2008.7.4
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第四十三回

 葛飾の飲み屋で


 雨月小夜と撮影の現場でまた一緒になった。
「よく会うな。ちかごろ女優としての腕を認められてるんだな」
 と、雨月の顔をみたとたんに、私はあいさつ代わりにひやかす。
「腕じゃないわよ。もう五十に近いばばあが、恥ずかしげもなく平気で裸になって、カメラの前にマタをひろげるから便利に使われてるだけよ」
 雨月は笑ってこたえる。
 もう三十年近く、雨月とつきあっている。三十年前には巨乳モデルとして人気があった。
「えッ、五十に近い?たしかもう一つ二つ過ぎてるんじゃないのか?」
「いいの、いいの。そういうこまかいことは言わないで」
 いつも口をあけて、ちょっと頭のたりない女のようにヘラヘラ笑っているが、濃い内容の大人の会話のできる女である。ボキャブラリイも豊富だ。SMに関しての造詣も深い。
 長い間つきあっているといったが、会わないときは二年も三年も会わない。
 会うとなると、一カ月のうちに二度も三度も、AV系のSMビデオ撮影の現場なんかで会う。
「濡木先生もよくやってるよ、いつまでも。縄。飽きないね」
 と、雨月。
「そうだな。飽きるということはないな。まあ、お金ももらえるしな」
 私がたのまれて気軽に撮影の現場に行くのは、もう一つ理由がある。日頃の運動不足を解消するためである。
「そうだねえ。お金をもらえるっていうのは、魅力だもんねえ」
 撮影が終わると、スタッフとは早々に別れて、雨月と二人だけで飲みにいく。
 というより、雨月の酒につきあう。
 雨月は酒豪であり、私は生ビールの「小」で顔が真ッ赤になる。
「この年になって、ぬげばお金がいただけるってのは、考えてみればありがたい話よね」
「裸になればだれだって金になるってわけじゃない。値うちがなかったら一円もくれない」
 雨月はいま、葛飾区の江戸川に近い私鉄の駅のそばで小さな飲み屋をやっている。
 二週間ほど前の撮影のあと、酔っぱらって腰のぬけた雨月をタクシーに乗せ、葛飾のその店まで送っていってやった。
 店の二階が雨月と、雨月の彼との住居になっている。
 その彼の顔も二十年前から知っている。名前をオサムちゃんという。二十年前は知的な風貌のおとなしい青年だった。
 いつも雨月の陰にかくれるように従っていて、それでいて雨月を支えているという感じのする好ましい存在だった。会えば頭を下げるが、話をしたことはない。雨月も改めて彼を紹介するなんてことはしない。
「きょうはうちの近所で飲もう。うちの店だと他のお客に気を使わなくちゃならないから、めんどくさい。と言っても、濡木先生、飲まないからなあ」
「腹がへってるから、何かたべるよ」
 と、私は言った。
 私鉄の電車をおりた。
 雨月の店とは五軒と離れていない小さな飲み屋に案内された。
 色のさめた赤提灯をぶら下げただけの、なんの飾りもない木造家屋のガラス戸を、がらがらとあけて入る。
 いらっしゃい、とも言わず、もう七十過ぎともみえる小柄な店の主人が、雨月と私をみて、こくりと頭を下げた。
 雨月は私のために、焼酎をすこしだけ入れた炭酸、氷、レモンスライスを浮かしたものを注文してくれた。雨月は生ビールの大ジョッキである。
「雨月が撮影でいないとき、店はどうするの?」
「オサムちゃんと、となりのオバチャンがやってるよ。私なんかいないほうがいいのよ。私がいると、店の酒飲んじゃうから」
 雨月はさらに私のために、モツ焼きを数本、煮込み豆腐、それからこの店の名物だという、うなぎのからくり焼きというのを注文してくれた。
「店の酒を飲んじゃいけないなあ。うわッ、このレバ焼き、でっかいなあ」
 ふつうの店の三倍はありそうなレバ焼きに私は噛じりついた。
「先生、きょうの撮影、よく怒らなかったわねえ。あれじゃ、わざわざ先生を呼ぶことはなかったじゃないの。ADにだってできるわ」
「おれ、もう現場じゃ怒らないよ。だまって監督の命令にしたがうだけだ。怒ると疲れる。疲れるだけ損だ」
 縛られた女の情感とか、情緒とか、縄の魅力とか、そういうものは一切無視された撮影であった。
 べつに今回に限らず、ちかごろはこういう内容の映像が多い。
 現場は通称「病院スタジオ」とよばれ、病院の診察室とか、外科室とか、入院患者用のベッドが並べられている。すべて撮影しやすいようにできている。
 女の肉体を痛めつけることが好きな院長がいて、その部下に、古参の看護師である婦長がいる。雨月がその婦長を演じた。
 ハンドルを回せば、あおむけに縛られた裸の女の両足がじりじりひろがっていく仕掛けの診察台もしくは治療台が各種そろっている。ひろげられ、曲げられた両足が、自分の顔の左右に密着するという仕掛けの診察台もある。もちろん性器や肛門を極限までひろげるための台である。
 まことにわかりやすい「SM」的状況である。ピカピカ光るこまかい医療用の器具が、ステンレス製のトレイの上にずらりと並んでいる。
 医療器具愛好家が見たら、ためいきの出そうな、銀色の金属製のものが、ガラス戸棚の中におさめられている。
 つかまえてきた女にそれを見せて、いろいろ心理的にもてあそび、脅迫するストーリーがあって、やがて診察台へ縛りつけるという展開だったら、まあ「SM」ドラマといえなくもない。
 ところが、ヒロイン登場と同時に、問答無用、いきなり裸にされて、台に縛りつけられ、足をひろげられて、さまざまな異物を股間にねじこまれ、ギャアギャア泣きわめくシーンばかりが、最後まで連続する。
 つまり、ムチ打ち、ロウ涙責め、鼻孔なぶり、アナルセックス、浣腸責めと、休む間もなく、つぎからつぎへと飽きもせずくり返される。
 浣腸責めからつづいて当然のようにスカトロシーンになる。
 十年かけて私の手に慣れさせた縄が五本、アッという間に美女の肛門から噴出したグリセリン液と、牛乳とが入りまじった黄色い液体にまみれた。
 縄が「助けてくれえッ」と悲鳴をあげる声が、私の耳に聞こえた。
 いくら助けてくれえッと言われても、臭気がしみこんで、もう使えない。すてるより他はない。
「どうです、責め責め責めの連続技(わざ)で、これだったら、どんなSMマニアでも満足するでしょう」
 と、監督はタバコをふかしながら満足そうに言ったが、私はなんとも返事ができない。辟易(へきえき)するばかりである。
「辟易」というのを辞書でひくと「勢いにおされて、しりごみすること。閉口すること」とある。
「きょうの女の子、よく耐えたなあ。強かったなあ。感心したなあ。あれはもう芝居も、演技も、へったくれもないもんなあ。本当の拷問に近いもんなあ」
 ついでに「へったくれ」という言葉が、辞書にのっているかどうか、調べてみました。
 まさかのってないだろうと思っていたら、あった!
 ありましたよ!
「へったくれ」つまらないことだ、とるにたらないことだと、ののしって言う語。
 雨月はビールの泡を唇の端につけて、ちょっと軽蔑したように、
「本当の拷問って、先生、知ってるの?」
「いや、知らないけどさ」
「女のほうがしぶといのよ、心も体も。男のほうがよっぽどいくじがないわ」
 断っておきますが、これは雨月小夜が言った言葉です。私はそうは思っていません。
 女性はみなさん、心も体もやさしくて弱くて、いじらしいと思っています。
「ああ、言われてみれば、そうだけど」
 と、この場はこう相槌をうつより仕方がない。
 雨月はしだいに酔っぱらいの目になってきて、
「休憩のとき、監督が言ってたじゃないの。おれだって本当はこんなことしたくない。だけど、プロデューサーの命令だから仕方なくやってるんだ。プロデューサーのいうことをきかないと、監督料がもらえないからなって」
「うん、みんな金のためにやってるんだ。それはわかってるけど。それにしてもビシバシよくやるよ、あの監督。女の子があんなに本気になって痛がって泣いていたら、おれにはとてもできない」
「先生にはできないわよ。先生って人一倍いくじなしだもの。だけどね、先生、あの子、ムチで背中やお尻を叩かれて、痛い痛いって泣きながら、本当は気持ちよかったんじゃないの。大声出して赤ちゃんみたいにワンワン泣くっていうのも、気持ちいいものよ。女の涙にだまされる年じゃないでしょう、先生」
 ゲッ、と私は思わずうめいた。
 でも、とてもそうは見えなかったけどな。
「本当にいやだったら、なりふりかまわずスタジオの外へ飛び出して逃げるはずよ。逃げないで、じっと我慢してるんだから、それでいいんじゃないかしら。痛くたって苦しくたって、我慢してれば、やがてはギャラがもらえるんだから」
 私は煮込み豆腐をたべながら、話題を変えた。
「おれ、女の子のギャラってよく知らないけど、あんなにひどいことをされて、いくら位もらえるの?」
 雨月はこの業界につかず離れずという立場でもう三十年位いて、一時はオサムちゃんと一緒にSMビデオなんかも制作して売ったりしている。あちこちに顔が広くて、かなりの業界通である。
 私は業界通になろうという意思がまったくないので、じつは、この業界のことはほとんど知らない。金銭的なことはとくに知らない。
 私が多少なりとも知っているのは、恥ずかしながら「縄」のことだけである。
「ギャラ?ギャラはいま、きびしくなってるわよ。そうねえ、きょうのは企画もののハードSMで、カラミもあったから、彼女、あれだけ痛い思いをしても、手取り五万か、六万てところかな」
「ウーン、結構可愛い子で、体もきれいだったのに、そんな程度かね。かわいそうだな。一時にくらべたら、たしかに低くなってるなあ」
「いま、脱ぐ子が多くなってるでしょう。そういう子を使って、低予算のセルビデオが、各社で毎月千タイトルも作られているのよ。どこのメーカーでも、制作費の安い企画ものをやたらに多く作って、それで一本当てれば、経営は成り立つという計算なの」
「雨月、きょうのギャラは?」
 と、私はきいた。
 いま雨月は、どこのモデル事務所にも入っていないことを私は知っている。だから制作者としたら安く使える。
「私?私はもうばばあだけど、一応脱ぐし、SMの芝居もできるから、手取り三万から三万五千てところかな。でも、焼きとり売るんでも鳥肉を仕入れるお金がいるけど、AVは電車賃使うだけで、あとは純利益だから、いまは結構ありがたいのよ。それに、トッパライだしね」
 トッパライというのは業界用語である。「当日払い」のことをいう。撮影が終わると同時に、当人の手に直接その日の出演料が現金で渡される。中間搾取がない。
 きょうの仕事は、私なんかでもトッパライである。そういえば私はこの仕事をずいぶん長い間やってるけど、中間搾取をされたことは一度もない。
「三万か」
 一日百万取っていた時代の雨月を私は知っている。
「仕事をもらおうと思って、涙ぐましい位にスタッフに気を使ってお世辞を言ったりする女の子もいるわ。スタッフのことをスタッフさんと言って媚びたり……」
 この雨月の言葉に、私はとつぜん思い出した。
 半年ほど前、P社の撮影のときだった。
 G子という女優がいた。SMの表現に関して一つの理念があり、休憩のときにいろいろ私と話し合った。
「理念」という言葉を辞書でひくと、こう出ている。「理性から得たもっとも高い考え」。
 G子は、SMに関する古今東西の書物文献の類いをたくさん読みたいと言う。
 その言葉に私は好意を抱き、飯田橋の風俗資料館の存在を教えてやった。
 ちょうど「週刊文春」が、一ページにぎっちりと風俗資料館をまじめに紹介した記事をのせた時だったので、その週刊誌もG子に読ませた。
「きょう、撮影が終わってから一緒に行ってもいいよ。ちょうど帰りがけの途中にあるから」
 と私は言い、彼女はうれしい、ぜひお願いします、行ってみたい、とよろこんだ。
 あとワンカットで撮影が終わるというときになって、彼女は全裸のまま、スタッフの男たちの前でいきなり太腿をひろげ、恥ずかしげもなく性器をむきだしにした。
 このときのG子は縛られていない。スタジオのソファに浅く腰をかけ、自分の内腿を、自分の両手でつかんでひろげたのだ。
 その行為が、そのときの私には、なんのことだかわからなかった。
 ただ、変なことをするなあ、と私は目をそむけた(本当である)。
 彼女の理念と、どういう関連があるのか、と思った。
 私は、急用を思い出したからと言って、彼女との風俗資料館いきを断った。
 なんのことだかわからなかった半年前のそのG子の行動が、雨月がビールを飲みながらつぶやいたいまの言葉で、私は思いあたった。
 そうか、あれは、スタッフの男たちへのサービスだったのか。私は愚鈍であった。たしかにあれは「媚態」であった。
 それはそれで一つの「芸人根性」だと納得する心が、いまの私にある。
 が、そのときの私にはなかった。自分から誘ったのに、私は逃げた。
 三杯目の大ジョッキをごくごくと飲む雨月の喉を眺めながら、私は心の中でG子に詫びた。
 もっと理解してやればよかった、と。
 だが私は、ただ理解したというわけで終わってしまうだろう。
 理解し、納得はするが、それ以上のつきあいはできない。私は狭量な人間である。
 多くの女優やモデルたちと同じように、G子とも、しょせん一期一会である。
「先生、今夜はうちに泊まっていきなよ、ね、ね、ね」
 雨月の目は、トロンとしている。いつのまにか、ジョッキにワインを注いで飲んでいる。ここで酔いつぶれるんだったら大丈夫だ。いざとなったら、五軒となりにいるオサムちゃんを呼べばいい。
 葛飾の飲み屋での雨月との会話は、まだまだつづく。

つづく

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