2013.4.15
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第二百十一回

 「年譜」を書く代わりに


 私のような卑小な者でも、ときどき他人様のお目にとまり、私の履歴、あるいは略歴のようなものわざわざ調べて、書いてくださることがある。
 それが紹介記事みたいな形で、雑誌などに掲載されたりする。
 なんだかんだといっても私の仕事の正体はサービス業で、どんな形であれ、紹介されて世間の目に触れるということは宣伝になり、ありがたいと思わなければならない。それがプロというものである。
 すこし位まちがったことを書かれたとしても、むやみに反論できない立場にいることは自覚している。
 とはいうものの、なんせ誤解されやすいなりわいなので、ときには「わかってないなあ」と不愉快な気分になったりする。
(まことに非日常的な、わかりにくいことをやっているので、わからない人がいるのは当然なのだけれど)
 逆に、当方の仕事の中身をよく理解して書いてくれた記述に会ったときは、うれしい。
 都築響一氏の御本「珍日本超老伝」(ちくま文庫)の中に、私つまり濡木痴夢男が五〇ページにわたって出てくるが、これは私の意を汲んで、じつによく書いてくださった。ありがたい。そして、うれしい。
 私の最も言いたいこと、訴えたいことを、私のこれまでの数冊の著書の中、そしてホームページに書いた四百字詰め原稿紙二千七百枚の文章の中から、みごとにピックアップして取り上げてくださった。
 私という人間の生きざまが浮き彫りになっている。
 そうか、おれというやつは、こういう人生を送ってきたのか、フーン、と私は感無量であった。
 都築響一氏は詩人である。
 カメラマンとしてのお仕事、インタビュアーとしてのお仕事など著書も多く、エネルギッシュな活躍は多方面にわたっているが、氏の本質は詩人である。
 氏のどの仕事にも、鋭利な刃物のように磨ぎ澄まされた切れ味のいい知性と、人間が好きで好きでたまらない詩人の魂を感じる。
 頭のてっぺんから足のつま先まで、詩魂が鳴き砂のようにこまかく、すみずみにまで詰まっている。
 嘘だと思うなら、氏の著作「夜露死苦現代詩」(ちくま文庫)を開いてみるがいい。
 生きることに絶望して首を吊りかけた人間でも、この本を読めば、よしあと三日位は生きてみようと思うだろう。三日生きのびられたら、きめられた寿命が尽きるまで生きられる。
 や、話がまた横道にそれた。いまは都築氏の本の紹介をしているときではない。
 他に、私のこれまでのなりわいを文章にしてくださったものに、
「濡木痴夢男のもう一つの顔――猛烈執筆人生」
 というのがある。
 これは「緊縛★命あるかぎり」(河出i文庫)という私の著書の「解説」として、中原るつ氏が書いてくださった文章です。
 十三ページにわたって、ていねいに私の作品の解説、その他の濡木痴夢男の生きざまみたいなところまで筆が及んでいます。
 風俗資料館の館長である中原るつ氏が書かれた解説文は、私の作品への過褒がやや気になることを除けば、SM雑誌の出版状況、その盛衰が、じつに正確に、明快に、そして誠実に記録されています。
 事実の正確度と同時に、文章表現の鮮烈な密度、感受性の豊饒さと鋭さに、一読、私は戦慄に近い興奮をおぼえました。
 それほど力のこもった重量味のある文章である。誇張していえば、この解説文を読んだ直後、私は「生きていてよかった!」と思いました。
 それまでの私は、自分の書くものすべての自信が持てず、劣等感にまみれたなりわいの中にあるのは、忸怩たる思いばかりでありました。
 はじめのうち私は、私の文章作品に対する中原るつ氏の賛辞は、世間によくある、いわゆる「お世辞」の部類だと思っていたのです。
 その後、中原氏との交流をかさねるうちに、お世辞の言える人ではないということがわかってきました。
 お世辞どころか、いやァ、何事に対しても厳しい、きびしい、キビシィー!
 対象を見極め、追究し、批判する目の鋭いこと。ズバリッと斬り込んでくる舌鋒の容赦のないこと(相手が私の場合はとくに)。
 つまり、純粋で、正直な人です。嘘のつけない人です。正直の上に○○とつけたくなるようなときもあります。
 私みたいに生来軽薄な嘘つき人間にとって、こういう人への信頼感は深くなる一方です。
 こういう潔癖な人に対して、私のような卑俗な人間は……。
 いや、いまはこういうことをいってる場合ではない。
 私はいま、SM雑誌を主体とするSM出版物の栄枯盛衰の記録を探しているのでした。なぜいまごろSM業界の記録かというと、その理由は、この「おしゃべり芝居」の数回前に書いたとおりです。
 某出版社から発行されている「出版人に聞く」という単行本シリーズの中に、不肖私を取り上げてくださるというありがたいお話。
 私は出版人などではなく、無力な雇われ編集者にすぎません、といってはじめはお断りしたのですが、担当の方の熱心なおすすめで引き受けたのです。
 その準備に、そして参考に私の「年譜」みたいなものを書いてみます、と軽率にも私は約束してしまったのです。
 ところが、書けない。
 前述のように、私は自分の書いたものに、世間的な値打ちなんかないと思っていました。そのために正確な記録なんか残してないのです。
 たまに気のむいたときに小説のタイトルや枚数なんかをノートにメモすることはあっても、それはホンの気まぐれ、遊び半分のものです(もちろん書くときは一生けんめいです。おもしろいものを書かないと銭になりませんから)。
 こんな私が、いまさら「年譜」などという一人前の作家がやることを真似してみようなどと思ったのが、そもそものまちがいだったのです。お恥ずかしい次第です。
 二〇〇八年五月に河出書房新社から発行された私の「緊縛★命あるかぎり」の中の解説文「濡木痴夢男のもう一つの顔――猛烈執筆人生」のほかに、その一年前、二〇〇七年十一月に、中原るつ館長が、私の文章作品を整理してまとめてくださったものがあります。
 それは、
「濡木痴夢男作品時系列リスト 1953年〜1971年」
 というタイトルのものです。
「それは資料館で私たちがつくったもので、六年前に濡木先生の手にちゃんとお渡ししてありますよ」
 と中原館長は細い眉をつり上げ、大きな目玉をギョロリと私にむけて言うのです。
「えッ、えッ、えッ? そういうもの、おれ、もらったっけ?」
 私は狼狽します。
「渡しました。ちゃんと渡しましたよ。ご自分の部屋をよく調べてごらんなさい」
「おれって過去のことにこだわらない性格だからなあ、前のことはすぐ忘れてしまうんだよ」
「なに言ってるんですか、ご自分のたいせつなお仕事の記録ですよ」
 なに言ってるんですか、というセリフが出てくると、こわい。中原館長の顔は次第に真剣味とけわしさを増してきます。この人は頭の中の構造が人一倍緻密にできているのです。こういう場合、この人の記憶は、千に一つのまちがいもないのです。
「よく探してごらんなさい!」
 ピシリッとまた言う。目が光る。こわい。
「ああ、でもね、おれの部屋はめちゃくちゃに取り散らかっていて、六年前にもらったものなんか、どこにもぐりこんでしまったか、もうわからない!」
「珍日本超老伝」の中の写真ページに、私の仕事部屋、ベッド、浴室その他が十数点も掲載されたのは二年前だが、いまはもうあのときの三倍は本が積みかさなり、取ッ散らかり、乱雑模様になっていて足の踏み場もない。
 せっかくいただいたものを紛失してしまい、平身低頭する私に、中原館長はちょっと憐れみの目をむけ、やれやれ仕方がないという顔でうなずいてくれました。
 そして翌日会ったとき、新しくプリントしたものを、きちんとクリアケースに入れて私に手渡してくれました。
「申しわけない、ありがとう、いつもいつもありがとう!」
 私はおしいただきます。こわいけど本当にありがたい。これがA4の用紙に十一枚、ぎっしりとこまかい字でプリントされている、「濡木痴夢男作品時系列リスト 1953年〜1971年」です。
 わかりやすく正確に、親切にレイアウトされている。これを読むと、私の関わり合ってきた出版社の様子が、時系列によくわかる。
 まさしく「年譜」であります。私のペンネーム一覧表までついている。かぞえてみると、なんと三十数種類ある。ペンネームの一つ一つにはそれぞれの意味があるので、自分でつけた名前には、はっきりと記憶がある。
「このリストは濡木氏の創作活動の氷山の一角にすぎません」
 という注釈までついている。そうなのだ、風俗資料館には無縁の作品も、私にはいくつかある。
 あともう一つ、インターネットの中に「濡木痴夢男」という欄があることを人づてに聞いた。何やらいっぱい書いてあって「提供・SM Pedia」とある。どういう仕組みがあってこういう欄ができるのか、私にはさっぱりわからないが、これもついでにプリントアウトしてもらった。私はパソコンもケータイ電話も持ってないので、この種の作業はすべて風俗資料館に行ったときにやってもらっている。
 ところがこの「濡木痴夢男」は誤りだらけで、とても参考にはならない。
 一例をあげると「円城寺達」は私のペンネームとされているが、これは美濃村晃が使っていた時代物を書くときの筆名である。「奇譚クラブ」時代からの馴染み深いペンネームなので、読者はみんな知っているはずである。
 もう一つ例をあげると、私つまり濡木痴夢男は、一九四六年に阿部豊監督の「僕の父さん」という映画に出演したとあるが、これにはびっくりした。そんな記憶は一切無い。「寝耳に水」とはこのことだ。
 だれがどういう調べ方をしたのか知らないが、この忙しい世の中にこんな途方もないでたらめばかり書いて、なにがおもしろいのだろう。ほかにも誤りがいっぱいあるのだが、こういうものは黙殺するより仕方がない。
 私は「おしゃべり芝居」を、創作勉強のつもりで書いている。
 一回一回を独立したコメント、あるいはエッセイを創る気持ちで書いている。
 だから、日記ではない。いわゆる「事実」ではない(私にとっての「真実」ではあるが)。したがって記録性はない(記録性がないので「年譜」をつくるときの役には立たない)。
「おしゃべり芝居」の第十三回目に、
「私は、いつでも、どこでも、芝居ばかりやっている」
 と書いている。そうなのだ。私の書くものは、すべて舞台の上で演じられる「お芝居」なのだ。
(そういえば私の亡父は、芝居のことをいつも「シバヤ」と言っていた。昭和初期の下町に住む芝居好きの大人たちは、みんなシバヤと言っていた。どうして芝居がシバヤなのだろう。きいておけばよかった)
 もう一ついえば、小説家というものは天性の嘘つきなのですよ。嘘つきでなければ作家になれない。私は三文文士なので、その嘘も軽薄であり、うすっぺらな嘘しかつけないのであります。
 というわけで黒田明さん。
 近いうちに貴社へ参上する際、
「珍日本超老伝」「濡木痴夢男のもう一つの顔」そして「濡木痴夢男作品時系列リスト 1953年〜1971年」
 この三冊を参考資料として私が持参すれば、構成してくださる方のご質問に、大体お答えできると思うのですが、いかがでしょうか。この三冊が十分に年譜の代わり、というよりも素材になると思います。
 あと資料の足りないところは、黒田さんにおまかせします。
 あなたがお書きになられた「横溝正史探偵小説選」(論創社刊・定価三千二百円+税)の解題を拝読いたしました。あなたの重厚で粘り強い姿勢と、誠実な筆致を私は信頼しております。

つづく

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