観光会社と原住民
十数年前に某制作会社の撮影で、当時は杉並にあった雨月小夜の自宅を借りたことがある。 監督が、セットではないリアルなキッチンを背景にしてSMドラマを撮りたいと言い、雨月の住んでいる家を丸一日借りたのだ。 いかにも建て売り住宅らしい形の一戸建てであり、車をおける庭もついていた。 その撮影中、昼食のあとの休み時間に、私が控え室にあてがわれた二階の部屋で寝ころがっていると、雨月が入ってきた。 「先生、いいものを見せてあげるわ」 両手の中のものをひろげ、新聞紙一ページ大の印刷物を見せてくれた。 それはSMの中でも少数派といわれ、それだけに愛好家の間では珍重されている古い資料である。 どういうものかというのを、ここにはっきり書いてもいいが、彼女に迷惑がかかるといけないので、あいまいにしておく。 とにかく、ふつうでは入手不可能の珍重するべき資料である。 「よくこんなめずらしいものが手に入ったな」 私は感心した。 「私のファンの人が送ってきてくれたの。先生、欲しかったら、コピーして送ってあげるわ」 と、雨月は言った。 「そうしてもらうとありがたい。たのむよ」 と言ったが、まさか本当に送ってくるとは思わなかった。 彼女は約束を守り、きちんとコピーして、私のところへ郵送してくれたのだ。人のいい、信頼に足る女性である。 (そうだ、このとき彼女からもらった資料も、こんど飯田橋の風俗資料館にあずけておこう。そして、この趣味の愛好家諸氏に見てもらおう。私が持っているより、そのほうが資料そのものが生きるというものだ) 葛飾の江戸川に近い町で、いま雨月がやっている飲み屋のすぐ近くにある同じように軒の傾いた小さな古い木造の赤提灯の店で、雨月の酒につきあっている最中に、私はふっとそんなことを思った。 杉並のあの瀟洒な構えの家から、どういう事情があってこの江戸川べりの町に移転してきたのか、そういう立ち入ったことは私はきかない。 きかないことが私たちのエチケットであり、ルールである。 雨月は生ビールを大ジョッキに三杯、さらにワインの大きな瓶を目の前に置いて飲みつづけている。 話はやはり、きょう雨月が出演し、私がいつものように縛り係として参加した、ビデオ映像についての批判になる。 「ギャラをトッパライでもらっていて、こんなこと言っちゃ悪いんだけどさ、あれじゃ売れないわよ、ねえ、先生」 雨月は舌の動きが、ややもつれている。 私は雨月の勢いを制するつもりで、一応否定する。 「体じゅう本物の革ムチで叩きのめし、熱いロウソクを下腹の割れ目にまで垂らし、肛門にバイブを突っ込んでぶるぶるふるわせ、浣腸責めからスカトロまでやったよなあ。男優とのカラミも、あれだけたっぷり時間をかけて撮ったんだ。SMマニアは、いろんな傾向の、いろんな派のマニアがいるけど、あれほどつぎからつぎへとめまぐるしくやれば、どんなマニアでも、どこかにひっかかって満足してくれるんじゃないかね」 私が言うと、雨月は一瞬軽蔑したような、あわれむような目つきで私を見た。 「先生、それって、本気で言ってるの?」 ウーン、と私はうなった。 「どんなマニアでもよろこぶだろうと思って作られたビデオなんてものはね、中身がみんな中途半端になって、どんなマニアもよろこばないのよ。ねえ、先生、わかってる?ぜんぶのマニアをよろこばせようと思って作られた、うすっぺらな内容のビデオなんて、ぜんぶのマニアからそっぽを向かれるのよ。マニアなんて、そんな甘いものじゃないのよ」 酔っぱらった勢いで、ムキになってしゃべるので、私はさからうことができない。 ああ、この女もSMが真実好きなんだと思うだけである。 「せっかく濡木先生に来てもらっても、あれじゃ先生の縄の魅力がぜんぜん生かされてないじゃないの。マッパの女を(濡木注。真ッ裸のことを最近ではこう言うらしい)診察台に手足をひろげて縛りつけて、マタにがんがんバイブ突っ込んでヒイヒイ泣かせるシーンばかり見せられても、緊縛マニアはちーともおもしろくないわ」 「だから、きょうのビデオは緊縛マニアのために作ったんじゃないんだよ」 「だったらどうして先生を呼ぶのよ。ケツだけ高く浮かして、足をひろげさせて、ケツの穴やお○○○に、やたらバイブを入れたり出したりしているシーンばかり撮っていたけど、あの監督が狙いつづけていたあのアングルでは、いくらうまく縛ってあっても、縄なんか見えないものね。あ、ごめん。こんなこと、先生に言うのは、釈迦に説法ね」 釈迦に説法なんて言葉を知ってる位だから、やっぱり雨月はもう五十を過ぎてるな、と私は思う。 この女を、当時十数種類発行されていたSM雑誌の撮影で、月のうち三度も四度も縛ったのは、いまから何年むかしのことになるのか。 「おい、もうずいぶん飲んでるぞ。そろそろ限界じゃないのか」 「大丈夫よ。うちはすぐそこなんだから。つぶれたらオサムちゃんに来てもらうからいいのよ。ねえ、マスター」 と雨月は、カウンターの向こう側の隅にいるこの店の主人に声をかけた。 もう七十をとっくに過ぎたと思われる小柄な主人は、半分閉じていた目をあけ「にゃあ」とネコみたいな声を出してうなずいた。 雨月が平気でしゃべるんだから、この主人の前では何を言ってもいいんだろうと、私も気を使わないでしゃべっている。 渋谷や新宿あたりの店だと、すぐ後ろに業界のに人間が飲んでいたりするので、うっかりしたことはしゃべれない。 「あのね、先生、きいてくれる?きいてよ。濡木先生とこうやって、だれもいないところでぴったりくっついてしゃべれるチャンスなんてめったにないんだから、きいてよ」 「ああ、きくよ。きいてるよ」 「太平洋の真ン中に島があって、私たちはその島に住む、原住民なの」 「へえッ?」 「つまり、SM族の原住民なの」 「SM族の原住民?」 「まあ、見た目はふつうの人間と同じなんだけど、性的な好みがすこし、というより、かなり変わっているから、こいつはおもしろそうだ、といって目をつけた観光会社が、客を集めて、船や飛行機に乗せて私たちの島へやってきたというわけよ。もちろん金儲けのためにね」 「はあ?」 「変態人間ばかりが住んでるおもしろい島があるよ――見に行きませんか――って宣伝してね」 「はあ……」 変態人間ばかりが住んでいたら、それは変態ではなくなり、「正常」人間が少数派になったら「正常」のほうが「変態」と呼ばれるんじゃないかと私は思ったが、酔っぱらい女を相手にそんな屁理屈を言っても仕方がないので、だまって相槌だけうっていた。 「だけど、観光会社の人間は一般人だから、島に住むSM族の本当の姿とか、心の内側まではわからない。わからなければ解説とか案内ができない。だから、SM族出身の人間を買収して、案内人に雇って、ガイドの先頭に立たせたのよ、先生とか、私とか」 「おいおい、すると、おれたちは観光会社に雇われたガイドってわけか」 雨月の言ってることが、やっとすこしわかっていた。 「月日のたつうちに、ホンモノのガイドはいなくなってしまった。というより、一般人の観光客のご機嫌ばかりとっている観光会社にあいそをつかして、みんな相手にしなくなってしまった。そこで観光会社の社員たちがホンモノのガイドのふりをして、いろいろ案内しているのが、いまの有様ってわけ」 「なるほど」 「いくらホンモノのふりをしてみても、もともと島の住民じゃないんだから、ホンモノのガイドができるわけないよね。いくら勉強したところで、体に流れている血がものを言う世界なんだから仕方ないわ。縄を見ただけで勃起するなんて芸当は、いくら勉強したってできるはずはないわ」 「おいおい、おれを引き合いに出すなよ」 「あの人たちが真似をするのは、形ばっかりよ。中身はみんな見当違いよ。いくら口先でうまいこと言ったって、住民たちはそっぽをむく。観光資源にそっぽをむかれたら、観光客だってどんどんすくなくなっていくのは当然よねえ」 そう言うと、雨月はカウンターの上に両腕をのせ顔を横にすると眠ってしまった。 ワインのでかい瓶が、ほとんどカラになっている。 それを見ると、ネコみたいな声を出す店主は、慣れた手つきで、すぐに電話をとり、やっぱりネコみたいな声で、オサムちゃんのところへ連絡した。 「おたくのママ、寝ちゃったよ」 一分とたたないうちに、オサムちゃんが姿を見せた。 そして、雨月を肩にかつぐと、私にむかって、ぺこりと頭を下げた。 「先生、すみません。これからは、うちのほうで」 と言う。午前一時半をすぎている。 結局、雨月の家で、朝まで過ごすことになってしまった。 二階の屋根のひさしの下の釣りしのぶが、ひと晩じゅうチリンチリンと鳴っていた。 観光会社と原住民との関係は、わかったよな、わからないようなお伽話だが、酔いどれ女の酔いどれ話としては、いささかの味はあった。 私が観光会社に雇われ、利用されている原住民だという指摘は、いささか胸にこたえるものがあった。 そういえば、私が以前編集していた「裏窓」は、一般読者を相手にしていなかった。「正常」な性的描写を、極力排除していた。 そして私が作っていた「緊美研ビデオ」は、これはもう徹底的に「一般人」を相手にしていなかった。 私たちが目標にしていたのは、SM島に住む島民たちだけであった。 (つづく)
(つづく)