この「おしゃべり芝居」の執筆および発表の面倒をいろいろこまかくみてくれるRマネと、青柳裕介のマンガについていろいろしゃべり合った。
その中の一つ。
前回に紹介した芸文社発行の「劇画セレクト」という月刊マンガ誌の編集後記に、
「――奔流のような青年向け劇画の氾濫の中から、遺すべきものを採り上げ、興すべきものを創るという使命感」
という箇所があるけど、「青年向け」というのは「成年向け」ではないのか、と私は書いた。
するとRマネが、
「青年向けというジャンルも言葉も、むかしはあったし、現在もある。その中でも、いわゆる成人向けといわれるマンガが、いまは『成年向け』と表示されているのではないか」
と言う。言われてみればそのとおりなので、訂正しておきます。
Rマネはなんでもよく知ってるなあ。
うっかりしたことを書くと、すぐにピシャリ、とやられる。こわいなあ!
前回では、その「劇画セレクト」で特集されている青柳裕介の描く縛られた女の画について書いたが、じつは、本当は画と一緒にストーリーも紹介したかったのだ。
ストーリーというのは、即ちテーマのことである。
だが、マンガのストーリーを文章で紹介するという作業は、私のような非才の者にとってはむずかしい。自信がない。
自信はないが、なんとか一生けんめい書けば、すこしは伝わるのではないかと思い(おや、このあたりの文章、前回にも書いたような気がする)、Rマネにすすめられて、やってみることにする。
昭和四十七年(一九七二年)十一月に出たこの「劇画セレクト」青柳裕介傑作号の、表紙裏に掲載されている目次には、
「青柳裕介心理ポルノ特集」として、
「第一部サディストへの招待」に、夢幻、私のハレム、生きてまっか。
「第二部30男の子守唄」に、亭主の日、虚無、保護色。
という六編のストーリー短編マンガのタイトルが並んでいる。
マンガを文章で説明しなくても、そのマンガをそっくり転載してしまえばいいのだが、著作権その他のモンダイが生じてくるので、そうかんたんにはいかない。
緊縛された女体が登場するマンガを避けて、ラストの「保護色」という作品をご案内する。二十二ページ完結の短編である。
一ページ目は、水槽ともおぼしき灰色の中に、枯れかけた花と黒い金魚が二匹描かれている。灰色の上に「保護色」というタイトル。
それをめくると二ページ見開きの大きな風景画で、都会を離れたどこかの町はずれの空間に横たわっているさびれた数本のレール。朽ちかけたみすぼらしい姿の一台の機関車。黒い影のような電柱が何本か立っている。シグナルも立っている。
貧しげな木造の小屋。そのむこうに枯れた木。レールの下の砂利が克明に描かれていて、それが妙にわびしい。人の姿はどこにも見えない。廃墟とも見える静寂な風景。
空間に説明の文字が浮かんでいる。
男も30過ぎると
アア〜〜〜
自分の能力は
このくらいのものだ
なんて考える
大きな声で笑える
年でもなく
愛だ恋だと駆け引き
なしにおぼれられる
年でもなし
この頃
30とは
なんてカサカサした
年代だろうと
歯を磨きながら
考えたりもする……!
この数行の文字が、この作品全体のムードであり、そしてテーマなのであろう。
黒っぽい廃墟の画を見ながらこの文字を読むと、それだけで心がシーンとしてくる。
それにしても、まだ三十を越したばかりだというのに、この主人公のうらさびれた心境はどうだ。そして、青柳裕介の「SM」は、全編を通して、このようにうらさびしい。
つぎのページから物語に入る。
都会のビルの全景。夕方。
その中の会社の一室で、「課長」と呼ばれる男が窓から外を眺めながら、
「いい夕やけだ……」
と、つぶやく。
「こんな雲をみていると、どこかに旅がしたくなる……」
そのそばで部下のOL萩野景子が、カチャカチャ、カシャカシャと、タイプライター(この時代はまだパソコンはなかった)を操作している。
「萩野君、悪かったな、遅くまでつき合わせちゃって……」
「そんなこと……」
「どう?よかったら寿司でも食べていかないか」
「わあ!ほんとう?課長さん」
「はは……寿司ぐらいでそんなに喜ばれたら、こっちが照れるよ」
「だって」
町の夜景。寿司屋の提灯。
「適当に注文していいよ。といっても、あまり高いものばかりだと干上がっちゃうけど……」
「私、今年入社したばかりで、よくわからないのですけど……課長さんのお仕事してる姿見ていると、本当に大変なんだなあ……と思っちゃう」
「……はは、どうって事はないよ。僕なんかたぶん、万年『課長』で終ってしまうだろうしね……」
(ここで私、つまり濡木、内心でつぶやく。ややッ、これはめんどくさい仕事を始めてしまったぞ。こんな調子でマンガの説明をするとなると、これはつらい作業になるぞ。ウーン……。もっと省略しないと駄目かな、これでは。だけど省略すると、この作品の情感が伝わらない。ウーン、どうしましょうかね、Rマネージャー。ここまで読んでみて退屈しませんかね。
大体、マンガとか劇画の場合は、シナリオを書いてから画を書くのが順序でしょう。それを私は、完成された画を見ながら、逆にシナリオを書かねばならないのですから、話が逆なのですよ。
きょうは朝五時に起きて机にむかい、こうして「おしゃべり芝居」を書いているのですが、これから私は某出版社の撮影に行かねばならないのです。もちろん縛り係として。某ビル八階のスタジオへ。午前十一時までに入ります。
ですから私のこの原稿は、一時執筆中断します。
このマンガはこれからあと、課長はこの若いOLを一泊旅行に連れ出します。
そして、その夜……ウン、やっぱりこれは書くべきでしょうねえ。課長のこの夜の内心の動きが、私にはとてもおもしろかったのです。
とにかくRマネージャー、きょう撮影の途中で、一度電話します。ここまでの原稿を、FAXで送っておきます)
* * *
午後七時、撮影は終わった。その内容について、一言書いておこうと思う。
モデルは、自分から直接応募してきた、いわゆるシロウトということであった。いま某大学で空間デザイン学というのを勉強している学生だそうである。
シロウトということは、つまりプロのモデルではなく、縛られ責められることに欲望を抱くマニア女性ということである。
素朴で、地味で、岩のような体つきをした女の子であった。いまどきの若者のような風情はなかった。
岩のような体つきの女は、心の在り方も岩のようだと、私のような軽薄人間はつい思い込む。
(そのような経験が過去に何度かあった。岩のように体の固い女は、縛るとすぐに痛い痛いと泣き声をあげ、もう縄を解いてくれと訴えるのである)
カメラマンもそう思い込んだにちがいない。きょうの主導者であるカメラマンは、終始彼女に過酷なポーズを要求しつづけた。
そして、カメラマン自身の美学をつらぬいた。自分が目標とするその美学に固執するカメラマンであった。
彼女には彼女の内面的な個性があるはずなのだ(マニア女性にはそれぞれこだわりがある)が、その個性はすべて封じられ、無視された。
私もモデルも、早い話が金で雇われている立場である。強い意志をもつ主導者の命令のままに協力しなければならない。自分の意見を言うことはゆるされない。
岩のような女の子は、黙々として、岩のように忠実に、我慢強く、責め苦に耐えた。
(あ、一言だけメモしておこうと思ったのに長くなりそうだ。撮影の話はもうやめる。この撮影については、後日改めて書くことになるだろう)
午後七時すぎ、撮影終了。
私はいつものようにさっさと縄をバッグの中におさめ、自分一人だけスタジオを出るために、エレベーターの前に立っていた。
すると、シャワー室から出た彼女が、タオル一枚を体に巻きつけたままの姿で、私の前に近寄ってきた。そして、ていねいに頭を下げた。
「きょうはありがとうございました。私、濡木先生の御本はみんな買って読ませていただいております。こんど新しく出た本はまだですけど」
私はおどろいた。岩が口をきいたのだ。岩にも感情があったのだ。
いや、岩ではなかった。私は心の中で彼女に謝罪した。
一冊持っていた「緊縛★命あるかぎり」を彼女にやろうと思った。
電車の中で読むために、その文庫本には、褐色の紙のカバーをかけていた。そのカバーには、私の手垢がついていた。
エレベーターの前で立ったまま、そのカバーに、私はボールペンでサインをした。今日の年月日も書き添えた。
「この本、ちょっと汚れてるけど、あげます。きょうはよくやってくれて、ありがとう」
と言って、彼女に手渡した。
彼女の表情が一瞬明るくなり、バラ色になった。
「ありがとうございます、読ませていただきます」
胸に巻きつけたタオルを片手でおさえながら、彼女はていねいに頭を下げた。彼女は素直によろこんでくれた。やっぱり岩ではなかった、と私はまた思った。撮影が終われば、ごくふつうの女の子にもどる。
「また会いましょう、お元気で」
と私は言ってエレベーターに乗ったが、おそらくもう、彼女に会うことはないだろう、と思った。
一期一会。
現在は学生として勉強中で、モデルの経験は初めての女の子。人前で裸になるのは、ずいぶん恥ずかしかったろう。
周囲にいるのは男性ばかり、私を入れて五人、いや六人か。それらの視線が彼女一人にそそがれるのだ。
彼女の裸身から目を離さず、凝視しつづけるのが男たちの任務なのである。
撮影の前半はとくに体が固く、左右の腕が後ろにまわらないほど硬直していたのは、おそらく羞恥と緊張感のためだったと思う。
体が硬直している場合は、彼女自身の感覚に、縄がとくに固く、痛く感じられる。
私たちにとってはいつもどおりの進行だが、初めて全裸モデルをやる女の子の場合は、おそらく過激なポーズの連続に感じられたにちがいない。
それでも彼女は最後までやり終えた。
SMモデルのアルバイトは、もう、こりたかもしれない。
私は、私の新しい文庫本「緊縛★命あるかぎり」の中の「食糞美少女」のことを思い出していた。
きょうのモデルは、「食糞」もしなかったし、とりわけ「美少女」でもなかった。外に出ればごくふつうの地味な感じのお嬢さんであった。
だが、全裸にされて下半身をひろげられ、高々と宙に吊りあげられたときの彼女の心に、私はあの凄絶な「食糞美少女」と同じものを感じていた。
あの「美少女」のように、声に出して号泣こそしなかったが、きょうの彼女もまた心の中で同じように泣き、同じ色の涙を流していたにちがいない。
私のようなこういう特殊な仕事をしていると、さまざまな「不幸」の姿にぶつかる。
いや「不幸」といってはいけないのかもしれない。
なにが不幸で、なにが幸福か、いまわかるものではない。
きょうの彼女は、たとえ短い時間ではあったが、彼女の望んでいた「快楽」を味わい、「モデル料」をもらったのだ。
彼女はきっと何かしらの充実感を得て、帰途についたにちがいない。
いけない。やはり一言ではすまなくなった。横道へ外れるくせが、また出た。
私はここでは、青柳裕介の劇画「保護色」の説明をするつもりでいたのだ。
それは次回に書くことにする。
(つづく)
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