2008.1.8
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第二十八回

 ごてごて縄は嫌いです


 飯田橋の風俗資料館で、館長の中原るつさんから、すばらしい写真を見せていただいた。
 いまからおよそ六十年前(いや、もっと前かもしれない)に撮られたと思われる古い写真である。
 私が見て「すばらしい」と言う写真である以上、もちろんそれは「縛り」系のものにきまっている。
 6×6センチサイズのネガが、そのベタ焼き(密着原寸写真)と一緒に、およそ百枚ほどもファイルされている。
 その中で、とくに私の気にいったものを、十六点ほど、資料館に備えつけのコピー機で、拡大コピーしていただいた。
 6×6サイズの小さな原寸のものが、あっという間に、20センチ×20センチに拡大され、紙に焼きつけられた。
 最新の性能をもつコピー機なのだから、当然のことなのだが、それにしても鮮やかに、きれいに拡大され、私は思わず一枚一枚を手にとって、
 「ウーン、これはすばらしい!」
 うなってしまった。
 すばらしいというのは、コピー機の性能の優秀さもさることながら、拡大された写真の内容のおもしろさである。
 じいっと見ていると、さまざまな空想、妄想が湧き出し、ゾクゾクしてくる。
 なかでは、時代劇の一場面をシリーズとした写真が、とくにおもしろい。
 登場している男も女も時代劇のかつらをかぶっており、衣装ももちろん着物である。
 男も女も、肩から腕にかけて大きな刺青がある。ということは、二人とも堅気ではなく、やくざものという設定である。
 この刺青はもちろん本物ではなく、描いたものであることが容易にわかる。描き方がやや粗雑である。
 女も上半身を裸にされているので、その渦巻模様の刺青がよくわかる。つまり、上半身を裸にされて、後ろ手に縛りあげられているのだ。
 そして、これを演じている場所は、やや古びた和室の床の間と、それに隣接している違い棚の前である。つまり、典型的な和室の一隅を背景としている。
 「縛り」の写真を撮影するのに、こういう手間と、ひまのかかったぜいたくな設定を準備するという「遊びごころ」が、私にはうれしくてたまらない。
 六十年も七十年もむかしに、こういう手の込んだ趣向を考え、計画をたて、準備をして縛り写真を撮ろうという人たちの、熱い、ひたむきな心情が、七十年後の私の心に、ひしひしと伝わってくる。
 こんな刺激的な、楽しい時間の中で、興奮し、夢中になってカメラを操作している人たちの脈の音までが私の耳に聞こえてくるような気がする。とても他人とは思えない。まさしく「同志」である。
 女の肉体をねじまげ、ときに傷つけ、ただ痛めつければいいという、単純な発想から撮られた残酷写真の類いは、私が快楽としているSMの情感とはまったく無縁のものだ。
 男の或る種の性欲のハケ口を、なんの芸もなく、余裕もなく、むきだし状態で撮られた写真を、
 「どうだ、凄いだろう」
 と、目の前につきつけられても、そういうものは私にとって快楽ではない。その写真のなかに「縄」が使われていたとしても、私はその種のものを「緊縛写真」とは呼びたくない。
 全裸にして後ろ手に縛った女の片足だけを高く吊り上げて、これみよがしに股間を露出した写真を見せられても、私はどうしても「SM写真」としての興味を抱くことができない。
 女の股のあいださえみせれば男はみんなよろこぶだろうという撮影者の意図がミエミエで、ときには嫌悪すら感じる。
 マニアは、たとえば雑誌の編集者なんかが「どうだ、凄いだろう」と得意げに示すものに対し、ほとんどそっぽをむき、拒否するのだ。拒否まではいかなくても、反発する。それがマニアなのだ。このへんのマニア心理が、編集者にはわかってないんだよなあ。
 マニア一人一人の心の奥底には、編集者なんかにはわからない、熱く秘めた、深く、せつない願望があるのです。
 そのせつない願望を、すべてわかってくれなどとは言わない。わかってくれなどと無理なことは言わないが、近づいてきてくれ、とは言いたいのだ。
 (近づくどころか、遠去かる一方だものなあ……)
 また横道に入った。愚痴はもうやめよう。
 私たちが好む「SM写真」とは、アクロバット的に女の股間を見せるよりも、もっと情感とか、情緒のあるものなのだ。
 風俗資料館で拡大コピーしてもらった七十年むかしの緊縛写真(考えてみれば、この時代まだ「緊縛写真」という呼称もない。単純に「責め写真」と呼ばれていた)に話をもどそう。
 上半身を裸にされ、肩から腕に刺青のある女は、一本の縄で後ろ手に縛りあげられている。
 背中に高々と縛りあげられている腕の形に被虐的な迫力があって、たまらなく、いい。この写真の、最高のポイントである。
 カメラアングルのせいで手首は見えないのだが、二の腕が背後に高くねじあげられていて、この腕の位置だけで、高手小手のきびしさがよくわかる。
 当然、女の上半身は前屈みになっていて、つくりものではない、ホンモノの被虐性がにじみ出している。私に言わせれば、これが被虐美である。
 「つくりもの」と言ったのは、現在の緊縛写真と称するものを見ると、モデルへのカメラマンや演出家の指示や指導が、あまりにもこまかく、煩雑で、モデル本来の自然な体の反応が制約され、ナマの被虐性が失われてしまっているからである。
 モデルは、モデル自身の動きを封じられ、カメラマンの命令のままに動き、ポーズをつくっている。
 動きを封じられるということは、心を封じられるということだ。カメラマンがあやつる人形でしかない。
 人形がいくらそれらしいポーズをつくったところで、しょせんそれはカメラマンに命じられた「つくりもの」で、マニアの心をとらえる被虐美が出てくるはずはない。
 刺青女を縛っている縄は、首から胸の左右に交差して掛けられ、腋の下から背中にまわされている。腕に掛けられている縄は、一本だけである。
 これは、せっかく描いた刺青を縄で隠さないように配慮された縄の掛け方なのであろう。縄の存在感はうすいが、一本の縄で最大の効果をあげている。モデルの表情と、前屈みに上半身をくねらせたポーズが、この縛りのよさを表わしている。
 現在よく見られるような、やたらにごてごてと縄ばかりが多い、コケおどかしの縛り方ではないところが、私にはうれしい。
 私は、じつは、縄の多い「縛り」は、あまり好きではない。あんなものは、ウソッパチである。
 一本の縄で効果的にかける縄が好きである。縄一本できっちりと後ろ手に縛りあげたほうが、嗜虐的なのだ。
 ここでひとこと弁解させていただく。
 私はこれまでに数えきれないほどの緊縛写真、緊縛映像を手掛けてきた。
 数えきれない、とうっかり書いたが、五千回までは数えてある。五千回を超えたとき、数えることをやめた。
 数多く縛ったところで、なんの値打ちのないことが、やっとわかったからである。金で雇われて、女優やモデルを五千人縛ろうが、一万人縛ろうが、それは本当の「縛り」ではない。それがやっとわかった。ああいうものは、結局、縛りのテクニックを見せるだけのものである。
 そういう撮影の仕事の中で、私もまた、ずいぶん、ごてごて縄をかけてきた。
 (いまここで、ふっと思ったのだが、美濃村晃には、一度もごてごて縄の写真がない。彼は常にすくない縄で、すっきりした、形のいい、そして迫力のある、情緒のある縛りに終始していた。そして、この時代のカメラマンたちは、モデルにかける縄の数よりも、縛られたモデルの「心」のほうを表現しようとする姿勢を、根本的に持っていた。縄の数でマニアの心をとらえようとする意志が、この時代の雑誌の編集者にもカメラマンにもなかった。縄の数と被虐美とは、けっして比例するものではないということを、みんな知っていた。いちばん表現しなくてはならないものは、縛られている女の、被虐の「心」なのだ)
 ここで私の弁解となる。
 いまさら弁解したところで、どうということもないのだが、一応弁解したい。
 私がときおり、ごてごてと大量にかける縄は、じつは私の意志ではない。私の背後にいるスポンサーの命令で、縄を多く使っているだけである。
 多くの場合、私の雇い主つまりスポンサーは、純粋なマニアではない。女に掛ける縄が多ければ多いほど、凄い縛りだと思いこんでいる。縄が多ければ多いほど、逆に真の緊縛の迫力は弱められていくという感覚を持っていない。しかし、私がそれを言ったところで、彼らにはわかってもらえない。
 私は雇い主たちのこの種の命令には、比較的おとなしく、忠実に従う。よほどのことがないかぎり、言われたとおりに縄をかけていく。縄をたくさんかけるのは、手数が多くなって面倒だからいやがるのだ、と思われたくない気持ちもある。
 雇い主は、私にお金をくれるたいせつな人でもある。注文には、できるだけ素直に応じる。
 そしてもう一つ、私にはひそかな矜持がある。女体の自由を美しく拘束する縄は一本だけで十分であり、あとは無駄な、よけいなものになるのだが、それを、よけいな無駄縄に見せないための縛りの技術を(いわせていただければ芸を)見せてやろうという気持ちで私は縄を足していく。スポンサーの命令どおりに、つぎからつぎへ、多いときには二十本に及ぶ縄を、一人の女体にかけていく。
 こんな縄、拘束には無駄だなあ、と思いながらかけていく。コケおどかしのウソッパチの縛り方だが、この無駄な縄が、無駄に見えるか見えないかは、観賞する人たちのご判断にまかせるよりほかはない。
 ウソッパチという表現がちょっと気になった。私は東京の下町で生まれ育ったので、両親から伝えられた古い下町言葉を、ときどき無意識のうちに使ってしまう。それが一般に通じないこともあるので、辞書で調べてみた。ちゃんとあった。
 うそっぱち「嘘っぱち」うそを強調していう語。まっかなうそ。(旺文社国語辞典)
 ああ、また話が横道に外れてしまった。
 こういうことを書くはずではなかった。
 風俗資料館の中に秘蔵されている七十年前の責め写真について書いている最中だった。
 話を、元へもどそう。
 人相の悪いやくざ男に責められている刺青女は、けっして美人ではない。乳房も、写真で見るかぎり、小さい。ややうつぶせ気味のポーズなので、はっきりとはわからないのだが、貧弱な形の乳房である。どうみても、あまり、魅力的な肉体とは思えない。
 しかし、いいのだ。
 きれいにメイクを施され、オッパイもお尻も豊満で、これみよがしのポーズで構成されている現在の「緊縛写真」よりも、肉体的には貧弱なこの刺青女の縛られた姿のほうが、格段にSM的で、情緒があり、エロティックなのだ。
 まさしく、責められている女の風情なのだ。つくりものではない被虐のムードがあるのだ。
 この古い写真からは、カメラマンや編集者たちが、
 「ああしろ、こうしろ」
 「あっちむけ、こっちむけ」
 「足をひろげろ、もっと股をよく見せろ」
 などという指示する言葉がきこえてこないのだ。
 きこえてこないから、いいのだ。
 マニアでもない人間たちが、モデルにむかって軽薄に指示する声が、われわれの耳にきこえるような写真は、われわれをシラケさせるだけなのだ。
 われわれは、マニアでもない人間に、心を踊らされたくないのだ。わかってもいないくせに、わかったふりをするな、と言いたいのだ。
 カメラマンよりも編集者よりも、映像ディレクターたちよりも、われわれマニアのほうが「縛り」に関しては「思い」が数段深いのだ。彼らは私たちの思いの深さを知らない。
 この古い写真の中に登場しているやくざ男も刺青女も、おそらく、いまでいうところの大衆劇団の一座の役者だろうと思う。
 当時の旅の一座の役者たちが、当時の「責め」の愛好家たちにたのまれ、契約して、こういう芝居を演じているのだ。写真に撮られることを、もちろん承知している。
 熱心なマニアたちは、おおよそのストーリーを役者たちに伝え、役者たちはそれを一生けんめい演じている。当時の役者たちにとって、こういうストーリーは、お手のものだ。
 「縛りだけは、いつも舞台であなた方がやっているような芝居の縛りではなく、私がやるからね、私にまかせてもらいたい」
 と、愛好家カメラマンの中でもリーダー格の人が、役者に言ったのにちがいない。もちろん役者は承知する。
 そして、マニアである彼は縄をつかみ、わくわく、ドキドキしながら、女優が扮した刺青女を、後ろ手高手小手に縛ったのだ。
 (私も経験があるので知っているのだ。こういう状況のもとで、はじめて会った女性を縛るときの興奮と快楽は、筆舌につくし難いものがあるのだ)
 旅の一座の役者に依頼して、こういう「責め場」の写真を、マニアグループで撮るということは、伊藤晴雨の時代からはじまり、その後、数回あったと思われる。
 内容が内容だけに、この種の撮影会は極秘のうちに行われ、正確な資料はのこされていない。いま風俗資料館に秘蔵されている古い写真も、その中のものである。
 じつは私も、この時代に撮られたこの種の写真を持っている。
 河出書房新社から私が出した文庫本「『奇譚クラブ』とその周辺」の中に、そのへんの事情をすこし書いておいたので、興味のある方はご参照願いたい。
 昭和二十八年(一九五三年)十月一日に発行された「KK通信」という小冊子の中に、伊藤晴雨が旅の一座と契約して、「責め芝居」を上演したときのことを書いた一文がある。このことも、すでに河出文庫の「『奇譚クラブ』の絵師たち」の中に私が紹介しており、重複するが、必要なのでまた書く。
「責めの劇団」について 伊藤晴雨
(KK通信 第十三号より)

 六月四日市川市鈴本演芸場に於て第一回開催、折柄の大風雨にて来駕者少なかりしも予期以上の効果を挙げ、七月十一日第二土曜日に文京区東片町中村座に於て第二回開催、各知名の方々が会員として来駕され、催し物は番町皿屋敷鉄山館の場一場外に林家正蔵の人情咄を加えました。写真は舞台正面でございます。来月は第二日曜日の予定で矢張り同座に於て開演「横浜奇聞新白石噺」三場を上演致しまして、大暑の折柄として雪責めと水責めとの会員の希望によりまして、舞台へ稍大掛りな井戸を作りました(舞台の下へ十尺程穴を掘りましてつるべの長いのをそのまゝ入れるように致しました)。女形のかつらも掛物と申しまして島田髷が崩れて段々元結の切れて散らし髪になり、その上から水を沢山思い切ってかける趣向でございます。皿屋敷のお菊は実説の方で、お菊を井戸へ吊してから血紅を沢山用いまして凄味を出しました。
 中村座と云う劇場は、私の友人の新築で五百人程度(ギシギシに詰めて)の小劇場にて間口五間、奥行三間、高さ十一尺、こうした小劇場の方が都合がよろしゅうございますので、将来共毎月当座に於て行うつもりで居ります。
 背景製作も、大道具の切り出しも、脚本も、演出も全部私一人、おまけに引幕迄揮毫するという七十二歳の老人、少々腰が痛くなりました。幸にして日毎に会員が陸続と参りまして、江戸川乱歩氏や村上元三氏、長谷川伸氏等も来てくれることになりました。何分予想外の出費のため一名金三百円宛としてありますが、次回からは五百円として会場で撮影し、尤も舞台写真カビネ版五枚をその中に含めて平均に会員に配布することに決定いたしました。登場人物は及ぶだけ小数にして、責めの時間を多くしております。これから責められる女優を増して行くつもりでございますが、仲々いゝのが見つかりません。上ツ面で演技する女優では駄目なので、その養成に骨が折れます。所謂「女子と小人」でございましょう。

 以上である。
 「皿屋敷」のお菊が後ろ手に縛られ、井戸の上に吊るされている写真が、この文章に添えられている。
 お菊の髪の毛は乱れ、晴雨の説明文のとおり「散らし髪」になっている。
 ついでに書いておくが、このときから約二十年後、新橋演舞場において、武智鉄二演出による「皿屋敷」が上演されている。その観劇記を、当時の「裏窓」に私が書いている。
 晴雨いうところの「実説」のほうの「皿屋敷」であり、しかも武智演出なので、血糊や本水(ほんみず)を多く使い、凄惨な責め場になっていた。
 「実説」以外のものでは、岡本綺堂作の「番町皿屋敷」が多く上演されるが、これは新解釈による妙に理屈っぽい純愛物語で、私なんかには全くおもしろくない。幽霊も出てこなければ「責め場」もない。
 ついでにもう一つ書けば、皿屋敷のお菊伝説を題材にした時代小説「妖異お菊虫」を、私が矢桐重八のペンネームで「裏窓」に書いている。その末尾に、全国各地に現在も残っている皿屋敷伝説をいくつか紹介している。この小説も風俗資料館で読むことができる。
 伊藤晴雨は昭和二十八年(一九五三年)の六月に、市川市の鈴本演芸場で「皿屋敷」を演じた、と書いている。
 私はこの晴雨演出による「皿屋敷」は観ていないが、同じく晴雨が主催した市川市の鈴本演芸場の「火あぶり」(鈴木泉三郎・作)は観ている。しかも客席で偶然にも晴雨と並んで観たのである。この小屋の客席は、古い形式の畳敷きであった。このとき、私、二十三歳であった。
 晴雨と肩をならべて、あの有名な「火あぶり」を観た記憶を、私は河出文庫の「『奇譚クラブ』の絵師たち」の中に、比較的こまかく書いている。興味をおもちの方はどうかお読みいただきたい。
 そして晴雨は、同じく昭和二十八年七月十一日、第二土曜日に(ということは一日限りの上演であったのだろう)文京区東片町の中村座で「皿屋敷」をやっている。
 (東片町は「ひがしかたまち」と読む。東片町の地名はいまはもう見当たらないが、西片という町名は現在残っている)
 さらにその翌月、つまり七月の第二日曜日に、同じくこの中村座で「横浜奇聞新白石噺」という芝居をやっている。
 (これは「よこはまきぶん・しんしろいしばなし」と読む。この芝居についてもすこし述べたいが、そうすると話がまたまた横道に外れ、元にもどらなくなるので省略する)
 晴雨が作り、演出する芝居である以上、「責め場」をたっぷりとみせる内容であったろう。そして、晴雨に雇われた役者たちも、このことは十分に承知して、晴雨が指導するままに演じていたにちがいない。
 私は、現在はもう影も形もない本郷・東片町の中村座という小劇場の存在が、以前から気になって仕方がなかった。
 いま風俗資料館にある6×6サイズの古い責め写真の中に出てくる人物たちは、どうもこの中村座に出演していた役者のような気がしてならないのだ。
 「『責めの劇団』について」というKK通信の晴雨の文章の中に、
 「中村座と云う劇団は、私の友人の新築で」
 とあり、さらに、
 「登場人物は及ぶだけ小数にして、責めの時間を多くしております。これから責められる女優を増して行くつもりでございますが、仲々いゝのが見つかりません。上ツ面で演技する女優では駄目なので、その養成に骨が折れます」
 とある。
 ここに出てくる女優たちが、中村座につながりがあるような気がしてならない。
 劇場主は、晴雨の友人だという。
 (だからこそ、舞台の下へ十尺程の穴を掘り、つるべの長いのをそのまま入れることもできたのだ。ふつうだったら、そんな工事はとてもできない)
 そして、劇場に出演している役者たちを借りることもできたのであろう。
 私はつい最近、以前から気になっていた「中村座」の存在を知ることができた。
 じつはそのことを、この回のもっと早いうちから書きたかったのだが、例によっておしゃべり好きで、横道に外れてばかりいるのでおそくなってしまった。次回にそのことを書く。

つづく

濡木痴夢男へのお便りはこちら

TOP | 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 | プロフィル | 作品リスト | 掲示板リンク

copyright2007 (C) Chimuo NUREKI All Right Reserved.
サイト内の画像及び文章等の無断転載を固く禁じます。