おしゃべり芝居 第三十三回に寄せて
みか鈴さんと濡木痴夢男の往復書簡
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■以下は、みか鈴さんからいただいた「おしゃべり芝居 第三十三回」についての感想です。
13歳の小梅さんって子供ですが、旅芸人の娘は素人ではなく玄人なのですわね。 今の時代だと大変な問題になるような育て方かもしれませんが、そういう育ちだからこそ素人にはマネの出来ない芸が出来るのかも知れませんわね。……なんて感想を持ちましたが、美香が一番惹かれたのは、
>小梅との快楽は、楽しいけれど、少年の私にはおそろしかった。
からの部分です。すごく良く判ります。
少年から青年に移り変わる頃、妙に性的な事が怖ろしい。
求める気持ちと求めてはいけない気持ちのせめぎ合い感ってなんだかSMにも似ていますわね。
美香も女性との初体験やらゲイ体験やSMとの出逢いの後は、そういう「危機感のある快楽」を思春期に味わいましたわ。
それは美香にとって、こんな事っていけない事だと突き放したい気分と、もっと溺れてもみたいという甘味な誘惑が、ごちゃごちゃに混じりあっている、なんとも云えない気分なのです。
美香は、当時流行っていた唄などがカラオケなどでかかったりする時に、その頃のことをふと思い出す事があります。その思い出に浸るとき、美香は、何だか少年の頃の甘酸っぱいドキドキも一緒に感じる事がありますのよ。
今はそれよりもずっとHな事をしていますけれど、ドキドキはその頃に比べると低い……というよりも全然ないといった方が正確ですかしら……。
今思うと、そんなに罪悪感を覚える必要も無かったけれど、そういう罪悪感とワンセットの「危機感のある快楽」って、今でも宝物のように美香には思えるのです。
今回の「小梅の赤い米粒乳首」はそんな美香の宝物の思い出を蘇らせてくれて、とっても嬉しい気分になりましたわ。
ありがとうございました。
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■濡木痴夢男からみか鈴さんへのお便り
みか鈴さんへ。濡木痴夢男より。
「おしゃべり芝居」ご愛読ありがとうございます。第三十三回もお読みいただいて、うれしく思っています。
この数回、SMに関しての直接的なシーンを書いていないので、そういう描写をお好みの方は、きっと退屈されていると思いますが、じつは、Rマネからの指示で仕方がないのです。
いや、仕方がないなどと言ってはいけない、Rマネに叱られる。私だって書きたい気持ちがあるから書いているので、それがなかったら書けるはずもありません。
この時代を書くことによって、その後の私のSM遍歴が生きてくるのではないかと思っています。
私がこの種の「履歴書」あるいは「思い出の記」を書くと、Rマネも、よしよし、これでよし、おもしろいよ、と言ってよろこんでくれます。Rマネもまた若き日の私の恥態のあれこれをさらけ出すことを伏線にして、のちの濡木痴夢男の過激な(私はべつに過激とも思っていないのですが)直接性描写の効果を狙っているのかもしれません。
軽薄な私の文章の流れに、すこしでも重みを加えようと、見えないところで気を使っているのでしょう。
それにしても、みか鈴さんの、いつもながらの読み巧者(ごうしゃ)なこと、感覚の鋭さにはおそれいるばかりです。
私がここぞとばかりに力を入れて表現している箇所を、毎回、的確につかみ、その部分を深く読み込んで感想を送ってくださる。作者としては、これ以上ありがたい読者はおりません。
舞台でいえば、花道の七三で役者がここぞとばかり見得を切る、その瞬間を見逃さずに声をかけてくださる、まことに通(つう)のお客さまです。
三十三回の文章の芯は、少年が味わう「危機感のある快楽の甘美なおそろしさ」であり、これを書かないと全体が単純な「思い出話」になってしまいます。
この中で書き手は何を言おうとしているのか、書き手の狙いは何かを、みか鈴さんは毎回鋭く正確に反応してくださいます。
書き手にとって、これほどうれしいことはありません。そして、油断のならないことはない。なぜなら、こちらが魂をゆるめ、安易な文章を書いたら、すぐに見破られてしまうのですから。
みか鈴さんのような方が読者におられると、本当に書き手にとって、はげみになります。心がひきしまります。
ありがとうございました。
(第三十四回へ)
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