2008.7.7
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第四十五回

 枷井克哉氏の手紙


 河出文庫からは6冊目になる濡木痴夢男著の「緊縛★命あるかぎり」は、じつをいうと、出来上がった1冊目に目を通したとき、
(これはよくないなあ)
 と、私は思った。
 私の本心が100パーセント書き切れていないのだ。
 書き切れてない上に、この文章を連載してくれている雑誌への、私の媚び、へつらいが見える。
「媚びへつらう」を辞書でひくと、「相手の気に入られようとして、きげんを取る。おもねる」とある。
 その箇所がどこかは、とても恥ずかしくて、いまは書けない。じつは、いっぱいある。
 もの書きにとって、読者を意識することは当然である。読者を意識しなかったら、何も書けない。書く必要もない。
 しかし、雑誌の編集者の顔色をうかがいながら、執筆するなんて、言語道断である。心根が卑しい。最低といっていい。
 一方で、いま私は「濡木痴夢男のおしゃべり芝居」というのを書いている。
 これはいまのところ、雑誌とかの印刷物などに掲載するものではない。
 したがって、スポンサーのご機嫌をうかがうことなく、言いたいことを勝手に書いている。
 ただし、特定のだれかの心を傷つけるようなことは書かない。
 そういうものを書くときは、極力ボカシて、当人が読んでもわからないように表現する。だから本音が書ける。
 この「緊縛★命あるかぎり」は、どうもものたりないなあ。もう一つ、本音のところが書けてないなあ、と自分では思っていたが、これまで発行された5冊の文庫本同様、好意的な読後感を、たくさんの人たちからいただいた。激励の手紙も多い。
 それらの手紙を拝読しているうちに、すこしずつ自信のようなものも湧いてきた。
(自分ではものたりないところ、卑しく媚びている部分があちこちにあってイヤだけど、これはこれで、まあいいか)
 という気持ちになってきた。
 卑屈になったり絶望したり、反省したり、ときには自信過剰になって傲慢な気分になったりするのは、もの書きの常である。
 というところで、今回は枷井克哉氏からいただいた感想文を、ここに披露させていただく。
 私の文庫本の内容を、結構ほめて書いていただいているので、
(なんだ、濡木のやつ、また自慢話をはじめやがったな。自己宣伝ばかりして、イヤミなやつだ)
 と思われるかもしれない。
 そう思われるのを承知で、転載させていただく。

*       *       *

 過般、河出書房新社から出版された濡木先生の「緊縛★命あるかぎり」を拝読した。
 まず気付くのは、本書が二つの要素から成り立っていることである。
 一つは、濡木先生の現在まで倦まず撓まず続けられている、熱意と愛情とに裏うちされた「緊縛」の日々の「記録」であり、またそれは同時に「告白」といってもよい位の、精緻にして臨場感あふれる文章である。
 それは読者である私ども自身が、その現場にいるような迫力をもってせまってくる。
 また、いま一つは「解説」として書かれている風俗資料館館長の中原るつ女史の文章、これは「濡木痴夢男のもう一つの顔――猛烈執筆人生」として記されているように「緊縛師」としての一面と同時に、百戦錬磨の、それこそ名人といってもよい「文章力」の長い歴史をたどった、貴重にして愛情あふれる文章である。
 濡木先生の新刊のこの御本、これは「S&Mスナイパー」誌に連載したものをまとめられたとのこと。
 @別府から来た女を初めに、N石谷秀の極秘映像まで、十四人のモデルを縛った感触を、よくここまで、時々刻々の動きを、実感をこめて描かれたものだと驚く。
 多少はメモされていたとしても、そのリアル感への驚きに変わりはない。
 また、自己の性的衝動ともいえる面まで記されているのは、出色というべきであろう。緊縛者とモデルとの係わりを、ズバッと文章に表現されているのは、さすがである。
 私はこれまで、というより、かつて、と言うべきか、東京三世社のSMセレクト誌の濡木先生の「撮影同行記」や、小説SMセレクト誌の「濡木緊縛日記 モデルさまざま」などの歯切れのいい、きりりッとした文章を愛読してきたが、それらを合わせ持ったような本書「緊縛★命あるかぎり」を拝読して、先生の文章力の幅の広さを実感した。
 よく「芸術的緊縛美」とまで評される先生の「縄さばき」と合わせて、無双の文章力に、私はうっとりする。
 つぎに「解説」として筆をとられている中原るつ女史の文章である。
「濡木痴夢男のもう一つの顔――猛烈執筆人生」とあるように、これは緊縛師そして文筆家である濡木先生の足跡を、風俗資料館に所蔵される「奇譚クラブ」以下、一万七千余の雑誌、単行本などの文献、資料を踏まえて、濡木先生の過去を「猛烈執筆人生」として、とらえている。
 そして、五十余年にわたる濡木先生の文筆家としての歴史と、SM雑誌各誌のそれぞれの興亡を描いている。
 文筆名は、青山三枝吉、真木不二夫、藤見郁、藤木仙治、矢桐重八、白鳥大蔵等々、かぞえきれぬほど多くの名前を使って、膨大な量の、現代もの、時代もの、記録文、エッセイ等、多種多様の文を書いてこられた系譜を、「奇譚クラブ」「裏窓」などの雑誌の足取りを織り混ぜながら、情熱をもって中原るつ女史は綴られている。
 これだけでも一つの「SM文章史」として中原るつ女史のマニアぶりを遺憾なく発揮しているSMへの愛の証拠であろう。
 濡木先生が、ご自分の本の解説文を、中原るつ女史に依頼した「心」に、彼女は十分に応えている。
 この「愛情」と、純粋なマニア性を合わせ持って、多くの作品、資料を的確に読み込んだ上で、はじめて成る「成果」であり、解説という名の「作品」であることに間違いはない。
 私は、本書が出版されることを、以前からうかがって知っていた。
 そして本書を手にするまで、こんなふうに予想していた。
 数年前、自由国民社から「日本緊縛写真史」が出版された。その二巻目は、当然「濡木痴夢男の世界」を中心にして編集されるであろう、と。
 しかし、その二巻目は、未完のまま今日に至っている。
 一方、6冊にわたる河出文庫での濡木先生の著作は、「『奇譚クラブ』の絵師たち」の中で、主要人物として美濃村晃氏までが描かれている。
 それからあと続けるとなれば、ご自分ではいささか書きにくいとしても、流れからすると「濡木痴夢男の世界」を軸としたものになると私は思っていた。
 しかし、いまこうして本書を手に取ってみると、「命あるかぎり」とあるように、今日一日、そしてつぎの日もつぎの日も、一途に「緊縛」に生き、そして相応の愉悦に浸っておられる濡木先生の御姿であった。
 これは当然「生涯現役」と言われている濡木先生の姿勢であると理解できる。
 ここでくどいようだが、やはり注目すべきは、中原るつ女史の「解説文」であろう。
 熱い心と、強い力を持つこの文章には、この世界に生きる人間の本物の血が通っているのを感じる。
「濡木痴夢男のもう一つの顔――猛烈執筆人生」と名付けられた多彩な文筆活動の流れを、一言一句を丹念にたどって、濡木先生の文筆活動の成果を挙げているこの労作。
 これは後日、濡木痴夢男の文筆世界を探ろうとする場合の、大きな指針になる貴重な解説文と言える。

*       *       *

 以上が、枷井克哉氏から、濡木痴夢男あてに郵送されてきた、本書に関しての第一信である。
 原稿紙にきっちりと書かれた、もちろん自筆のものである。枷井氏は私同様、ワープロとか、パソコンのようなものは一切使わない。
 ところがこのあと、「まだ書きたいことがありました」といって、本書に関連しての手紙が再び送られてきた。もちろん、ていねいな自筆の手紙である。
 ありがたいことであります。
 感謝感激であります。
 ついでに、と言ってはまことに失礼なのだが、「命あるかぎり」の宣伝にもなることだから、その第二信目も、ここにずうずうしく転載させていただく。
(この回の文章は、すべてRマネにプリントアウトしてもらって、枷井氏のところに郵送しようと思っています)
 以下は、枷井克哉氏からの、第二信であります。

*       *       *

 濡木先生の文章に関して、私には三つのことが心にある。
 一口に文章といっても、さまざまなものがあろう。
「名文」「よい文章」「読ませる文章」また逆に「駄文」「つまらぬ文章」等々、良いにつけ悪いにつけ、いろいろな言い方がされる。
 いま仮りに自分で「よい文章」を書こうとしても、これといってすぐに役立つよい方法があるわけでもない。
 誰々の「文章読本」というようなものを見ても、それが「良い文章を書ける」ということにはつながらない。
 いまはあまり言われないが、「作多、観多、商量多」といわれたことがあった。
 多く作り、多く観、多く考える、ということらしい。多く作り、多く鑑賞することだ、ということになるのだろう。
 私は若いころ、作句に関連して、山本健吉の「現代俳句」(角川新書)や、飯田蛇笏の「現代俳句の批判と鑑賞」(創元文庫)などを愛読したものである。
(ただし、それで俳句がうまくなったという意味ではない)
 さて、濡木先生の「文章」である。
 先生は多才、多芸の人であるが、文章においても、まさに「達人」といっていい存在である。
「緊縛★命あるかぎり」の解説文の中で、中原るつ女史は「奇譚クラブ」「裏窓」からはじめて、多くの筆名を使い分け、それこそ「猛烈執筆人生」そのものの先生の執筆活動の足跡を、愛情を込めて書いておられる。
 それはまさしく天性の能力と努力によってなされた「結実」といってよいだろう。
 そんな多才な先生の執筆活動の中で、私はとくにSMセレクト誌に連載された「撮影同行記」や、小説SMセレクト誌に連載された「濡木緊縛日記 モデルさまざま」などを、くり返して愛読した。
 いずれも的確で、簡潔で、読者を撮影現場に引きずりこむような、臨場感に充ちた文体であった。
 これらの文章は、その刻々の撮影の実体を記した「記録」としても価値あるように私には思える。
 三世社がこれらをまとめて単行本として残しておかなかったことは残念である。
「緊縛日記」の中の一節であるが、こんな文章があった。
 ある緊縛マニアの集まりのことである。
 濡木先生の「縛り」を中心に、多くのマニアがそのテクニックを学び、楽しみ、歓談したのであるが、中に一人、立派な紳士然とした人がいて、名刺まで差し出した。
 後日、その紳士からたのまれた用事があり、先生がそこへ電話をすると、家族の人が出て、手ひどい反発をくらった、ということである。
 そこで先生は、自分はやはり「陰の人間」なのだ、世間に顔を出してはいけない人間なのだ、と思った……と記し、最後に、
「私の手元に、一枚の名刺が残った」
 の一行を加えておられる。
 一見さりげない一行のようであるが、大きな余韻を残し、この一行が、いかに利いていることか。
 舟橋聖一は「文章は最初にサスペンスを置けば、あとは楽なものだ」と言っていたが、それと同時に、あるいはそれ以上に「最後の一行、または一フレーズ」が大事だと私は思う。
 私は濡木先生のこの一行から、文章を書く際の、一つのコツを学んだと思っている。
 二〇〇四年七月に、河出文庫の1冊として出版された「『奇譚クラブ』の絵師たち」の巻末に「縄炎そして終焉」という一章がある。
 濡木先生が「緊美研通信」を創刊されたとき、そのお祝いに、先生あてに美濃村晃(須磨利之)氏から送られた二通の書簡(ページ数にして六ページ)が載せられている。
 病いを得て半身不随となられ、必死の思いで原稿用紙に書かれたものだという。
 どうにか読める程度に乱れた文字が連なっている。渾身の力で綴られたということがわかる。
「奇譚クラブ」「裏窓」以来、苦楽を共にしてこられた盟友から、濡木先生に宛てられた心情あふれる文章である。
 一字一字、手で書かれたペンの文字が、そのまま印刷されて掲載されており、それが言い知れぬ実感をもって迫ってくる。
「緊縛★命あるかぎり」の中で濡木先生は、人と人との真の交わりを示すものであれば、どんなわずかなもの、ちょっとしたものでも大切に蔵っておく、と記されておられる。
 何物にも代え難い盟友から送られた自筆の手紙であっては、なおさらであろう。
 この美濃村晃氏からの書簡と、それに応じる濡木先生の真情、誠実な姿勢が迫ってきて私は圧倒された。
 河出文庫のこの1冊を入手してよかったと私は感動し、涙する思いであった。
 そして、この上なき、よき盟友を持たれた濡木先生を、羨ましく思う。
 SMの世界において、盟友は意外とすくない。同好の士が寄り集まっているように見えても、マニアは一人一人が深い孤独の底にいる。
 いや、マニアに限らず、それが人間本来の姿なのかもしれない。
 私事にわたって恐縮だが、つぎのことも記しておきたい。
 私がかつて三世社の月刊誌「小説SMセレクト」に載せていただいた小説「蜂の胴惨歌」の抜き刷りのことである。
 抜き刷りとは、編集者や印刷所の方々の用語では「刷り出し」と呼ばれるものである。
 本や雑誌の一部分を抜き出して印刷したものであろうが、私が濡木先生からいただいた前記のものも「抜き刷り」と呼ばせていただく。
 表紙がつけられ、濡木先生の筆跡で「蜂の胴惨歌」と書かれている。
 この一編は、男性名とも女性名とも読める「浅野美樹」名義で私が書いた三編のうちの最後のものである。
 女性のウエストを人工的に極端に細くするマニアの物語で、こういう小説を載せてくださった当時の編集長・仙田弘氏の度量の広さを思う。ありがたいと思う。
 同編の掲載にあたって仙田編集長は、その編集後記で、
「縛りに叩きに吊るしに浣腸、これが昨今のSMの四大形態と思われている時に、一服の涼であろう」
 という意味のことを書かれていた。
 後日私は濡木先生から、その抜き刷りをいただいた。そういう先生のご配慮を有難いと思う。
 病床の美濃村晃氏から濡木先生へ送られてきた書簡。その書簡を、濡木先生は何よりも大切にされていると言われる。
 それと同じように、私もこの「蜂の胴惨歌」の抜き刷りを大事に蔵っている。

*       *       *

 以上である。
 ご存知の方も多いと思われるが、枷井克哉氏は写真家である。
 緊縛写真を撮らせたら日本で最高(世界規模になると私にはわからない)のカメラマンである。と私は断言し、ここに明記しておく。
 私はこういう仕事を五十年間つづけてきて「緊縛」を撮るプロのカメラマンを数多く知っているが、枷井克哉氏ほど魂をこめて緊縛写真を撮る人は、他にいない。
 枷井克哉氏の写真作品の多くは、SM誌に掲載されている。それを観ることのできるのは、いまは風俗資料館しかない。
 浅野美樹というペンネームで書かれた凄烈なマニア小説「蜂の胴惨歌」も、いまは風俗資料館でしか読むことはできない。
 そして、思えば、私・濡木痴夢男の足跡も、風俗資料館にその一片が残るのみである。
 枷井氏の手紙文の中にあるように、しょせん私は陰の人であり、陰の人でなければいけないのである。
 私の新刊「緊縛★命あるかぎり」の宣伝から始めて、しめくくりは風俗資料館の宣伝みたいになってしまった。
 しかし、枷井克哉氏の手紙は、同好諸氏に読んでいただく値打ちが十分にあったと思う。

つづく

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