2008.5.19
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第三十八回

 Eさんと永井なつへ


 この「おしゃべり芝居」、前回の「鳴かぬホタルが……」を書いてから、早くも一カ月以上たってしまった。
 この間(かん)、Rマネージャーからのさいそくしきり……。
 そもそも、私に「おしゃべり芝居」の執筆をすすめ、私の手書き原稿をすべてワープロに打ちこみ、パソコンの、なんとかいうページに発表するための、何やら面倒そうな、むずかしそうな手続きの一切をやってくれているのが、Rマネージャーなのである。
 (なんどもくり返して書くようだが、私はこの種の電子機器に関しては全く無知なので、百パーセント彼女にまかせっきりである。私はケータイ電話すら持っていない)
 私がすこしでも執筆をなまけていると、そのRマネからの督促がきびしい。
 (おかげで前回までに、なんと原稿紙六百枚書いてしまった)
 書くことよりも書かないでボーッとしていたほうがどうしてもラクなので、もともと一生けんめいやることの嫌いな私は、なまけがちである。

 いやいや、べつに私は、なまけていたわけではない。
 この一カ月間、ほかにやることがいっぱいあって、どうしても「おしゃべり芝居」を書くひまがなかった。
 某テレビ局からの、しつこい、面倒な、不愉快な依頼、私の出演した映画製作会社関係からの「SM」に関しての無知と無理解による不愉快な依頼、それから、いわゆる「SMビデオ」の撮影(これはいつものように縛り係として雇われ、お金がたくさんもらえるのである程度は我慢できるのだが、今回はその無知さ加減がひどかった。私にとっては、とくに後味の悪い、帰りの終電近い電車の中で、一人泣きたくなるような撮影でした)。
 さらに、スタッフのみんなが、何か、かんちがいしている「SM写真」の撮影など、たくさんありました。
 このときも、帰りの私の足どりは重いものでした。私はアルコール類をたしなまないので、こういう憂さを酒で晴らすことができないのです。
 ですからこの「おしゃべり芝居」、けっして書きたくなかったわけではなく、書けなかったのです。
 そんなに不本意な撮影だったら、頼まれても行かなければいいじゃないかと思われるでしょう。
 でも、私は貧乏人なのでお金も欲しいし、それに、こういういまの「SM状況」を記録しておきたいという気持ちも結構強いのです。不本意であろうがなかろうが、書いておかねばならないという欲望があり、これは私たちのようなもの書きにとっての、業(ごう)のようなものです。
 以上、弁解です。
 (いや、やっぱり弁解はいけないかなあ。弁解は卑怯者のすることです)
 むかし「奇譚クラブ」に、真木不二夫のペンネームで「黄色オラミ誕生」という連載小説を書いていた。
 忙しくなって書きつづけることができなくなり、誌上にその弁解をして連載を中止しました。そのとき、これも誌上で、沼正三氏から、
 「忙しいのは、だれでも同じですよ、真木さん、書いてください」
 と言われ、この言葉は、まだ二十歳台だって私の胸に、グサリと突き刺さりました。
 Rマネは、忙しいのはだれでも同じ、とは言わないが、やんわりと遠まわしに、
 「読者のみなさんが待ってますよ」
 と、やさしい笑顔で、さいそくする。
 (ま、それでも私は、グサリと感じてしまうのだから、結局は同じか)
 私に書く気をおこさせる術(すべ)を、Rマネは心得ている。
 「N市の方から、こういうメッセージが届きました。読んでください」
 と言って、わざわざワープロに打ちなおし、プリントして、さらにFAXで私の仕事部屋に送ってきた。
 こういう手間ひまのかかるこまかい作業を、Rマネは骨身を惜しまず、誠実に、正確にやってくれる。私は彼女に頭が上がらない。

 N市の方からのおたよりを拝読した。返事を書く気になった。書かねばいけないと思った。
 「おしゃべり芝居」を書く意欲も湧いた。それが今回の、この文章である。
 そのN市のEさんからのお手紙を、まず、ここに書き写させていただく。前後のあいさつ文は省略させていただき、ご趣意のところだけを紹介させていただきます。

【はじめまして】

 (前略)
 私が緊縛美に出会って40年。
 濡木氏を心の師と仰いで数十年。と言ってもまだ50前の男です。
 こよなくSM、いや緊縛を愛する一人です。
 濡木氏の縛りの一つ一つ、縛りをほどこす過程が好きで好きで今に至っています。
 氏のかかわるビデオは、不二企画のものも含めほとんど見ているでしょう。写真も同じく。
 2002年から現在までN市でN緊縛研究会(N緊研)なる会を主宰し、毎月緊縛撮影会を行っています。
 素人女性モデルの応募で今まで欠かさず開催しています。
 私はプロが嫌いです。プロの作った仕草、表情、演技が、こと緊縛に関しては大嫌いなのです。
 素人のぎこちない表情、仕草にこそ、緊縛の面白さが、真実の姿が出てくると思っています。
 我流の縛り、お粗末な緊縛で恥ずかしい限りですが。
 一度氏にお会いできればと、それが私の願いの一つです。
 どんな女優より、どんな有名人よりお会いしたいと思っています。
 『濡木痴夢男のおしゃべり芝居』で氏のお元気な様子を伺い、こちらも励みになります。
 お体に気をつけて、これからも元気を分けていただきたいと思います。

 N緊縛研究会 E

 N市のEさんからのおたよりは以上です。
 「おしゃべり芝居」のご愛読、ありがとうございます。緊美研ビデオをごらんいただき、あつく御礼申しあげます。
 Eさんは、プロの女性は嫌いで、プロの女性の作った表情、演技などは大嫌いとのこと。そのご趣旨、私もまったく同感です。
 これまでにあちこちの雑誌や書き下ろしの単行本不二企画のホームページのブログなどに、そのことを私はしつこく、なんどもくり返して書いてきました。
 ですが、ひとこと、プロのモデル、女優たちのために弁護しておきます。
 彼女たちに、ああいう、ウソっぽい、そらぞらしい、私たち愛好家が嫌悪する表情や演技をさせているのは、撮影の現場において、彼女らの周囲にいるスタッフの男たち、つまり演出家、カメラマン、雑誌の編集者なのです。
 緊縛されている女の、悩ましい魅惑的な自然の表情、肉体の微妙な反応、わかりやすく言えば真実の被虐の美しさを消しているのは、まわりであれこれ指図するそれらの男たちなのです。

 一例をいいます。
 撮影中、モデルの髪の毛が妖しく乱れ、顔の上に、ハラリとかかって、私が、
 (ああ、いいなあ、いい雰囲気だなあ。いま撮れば情感たっぷりのすばらしい緊縛写真になるなあ)
 と、うっとりしていると、カメラマンとか演出家はすぐにヘアメイクを呼びつけ、
 「メイクさん、モデルの髪の毛が乱れているからきれいに上げて。メイクがすこし汚なくなってきたから、もっと可愛くつくりなおして」
 と命令します。
 メイク係も私同様、雇われている身ですから、カメラマンや演出家のいうとおりにします。
 いいところで撮影が中断されたせいもあって、モデルの全身からにじみ出ていたせっかくの情感が、たちまち失われてしまいます。
 ポーズにしてもそうです。そばで見ている私がゾクゾクするような自然に全身をくねらせた情緒たっぷりのいいポーズになると、カメラマンが、
 「もっと右をむけ、左をむけ、顔をよく見せろ、顎を上げろ、顎を下げろ、もっと額にしわを寄せろ、右の肩を上げろ、左の肩を下げろ、もっと足をひろげてケツをよじれ」
 などと命令して、ようやく盛りあがった被虐ムードをぶちこわしてしまいます。
 カメラマンがあれこれ命令するたびに、情感のこもった生き生きしたポーズが、人形のように魂のないものになっていきます。
 後ろ手に縛ったモデルの十本の指の握り方までこまかく指示するカメラマンもいます。
 そして、彼らのねらうところは、結局は、女性の股の間です。
 可愛らしくメイクアップされた女の子が、股の間をひろげている通俗シーンを、彼らは撮りたいのです。
 SMマニアという人間どもは、みんな女の性器を見たいのだと、彼らは信じこんでいます。
 私がいくら説明し、説得し、マニアの真情を訴えても、彼らは納得しません。私のいうことを信じません。
 どうしてかというと、彼らには元来マニア心が存在してないからです。
 モデルのほうは、カメラマンや演出家のいうことを聞かないとギャラつまりお金がもらえないので、素直に、じつに素直に、涙ぐましいほど素直に足をひろげ、性器をむきだしにします。
 中には、わざと股の間を見せびらかして、まわりの男たちの視線を浴びることに快感を感じているようなモデルもいるような気がしますけど、まあ、大多数は仕事だからとあきらめて、なんの抵抗もなく足をひろげます。カメラの前で性器をひろげて見せないと、撮影は終わらないのです。
 あまりにも素直に、無邪気に、無抵抗に、スイスイ足をひろげて恥ずかしいところを見せてくれるので、私はいつも、
 (こういう女の子には、なにも手間をかけて縛る必要はないんじゃないかなあ)
 と思います。つまり、縛る必要がないし、縛ってもおもしろくないということです。
 このことに関しては、これまでいろんなところに書いてきたし、最後は私の愚痴になるので、このへんでやめておきます。

 Eさんのおたよりは、それほど長いものではないのですが、お気持ちはよくわかります。明確に私の心に伝わりました。Eさんは、まぎれもなく私の同志です。
 こんど、あなたの主催される会に、私を呼んでください。
 濡木流の縛り方を、みなさんの前でお見せしましょう。
 お礼など不要です。本当です。きしめんを一杯ごちそうしてくだされば、それで結構です。私は軽い気持ちで、縄だけを持って出かけます。

 つぎにEさんのメッセージの数日後にきた、永井なつという女性の方からのメッセージを紹介します。

【ありがとうございました】

 おしゃべり芝居の十一、十二、十三回を拝見いたしました。
 読んでいて嬉しくて涙が出てきて、どうしようもなくなって、でもお便りの出し方がよく分からなかったので、ここに書き込ませていただきます。
 本当はこのような内容は、書きこまない方が良いのかもしれないけれど……
 濡木さんが読んでくださると嬉しいです。
 書いてあったのは、思い違いでなければおそらく私のことでしょう。
 濡木さんに縛っていただけて、嬉しかった。
 真剣な気持ちで私に向き合ってくださって、その優しさが伝わってきて、だからあの時安心して身を任せられました。
 最後に撮影したシーン、初めての体験は私にとってショックなことで……
 皆さんは喜んで褒めてくださったのに、あまりの恥ずかしさに泣いてしまい、放心状態で濡木さんへのご挨拶もできず、それだけが心残りでした。
 何とか濡木さんにお会いして、一言だけお礼を言えないものかと思い続けておりました。
 一緒に過ごせた時間は最高のものでした。
 心から気持ち良くて、嬉しくて、そして大切な経験でした。
 私がこれからどこの世界で生きて行こうと、忘れることのない大切な思い出です。
 戴いた麻縄、私にはもったいないのではないかと思いましたが、大切にしています。
 ありがとうございました。

 なつ

 以上である。
 永井なつというモデル名は、私がこの「おしゃべり芝居」のためだけにつけた名前であり、彼女にはべつのモデル名があった。公表されているそのモデル名を、私はもう忘れている。
 こういう特殊な内容の仕事なので、どこでどういう迷惑が相手にかかるかもしれない。
 それを用心して私はいつもこういうときは仮名にしておく。
 公表されているモデル名がそもそも仮名なので、その仮名のまた仮名である。
 私は人に迷惑をかけることを極端に怖れるので、用心の上にも用心をかさねる。
 永井なつが主演した映像は、シネマジックでは私が最も信頼している川村監督の作品で、私も出演しているので、あのときのことは記憶している。美少女であった。
 なつの手紙にあるように、この「おしゃべり芝居」の中に、三回にわたってあの撮影のときのことが書いてある
 あれからもう半年以上もたっているのに、こういう手紙をくれる永井なつという人間に、親愛感が湧く。
 この手紙の中で、とくに私の心にひっかかったのは、
 「これからどこの世界で生きて行こうと、忘れることのない大切な思い出です」
 というところである。
 いわゆるAV女優の経験のある女性が、その後あまり幸福とはいえない人生をあゆんでいる実態を、私はすくなからず見ている。
 永井なつのように素直で、純粋で、感受性の豊かな、心のやさしい女の子には、どうかしあわせな、安定した生活を送ってもらいたい、と願わずにはいられない。
 とはいえ、しあわせとか不幸とか、安定とか不安定とかいうものさしは、どうやって測ればよいのか、すでに長く生きている私にもよくわからないのだが。
 もし私に会って何かききたいことがあれば、シネマジックに電話して、私の仕事部屋(私の本業は文筆業です)の電話番号をききなさい。
 あなたの名前を告げて、濡木から許可を得ているといえば、シネマジックのだれかが、私の電話番号を教えてくれるはずです。

 じつをいうと、永井なつと私が出演しているシネマジックの映像を、私は見ていない。
 映像作家としての川村監督の力量は、もちろん信頼している。
 だが、どんなに質のいい、すぐれた映像を撮ろうが「営業部」の方針で、その作品が、べつの色合いをもって編集されてしまう可能性が、とくにこの数年多くなっている。
 川村監督と私が、純粋緊縛マニア、SMマニアのために、どんなにいい映像を撮ろうが、「営業方針」とやらで、その部分は無残にカットされて、モデルの性器や肛門露出だけをメインにした作品になってしまうことがある。
 性器や肛門露出を忌避しているわけではない。ただ、なんのドラマもなく必然性もなく、見世物のように展示されることに耐えられないのだ。
 私の「縄」はなんも意味もなくなってしまう。そのときに受けるショックの不愉快さは筆舌につくし難い。
 その不愉快な気分を味わいたくないために、私は自分が関係している映像は見ない。写真の場合も同じくである。
 (ただし緊美研のビデオだけはべつである)

 私には、SM雑誌が、SM雑誌らしかった時代、私が参加した撮影をすべて記録した「仕事メモ」というノートがある。
 文字どおり、メモにすぎないのだが、何年何月何日、撮影場所、モデル名、そのときのモデルの印象などを記録してある。
 過去に多く発行されていたSM雑誌が、多くのマニアたちの熱い支持を得て、最もSM雑誌らしく生き生きと輝いていた時代の一つの資料として、私の書いたその「仕事メモ」は、すべていま風俗資料館に預けてある。
 中原るつ館長が中心となって、過去の私のその撮影資料は、いま着々と整理されている。
 だが、利益を追うだけのSM映像がさかんになり、私が多くのいわゆる「SMビデオ」に参加するようになってからの記録は、残していない。
 私がモデルや女優を縛っても、その縛ったモデルや女優の肉体を男優が抱いてファックするシーンがメインになっているような映像の記録は、残していない。記録する気になれない。
 そういう映像は、私にとってなんの愛着もない作品だからである。

 Rマネよ。
 きのうの夜も、私の心の中にあるSMとは、あまりにもかけ離れた内容の撮影にうちのめされ、終わってから逃げるようにスタジオの外へ出たとき、私は泣いていたのだよ。
 モデルは若くて体のきれいな、性格のいい女の子だった。ちょうど永井なつのような清潔感をもった素直な女の子だった。
 縛ったままの女の子を全身糞便まみれにしながら、監督は、
 「愛だ、愛だ、これがSMの愛だ!」
 などと意味もなくわめきちらし、
 「いい絵がとれた」
 とよろこんでいました。この男は、どういう充実感があって、このように満面歓喜の笑みを浮かべているのか、私にはまったく理解できませんでした。
 「SM」という言葉も「愛」という言葉も、なんとむなしく、そらぞらしく、私の心にひびいたことか。
 おれが女に苦痛を与え、虐待するのは「SM」の愛だ、などとまことしやかに、軽薄に言いつのる男どもを、私はぜったいに信用しない。
 私は監督に命令されて何度も何度も誠心誠意、やさしく美しく彼女を縛りました。
 ですが私の縄は、まったく無意味な、ただ女体を痛めつけるためだけのムチやロウソクや浣腸やアナルファックやスカトロシーンの大群に踏みにじられ、押しつぶされて消滅してしまうことでしょう。
 こういう現実的な虐待映像でないと、いまは売れないのでしょうか。私にはとうてい売れるとは思えません。私たちのSMはますます情感や情緒を失い、痩せ細り、みじめになっていくばかりです。
 私はこの種の撮影は、私の「仕事メモ」の中に記録したくない。記録したくないという理由を、いまここにこうして書いたわけです。恥ずかしいことに、私はこういう撮影のあとは、心も体も暗く重く疲れて、翌一日はほとんど寝たきりの状態になってしまいます。私は弱い人間です。

 たいせつなことを書くのを忘れていた。
 濡木痴夢男著「緊縛★命あるかぎり」という文庫本が新しく発売され、いま書店に並んでいます。六五〇円。
 河出書房新社刊の私の六冊目の本です。
 この本の解説文を、風俗資料館の中原るつ館長が書いてくださっています。
 一般にはあまり知られてない濡木痴夢男のもう一つの顔が、こまかく書かれています。
 この解説文は、私の人生に最高のよろこびを与えてくれました。中原館長に改めてあつく御礼を申し上げます。
 「SM」を、すてる神もあれば、ひろう神もいるのだ。Eさんも、永井なつさんも、私にとっては、ひろう神なのです。

つづく

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