2008.1.9
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第二十九回

 快楽妄想のネタ


 伊藤晴雨が男女の役者たちを雇い、好きなように作って楽しんだ「責め芝居」を、何度か外題を変えて上演した中村座という劇場について、晴雨以外の人が書いている文章を、私はつい最近みつけた。
 それは「本郷」というコミュニティ・タウン誌の8号である。
 スタジオ609「本郷」編集室というところでつくられ、この8号は平成7年3月10日に発行されている。
 創刊は昭和60年11月10日とあるので、それほど古い雑誌ではない。66ページの小冊子である。
 ここに、鈴木千秋という大正十四年生まれの元TBSのアナウンサーだった方が、「あの日の本郷」という14ページにわたるエッセイを書いておられる。
 (テレビのアナウンサーで鈴木千秋という名前をご存知の方もいるにちがいない。私もこのお名前に記憶がある)
 その鈴木千秋氏が書かれた「あの日の本郷」の中の、中村座に関したところだけを紹介させていただく。
 映画館ではないが、今でも鮮明に思い出されるのは、「中村座」だ。これは戦後のこと。
 場所は中仙道(国道17号線)沿いの東片町、今の向丘一丁目八番地辺り。
 木造モルタル平屋の芝居小屋で、普段は一見何かの修理工場か町工場かと見間違えられそうな無粋な建物なのだが、時折思い出した様に派手な幟が林立して人目を奪う。
 実は一度8ミリカメラを持って(といっても、まだビデオなどというものはない8ミリフィルムの時代である)入ってみたことがあるので、今、押入れの奥から探し出し、映写してみたところである。フィルムの箱には私の字で、昭和三十八年五月五日と記してある。考えてみれば「もう戦後ではない」という言葉が流行ったのが昭和三十年頃で、昭和三十五年には「泰平ムード」という言葉が生まれている。
 つまり、ようやく余裕の出てきたそんな時代に、人々の郷愁をくすぐろうと、敢て古い旅廻り一座を演出した芝居であり、小屋であるということを断っておく必要があろう。
 先ず目に入る幟の文字は、白地に黒の「中村座五月公演」。そして青地に赤で「中村登代治さん江」その下に「東京演劇演奏(?)興行組合 篠原演芸場より」。以下出演の役者名の幟が立ち並び、風にはためいている。
 入口には出演者の写真が貼りつけられ、「大人80円 中人70円 小人50円」とある。
 戦前や終戦直後の思い出に浸って来た私は、この木戸銭の円は銭の間違いではないかと思ってしまうのだが、前述の如く見かけは古い芝居小屋でも、時は戦後、昭和三十八年なのだから、当然これは円ということになる。
 新宿武蔵野ビアホールのビールジョッキ(今でいう大ジョッキ)一杯と、新宿ムーランルージュの入場券が大体同じで50銭位だったのが、或時、両者同時に約70銭に値上げされたことを覚えているが、あれは私が高校一、二年の時、つまり昭和十六、十七年のことであった。(間もなく戦争の激化で両者共閉鎖された)だから、この頃の銭が昭和三十八年には略々円になっていたというわけだ。
 さて中へ入ると観客の大部分は女性、特に中高年の方々。気軽な普段着で、お菓子の袋を片手にといった御常連ばかりだ。
 真中に大きく播磨家のあげはの蝶、その右下に「東京深川のひいきより」、左下に「中村登代治賛江」の文字を染め抜いた幕、そして舞台下手の袖には、デーンとお祝いの四斗樽だ。
 さて第一幕はいわば歌舞伎・新国劇のさわり特集である。お馴染みの見せ場、泣かせ所、名場面の連続に、おば様おばあ様はうっとり、しんみり、とお思いだろうが、さにあらず、ここが草の根演劇の真骨頂、何やら客席から舞台めがけて色々なものを投げつけるのだ。いわゆる投げ銭、おひねりもあるのだろうが、かなり大きな、ちょっとした小包位のものもボンボン飛んで行く。煙草がバラバラッと散乱する。
 だから時々作業ズボンの大道具さんらしい人が飛び出して来て、慌しく舞台のプレゼントを拾い集めて引っ込んでゆく。
 さて二幕目は、ぐっと趣きを変えて賑やかな歌謡ショーである。
 あっという間に出演者全員が軽音楽団オールスターに早替りだ。
 さっき腹を切った勘平がマラカス振って、国定忠治がボンゴ叩いて、ルンバにマンボにチャッチャッチャ。おかるの唄はベッサムーチョか?
 何しろ8ミリフィルムには音が入らないから、皆マイクの前でパクパクやるだけでよくわからない。しかし、何でもこなしてしまう巾の広さと観客へのサービス精神には恐れるばかりである。
 こうして芝居がはねれば外はもう夕暮れ。早く帰らないと御飯の仕度が間に合わないと家路を急ぐわけだが、ところがである。一部の特に熱心なファン、御贔屓筋にとっては、実はこれからが本日のハイライトなのであった。
 中仙道を距てたはす向いの銭湯「鏡湯」の前に集って、好きな役者が来るのを待ち伏せる。つまりオッカケである。おば様もおばあ様もうきうきと娘心をとり戻すひとときなのだろう。
 一時間位も経っただろうか。やっと役者さんたちが来たらしく、ファンの一群がざわめき出した。待ってましたと私はカメラを廻した。
 だが、結果は期待を大きく裏切るものであったのだ。
 先ず、辺りが余りにも暗かった為か、写っていたのは風呂屋の入口の男湯、女湯と書いた灯りだけ。
 そして、これはまあ当り前といえば当り前なのだが、キャーキャーという嬌声もなく、サイン攻めもなく、何やら静かな会話が聞こえるだけなのだ。お菓子か果物か、或いは手作りのお弁当か、よくわからないが「つまらないものですが、ほんの気持ちで」「いやあ、いつもどうも」といった御挨拶が、暗がりの中でゴソゴソと聞えるだけなのであった。
 以上「本郷」というタウン誌の8号に掲載されている鈴木千秋氏の書かれた「あの日の本郷――思い出すまま」の中から、中村座に関するところだけ、書き写させていただいた。素直でわかりやすい、いい文章である。中村座の外見、引幕、舞台面を撮った35ミリの密着ベタ焼き写真が十四枚、文章の中に掲載されており、雰囲気をよく伝えている。この写真を提供された方は、本郷六丁目の蟹江丈夫氏と記載されている。
 鈴木千秋氏が撮影された8ミリフィルムと、蟹江氏の小さな写真との間には、おそらく何らかのつながりがあると思うのだが、そのことについての注釈はない。
 写真の中の幟や、引幕に観られる一座の座長名も、中村登代治なのである。
 私もこの種の大衆演劇のファンで、よく観る。本郷のこの中村座の存在は知らなかったが、チャンスとひまがあるときは、よくあちこちの小屋で観てきた。
 (ファンという以上に、いささかの関わりもある。そのうちに、それも書こうと思っている)
 この一文を書いている三日前にも、じつはRマネージャーを誘って、浅草の木馬館で「劇団九州男・大川良太郎一座」を観た。時間の関係で、ラストの舞踊ショーしか観られなかったのだが、それでもこの種の一座の独特な熱気に浸ることができて楽しかった。
 華やかな衣装をつけ、きれいに化粧をした役者たちの踊りを眺めていると、その動きと歌と色彩に酔い痴れ、母親の胎内にもぐりこんでいるような、なつかしい、あたたかい気分になってくるのだ。
 終演になり、劇場を出てからも、私とRマネの興奮はさめやらず、時間さえあれば、大衆演劇一座の魅力を、ひと晩じゅうでも語りつづけたい気持ちだった。
 Rマネは、小屋の出口に立って送り出しのあいさつをしている美しい役者と握手をして感激していた。私も大川良太郎と握手した。
 私の話はいつのまにか、また横道に外れ、よけいなことを書いているようだ。いや、よけいなことではない。私は小さいころから大衆演劇の一座に憧れと親愛感を抱いていた。あの役者の人たちと同じ血が体内に流れているような気がしてならない。
 こういう私の性癖は、少年時代に耽溺した長田幹彦の「零落」とか「扇昇の話」とか「澪」とかの、旅役者のくらしを描いた小説に大きく影響されていることを自覚している。
 (これらの小説を私はいまでも折りにふれて、くり返し読みつづけているのだ)
 そして、旅役者へのこういう憧れが、どこかでSMに心をひかれる性癖とつながっているように思える。
 しかし、いまは話を風俗資料館で拡大コピーしてもらった古い「責め写真」にもどさなければいけない。
 「『責めの劇団』について」の文章でもわかるように、戦前から戦後にかけて、伊藤晴雨は演劇界において幅広い活躍をしており、多くの著名人と交際があった。
 中村座の劇場主とも友人関係にあったという。ならば、中村座に出演している役者たちを雇い、一日だけの「責め芝居」をつくって見せることも可能だったにちがいない。
 そして当時、晴雨を慕って集い寄っていたマニアグループの人たちも、そのつながりで、「責め写真」撮影会のモデルに、役者たちを使うことも可能であったろう。
 風俗資料館に百余枚ある中から、とくに選んで拡大コピーしてもらった十六枚の「責め写真」が、いま、私の目の前にある。私はその写真をみながら、この原稿を書いている。
 時代物のかつらをかぶり、肩から腕に渦巻模様の刺青を描かれたこの女優を、高手小手にきっちりと縛りあげたのは、あきらかに晴雨ではない。
 つまり、この撮影の現場に、晴雨はいなかった。この撮影会に晴雨がいて、晴雨が縄を持って縛っていれば、この刺青女への縛りは、こういう形になっていなかったはずである。晴雨の場合、縛りの手順も形も、かなり粗雑であり、荒っぽい。絵をみても写真をみても、ほとんどが単純なぐるぐる巻きである。
 そのかわり、髪フェチの晴雨は、女の髪の毛の乱し方に相当な神経を使う。
 この刺青女の髪の毛には、そういうマニア的な乱れ方は感じられない。このことだけをみても、この撮影には晴雨が関わり合っていないことはわかる。
 髪の毛にマニア的な乱れはないが、この女の高手小手はマニア的な、いい形である。背中の手首は、カメラアングルの関係で、指だけしかみえない。たぶん右手の指だろうが、指だけしかみえないところもいい。
 左右の手首は肩近くまで上がっている感じである。そのために、左のひじまでが高く上がっている。写真ではみえないが、右ひじも高く上がっているはずである。
 これはきつい縛りである。そのために女もきつい縛りを耐える、せつなげな、いい表情をしている。やらせでも演技でもない、自然の表情になっていて、そこが色っぽい。
 前回にも書いたが、この撮影グループの中でリーダー格の人が縛ったものにちがいない。すこしの縄で、マニアチックに残酷に、きびしく縛ってある。
 縛られた女の背後には、歯をむきだした卑しい人相の男が、片膝を立ててすわっている。もろ肌ぬぎで、男の肩から腕にも刺青がある。型どおりに晒布を腹から胸に巻いているのもやくざらしく、この責め場の雰囲気を盛り上げている。
 男の手には火のついたろうそくが握られ、その炎を女の尻に近づけている。
 女の両足首は左右にひろげられて、一本の棒にしばりつけられている。つまり女は足を閉じることができない。
 高手小手に縛り上げられている苦痛と、素肌にせまるろうそくの火に対する恐怖が、刺青女を被虐的な色っぽい美人にみせている。
 型どおりの構図だが、いかにも「責め場」らしい情感の漂う、いい雰囲気である。こういうイメージシーンは、「縛りマニア」だったら、だれでも持っている。普遍的な縛りシーンのイメージである。
 だからこそ余裕があり、情感が漂う。一般的にいえば残酷場面であるはずのこの種の構図に、情緒とか情感が漂うというのは、結局、主催者や演者たちの心に余裕があり、「遊び心」があるということであろう。
 型にはまった構図を楽しむのは、「遊び心」がある証拠で、こういう余裕のある情況の中だからこそ、マニアは安心して快楽を味わえる。演じるほうも主催者を信頼し、安心して演じられる。
 「遊び心」がないと、この種の趣味的行為は陰惨なムードになって、とてもやりきれない。
 役者なのだからあたり前だが、刺青女を責めているやくざ男の姿勢が、いかにも芝居じみていて、すこぶるいい。いまから七十余年前の夜(たぶん夜だろうと思う)、この役者たちが演じるセリフのやりとりが聞こえてくるようだ。

 「どうだ、おとみ、こうやって後ろ手に、高手小手に縛り上げられて、おまけに足まで縛られていちゃア、逃げることもできめえ。あんな与三郎のことなんかあきらめて、このへんで観念して、この安五郎のものになっちゃアどうだ」
 「なに言ってやがるんだい、だれがお前のようなゲジゲジ野郎のいうことなんかきくもんか。ちくしょう、こんなにひどく縛りやがって、アア、痛い、痛い、あとでどうするか、おぼえているがいい」
 「ふん、ぬかしゃがったな、このすべた女め、こんなに縛られていて、なんてえ気の強いアマなんだ。お前がどんなにあの与三郎に惚れていても、ここまできたらあきらめろ」
 「アッ、アッ、ちくしょう、なにしやがるんだい、痛い、痛いじゃないか、やめとくれ、ちくしょう、そ、そんなところを、つねらないでおくれ!」
 「かわいい乳首じゃねえか。与三郎にさんざん吸われたり、なめられたこの乳首を、こうやって揉んだりつねったり引っ張ったりしているうちに、だんだん気持ちよくなってくるはずだ。そら、どうだ、どうだ、気持ちいいだろう、どうだ」
 「アッ、アッ、痛い、ちくしょう、噛みやがったな、いやらしい!」
 「なんだと?いやらしいだと?乳首を噛んだくらいで、どうしていやらしいんだ。いやらしいというのはな、こういうことをするんだよう!」

 風俗資料館で拡大コピーしてもらった古い責め写真の中には、同じ男女の役者が、同じ部屋で演じている、あぐら縛りの情景もある。

 「く、く、苦しい、どうしてこんなに私を縛るんだよう!」
 「どうして縛るのかだと?きまってるじゃねえか。おとみねえさんの、たいせつなところを拝みてえから、こういうあぐらの形に縛ったのだ」
 「ああ、いやッ、いやッ、見ないで!見ないで!ちくしょう、あっちへ行け!」
 「ふふふ……恋しい与三郎にはさんざん見せて、おれには見せてくれねえのか。しけた女だぜ。与三郎もおれも、そしてお前も、二ツ名のある悪党仲間、悪党は悪党同士、仲良くしようじゃねえか」
 「いやッ、いやッ、だれがお前なんかと仲良くするもんか、ちくしょう、お前に抱かれるくらいだったら、舌を噛んで死んでやる!」
 「ホウ、威勢のいいことを言いやがったな。舌を噛んだら痛えぞ。舌を噛んで死ねるものかどうか、おれの見ている前でやってもらおうじゃねえか。やい、おとみ、切られおとみ、おれのこの指はな、自慢じゃねえが、まむし指といってな、ふつうの指じゃねえんだ。そら、そら、どうだ、こういうふうにもぐりこんで、こういうふうに動くのだ。どうだ、それ、それ、もっとケツをおれのほうに向けろ」
 「アッ、アッ、アッ、そ、そ、そんなこと、な、なにをしやがるんだ、アア、アア、ヒィッ、だめ、だめ、だめだよう、そ、そんなに指を動かさないでおくれよう!」
 「おいおい、ここは野なかの一軒家じゃねえんだ。そんなに大きな声を出して、人に聞かれたらどうする。よし、さるぐつわをしてやる。さあ、口をあけろ!」

 拡大コピーした古い写真の中には、同じ芝居のつづきで、刺青女があぐら縛りのままで、さるぐつわをされている場面もある。しかも、豆絞り模様の手拭いのさるぐつわである。
 ここでまたちょっと、よけいなことを書く。さるぐつわに豆絞りの手拭いを使うのは、背景がこういう時代物のときだけである。現在の緊縛写真撮影のときに(ビデオ映像のときでも)豆絞りの手拭いをさるぐつわにするのは、あきらかに間違いなのである。SM雑誌全盛時代から現在に至るまで撮影の現場で、さるぐつわといえば、監督もスタッフもカメラマンも、決められているかのように、盲目的に豆絞りを出す。間違いなのだが、じつはこのことには私にも責任がある。彼らには江戸時代の豆絞りの手拭いの意味がわかっていない。だが、いまそれを書くと、また横道に外れてしまうので、あとにする。

 「ふふふ、どうだ、しっかり口をふさいでやった。もういくら大きな声を出しても無駄だ。泣こうがわめこうが叫ぼうが、もう声は出やしねえ。喉がヒクヒク動くだけだ。おや、さるぐつわをしたら、いっそう色っぽい目になりゃがった。その恨みのこもった目がたまらねえや。やい、おとみ、いつまでもじたばたしてねえで、このへんで観念して、おとなしくしろ!」
 「むむむ、むむむむむう……」

 いいなあ。
 男と女の、この自然な動きと表情がいいなあ。こういうSMシーンは情緒があるなあ。
 カメラマンがポーズを指示しないで、勝手に、自由にやらせているからいいのだろうなあ。
 責めている男も、責められている女も、その気になって体を動かし、こういう場面にふさわしい表情になっている。
 カメラマンの「あっちむけ、こっちむけ」とか「もっと肩をひねろ、腰をつきだせ」なんていう声がきこえないからいいのだ。ああいう命令の声は、どんなにきびしくても、じつはSMとは無関係なのだ。単に商品制作のための掛け声にすぎない。私たちマニアは、鋭敏にそれを感じる。
 そこへいくと、この男女の演技はいい。楽しそうに、得意になって、勝手に責め場を演じている。だから私なんかは、写真を眺めているだけで、いま書いたようなセリフが聞こえてくるのだ。
 幸せになる能力とは、幻想を信じる能力である。快楽を感じる能力とは、幻想や妄想をひろげることのできる能力である。
 だけど、裏付けがなかったり、ネタがなかったら、幻想も妄想も湧いてこないし、ひろがりもしない。
 風俗資料館にある古い「責め写真」たちは、私の快楽的な幻想と妄想の、貴重で豊富なネタになってくれる。
 そして、くどいようだが、言っておきたい。形が激しいだけで、責められている人間の心理の表現が乏しい緊縛写真は、どんなにきれいに、技術的に高度に撮れていても、私たちマニアに、幻想も妄想も抱かせてくれない。

つづく

以下「みか鈴」さんからお寄せいただいたご感想を、ご本人の承諾を得て転載させていただきます。このご感想の中の表現を「第三十回」にて引用させていただきました。

みか鈴さんからのcomment
最近のハリウッド映画を観ていますと、CGも駆使して、これでもかと凄いシーンの連続ですが、感動しないのです。
伝えたい物語があって、その物語を再現する為にあるはずのCGの技術が、美香にはなんだか、スポンサーを納得させる為の見せ場なような気がするのです。
そういうハリウッド映画は、どんなに凄い映像だろうが、どんなに高いギャラを取る役者がでてようが、つまらないのです。
>形が激しいだけで、責められている人間の心理の表現が乏しい緊縛写真は、
>どんなにきれいに、技術的に高度に撮れていても、私たちマニアに、幻想
>も妄想も抱かせてくれない。
そうなのです。美香の、最近のハリウッド映画に対する不満と同じように、最近のSMは、なんで苛められてるのか判らない・・・苛められてるのかどうかさえ怪しいような、アクロバットセックスのようなのが多いのです。
SMというモノを残酷な見せ物にしない為の工夫(若しくは大衆化する為のサービス)であったセックス描写は、SMを違うものに変革してしまったのかも知れません。
外国のSMのDVD等を見ますと、所謂セックス描写は殆どないのが多いので、美香は、日本のSMだけがセックス描写が極端に多いように思うのです。
こういうセックス描写があるから、マニヤ以外の人が見ても感情移入出来るという面はありますから、セックス描写は必要悪であるとも云えますけれど・・・・美香はなんだか、軒を貸して母屋を取られたような気がするのです。オマケであるはずのセックスがSMの中心にいて、オマケとして縄や鞭等のSM的味付けが為されているような・・・・いいえ、オマケでもSM的であればそれはそれで感じる事は出来ますから、オマケにもSMが入っていないSMという名を付けた商品が多いように思います。

最近のSMは何かが違うと不満いっぱいの美香が、先生の「おしゃべり芝居」を読んでますと、とても嬉しく、こうも饒舌にSMについて語ることが出来ますし、なんだかくつろげるのです。

 ★みか鈴さん、ありがとうございました。
  皆様もお読みになったご感想など、是非お気軽にお寄せください。

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