃は、「裏窓」の編集長であった。一九五八年。
 私はその「裏窓」に、毎月数本の小説を書いている寄稿家だった。

 これだけの説明だけではわかりにくいと思いますが、「縄師」という言葉の裏には、権力者側の弾圧をうけながら、日本で最初の「SM雑誌」をつくった人間の、孤独感と、自嘲と、自虐と、緊縛への執着と、そして卑屈な韜晦があったのですよ、中原館長。
 その後、彼は口に出して言ったり、文章のなかにも、しばしば「縄師」という言葉を出したが、自慢したり、偉ぶって書いていたわけではない。その逆の気持ちで、言ったり書いたりしていたのだ。
 彼がはじめて酔客たちの前で「自分は縄師だ」と名乗った夜、私と二人だけになってから、ふと、つぶやいた、
 「ねえ、フーさん、縄師というのは、われながらいいネーミングだと思うね。なんだか、わけがわからなくて、ちょっと偉そうで……」
 そのころ、二人だけになると、彼は私のことを「フーさん」と呼んだ。当時、私は藤見郁というペンネームを多く使っていた。その藤見郁を縮めて「フーさん」である。
 「縄師だなんて、新語ですよね。いや、新語というより、珍語かな。私の仕事は縄師です、だなんて言ったら、相手は煙に巻かれたような気分になるでしょうね」
 と、私はいった。私、このとき二十七歳。いまからちょうど五十年前の話である。
 「珍語かね。そうだね、珍語だね。恥ずかしさがまぎれて、いい言葉だ」
 と、彼はいった。
 私はこのころから彼に誘われ、彼と一緒に「緊縛プレイ」を実践していた。
 相手は深井俊彦が支配人をつとめる新宿Nミュージックホールの踊り子たちだった。深井はもともと軽演劇作家であり、ショーの演出家だった。ときどき深井自身もその「緊縛プレイ」に参加した。
 「縄師を名乗ると、恥ずかしさが、まぎれますか?」
 と、私はきいた。彼は、ウーンとうなり、ちょっと考えてから、
 「まぎれないだろうなあ。ますます恥ずかしくなりそうな気がするなあ」
 といった。そして、
 「でも、縛られる女性が恥ずかしいのだから、縛るぼくたちも恥ずかしいと思わなければいけないんだろうね。恥ずかしい恥ずかしいと思いながらも、こいつばかりは、好きでやめられない」
 といって美濃村晃は笑い、
 「フーさんはどう?」
 「ぼくですか?ぼくは、縛るときは、興奮して、頭のなかがカーッと熱くなって、何も考えられないけど、自分のしていることが、なんだか、とても恥ずかしいような気になります」
 「やっぱりね。それは、いい傾向です」
 美濃村晃はその後、死ぬまで私のことを、冗談にも「縄師」などとは一度も呼ばなかった。
 いま思えば、私は、彼が死ぬ寸前まで、彼の目の前で、若く美しい女優を縛っていたのだ。それは「縄炎」という、シネマジック制作のビデオ作品の撮影現場でのことであった。
 「ぼくらは、つねに、忸怩たる思いを持ちながらこの仕事をしなければいけないよ、フーさん」
 と、美濃村晃はよく言っていた。
 「忸怩たる思いと、怖れを抱き、羞恥心を持っていないと、縛る縄に色気が出ないよ」
 とも言った。
 ま、こういうことですよ、中原館長。
 「縄師」という言葉のなかには、私の場合、こんな感傷的な思い出があるのですよ。
 でも、もう年をとってしまったので、あまり気にしていません。これまでにずいぶん、「縄師」と書かれ、言われてきました。
 いまさらやめてください、というのも、おとなげない。でも「縄師」だなんて改めて書かれたら、ホンモノの「緊縛マニア」の人たちは、きっと私のことを軽蔑するだろうなあ。軽蔑されても仕方がないか。人に尊敬されるような仕事ではないものなあ。

 ああ、疲れました。
 「おしゃべり芝居」の20回目を書き終えたあとで、すぐにこの21回目にとりかかり、気合をこめて書いたのですこし疲れました。なんだか、頭がボンヤリしています。
 私は、じつは今回は、「縄師」という言葉と、それから「調教師」という表現を、なんの疑いもなく、こだわりもなく、安易に使っているこの業界の人々の了見が不可解で、いやみを言うつもりで書きはじめたのです。
 ですが、「調教師」にたどりつく前に、疲れてしまいました。
 どうでもいいや、という気分になっています。でも、もうすこしたってから、また書いてみます。

つづく

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