2008.6.10
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第三十九回

 縛りがほんとに好きな画家


 私の部屋は、いわゆる「SM」関係と、芝居関係の資料で埋まっている。
 その資料と資料が天井まで山積みになっている隙間で、私は原稿を書いている。
 資料にはいろいろあるが、「SM」関係の場合、空間を埋めているのは、やはり出版物、つまり雑誌類が多い。
 たとえば「奇譚クラブ」に書いていたころ(古い話である)は、同じ号を二冊ずつ送ってもらっていた。
 SM雑誌花ざかりの時代に、各社から何冊も出ていたSM誌の同じ月の号が、大体二冊ずつある。
 それらの雑誌の緊縛写真制作に私はほとんどたずさわっており、ということは、各編集と密着していたので、毎月出来上がったばかりの号を、撮影のときに、編集者から直接渡されることが多い。
 「新しい号が出ました、見てください」
 といったふうに。
 そのほかに私は小説、読物類を書いているので、同じ号が事務的に毎月、自宅のほうに送られてくる。
 同じ号が二冊も三冊も溜まる。
 増刊号とか、特別号とか、写真集も出る。
 そのたびに、
 「できました。力が入ってますよ、見てください」
 といって編集者から手渡される。こんなぐあいに出版物が溜まっていく。
 「裏窓」とか「サスペンスマガジン」とか「あぶめんと」とか、あるいは「緊美研通信」とか私自身が編集の責任者だった時代もあるので、そのときの資料もある。
 たとえば作家、画家たちの原稿、私信のようなものなど。この仕事を長くやっているので、膨大な量になっている。
 いまの仕事部屋に移転してくるときに、ずいぶん整理したが、どうしても手もとに残しておきたい貴重なものもある。たとえば、美濃村晃の原画とか。
 私自身のこれまでの仕事をこまかくメモした記録もある。
 たとえば、昭和何年何月何日、どこそこの出版社で、緊縛写真の撮影をした、モデル、カメラマンの名前、場所などを記録したメモ。
 私が死ねばそれらの資料は、すべて廃棄処分されてしまうにちがいない。
 しかし、私が死んでも、残しておきたいものもある。
 (そういえば何年か前、私は某所へ行って、こういう資料がたくさんあるのだけれど、引き取ってもらえないだろうか、と辞を低くして頼んだことがある。むろん、無料で寄付したい、と言ったのである。が、こんなものはいらない、とニベもなく断られた。その人はこの種のものを保存する理解者の立場にいた人物なのである。私は意外な思いをし、くやしかったので、いまだに忘れることができない)
 いま、「ニベもない」と、ついうっかり書いてしまったが、この「ニベ」とは何か。ついでだから調べてみた。旺文社の国語辞典。「ニベ」とは、(魚免)、なんと魚の名前なのである。知らなかったなあ。浅学、恥ずかしい。
 ニベ科の海産魚。体長九〇センチメートル。灰青色で、腹は淡灰色。うきぶくろが大きく、これからにかわを作る。肉はかまぼこの原料。鳴く魚として知られる。
 また、ニベは鰾膠とも書き、うきぶくろから作るにかわのこと。粘り気が強く、食用・薬用・工業用と用途がきわめて広い。
 で、ニベもない、というのは、粘り気がないことから、愛想もない、人情味がないという意味になる。つまり私は、なんの愛想もなく、ピシャリと断られてしまったのである。
 そのとき、さまざまな資料を、私は泣きながらすてた。
 要するに、部屋がせまかったのだ。トランクルームを借りる金もなかった。
 だが、まだ資料が残っている。新しく溜まったものもある。
 いま私は、それらのものを飯田橋の風俗資料館へ、すこしずつ運んでいる。
 中原るつ館長は「いいですよ」と言って受け入れてくれる。私は疑りぶかくなっている。本当にいいかどうかわからない。
 どんなに広い空間だって、限界というものがある。館長も案外困っているかもしれない。
 「いらないものがあったら、遠慮なくすててください」
 と、私は毎回言って置いてくる。迷惑がかかることを怖れる。私の身辺に置いていても、私が死ねばすてられる。ふつうの人たちには、まったく値打ちのないものばかりだ。私は先が長くない。
 出版物は重くてかさばる。
 だが私はがんばって、背負って、運んでいる。
 すこしずつ私の部屋も片付いてくる。
 ダンボールの箱が、五個も六個も積みかさなっていて、その一番下の箱の底から、ゆくえ不明だった貴重な資料がひょいと顔を出したときなんか、
 「わッ、こんなところに隠れていたのか!」
 私は思わず叫び、箱の中に顔を突っこんだまま、読みふけったりする。
 さァて、じつは、ここまでが、今回の前フリなのです。
 このあとのことを書きたいために、カマボコの原料になる魚のことなんか調べてしまったのです。

 昭和四十七年(一九七三年)十一月に、東京・神田駿河台の芸文社から発行された「劇画セレクト」を、ダンボール箱の底のほうから見つけ出したときも、
 「やッ、あった!」
 と私、思わず声をあげました。
 定価百三十円の週刊誌大、二百ページの月刊誌である。表紙に手書きのレタリングで、「青柳裕介傑作号」とうたっている。そしてその横に、
 「第一部・サディストへの招待」
 「第二部・30男の子守唄」
 とある。
 表紙の画も青柳裕介が描いていて、説明文がある。短いがしゃれたもので、

 「茶びん くわえる
       おさげの子
  乳首にとまる 赤とんぼ」

 まさしく詩である。表紙をめくると、いきなりヌードのカラー写真が二ページついている。二ページというのは、一枚の紙の裏と表である。それしかない。
 ヌードモデル嬢のメイクをみると、いかにもいまから四十年前のモデルだということがわかる。まぶたの上に、黒い線がくっきりと、はっきり描かれているのだ。
 全裸だが陰毛はもちろん、乳首も見せていない。いまの官能出版物のような、これ見よがしのエロティシズムはないが、女体としての存在感は妙にある。いまとくらべると印刷技術も紙質も粗雑な気がする。だから味があっていいのかもしれない。
 私はこのグラビアモデルを縛っている。SMセレクト、つまり東京三世社系の雑誌だったような気がする。モデルの名前は忘れたが顔に見おぼえがある。
 風俗資料館におさめた私の「仕事メモ」で調べれば、この女の子の名前もわかるかもしれない。
 だが、当時ハタチとして、いま六十歳か。ぐえッ。年月の流れというものは残酷である。だからカミソリで手首を切ったり、車の中で煉炭を燃やしたり、浴室で何やら臭いガスをこしらえて死にいそぎすることはない。
 死はだれでも、アッという間に目の前にやってくる。私を見よ。私なんか、ついこのあいだまで、「美少年」と呼ばれていたのだ。
 おや?何を書いているのだ。
 そうだ。青柳裕介のマンガに描かれた、縛られている女が好きだということを書こうとしていたのだ。
 SMマンガと称されるものはこれまでに多く描かれていて、単行本のシリーズになったりして私も数冊買って持っている。
 内容はSM専門誌がそうであるように、最近は女性器を拡大してこまかく描写している画が目立っていて、類型的になっている。
 類型的というのは、作家が魂を失い、私たちを刺激してくれなくなったということだ。
 たくさん生産されているSMマンガの中に、この青柳裕介の流れを汲むものは、私の知るかぎり一つもない(あったら教えていただきたい)。まず人間描写がすぐれている。
 この「劇画セレクト」という雑誌には、青柳裕介のストーリーのある短編マンガが、六編掲載されている。心理描写が深い。
 縛られた女が具体的に登場するのはその中の三編ほどだが、全編にホンモノのSMムードが漂っていて、この深く屈折した退廃趣味は、読む者の心にしみる。
 ストーリーの中で縛られる女の体には、なにやらねっとりした体臭と魂がこもっていて、妙に私のSM心にせまるのだ。
 この画の、どこがいいのか、どこが、どのようにいいのか、なぜいいのか。
 それをこれから文字で説明しようと思うのだが、私はもう、私の表現能力の貧しさにおののいている。
 どうしたらこの画の魅力を「おしゃべり芝居」の読者に伝えることができるか。
 この五十年間文筆業をやっているくせに、私はボキャブラリイに乏しく、的確に説明するのがへただ。それは自覚している。
 だが、へたはへたなりに一生けんめい書こうと思う。
 ひたむきに心をこめて書けば、私の気持ちが、すこしは伝えることができるだろう。

 青柳裕介の描く緊縛女体は、どちらかというと線はやや荒い。椋陽児のような繊細さとか緻密さはない。ときに大胆である。
 だが、その線の一本一本に、血の匂い、肉の匂いが感じられる。
 この「匂い」は、あるいは「臭い」と書いたほうが適切かもしれない。
 女体を描く画家の、切実な思いがこめられているように感じる。
 女体を縛る縄に、画家の祈りと、欲望がこめられているような気がする。
 (祈りも欲望も情念もなく、ただ縄をぐるぐる巻きつけた形だけの緊縛女体画が昨今いかに多いことか)
 青柳裕介の描く縛られた女には、画家の孤独な魂と、寂寥感がにじみ出ているような気がする。
 描かれている女の体型は、当然四十年前のものであろう。それらしい生活感がある。
 (生活感があるから、血の臭い、肉の臭いが女に感じられるのだろう)
 女体への縄のかけ方が、私の目から見て正確である。リアルである。
 正確であり、リアルであるということは、即ちマニアの縛り方であるということである。売られている緊縛写真を見て描いたものではない。
 (ちなみに、椋陽児の緊縛画の九十パーセントは、私が縛った写真を見て、それをそっくり描いたものである。このことについては、改めて書こうと思っている。といってもべつに私は咎めているわけではない。彼は私の縄しか認めていなかったというだけのことである)
 青柳裕介の縛り方は、やたらにきびしくなく、縄にややたるみをみせているところなんかも、妙にリアリティがあって私は好きである。
 この画家は、ほんとに「縄」が好きなんだな、ということが、画を見ればすぐにわかる。まぎれもない緊縛願望が、この画家にはある。小さな、かんたんな一枚の画にも、その欲望がにじみ出ている。だから彼は芸術家なのである。
 自分の欲望がにじみ出さない作品を描く画家なんて、とても芸術家とはいえない。
 青柳裕介がエロティシズムを感じるのは、やはり女の側の羞恥心にあるということが、随所に表現されている。
 彼自身の手で「緊縛美」と書き込まれたコマもある。緊縛美とは当時私が使い出した言葉だ。羞恥心をもたない女からは、緊縛美は生まれない。
 したがってこの画家は、これ見よがしの全裸大股びらきポーズが嫌いである。
 私がとくにおもしろいと感ずるのは、この画家が大股びらきで縛られた女の画のときには、わざと汚らしく粗雑に描くことである。
 大股びらきを汚らしいもの、欲望の対象にはなり得ない緊縛ポーズとして描いている。これこそ緊縛マニアである証拠である。私にはこのところが非常におもしろく、興味ぶかい。
 縛られている女の姿以外にも、この画家の描く一本一本の線には、この画家のひたむきなSM精神が宿っているように私には感じられる。
 東京新聞の「大波小波」欄に、「怪物くん」というペンネームの批評家が、こういう文章を書いておられる。主要なところだけを紹介させていただく。タイトルは「漫画が喪失したもの」である。

「――ちばてつやが五年近い沈黙を破って『ビッグコミック』六月十日号に五十八ページの読みきり短編を発表した。(中略)この短編のおかげで久しぶりに『ビッグ』を端から端まで読んでみた。その結果判ったのは、ちばよりも年齢的にはるかに若い漫画家たちが、いかにも抑圧的な場所で作品を描いているという事実である。原作の足枷と読者への配慮からやたらと科白が多く、漫画の外側の知識の切り売りが目立つ。写真をトレスしただけの風景は、精密で正確ではあるが、乾燥しきって情緒がない。漫画家がその風景を生きたという体験の厚みが感じられないのだ。
 一方、ちばの漫画では東京の下町のどのコマも、それを眺める登場人物の眼差しが生々しく感じられ、いかにも人間によって生きられた場所だという感じが強く漂っている。日本の漫画はこの半世紀大きく発展したが、喪失したものが何であったかをそろそろ検証すべき時が来ているのではないか。」
 以上である。二〇〇八年六月五日・夕刊より書き写させていただいた。
 「怪物くん」というペンネームの方を私は存じ上げないが、さすがはプロの評論家・卓見である。
 これはそのまま、現在「SM」を営利事業としている人たちに、絶妙にあてはまる。
 我が意を得たり、である。
 二ページの大きさにまたがって描かれている青柳裕介の、人のいない、さびしい町はずれの風景は、まさしく画家自身が生きて呼吸している孤独な、心象風景そのものであろう。
 いま私の手もとにある四十年前の「劇画セレクト」は、もしかしたら風俗資料館に、すでにあるかもしれない。
 私が意外に思うほどめずらしい、貴重な資料、書籍、雑誌、写真類が、きちんと愛情をもって整理され、管理されて、風俗資料館には揃えられているのだ。
 そうだ、この「劇画セレクト」の編集後記に「舌代」として、こんな言葉が掲載されている。この「おしゃべり芝居」の中に、それも書き写させていただこう。
「(前略)……奔流のような青年向け劇画の氾濫の中から、遺すべきものを採り上げ、興すべきものを創るという使命感のもとに、今後とも微力を尽くしたいと思います。よろしく御支援ください」
 以上である。「青年向け」というのは「成年向け」の誤植ではないかと私は思うのだが、どうだろう。
 その後「青柳裕介作品集」のようなものが単行本として発行され、それも風俗資料館の中に、すでに揃えられているかもしれない。
 だが、とにかく私はこの一冊を、こんど資料館へ持っていこうと思っている。

つづく

(*)――濡木痴夢男の手書き原稿で当箇所に使用されております魚ヘンに免という文字は、OS依存文字となっております。よってサイトへの掲載にあたり(魚免)と表記いたしました。ご了承ください。


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