2008.4.5
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第三十五回

 お転婆な叔母澄子


 落花さんを縛るとき、私はたいてい落花さんの背後の、斜め右側に立つ。
 私がねらうとき、落花さんはたいてい机にむかい、椅子に腰かけている。机の上に両手を出して、何かの作業をしている。
 その作業の最中に、ちょっとした隙ができる。あるいは、手をとめてひと休みする。その隙をねらうという形で私は彼女を縛るのだ。
 まず左手で落花さんの左手首をつかみ、肘から折り曲げて背中に強くねじり上げる。つぎに右手で落花さんの右手首をつかみ、同じように背中にねじり上げる。この瞬間から彼女の上半身はすこし前屈みになる。
 「え?あ、なんですか、なにするんですか?」
 と彼女は軽くもだえ、低い声で言うが、私がこれから何をするか、自分が何をされるか、このときはもう知っているはずだ。いや、私が彼女の斜め背後に近寄る気配を感じた瞬間に、もうさとっているはずだ。
 彼女の左右の手首を背中の高い位置で交差させると、私はひとつかみにする。彼女の手首は細いので、私は左手の五本の指に力を入れるだけで、左右をひとつかみにすることができる。
 私はつかんだ彼女の両手首を、さらに背後の高い位置、首筋のあたりまで、背骨に沿って押しつけるようにねじ上げる。
 ぐい、ぐいッという微小なリズムを加えながら手首をねじり上げる。このこまかいリズムが彼女の快楽神経を刺激していることを私は確信している。
 彼女の肘はやわらかく、細く長い指の先がのびて首筋まで届いてしまう。あるいは肩とか腕の関節が人並み以上に柔軟なのかもしれない。左右の肘は奇異に見えるくらいに鋭角に折れ曲がっている。
 彼女は抵抗しない。すこしでも抵抗する気持ちがあったら、私の左手の五本の指をふりほどいて両手首を自由にすることは容易である。
 抵抗するどころか、この「高手小手」の形は、される側の協力がなければ成立しない。つまり彼女は私の欲望に「協力」しているのだった。あるいは、いやな言い方かもしれないが、心はためらっていても、「体」が協力してしまうのかもしれない。
 私はひそかに用意しておいた黒い木綿の縄をつかむと、その端で、まず左手でつかんでいる彼女の両手首をひと巻きして縛る。ひと巻きで十分だ。これでもう彼女は手を動かす自由を奪われてしまう。
 ひそかに用意しておいた、と書いたが、じつは、ひそかに机の隅に置いたつもりでも彼女は目の端でその黒い縄を見ているかもしれない。見てはいなくても、かすかな空気の動きで彼女はいつも私の欲望を知る。縄の出現を知る。私の呼吸で、私の心の動きを敏感に察知する。
 私の欲望を感受した彼女は、すぐに私の欲望の行動に順応し、同化して、体はわずかなためらいをみせながらも、逆らうことはしない。
 手首を一つに縛った縄を、彼女の左腕から胸へとまわす。むろん彼女はこのとき服を着ている。外は暗くなっているが、まだ仕事中なのだ。服の上から左腕、胸へ黒い縄をまわし、右腕にかけて背後の手首へともどす。このとき縄にこめる力の強弱に快楽の秘密がある。縄によって腕の筋肉が締めつけられ、皮膚の内側の血の流れが圧迫されて快楽的な刺激となる。
 あ、どうしたことだ、私は混乱している。頭の中が、いつもの落花さんのオフィスでやる行為の手順でいっぱいになっている。いま私の目の前にあるのは、落花さんのオフィスの風景だ。
 ホテルには、彼女が腰かける椅子の前に机はない。パソコンもない。部屋に入り、鍵をかけてしまえば、だれにも邪魔をされない。ホテルに用意されている密室は、非日常を売りものにしているが、じつに安全な、日常的な存在だ。
 私はやはり甘ったるいホテルなんかよりも、日常的な彼女のオフィスの中でやる反日常の行為のほうを書きたいのか。
 だれかに見られたら世間的にはマイナス面の大きい危険な非日常の舞台のほうが、快楽度が深いのは当然だ。私よりもこのオフィスの責任者である落花さんのほうがマイナスは数倍も大きいだろう。危険度は高い。
 しばらくラブホへ行ってなかった。三カ月ぶりにベッドと浴室のある密室へ行ったので、そのことを記録しようと思ったのだ。
 だが、いつのまにか彼女のオフィスでのことを書いている。書きたい気持ちが強いから、つい書いてしまうのだろう。あの緊張感が好きだ。危険度は快楽度に比例する。
 仕方がない。ここまで書いたのだから、オフィスの中での行為を、もうすこし書きすすめよう。
 「ここを、この位の強さで締めると、気持ちがいいだろう?」
 落花さんの腕から胸へ縄をまわしながら、私はきく。きいても返事はない。目をとじ、落花さんの脳の働きは、すでに非日常の異世界へ入っている。乳房の隆起のふもとの上側に、快楽神経のポイントの一つがある。
 縄をそこに受けているときの彼女の感覚が私にもわかる。なぜなら、私もその部分、つまり腕から胸へと縄がまわされ、軽い圧迫を受けるときに快感があるのだ。
 いまは実際に味わうチャンスがないので、その快楽から遠去かってしまっているが、少年時代には、私にもすこしあった。いや、すこしではない。かなりあった、と告白すべきであろう。

 私が東京下谷の竜泉寺小学校一年生のころである。
 和菓子の製造販売をやっていた私の家に、住み込み奉公人が数人いた。母の妹も住み込みで手伝いにきていた。澄子といい、私には叔母にあたる。当時十七、八位だったと思う。
 一日の仕事が終わり、父、母、澄子叔母、そして私の弟妹たちが、肩を寄せ合うようにして居間でくつろいでいた。
 血のつながった人間同士が、妙に狎れ合って、なまあたたかい体温を押しつけあうような、あのべとべとした空気が、私は子供のころから好きではなかった。
 木造二階建ての家で、階下は菓子作りの仕事場と、客の出入りする店になっている。階上を家族が日常寝起きする部屋に分けてあるのだが、ザラメの砂糖を煮るときの甘ったるい匂いが下から這いあがってきて、二階の壁や柱にまでしみついていた。
 茶を飲みながら、たあいのない世間話に興じていた大人たちの間に、なにかの拍子に、私が割り込んで入った。
 「おれ、縛られるのって、平気だよ。縛られるの、好きだよ」
 そんな大胆なことを私は口にしたのだ。
 「ふん」
 と澄子は鼻のさきで笑い、
 「そんなら、縛ってやろうか。縛られて、痛くて、泣くなよ、坊主」
 言うと、そのへんにある長い紐をつかんで立ちあがった。私は反射的に逃げようとしたが、澄子は私の足首をつかんで畳の上に引き倒し、私の体の上に馬乗りになって襲いかかった。大人たちが周りで囃した。
 澄子はその当時の言葉でいうと「お転婆娘」だった。私はかなり真剣に抵抗したと思うのだが、力尽きて縛られてしまった。
 あるいは、真剣になって抵抗したと大人たちに見せかけていただけかもしれない。そのへんの心理はちょっと微妙なのだが、本当は澄子の襲撃に、手足をバタバタさせていただけかもしれない。
 「どうだ、まいったか、坊主」
 勝ちほこったように尻をゆすりながら澄子は言った。馬乗りになったまま、まだ私の体から離れなかった。
 澄子の体は大きく、小学校一年生の私の体は小さい。息がくるしくなり、体のあちこちは痛かったが、若い叔母にぎゅうぎゅうおさえつけられているときの感覚と気持ちよさは、いまでもはっきりと記憶にある。
 ということは、私の場合、七つ八つのころから、この種の感性があったということになる。これは空想でも妄想でもなく作り話でもないので、私にはその感覚があったと認識するより仕方がない。実体験なので、七十年たったいまでも、この夜のことを鮮明に記憶しているのだ。
 幼少時から私にこんな性感覚があったといっても、もちろん自慢にはならない。むしろ恥ずべきことかもしれない。
 澄子叔母とはその後離れて暮らし、ひどい戦争もあって、もう五十年も会っていない。いつのまにか音信も絶えていて、もう顔も忘れてしまっているが、彼女に紐で縛られ、馬乗りの下におさえつけられ、ぎゅうぎゅう締めつけられた感覚だけは、こうして記憶にある。
 私はあのとき、手首は縛られていなかったように思う(恥ずかしいことに、私はそんなことまでおぼえている)。
 長い布の紐で体じゅうをただぐるぐる巻かれていたような気がする。だが、お転婆の澄子が、力をこめて巻きつけたために、その縛りはかなりきつかった。私は解こうとしてもがいたのだが、ゆるみもしなかった。幼い私にはその体力がなかったのかもしれない。
 さんざんあばれた末に、力尽きた私はついに泣き声を出して許しを乞い、解いてもらった。自分の力で紐から脱出した記憶はない。
 「だからもう、なまいきなこと言うんじゃないよ」
 と若い叔母は最後に私の尻を軽く叩いて言った。
 じつはこのとき泣いたのは、私の演技だった。ここで泣いて、ごめんなさいとあやまったほうが、素直でかわいい子供を大人たちに印象づける、と私は計算したのだ。いやな子供である。だが、いくら幼くてもこういう知恵は子供にある。
 あのとき、私は勃起していたかどうかを、いま考える。いまどきの子供ならいざ知らず、あのころの七歳はまだ本当の子供のはずである。漠然とした意識はともかく、肉体的な性欲はまだ幼いはずである。
 だから、勃起はしなかった。しかし男とはちがう叔母のやわらかい太腿に全身をはさまれ、締めつけられてもがいたとき、体のどこかはたしかに熱くなっていた。
 そのへんのはっきりした記憶は、さすがにうすれている。おぼえているのは、縛られ、締めつけられていることに快感があった、ということだけである。快感があったからこそ、こうして記憶の底にこびりついている。

 また話が横道に外れた。
 どこから外れたのだろう。
 ああ、そうだ。
 だれもいない休日の落花さんのオフィスの中で、黒い木綿の縄を使う。私に縛られる落花さんの快感が、縛っている私にもわかる、ということを書いていたのだ。
 両手を背中にされて縛られていく快感を、快感として感受でき得る体質を持っていなかったら、縛るほうも自信をもって相手を縛ることはできない。
 (なんだかややこしいな。ええい、もう一度同じことを書こう)
 縛る人間は、縛られるほうの快感がわかっていないと、魅力ある縛り方ができない、ということを言いたかったのだ。
 魅力ある縛り方とは、第三者が見ても格好のいい、バランスのとれた、魂のこもったいい形のことをいう。
 縛られる快感がわかっていないと、「縄」が生きてこないのだ。「縄」に魂をそそぎこみ、表情を与えるのは、縛られる快楽の深さをわかっている人間だけなのだ。
 言わせていただければ、これは快楽世界における一つの特権なのだ。
 特権だから、だれでも味わえるというわけにはいかない。味わうことができて、快楽の深さに陶酔し、魂を甘美の沼の底に埋没させることのできるのは、私たちだけなのだ。
 この深淵な快楽世界を、外側から無遠慮にのぞきこもうとするお節介な、無粋なやつらを私達は軽蔑し、あまりの無礼さに、ときには怒りさえおぼえる。
 また外れた。
 いけない。
 こういうふうに、すぐに話が外れてしまうのは、やはり私の劣等感によるものなのだろう。劣等意識があるために、書いているうちに自分の性について、なにかと弁解したくなるのだ。そして、だれかに、何者かに向かって、文句を言いたくなるのだ。

 黒い木綿の縄一本だけを使い、七、八秒間で落花さんを後ろ手高手小手に、きっちり縛り上げる。彼女の表情は陶酔の色一色に染まり、目をとじ、上半身はしぜんに前屈みになる。
 (ここで陶酔などという手垢にまみれた言葉しか出てこないおのれの表現の貧しさに私は歯噛みする)
 私は彼女の斜め背後に立ったまま、左右のてのひらで彼女の顔をはさむ。彼女はすこしも抵抗しない。そのまま彼女の顔をあおむけにさせると、私は私の唇に押しつける。
 ラブホで遊戯をするときには、全裸にした彼女を、私も全裸になって、前からも後ろからも抱きしめ、唇を吸う。
 そういうことをしてはいけないはずのこの「神聖」なオフィスの中でも、すでに十数度、彼女の唇を吸いなぶっている。慣れているはずなのに彼女を思いきり高手小手に縛りあげて最初に唇を押しつけるとき、私はいつも忸怩(じくじ)たる思いになる。ためらう。私は臆病になる。
 若々しい清潔感にあふれた艶と丸みのある若い女の唇を、私のような老人が自由に、わがもの顔に吸いなぶってよいものか、という気おくれ。
 だが、ここでためらってはいけない、と私は思う。勇気を出す。唇を強く押しつけながら、舌の先で彼女の唇を上下にこじあける。
 彼女は抵抗せずに私の舌の動きに合わせて唇をひらく。いつも素直に、なめらかにひらく。私の舌の先が、彼女の歯にあたる。私はなおも舌に力をこめ、その歯もひらかせて、彼女の舌に私の舌をからめようとする。
 彼女は私の舌を迎えて、すこし舌を動かす。舌の先を私の舌に、おずおずと接触させる。彼女の反応はその程度である。ひかえめである。老人の舌のずうずうしい侵入を嫌っているのではなく、自分のほうからキスに応じ、舌を動かして応じることが恥ずかしいのだ。いつもそうなのだ。慣れるということがないのだ。羞恥する心が私に伝わる。
 落花さんは羞恥する女なのだ。いま、羞恥する女はめずらしいのだ。貴重といっていい位にめずらしい。落花さんは言葉遣いが正確でていねいで、生まれも育ちもよさそうな、凛とした気品が容姿にあり、それゆえに羞恥心をもつ。
 落花さんの魅力の根元はここにあるのだ。考えてみると、私は生まれも育ちもいい上品な女性に、いままで出会ったことがないのだ。
 (ああ、このことだけでも私という人間の下賤の生涯がわかるというものだ)。
 そして落花さんは、キスの好きな女なのだ。それもわかっている。回数にしたらもう数十回、いや数百回も唇を合わせている。ラブホで過ごすときは、ひと晩のうちに百回もキスしている。いや、冗談ではない。誇張でもない。妄想老人のたわごとでもない。本当に百回以上キスしている。
 さらにいえば、百回以上のキスをくりかえし、そして同時に、彼女の乳首へも百回以上キスしている。いや、乳首にキス、などというあいまいな上品ぶった表現はやめよう。
 私は彼女の上半身にのしかかり、彼女の乳首を私の口の中に入れてしゃぶり、舌でこねくりまわす。
 その姿勢がだるくなってくると、こんどは彼女の首の下に左腕をさしこんで抱きしめ、再び唇へのキスをくりかえす。つぎにまた姿勢を変え、顔を彼女の乳首の前にもどし、しゃぶりまわす。吸ったり噛んだりしてこねくりまわす。唇と乳首を交互にしゃぶりまわすのだ(しゃぶるなどというのはいかにも下品な言葉だが、ほかに適当な表現がないので仕方がない)。
 執拗きわまる(と私は自分で思う)この行為を、彼女は一度もいやがったことがない。避けようとしたり、拒否したことがない。そのそぶりを見せない。そういうそぶりをすこしでも見せられると、すぐにその女性から離れてしまう性格が、私にある。
 落花さんはいつでも応じてくれる。魂をもたないマネキン人形のように思えるときがある。しかし彼女の微妙な息遣いや、手足の動かし方で、私のそのしつこい行為を嫌っていないことがわかる(いまうっかり手足の動かし方、と書いてしまったが、足は動かせても手は動かせない。なぜなら、後ろ手高手小手に縛られたままだからである)。
 オフィスの机の前の椅子に腰かけ、まだ服を着たままでいる場合には、乳首へのそういうおしゃぶりは、当然不可能である。
 私は左手で落花さんの顔をあおむかせて唇を吸いながら、右手で彼女の乳房を服の上からまさぐる。
 はじめのうちはまさぐるだけだが、やがて強く揉む。五本の指でわしづかみにして、ぐいぐい揉む。右の乳房も左の乳房も揉む。
 すると彼女は、ううう、という低い声をもらし、椅子に腰かけている姿勢を、たちまちくずしはじめる。体がぐにゃぐにゃにやわらかくなってしまうのだ。
 そして彼女の体はずるずると椅子からずり落ちる。

つづく

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