2008.4.9
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第三十六回

 ハンバーガーショップの中で


 埼京線A駅近くのマクドナルドの二階で、落花さんと語り合った。
 休日のせいか店内は若い男女で溢れている。子供連れの夫婦も数組いる。熟年の男女も結構多い。
 注文を受けるカウンターの前には、それらの人たちが群れて並んでいる。この風景をひとめ見るなり、落花さんは眉をひそめた。
 飲食物を売るこういう場所で並ぶことの嫌いな人である。私は飲食店以外のところでも行列することは嫌いだが、ふと、これも経験だと思い、落花さんに二階の客席で待つように言って、私一人で少年少女の間にはさまって並んだ。
 観察していると、カウンターの向こう側で注文をきく店員、その商品を手早く準備する係と、要領よく分担されていて、つぎからつぎへと手際よく客の注文に応じている。感心した。
 客の混雑に私がたじろいでいるひまもなく、アイスコーヒー二つ、フライドポテト一つ、ハンバーガー二個、チーズバーガー一個をのせたトレイが、目の前にさし出された。
 フライドポテトは二百円だが、あとはすべて一つが百円である。安い。合計七百円を払い、それらをのせたトレイを両手で捧げ持ち、私はそろそろと階段を上がり、落花さんの待つ二階の客席へいった。
 窓際の隅のテーブルで落花さんは待っていた。広い窓から外の人通りを見下ろせる。
 客席はほぼ満員の状態で、母親と一緒の幼児もいてときどき泣いたりしている。そのざわめきのおかげで、落花さんと私の会話は、だれにきかれることもなく、自由にのびのびと進行する。私たちの会話は他人にきかせたくない内容のものがほとんどである。
 したがって休日のときは、たいてい落花さんのオフィスの中で語り合う。夢中でおしゃべりをしているうちに私の欲望は徐々に盛りあがり、やがて縄を出して落花さんを縛るということになる。私の欲望に、落花さんはきわめて素直に、気持ちよく応じてくれる。
 私が欲情をつのらせているとき、落花さんのほうもひそかにその気分になっていて、私の「縄」を待っているような気もする。
 だが、私は落花さんではないので、彼女の内心の動きはよくわからない。
 本当はこのようなファーストフードの店なんかではなく、落花さんが経営しているオフィスのほうがいいのだが、この日はスタッフの中に休日出勤している女の子が一人いて、いつものように使えない。
 そこでオフィスのある駅から二つ離れたA駅まで行き、どこか空いている場所で語り合うことにしたのだ。だが適当なところが見当たらず、結局このような、やたらににぎやかな店の二階になってしまった。
 (A駅はいくつかの線が混じわっていてかなり大きな駅なのだが、周辺にラブホの看板が見当たらなかった。そしてこの日、私も彼女もラブホで数時間を過ごす時間的な余裕がなかった。私たちの遊戯は三時間ではたりないのだ。すくなくとも五時間はかかるのだ)
 アイスコーヒーを飲みながら、百円のハンバーガーを食べた。
 一個しか買わなかったチーズバーガーは、半分に割って二人で食べた。チーズバーガーというのは、ハンバーガーの中に、紙のようにうすく切ったチーズがひときれはさまっているだけのしろものだった。
 「ははあ、ふつうのハンバーガーの中に、うすいチーズをひときれはさむと、チーズバーガーということになるのか」
 私は感心した。
 落花さんは、前回の私の文章をさっそく読んでいる。この文章を読んでくれる人の中で、もっとも熱心な読者は、落花さんである。自分のことが書かれているのだから、当然である。
 「あの、きいてもいいですか?」
 半分に分けたチーズバーガーを食べ終えた落花さんは、顔をまっすぐに私に向けて言った。
 「はい、なんでもきいてください。お答えできることでしたら、なんでもお答えします」
 と、私は言う。私たちの会話は、大体、こんな口調である。
 べたべたした、だらしのない言葉は使わない。なれなれしい口調での会話はしない。
 おたがいに相手を自分にとって大切な存在であることを認識している。尊敬しあっている(と私は思う)。
 「この前の濡木先生の文章の中で、先生が落花さん(彼女は自分のことを落花さんという。私の文章の中の落花さんは小説の中の落花さんであり、自分ではないと思っている。いや、思いこもうとしている。そう思わなければ恥ずかしくて読めないと言う)を縛るとき、七、八秒で縛り終えると書いてありましたけど、あれは、本当ですか?」
 彼女は、真顔で、そんなことを私にきくのだ。
 それをきいたとき、私は思わず、ゲエエッと声をあげた。
 「エッ、エッ、エッ、それじゃ落花さんは、自分が縛られているとき、時間の経過の意識はないの?」
 きかずにはいられない。
 「はい、なんだか、とても長いように思えます。七、八秒とは思えません」
 「エッ、エッ、エッ、ウソじゃないよ。こんなことウソついたってしようがない。本当に七秒か八秒だよ。十秒とかかってないよ」
 「そんな短い間に、縛れるものですか?」
 「縛れるものか縛れないものか、いつも自分が縛られているじゃないですか」
 「はい、そうですけど……でも、どうしてそんなに早く縛らなくてはいけないんですか?」
 「それは……手早く縛らなければ、逃げられてしまうからだよ」
 早く縛ることは言ってみればリアリズムである、この真実感が「緊縛の快楽」につながるのではないかな、と私は、当然彼女もすでに知っていることをしゃべった。
 気合いのこもった一瞬の緊張感がたいせつである。もたもた縛っていたら、せっかくの「快感」が逃げていってしまうではないか。
 ぐずぐず、もたもた縛られているよりも、アッという間に縛られたほうが、縛られるほうも気持ちがいいはずだ。
 ただし、ゆっくり縛っていても、隙のない一定のリズム感が縄にあれば、快楽は逃げていかないけれど……ということもしゃべった。
 しかし落花さんはまだ理解できないような顔をしている。縛り終えるまでに七秒か八秒しか掛かっていないということが、どうしても実感できないらしい。
 ふざけているわけではない、まじめな顔で彼女はそのことを言う。
 「そうか、わかった。やっぱり、こういうことなんだ」
 と私は言った。
 「落花さんは、おれがあなたの手首に縄をかけたとたんに、正常な意識を失ってしまうんだ。時間経過の感覚がなくなってしまうんだ。やっぱりそうなんだ。手首を縛るか縛らないうちに、半分失神してしまうんだ。つまり快楽失神の状態になってしまうんだ」
 これまでにも、そうではないかと感じてはいたが、まさかと思っていた。
 マクドナルドの二階の、ざわめきの中での会話によって、私は改めて確信した。
 「あのね、落花さん、もしかしたらと思っていたんだけど、いまわかったよ。陶酔への入り方が、前よりも早く深くなっているよ」
 私は、私の左側に並んで腰かけている彼女の右の手首をつかみ、軽くねじるような動作をした。彼女の表情の動きが停止し、瞳孔が一瞬うつろになった。ホンの一瞬だったが、あの非日常の世界へ沈みこむ寸前の目の色をみせた。
 彼女用の黒い木綿の縄は私のバッグの中にいつも用意してある。が、まさかハンバーグ店の二階でその縄を使うわけにはいかない。私は彼女の手首を離して言った。
 「たしかに前よりも陶酔度が深く、重くなっている」
 私よりも数段知的レベルも常識も高い毅然とした姿勢をくずさない落花さんを、このような形で支配できることに私は優越感を感じた。下賎な男がふつうではとても手の届かない高貴な女を征服し得たという満足感、いや勝利感か。
 そうか、胸に縄をまわしてキュッと引き締める(これが私の得意ワザなのだ)以前、左右の手首を背中で一つにしてつかんだあの瞬間から落花さんは本当に、快楽失神の深い状態になっていたのか。
 知的レベルの高さに比例して感受性も並みはずれて鋭いのだ。繊細なのだ。私は過去にたくさんのモデル女性を縛ってきている(いまも縛りつづけている)。それが仕事とはいえ、人に言ってもとても信じてもらえないほどの数である。
 だが、これほど深く重い反応をみせる女性ははじめてだった。手首に縄がかかる前から失神状態にのめりこんでしまっては、とてもモデルは勤まらない。
 落花さんの反応は死人のように静かで一言も発しないが、私にとってはこれ以上強烈でたしかな手ごたえはない。
 劣等感の強い私が優越感を抱き、この女性と出会えたことに有頂天になるのは当然であろう。
 椅子に腰かけている落花さんの左右の手首を一本の縄で背中で縛り、その手首を肩近くまでぐいと引き上げる。腕から胸にまわして食いこませた縄を、背後にもどして縛り終える。
 (落花さんのオフィスには椅子が十五、六脚あるが、どれもこれも背もたれが低い。だから椅子にすわらせたままで後ろ手に縛ることができる)
 縛られて朦朧となっている落花さんの唇を私は吸う。強烈に吸う。唇を吸いながら片手を彼女の胸にのばし、乳房を揉む。五本の指で服のうえからつかんでぐりぐり揉む。
 すると彼女は下半身の力がぬけ、ずるずると尻が椅子からずり落ちる。
 あぶない、と言って私は毎回あわてて彼女の体を両手で支える。腰から下の力を失った彼女の体は異様に重い。支えきれない。
 そのまま床の上にくずれ落ち、横たわったまま彼女はもう動かない。快楽感覚の中に沈殿しているかのように動かない。呼吸がとまってしまったのではないかと思うときさえある。
 床には厚めの絨毯が敷きつめてある。だから寝てもあまり痛くない。だが、オフィスの床に敷いてある絨毯である。落花さんをリーダーとする女性デザイナーや、コピーライターたちが、昼間は靴のままで歩きまわっている。ていねいに掃除機がかけられているだろうが、土足の床である。
 だが、半分失神状態の彼女は、まったく気にせずに、後ろ手に縛られたまま、床の上に横たわってしまう。彼女の目はもう何も見ていない。
 日頃は潔癖症とも思われるほどのきれい好きな性格である。それが縄をかけると別人になる。死人のように無防備になってしまう。
 私も彼女の体に添って横たわり、唇を吸いつづける。五本の指で乳房を揉みつづける。七、八人分の仕事机の脚と、椅子との間に寝て、縛られた女体を抱いて一方的に唇をむさぼり、乳房をまさぐっている男の姿は、まず、常識では考えられない奇異な眺めにちがいない。
 私は快楽に浸りながら、ときおり第三者の目になって自分と彼女の姿を意識する。いまのこの姿態を、おもしろいと思っている。素敵だと思っている。類型でないところがいい。世間の常識人間どもに対して、優越感すら抱く。
 だが、落花さんはいまのこの自分の姿を、意識しているかどうか、その余裕があるものかどうか、私にはわからない。彼女の脳の中が私にはわからない。
 あるいは、この場の自分の姿が異常であることを脳の片隅で意識し、その異常さを自覚する心が、彼女の酔いを深める要素になっているかもしれない。
 私は彼女のスカートをまくりあげる。黒いパンストにぴっちりと包まれている下半身。
 足首の細さ、腿の太さと長さ。下腹部のなだらかな肉のつき方。ウェストの細さ。それらのすべてが、私の理想とする形なのだ。うすい、黒いパンストの布地に包まれたそれらは、私の目にこの上なくセクシーである。愛おしいものである。私が最もエロティシズムを感じる肉づきである。
 私は黒いパンストに包まれた下半身を両手で撫でさする。気持ちいい。快楽である。このときになって彼女は膝をまげ、腰をくねらせて、すこしばかりの抵抗をみせる。恥ずかしいのだ(と私は思う)。
 そうだ、このころになると、彼女のはいている靴はもうぬげている。あるいは私が手でぬがしてしまうときもある。
 ぬがした靴は左右にそろえて、あとではくときにわかりやすいように、彼女の机の上に置いておく。これは毎回かならず私の役目である。
 私はパンストの最上部のウェストの部分に指をかけ、尻のほからすこしずつ引き下げる。つるりとむけてショーツが現われる。
 ああいうことは、書かないでください、と落花さんが言う。
 いや、ちがった。書かないでくれ、などと言ったことは一度もない。そういう理不尽なことを彼女は一切言わない。
 また書くんですか、と遠慮がちに、ひかえめに言う。
 彼女の気持ちは私にはすぐわかる。恥ずかしいから、なるべく書かないでほしい、というのだ。彼女の身になってみれば恥ずかしいのは当然だ。
 私は、書かなければいけないと思っている。八十に近い男がこんなことをやっている、という記録だ。人間の生きざまの記録だ。真実の記録でなければいけない。
 書かねばならぬというのは、もの書きの業(ごう)みたいなものだ。
 私にはこれまで、もの書きの業なんてものはなかった。怠惰で、軽薄で、目の前の安全ばかり考えて生きてきた臆病者だ。八十に近くなって、ようやく目ざめたのだ。人生の終焉に近づいて、落花さんという人と知り合えて、やっと目ざめたのだ。
 私は落花さんに答えた。
 「これはね、あなたのことではなく、落花さんという名前の、べつの人のことなんだよ。パンストをおろされ、ショーツをぬがされるのは、あなたではなく、小説の中の落花さんなんだよ。そう思って読んでください」
 ええ、それはわかっているんですけど……と彼女は言う。
 口さきだけではなく、彼女は本当にわかっているのだ。もの書きの業というものを理解している。それが彼女の知性であり理性である。自分のことがリアルに書かれても、怒ることなく理解してくれる知性が、私にはありがたい。涙の出るほどありがたい。私のような人間にとって、彼女は唯一無二の存在である。
 ショーツに包まれた彼女の尻の丸みぐあいも私は好きだ。尻の形は大きくなく小さくなく、ちょうどいいセクシーな肉づきである。パンストを膝の下あたりまで下ろす。
 彼女は両膝をとじ、太腿をよじり合わせて抵抗する。だが私の手の動きを阻止するほどの抵抗ではない。
 私には女性の下着への強いこだわりはないのだが、落花さんのはいているショーツの色や柄やデザインを、いつも好ましいと思っている。興ざめしたことは一度もない。
 どんなに可愛らしいエロティックな女性でも、赤やピンクのヒラヒラした飾りのショーツなんかをはいていたら、私はがっくりして意欲は半減することだろう。
 モデル女性を縛る撮影の現場では、それが仕事だから調子のいいことを言いながら、そういう女の子のセンスを本心から可愛いと思うような趣味の広さは私にはない。
 ショーツに丸くエロティックに包まれている落花さんの尻を、そのショーツの上から私は手で撫でまわす。ここちよい弾力。固くなく、やわらか過ぎでもない、ちょうどいい弾力度。いや、やや固めかもしれない。私はすこし固いほうが好きである。清潔な感じがする。やわらかい尻は、なにやら不潔っぽい。
 ショーツをぬがすときは、両手を使う。ぬがそうとすると彼女はピクンとけいれんして背中を私にむけ、逃げる姿勢になる。だが、尻は私のほうにむいてしまう。高手小手に縛られている手首と指の動きがたまらなく刺激的である。
 私は片手で彼女のウェストのあたりをおさえ、片手でショーツを引き下ろす。
 彼女は、ア、ア、アというせつなげな声をもらし、すこし強い抵抗をする。このときは失神状態から正気をとりもどすのだろうか。
 抵抗はするが、ショーツをぬがすことが不可能なほどではない。
 ア、アア、アア……という泣き声。静かにしなよ、どうせぬがされて裸のお尻をおれに見られてしまうんだから。
 ショーツを剥ぎ取るときに、必要以上に力を使って苦労したという記憶はない。羞恥を耐える泣き声と、わずかな抵抗の感触を楽しみながらショーツをぬがせる。
 このオフィスの中で、私は何度彼女を縛ってショーツをぬがしたことか。
 十度、いや、もう二十度を越しているかもしれない。オフィスの中が完全に無人になって、もうだれもやってこないと確認したときだけしか、私は彼女にこのような行為を仕掛けない。まあ、当然のことである。
 ショーツをぬがせようとして抵抗されて、ぬがすことができなかったことは一度もない。これも当然のことだ。
 本気で抵抗された目に一度でもあったら、私のほうが恥ずかしくて、もうそういう行為を彼女に対して二度としない。できない。
 私はあきらめのいい人間だ。いや、臆病な男だ。あきらめのいいのは、臆病な性格からくる。
 女がいやがることは、ぜったいに出来ない性分である。女のよろこぶ顔を見るのが好きだ。女の不機嫌な表情を見るのはおぞましい。撮影の現場に、縛られることを好まない女性モデルが、金だけが目当てでくることがある。そんなとき、臆病な私は不快な苦しい気持ちになって、仕事が投げやりになる。モデルが気にいらないと濡木は手をぬく、と雇い主たちが噂している。
 ショーツをぬがすといっても、足首からははずさない。片方の足首にひっかけておく。すぐに小さく丸まってしまう布きれだから、遊戯が終わってはくときに、ゆくえ不明になるおそれがある。三メートルも離れた机の脚のかげに隠れていたりする。
 はずみで、足首から完全にぬいてしまったときは、私はそれを彼女の机の上に置く。そういうときは当然パンストもぬがせているので、パンストとショーツをわかりやすいように机の上に並べる。ぬぎっぱなしで絨毯の上に置いたままにしておくと、埃を吸ってしまうような気もする。
 前にも書いたように私には下着フェチがないので、これはただの便宜上の処置である。
 いや、こんなにショーツのことばかり書きつらねていて、下着フェチがないというのはおかしいかもしれない。気をゆるしている女性の下着に対しては、私にもすこしはこのフェチシズムがあるような気がする。
 潔癖症とも思えるほど清潔好きな落花さんが、この下着放置の件に関しては、さほどこまかい神経をみせないのは、私のかけた縄に深く陶酔し、このときはもう失神状態になっているからである(と私は思う)。
 落花さんの下半身裸の形が、またじつに美しいのだ。下腹から股間、太腿にかけての肉づきのなまなましい白さが、ひときわエロティックなのだ。
 私は、きれいだなあ、ほんとに、ほんとにきれいだ、と思わずうめいて彼女の左右の太腿を両手で抱きしめてしまう。太くなく、細くなく、絶妙ともいえる肉のつき方で形がいい。私は下着フェチと言われるよりも、腿フェチと言われたほうがうれしい。
 ああ、私はまた手放しで彼女の体をほめてばかりいる。こんなにほめ言葉を並べる必要はないのだ。以前にもこの文章の中で、こまかく、たくさん、彼女の肉体の部分部分をほめちぎった記憶がある。
 思い出した。
 後ろ手に縛られて椅子からくずれ落ち、絨毯の上に横たわって、パンストもショーツも私の手でぬがされ、太腿を抱きしめられるところまで時間が経過すると、彼女の髪の毛はいつも乱れてしまう。
 彼女は色のついた小さな細いゴム紐を数本使って髪の毛を束ねているのだが、そのゴム紐がはずれて絨毯の上のあちこちに散らばってしまう。彼女の太腿を抱きしめている私の目が、その輪ゴムに気づく。
 私は片手をのばし、その輪ゴムを一つ一つつまみあげ、パンストやショーツを置いてある机の上に並べる。
 輪ゴムは小さいものだから気がついたときにひろっておかないと、紛失すると、あとで髪を束ねるとき困るのだ。いつからか、この輪ゴムをひろって机の上に置いておくのが、私の役目になってしまっている。
 こんな輪ゴム、安いものでしょう、まとめて買って、ここの机の引きだしの中へでも入れておいたらどうですか、と言おうとしたが、やめた。
 このオフィスでの秘密の遊戯は、あくまでも偶発的なハプニングにしておきたい。二人だけになったら、かならず遊戯する、というようなきまりにしたくない。せっぱつまった欲情の盛り上がりこそ、この遊戯の生命ではないか。
 や、私はどうしてこんな輪ゴムのことを思い出し、書き出したのか、
 そうだ。
 落花さんの下半身を裸にしたからといって、世間一般の男のようにがつがつと、女の性器に直進しない、ということを言いたかったのだ。
 私はそういうことを、あわててしない。
 落花さんもそういうことを望まない。
 美しくエロティックに縛られて横たわる落花さんの姿を、ゆっくりと、ていねいに眺め、抱きすくめ、撫でさする。腿や、尻や、背中を撫でさすりながら、ときどき、激しく唇を吸う。乳房を揉む。
 そして、こういう私の、決してがつがつしない行為が、彼女の心身の陶酔を、ますます深めていくのだ(と私は思う)。

つづく

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