2007.12.05
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第二十四回

 紐一本の快楽


 今回は、前回の「私に『忠告』してくれた人たち」のつづきを書くつもりでした。
 はじめのうちは、いかにもSMが好きだ、という顔をして、熱心に「SM商売」をやり、それなりに利益を得ているうちに頃合いをみて、
 「じつは、私はSMなんかにそれほどの興味はないんだよ。私は本当は、まともな人間なんだ」
 などと言いだし、私にむかって親切な口調で、
 「あんたもいつまでもSMに関わり合っていると、本物のマニアになってしまうよ。やめるんだったら、いまのうちだよ」
 と「忠告」してくれる人々のことを、もっともっと書きたかったのです。
 前回に書いた、私の小説原稿の「縄」という字を、私の見ている前で、すべて「ナワ」とカタカナにしてしまったSM雑誌の編集長も、じつは、
 「あんた、そんなに一生けんめいやっていると、本物のマニアになってしまうよ」
 と、私に「忠告」してくれた一人です。
 もっとひどいことを言った人もいました。
 フツーの人だったら、言うのも当然、言われても仕方がない、と思います。
 (なにしろ女をハダカにして縄で縛ってロウソクをたらしてお金をもらう仕事をしているんですから)
 ですが、「SM」で結構儲けている人が言うんですから、我慢のならないときもありました。
 「エロ雑誌よりももっと下品で、下等なこんな雑誌をつくろうとは思わなかった。おれも落ちたもんだ」
 と言った編集者もいました。
 そういう人たちのこと、思い出すとキリがありません。もっと書きたい気持ちもありますが、この話はちょっとひと休みします。気力を回復させてから、また書きます。

 いま、急に、なんだか、ふいに、落花さんのことが書きたくなったのです。
 落花さんとのことのほうが、第一、書いていて、ぜんぜん楽しい。
 私をだましたり(だまされるほうがもちろんマヌケなのですが)、裏切ったり(裏切られたほうがもちろん鈍感なのですが)した人たちのことを書くより、落花さんとの「SM遊戯」のことを書いていたほうが、十倍も百倍も楽しい。
 で、「私に『忠告』してくれた人たち」のつづきは、もうすこしあとにして、落花さんのことを書きます。
 アーア、またか、などと思わないでください。濡木じじいの、ノロケ話を読まされるのか。
 (他人がモテた話をきかされる位、おもしろくない、腹の立つことはありません。なんだ、この野郎、いい年をして、いい気になりゃがって。さっさと死ね!)
 でもまあ、そこがこういう形の文章のいいところで、読みたくなかったら、読まなければいい。
 (人さし指で軽くボタンを押せば文章はたちまち消える)
 ですから、書くほうも気が楽です。
 気が楽だから、ホントのことが書ける。
 ウソやお世辞は書かなくてもすむ。
 私のノロケ話につきあってくださる心の広い、寛大な方だけが読んでくださればいい。選択は自由です。まったく自由です。
 ですけど、私はどうして、彼女のことを、「落花さん」と、さん付けで書くのでしょうかね。ちょっと、ふしぎですね。
 実際に、当人を目の前にして語りかけるときも、そうです。敬愛と、尊敬をこめて「落花さん」と呼びます。
 他に人がいるときに、たとえば彼女が、彼女本来の仕事をしている場合はもちろんですが、ラブホの一室で二人だけになっても同じです。
 いつでも、どんなときでも、ベッドの上でも、下でも(ときどきベッドの下のほうで何かします)尊敬をこめて「落花さん」と呼びます。
 「落花、靴下をはかせてくれ」
 などとは、私、ぜったいに言いません。
 そういう言い方をすると、彼女はよろこぶだろうか。
 いや、よろこばないだろうなあ。
 よろこぶような女は、じつは、私は嫌いなのです。

 落花さんがリーダーをつとめるデザイングループのお一人で、Wさんというベテランの営業マンが、新しい仕事をみつけてきて、全員で手分けして、それをやることになりました。ちなみにこのWさんは営業マンであると同時に、カメラマンでもあります。
 仕事というのは、埼京線沿線の某町にある商店街の、いわゆる「タウン誌」の企画・編集・発行までをやるのです。
 じつは私も、この新しいタウン誌の編集に、外部のライターとして参加することになりました。このあたり一帯の名所とか旧蹟などを、文章と写真で紹介するページです。
 写真は、Wさんが担当します。申しおくれましたが、Wさんは女性です。落花さんのオフィスに所属しているのは全員が女性です。
 一社だけのPR誌の編集でしたら、むかし、二十代前半のころに手掛けたことがありますが、町全体の商店や会社やその他の企業が参加するタウン誌をつくるのは初めてで、私もいささか興味をもちました。企業といっても、病院とかお寺とか、葬儀社なんかも入っているのです。
 スポンサーが商工会議所ということで、支払いも間違いなさそうなので、うまく続けば落花さんのオフィスの固い収入源になります。私ももちろん原稿料をもらえます。
 原稿料もうれしいのですが、それよりも私にとってありがたいのは、これからはライターとして昼間から堂々と落花さんのオフィスに出入りできることです。
 オフィスが休日のときに、私と落花さんが二人きりでいるところを、スタッフのだれかに見られても、仕事の打合わせだと言うことができます。
 落花さんを後ろ手に、高手小手に縛りあげて、私が下半身丸出しになっているところさえ見られなければ、まずまず、ごまかせます。
 ごまかすとかなんとか言う前に、このオフィスの女性たちは、私のような醜怪な老人と落花さんのようなテキパキと仕事を片付けていく男まさりの若い美人が、妙な関係になっているなんてことを、まず信じないでしょう。目の前で見ても信じないかもしれません。
 落花さんは首筋がスッと細くて長くて、足の形が上品にきれいで、ウェストがエロティックに細くて、仕事に対する姿勢がきびしく、スタッフに何か伝えるときでも、明晰な口調で、ビシバシ、ずばりと言う人です。
 こんなことをいうとやや自虐的になりますが、腹がつきだした短足の醜い老人である私とは、だれが見たって不釣合いです。
 この「おしゃべり芝居」の一番の読者(だと私は思っています)であるみか鈴さんが、うまいことを言ってくれました。
 「それがSMなんですね、その落差がSMの醍醐味なんですね」
 表現も使っている意味も多少ちがいますが、まあ、突きつめていくと、そんなところです。
 「おしゃべり芝居」の第十九回の「落花さんの落差」というタイトルは、じつは、みか鈴さんのその文章からいただいています。
 もしかすると、落花さんという人の嗜好のなかに、
 「醜い老人に縛られることに快楽を感じるM性」
 があるのかもしれません。
 などと書くと、彼女は即座に、
 「ちがいます!なにを言うんですか!」
 と、柳眉を逆立てて(この表現も古いですね、年寄りくさいですね)怒るにちがいありません。
 それとも、
 (なにを言ってんのか、このじじい。また、いつもの悪い冗談を言っとるわい)
 というような顔で、ニコニコ笑うかもしれない(まあ、こっちのほうでしょう)。
 しかし、私のような男に、どうしてこんなに素直に、悩ましく、無抵抗に、美しく縛られてくれるのか。それを思うと、やはり、ふしぎに思うときがあります。
 ふしぎですが、女性のみなさんは、よく、濡木の縛り方には、女の気持ちをよくさせる何かがある、と言います。
 その、何かとは、何か。
 もちろん、私にはわかりません。
 はっきりとそれを言う女性に対して、
 「どうしてなの?どこが、どういうふうに気持ちいいの?」
 と、私はきくことがあります。
 でも、この私の問いに、明確に答えてくれる女性に出会ったことは、まだないのです。
 首をひねって、
 「ウーン、わかんない」
 といいます。
 「わかんないけど、とにかく気持ちがいいの」
 といいます。念のためにいいますが(いわなくてもわかっている人はわかっているはずですけど)私は彼女たちの下半身には手を触れません。
 (股縄をかけるときなどに軽く手を触れる位のことはありますが)
 つまり、縄だけです。縛るだけです。それが私の、矜持といえば、矜持です。
 AV系のSMビデオの撮影のときなどに、監督の命令で男根型のバイブレーターを挿入することもありますが、あの「責め」だか「愛撫」だかよくわからない行為は、何度やっても私は好きになれません。
 まあ、「仕事」ですから、やれと命令されればやりますけど、どうも私にはおもしろいとは思えないし、感動もないのです。でもまあ、これは「好み」のもんだいでしょうから仕方ありません。
 以前、私の作っていた「緊美研ビデオ」をたくさん並べて売ってくれているポルノショップのご主人が、その店で、私のそのビデオを見ながら、あきれたような顔で、私にいうのです。
 「縄だけでイクんですね。話にはきいていましたが、こうしてみると、本当にイッているのがよくわかる。おどろきました」
 これは私の自慢話です。
 でも、「業者」にいわせると、バイブを使って女をヒィヒィ、ギャアギャア泣かせたビデオのほうが、よく売れるそうです。
 ですから、私のこの自慢話も、営業的には自慢になりません。かえってマイナスです。
 いや、こういうことを言うために、この回を書きはじめたわけではありません。
 落花さんのように、知性も教養もあり、育ちのいい、上品で気位の高い、そして仕事をバリバリやる女性が、どうして私のような貧相な男に、いつでも、どこでも、私が縛りたいときに、素直に縛られてくれるのか、それがわからない、ふしぎだ、ということを書きたかったのです。
 これは、私自身への問いかけなのです。私は、いつも考えているのです。やっぱり、ふしぎなのです。
 もしかすると、濡木の縄には、女性に快楽を与え、彼女たちにエロティックな陶酔の表情や姿体をつくらせる何かが、本当にあるのだろうか。
 まあ、八十歳に近くなっても、私に「縛り係」の仕事の依頼がくるのですから、「業者」の需要を充たす「何か」があるのでしょうけれど。
 正直いって、その「何か」が、私自身には本当にわからないのです。
 「どうして気持ちいいの?どこが、どういうふうに気持ちいいの?」
 と、私は落花さんに、何度もききます。
 「教えてよ、ねえ、たのむから教えてよ、おれは知りたいんだよ」
 と、しつこくききます。もう口癖のようになっています。
 ですが、彼女は恥ずかしがって答えてくれません。
 これまで書いてきたように、私のかける縄(最近は彼女を縛るときには手作りの木綿の紐を使いますが)に対しての彼女の反応の仕方は、尋常ではありません。
 左右の手首を背中に高く縛り合わせた瞬間に、ほとんど失神状態になってしまいます。骨のない人間のように体がぐにゃぐにゃになり、椅子にすわっていることができずに、ずるずる、ずり落ちてしまいます。そして、床に横たわってしまうのです。
 表情をみると、当然、両眼はうっとりと閉じられ、陶酔境のなかにのめりこんでいるようです。もう身も心も濡木痴夢男にまかせた、どうにでもしてくれ、という表情と、その姿体です。「縄掛け人」としての私のこのときの優越感は、何物にも替え難く、最高のものです。刺激的です。
 女性の性器のなかにおのれの性器を挿入して摩擦する行為よりも刺激的で、快感があるのです(だからマニアと呼ばれるのでしょうねえ)。
 私は現在までにもう二十数回も彼女を縛っているのですが、こういう陶酔状態は、最初とまったく同じで、慣れるということがないのです。ですから私にとって、毎回新鮮なのです。反応が新鮮なので、慣れることも飽きることもなく、また縛りたい、また縛りたいと思い、欲望がつのってくるというわけです。慣れてきたら、欲望はうすれます。
 考えてみると、私は女性をよろこばせたい、快楽を与えてその表情がみたい、という念願のもとに、女体を縛ってきたように思います。
 やっていることは、なにしろ女を縛ったり吊るしたりしているのですから、だれが見たってサディスト的な行為なのですが、心は女性に快楽を捧げる「奉仕人」なのです。
 (もちろん私の相手は、俗にMと称せられる女性たちだけですけど)
 私は「縄師」とか「調教師」とかいう表現と同じように「奴隷」という手垢にまみれた、いまやなんの刺激も感動も失せてしまった俗語が嫌いなので「奉仕人」という妙な言葉を使いますが、言葉だけでなく、心の底から「奉仕人」なのです。
 見た目にはどんなひどいことをしていようとも、私は「奉仕人」にしかなれないのです。もう五十年もの長いあいだ、私を「縛り係」として雇ってくれる「業界」の人たちは、私のこの「奉仕人」の姿勢を、漠然と気にいってくださっているのかもしれません。
 ですから、落花さんのことも、しぜんに「落花さん」と、さん付けで呼んでしまいます。もしかしたら落花さんも、私のこういう「奉仕人」の本性を見ぬいて、私に「奉仕」させるために、私には安心して、素直に縛られてくれるのかもしれません。
 私は、女性がイヤということは、ぜったいにしません。いやがるふりをして、ほんとはやってもらいたいのだ、とわかったときには、なんでもやります。奉仕いたします。
 それでは、私の本性はMで、落花さんのほうはSでしょうか。いや、SとかMとかに分けることが、そもそも間違っているような気がします。
 彼女を後ろ手に縛りあげようという下心を抱いて、彼女のいるオフィスへ入りこみ、二人きりになってそのきっかけを図っているときの私は、あきらかにSの欲望に燃えています。
 日曜日の昼間、だれもいないオフィスのデザインデスクの前に一人ですわっている彼女の目の前に、私は彼女専用の「紐」を二本、ひょいと置きます。
 それをチラッと見ただけで彼女は、
 「えッ?あッ?これ、なんです?だめです、だめ!なんですか?私、知りません!」
 と小さく叫び、羞恥に胸をよじるさまを見て私は欲情し、股間のものがたちまち勃起するのを私は自覚するのです。
 このときの私は、明らかにSでしょう。
 でも、よくわからない。彼女の秘めたる欲望を、なんとか満足させてあげたいというサービス精神も、純粋に働いています。私の欲情の火は、SとMがごちゃごちゃに入り混じって燃えさかり、なにがなんだかわからない。
 みか鈴さんが最近寄せてくださった感想のなかに、このへんの心理状態がうまく書かれています。
 「SMの話を掘り下げると、表現するのに難しさを覚え、じれったい気分になります」
 じれったい気分、というところが、適切でうまい。そこにあることがわかっているのに、手が届かない。届いたかと思うと、ヒョイと横に逃げたり、姿を消したりする。
 みか鈴さんからの感想には、SMに関しての鋭い表現があって、アッ、という思いにさせられます。
 「痣が出来る程叩こうが、曲芸のような宙吊りをしようが駄目なSMはありますし、ハンカチ一個で簡単に括っていても感じるSMもあります」
 というところなど、名言です。
 私が落花さんを縛るときが「紐」一本で、まさしく、みか鈴さんが言われる「ハンカチ一個」みたいなものです。
 しかし、この一本の紐に秘められたSM的な効果は強力です。吊ったり叩いたり熱いロウをたらしたりするよりも強力です。
 なにしろ、彼女はほとんど失神してしまうのですから。
 たった一本の紐だけで、なぜこれほど深い被縛の快楽のなかにのめりこむことができるのか。落花さんの口から、それを聞きだすまでは、私は彼女への、この紐一本の縛りをやめないでしょう。

つづく

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