濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第四十一回
臆病な人たち
|
|
青柳裕介の劇画「保護色」の内容の説明をしているうちに、私の撮影の仕事の話になってしまった。
で、今回はもとにもどして、「保護色」のつづきを書きます。
前回同様、こまかいところは省略して説明します。こまかいセリフや画の部分に、作者独特の「味」があるのですが、それを説明しているとやたらに長くなるのでご了承ください。
(この四十年前のマンガ雑誌は、私がこの文章を書き終えたら風俗資料館へ預けておきますので、興味のある方は実物をごらんになってください)
* * *
三十歳をいくつか過ぎて、自分の才能と、これから先の人生の限界を知った「課長」は新入社員の萩野景子を誘って、車で一泊旅行に出る。この「課長」には、妻がいる。
課長が運転する車の中の会話。
「家の人には、なんていってきたんだい」
「連休だから、友達と旅行して来るって……私のところ意外と放任なの。景子を信じるっていうのよ……課長さんは、なんておっしゃったんですか……奥さんに」
(濡木注。この前のカットに、課長とその妻との何やら倦怠感に充ちた家庭内の会話と画がある。課長の妻は、乳房も尻の肉もやや垂れ下がり、下腹も出ている)
「悪いだんな様ですね、課長さん……連休に家庭サービスほったらかしにして」
「そうだよお〜〜悪い男だよ、僕は……萩野君も僕を信用していると、大変なことになるぞオ、ハハ……」
「私、課長さんを信じてます……そうじゃなかったら、男の人と二人、一泊どまりで旅行なんてできません」
「はは……こりゃえらいことになった……でも、おやすみのキスぐらいはいいのかな?」
(濡木注。温泉に到着し、旅館に入って食事をする男女二人のこまかい動きと短いセリフがあって……)
「しかし、さっきの女中さん、寝室は二つとってあるのに、夫婦と間違えるなんて……静かだなあ、蛙の声しか聞こえない」
数条の滝が流れ落ちる夜景の横に説明文が入って、
「彼女は自分に好意を持っている……ひなびた温泉の二人だけの夜、抱くのはたやすい事……」
「しかし、30男の貴方には、私が今、コンピューターのように頭をフル回転させて『何を』考えているかお解りでしょう……!」
(濡木注。この「30男の貴方には……」というセリフは、読者への呼びかけなのである。作者は読者の共感を得ようとして訴えているのである。私がなぜ「おしゃべり芝居」の中で、この作品を紹介しようとしたか、その理由は、ここからラストまでの結着にある)
課長は窓から外の夜景を眺めて、
「ほう、あんな山の上にも人家があるんだな……ほら」
と言い、景子がそれを眺めているすきに、彼女の顔を引き寄せてキスをする。
「課長さん……」
となる。景子の顔は少女っぽく清純に、せいいっぱい可愛らしく描けている。
「いけない、課長さん!」
暗闇の中で、蜘蛛が手足をひろげて長くのばしている画。
「これ以上は……あ・あ、やめて、やめてください」
畳の上に押し倒され、乳房をつかまれている景子。
説明文「なにがいやなものか、最初からこうなる事を期待していたくせに……そして、誰かに聞かれたら、きっとこういうだろう……私は課長さんに無理やり……!」
「そんなに抵抗することはない……私は初めから……最後の一枚を、脱がす気はない」
と課長の内面の声。
「……思った通りの可愛い、プリプリしたおっぱい……だ!」
「この乳房さえ見れば、私はもう充分だ……」「……そろそろやめよう」
「もうこのへんで、止めておこう……このへんで……」
「後は何にもいわなくていい!『課長さん、ダメ』女がそういった時……」
「ジッとその瞳をみて、手を離せばそれでいい。女は自分のことを考えて思いとどまってくれたと、勝手に錯覚する!」
そして、ラストの独白。
「解っているんですよ自分で
30男の私……
どんなに卑屈でいやらしくて
カサカサしているか
なんてことは……わかっているんですよ
とても今まで頑張って作りあげて
きたものをぶちこわす勇気なんてなく……
そのくせ卑屈に何かしたい!
解っているんですよ
もう自分が青空に向ってボールを
蹴ることができないぐらい……
それが30男ですよ……ねえ……」
黒いヤモリが電灯の傘らしいところを這っている画。
そして低い民家の屋根すれすれに飛行機が飛んでいく線描画で、この物語は終わる。
* * *
ま、こんなところです。
どうですかねえ。
えッ?ピンとこない?
そうですか。劇画を文章だけで説明するというのは、やはり無理なのかなあ。
画がついてないと、このマンガの暗く屈折した抒情性みたいなものが伝わりにくいのかもしれないなあ。
いえ、私はね、いまどきのSM官能マンガには、こういうナイーブな男の欲望、男心を描いた作品はないなあ、と思ったものですから、ついこの「保護色」をいきごんで紹介してしまったんです。
上司の男が新入女子社員を一泊旅行につれていって、そこでハダカにして縛りあげ、ひと晩中いやらしくなめたり責めたり愛撫する。
そしてそのうちに女性のほうもやたらにその愛撫に感じてきて、ヒイヒイキャアキャア泣いたりわめいたりしてよろこぶ。それを見て男のほうが辟易し、あきれかえる、といったようなオチが多いのですよ、いまどきのマンガには。
そういうシーンには当然まばゆいばかりの激しい男女の姿体が、これでもか、これでもかとばかりに露出過多に描かれている。私たちが妄想を楽しむゆとりもないくらいに、しつこく細密に。
秘所のしわの一本一本まで精密に描写されると、かえって妄想の邪魔になってシラケるのですよね。
ところが、青柳裕介のマンガは、せっかく一泊旅行に誘って、彼女のほうもその気になっているかもしれないのに(その気になっているのにきまってる!)オッパイを見ただけでやめてしまう。
「この乳房さえ見れば、私はもう充分だ……そろそろやめよう……」
なんて負け惜しみをつぶやいて。
私はそこに、好きな女を一度でいいから縄で縛ってみたいという欲望を抱いて、いいところまでいきながら、結局は度胸がなくて、何もできずに終わってしまう、気の弱い、多くのサド男、いや緊縛マニアの姿を見てしまうのですよ。
緊縛マニアって、いまでも大体そういうものだと思います。
私の親しくしているマニアはみなさん、心がやさしい。やさしすぎる。ほとんどが青柳裕介の「課長」です。
とても臆病です(逆に、臆病でなければ私は緊縛マニアとは認めません)。
ま、私自身が、その臆病なマニアの一人でもありますしね。
臆病なのは、自分に劣等感があるせいです。緊縛マニアという、重く暗い、人に言えない劣等感。私など、その劣等感のかたまりです。
うそつけ!
などと怒鳴らないでください。
うそじゃありません。ほんとです。
ついこのあいだまでの私は、実際、この青柳裕介描くところの課長でした。
(私がたくさんの女性を縛っているのは、仕事です。誤解しないでください)
仕事でお金がもらえるから、平気で、見ず知らずの若いきれいな女性を縛ることができるのです。
(いや、平気ではありません。やはり劣等感はあります。仕事でやってるんだから、という、いまさら弁解にもならない弁解を言って私はいつもごまかしています)
仕事とプライベートとは、まったくちがいます。
うそつけ!
ああ、また怒鳴りましたね。
うそじゃありません。
いくら私が、うそじゃないと言っても、なかなか信じてもらえない。
「縄師」という奇妙な呼称は、自分の根強い劣等感と、すこしでも克服しようという意志から出ている。
(「縄師」という新語を考え出した人、つまり美濃村晃がそう言っていた。つまり自称です)
「師」という字をつければ、だれかが間違って、本当に「師」と呼ばれるほどの偉い人だと錯覚し、自分の抱いている劣等感を、すこしでもまぎらわすことができるのではないか……。
私はつい先日、人間ドックというもので二日間入院し、当然助平心もあって看護師さんたちが働く姿をよく観察しましたが、彼女たちは本当に偉い。
「師」と呼ばれるだけの専門知識を、確かに持っておられる。技術も持っておられる。第一、よく働く。まさしく「師」だと思いました。
おまけに、白衣がセクシーである(あ、これは「師」とは関係ないか)。
「縛師」……バクシ。語感の汚ない、いやなひびきの言葉です。
私はバクシだなんて呼ばれたら、いっそう劣等感を抱いてしまい、その場に居たたまれなくなる。バカにされてる、と本気で思ってしまう。
「調教師」などと自称している人も同じで、女性の心を自分の思うがままに調教できるなんて、私にはぜったいに信じられない。
「調教師」と自称している人は、やはり、かなりの劣等感の持主だと思います。
「師」と呼ばれることに抵抗のない人には、マニア心があろうはずはありません。
「縄師」とか「調教師」などと自称するのは自分がマニアであることをごまかそうとする表われなのに、結果は逆になっている。
私は、いまでも自分がマニアだと思われたくないから、「師」と呼ばれることを忌避しているのかもしれない。
私は日雇いの「縛り係」で結構です。このほうがわかりやすくて、いさぎよい。
どうも論理が、支離滅裂の趣きになってきたな。私も屈折している。
青柳裕介のマンガから、とんでもない方向に話が飛んでしまった。
さあ、これから私は、飯田橋の風俗資料館へ、この「青柳裕介傑作集」と表紙にうたっている四十年前のマンガ雑誌を寄贈しに行くことにしよう。
これが貴重な資料の一冊と認められればうれしいのだが。
そうなれば、早世された青柳裕介氏へ捧げる、私の供養の一端となるのです。
(つづく)
濡木痴夢男へのお便りはこちら
|