濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第四十二回
こっちを見ないでくれ
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親愛なるRマネージャー様。
たったいま「快楽盛り」を書き終えたばかりで、私、テンションが異様に高くなっています。「快楽盛り」、力をこめて書きました。
このテンションを鎮めてしまうのは、もったいない(ケチな了見ですけど)。
そこで、つづけて休みなしに「おしゃべり芝居」を書きます。
きのうは夜おそくまで「長谷川武弥・愛京花一座」におつきあいくださいまして、ありがとうございました。感謝します。
あのとき、幕間(まくあい)に、私があなたに、
「個人的なことで、相談したい」
と言ったのを、おぼえていますか。
「SM」とはまったく無関係の、私の演芸仲間の「かもめの会」の人たちが、私が嫌っているあの映画(「縛師」ああバクシとは、何度も書くけど、なんというイヤな、汚ならしい語感でしょう)を観てしまったのです。
私の演芸仲間たちは、私が「濡木痴夢男」だということを、これまで漠然とは知っていましたけど、はっきりと、表立っては知りません。私はできうる限り隠していました。
私たちの秘境を、次元の低い好奇心だけの野次馬ども(はっきり書いておきます、彼らはヤジウマにすぎないと)に興味をもって見てもらいたくなかったのです。
この感覚を持たない、この感覚がわからない人たちの目に、私たちの秘境をさらしたくないのです。
秘境であり、私にとっては聖地なのです。
彼らは、私たちの正体を垣間みたあとで、かならず言います。
「わかるわかる、わかりますよ、ああいう世界、私だって興味ありますよ、ああいう世界。わかりましたよ。納得しましたよ」
わかるはずはないのです。
私が五十年間、どっぷり漬かっていて、いまだにわからないのですから。
そういう「したり顔」で私にむかって言い、近づいてくる彼らが、私にはうとましく、わずらわしくてならないのです。
「したり顔」というのを、辞書で調べてみましょうか。
「得意そうな顔」あるいは「自慢そうな顔」とあります。
彼らには、わかってもらいたくないのです。わかるはずはないのです。
わかるとか、わからないなどと言う世界ではないのです。「納得」してもらいたくもありません。
ここは私たちの「聖地」なのです。
聖地を、彼らの興味本位の、卑しい性的な好奇心だけの足に、踏み荒らされたくないのです。
あの不愉快な映画を映画館で観たあとで、案の定、彼らは言いました。
「ああいう世界にいる人たちの心が、理解できました。あなたの気持ちがわかりました」
理解できるはずがないのです。理解してもらいたくありません。
五十年間、この世界の真只中にいて、泣いたり笑ったり、苦しんだり楽しんだり、軽蔑されたり、人非人とののしられたりして生きてきた私が、いまだに理解できないでいるのですから。
「鶴の恩返し」という民話があります。
木下順二氏の芝居「夕鶴」でも有名です。
人間の姿になって結婚した鶴は、夫にむかって、自分の正体がわかったときには、あなたのそばから離れます、と言います。そして夫の前から消えてしまいます。
Rマネよ。
私はいま、あの十数年間いた「かもめの会」から離れたい心境です。
これからの私に対する彼らの好奇な視線に、気の弱い私は耐えられそうにありません。
わかってもいないのに、わかりましたと言い、「したり顔」でニタニタ笑いながら私に寄ってくる無知な(あえて無知といいます)そして無礼な人間どもとは、もうつきあいたくないのです。
私が「裏窓」の編集長をしていたとき(古い話ですが)、マゾ女というのはみんな究極の淫乱女で、いじめてくれる男がいれば、どんな男の奴隷にでもなるんだろう、だれかそういう女を紹介してくれないか、そういう女を奴隷にして朝から晩まで犯してやりたい、と私に言った男が何人かいました。
冗談半分にせよ、私は怒りました。
この話はずいぶんあちこちに書いたり言ったりしたので、もうやめます。これに似た話は、いくらでもあります。
緊美研の会場で、モデルとしての一日を終わって帰り仕度をしている女性の体に、いきなり縄をかけようとした男がいました。
お前のような女は、いつ、どんなときでも縛られるのがうれしいんだろう。
私はその男を、ただちに退会させました。
私が濡木痴夢男だということを知られ、映画の中のようなことを毎日のようにやっている人間だとわかってしまった以上、民話や芝居の「鶴」のように……私は鶴ではなくて、「豚」かもしれませんが(笑)、私はもう、「かもめの会」をやめようと思うのですが、Rマネよ、あなたはどう考えますか。
私のことを、神経質すぎる、人の顔色を気にしすぎる、無責任な野次馬どもの言うことに、いちいち反応しすぎる、そんな気の弱いことで、この世の中、生きていけますか、とあなたは言いますか。
あの映画に出たのは、あきらかに私の責任です。
あんな映画に、なぜ出たのだろう、出なければよかった、などと、いまさら悔んでも仕方ありません。あとの祭とはこのことです。
私がこれまでどんなに興行師からお呼びがかかっても、劇場その他のステージに出て、私の縄を見せようとしなかったのは、ああいう客席には、私たちの世界とはまったく無関係の人間がいる、知らないだけならいいのですが、私たちのことをひどく軽蔑する人がいる、嫌悪する人がいる、そんな人たちの目に、私たちの秘境、そして聖地を、たとえ垣間にせよ、見せたくないという気持ちからです。私は自分の心を守りたい。
「聖地」などとかっこよく言ってますけど、よく考えてみると、「恥部」なのです。
彼らの前で恥部をさらけ出したところで、私にはひとかけらの快感もありません。
劣等感が増すばかりです。
心が傷つくだけです。
私たちの同志の前では、いくらでも「恥部」を出します。出すことができます。
「恥部」は「恥部」であるほど売りものになります。
だけど、同志でも仲間でもない人たちの前では、そしらぬ顔をしていたいのです。
「凄い世界ですねえ、よくわかりましたよ」
などと調子よく言う半可通(はんかつう)な人々に、かんたんに理解してもらいたくない。
半可通というのを辞書でひくと、「なまかじりなさま」「知ったかぶりをするさま。また、その人」とあります。
恥部だと自認し、身をひそめていたからこそ、私はこの世界で五十年以上も生きてこられたのです。
私は蔑視されることに、慣れたくない。狎れたくない。
(美濃村晃氏は、ときには狎れよう、と言って敢然と道化者になることがありましたけど)
私はやっぱり前回のこの「おしゃべり芝居」の中の、青柳裕介氏描くところの「課長さん」のような臆病者なのでしょう。
Rマネよ。
ゆうべのドサ回りの役者たち(ごめんなさい、武弥・京花一座のみなさん方、私は軽蔑してこの言葉を使っているのではありません。どうか誤解しないでください。私はあなた方が好きです。大好きです。だからこそ、Rマネと一緒に、今月は二度もあなた方の芝居を観にいったのです。そして、あなた方が東京で公演しているあいだに、ぜひもう一度、観にいこうと約束しました。いまこの文章を書いている私の机の前には、あなた方一座のチラシが貼りつけてあります)が演ずる「残菊物語」の芝居の中で、
「ドサ回りのいやな臭いがいったん身についてしまったら、なかなかもとの大舞台にはもどれねえ」
というセリフがありました。
私は複雑な思いで、そのセリフをきいていました。
いまの若い役者さんたちには、ドサ回りなんて言葉は、もう死語になっているのでしょう。
五十年むかしだったら、ドサにむかってドサなどとあからさまに言ったら、オーバーにいえば血の雨が降ります。
「あんた、変態小説ばかり書いていたら、まともな小説は書けなくなるよ。あんたは書ける人なんだから、こんな変態の世界から早く足を洗いなさい」
と、あるSM雑誌の編集者から言われたことがあります。これもむかしのことですが。
ああ、この人は私たちの同志ではないな、こんな人がどうしてSM雑誌の編集をやっているんだろう、とそのとき思いました。
Rマネは、私の顔さえみれば、いや電話でしゃべっていても、
「おしゃべり芝居のつづきを書け。もっと書け。間を置かずに書け」
と言ってくれます。
ありがたいことです。
濡木痴夢男は、どんなことを書いても、SM以外のことを書いても、濡木痴夢男のSMのにおいがする、とRマネは言います。
これは最高のほめ言葉です。
私は励まされます。
だから、どんどん書いています。
私は変態の世界は、純文学でないと書き切れないという考えを、じつは「奇譚クラブ」の時代から持っています。
ここで話を、いま書き上げたばかりの「快楽盛り」にもどすのは、ちょっと作為が見えすいているので、やめます。
ですが、私はいま、興奮しています。
闘争的な若々しい血が、私の中に煮えたぎっています。
でも、だからといって、興味本位で、変態性欲への好奇心だけで、妙にべたべたと私に近づいてくる彼らとは、もうつきあいたくない。
こっちを見ないでくれ、と言いたい。
正直にいうと、彼らとはもう口もききたくない。
闘争的になっているというのは、そういうことです。
彼らと絶縁しようという闘争心です。
私は、私の心の中にある聖地を、どうしても彼らに荒らされたくない。
さて、どうしたものでしょうか。
いま、雨が音をたてて降っています。
梅雨です。
この雨の中を、あの一座をひいきにするお客さんたちは、あの小屋へ行っているのでしょうか。きょうもまた。
行っているのでしょうね、きっと。
そして、あの愛すべき役者さんたちは、芝居が終わったあとすぐに、この雨の中を、昨夜のように傘もささずに、お客さま方を愛嬌たっぷりに、笑顔で、お見送りするのでしょう。
四時間もぶっつづけに舞台をつとめたあとなのに。
凄い役者魂。芸人根性。
あの役者たちは強い。私は弱い。
* * *
親愛なる落花さんへ。
きのうは私のために、ほとんど一日つきあってくださいまして、ありがとうございました。おかげさまで心が晴れました。
考えてみると、ときおり私を襲うこの種の臆病な怯えは、私の「裏窓」時代のあの「悪書追放運動」の嵐のときに痛めつけられ、傷つけられたことがトラウマになっているような気がします。
荒川水域の桜草群生地として知られるあの浮間ケ池のほとりで、さまざまな野鳥の啼き声に囲まれてのあなたとのおしゃべり、楽しかったです。
「この空の広い、水の匂いのするきれいな場所は、永井荷風の『葛飾土産』や、田山花袋の『一日の行楽』の中に出てきます」
と、あなたは私に教えてくれました。
荷風はともかく、田山花袋の名前があなたの口から出てこようとは思いませんでした。びっくりしました。
落花さんという人は、グラフィックデザイナーという職業をもちながら、私の理解していた以上の「文学少女」であることを知り、改めてうれしくなりました。
田山花袋の「一日の行楽」は、十年ほど前にシミだらけのボロボロの初版本を神田の古書店で買い、持っています。
あなたとおしゃべりしているうち、元気が出てきました。
「かもめの会」にも、つづけていってみます。
心を新たにして古典落語の勉強をしたいと思いました。
じつは以前から友人にすすめられていたのです。
「うちの師匠が、なんとかという財団法人の会からたのまれて、講師となって古典落語の教室をはじめるから、よかったら来ませんか」
と。
「おねがいします。いきます」
と、いま返事を出しました。ですから、演芸の勉強もつづける気持ちになりました。
また何かイヤなことを言われたら、がっくりくるかもしれませんが、いまのところ大丈夫です。たちなおるのも早いんです。
なにかずいぶんあなたに心配をかけてしまったような気がします。
私はこう見えても、意外にしぶといんです。なにしろ浅草生まれの浅草育ちですから。
またご一緒に竜泉の「樋口一葉記念館」に行きましょう。私はあのあたりの生まれで、いってみれば心のふるさとなんです。
(つづく)
★Rマネの註★
上記掲載いたしました第四十二回は、Rマネへの呼びかけで始まる前半部分の執筆のあと、まる一日おいて、落花さんへの呼びかけで始まる後半部分が執筆されております(2008年6月24日:脱稿)。
第四十二回として一回分にまとめられておりますが、この三日間にわたる濡木痴夢男の心の動きが綴られたものです。よって文中で使用されている「きのう」の時制が前半・後半で異なっております。ご了承ください。
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