2008.7.14
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第四十七回

 性生活ではありません


 今回も「緊縛★命あるかぎり」を読んでくださった方からの手紙を紹介します。
 めずらしく、女性の方からです。
 これまで河出書房新社さんから五冊出していただいた私の文庫本の反響をみると、女性の読者も結構多いと思われるのですが、わざわざお手紙をくださるという方はめずらしい。A4の紙に横並びのパソコン文字ですが、封筒に入れて出版社経由で、私の手もとに届きました。
 パソコン文字できれいに並べられたメールの場合でも、それを私が原稿紙に肉筆でわざわざ書き写し、さらにまたRマネがパソコン文字に打ちなおして発表するというのは、なんとも回りくどい、非能率的な手順ですが、ワープロを勉強しようという気が私にまったくないので仕方がありません。
 前回告白したように、右手の五本の指に、使い慣れたペンを握って一字一字書くことは、私の場合、それがそのまま女体を縛る縄を操作する指先の感覚の訓練になります。
 ワープロで文字を綴ることに慣れると、生きて呼吸している女体の肌と触れ合う指先の微妙な縄の感覚が失われてしまいます。
 ペンを使って肉筆で文章を生み出していく指先の感覚と、縄で女体を生き生きと悩ましく縛る感覚と、同一のように思えます。
 ま、これは私だけの信仰のようなものかもしれません。
 指先でキイを押して文章を書くことに慣れると、同じ指先で扱う縄から、SMの繊細なにおいとエロティシズムが逃げていってしまうような錯覚をおぼえます。
 というわけで、今回はB子さん(仮りにB子さんとさせていただきました)からいただいたお手紙です。
 例によって個人情報になりそうなところは伏せておきます。
 ご迷惑がかからないように、極力注意しながら紹介させていただきます。

*       *       *

 以前、或る雑誌の撮影で、一度だけですがモデルとして濡木先生に縛っていただきました。
 それはN倶楽部の「縛り方講座」というページでしたが、濡木先生はじめ、カメラマンの方、スタッフの方たちがみなさんとても明かるくて冗談がお好きで、楽しい撮影の一日でした。
 その後、べつの会社のビデオの撮影で、約束とはちがうひどいことをされ、心に傷をうけてモデルをやめました。
 それから一度、江戸川区小岩の湯宴ランドの中の演芸場で、大衆演劇の女形の役者さんとうれしそうなお顔で握手をされている濡木先生をお見かけしましたが、私のことなんかもう忘れているだろうと思い、だまっていました。
 濡木先生のご本は出るたびに買って読ませていただいております。
 一度だけでしたが、あのときの撮影は本当に楽しく、忘れることのできない思い出です。
 こんどの先生のご本は、いままでの河出文庫にくらべて、性描写が赤裸々すぎるほどいやらしくて、圧倒されっぱなしでした。
 表紙カバーをひっくりかえして、毎日の通勤電車の中で読んでいたのですが、文字だけのページだけでも、周りの人たちの目が気になってドキドキしました。
 濡木先生の性生活(?)がよくわかりました。
 いつもバッグの中に、折りたたみの傘の代わりに、細めの縄を三本入れているというところは、なんだかすごいと思いました。
 世の中にはふしぎな人がいるものだ、と思いました。
 でも濡木先生にふさわしいお姿だと思いました。
 先生の性生活(?)の中から、SMに対しての考え方がよくわかったような気がしました。
 先生の生きざまのようなものを感じてしまいました。
 先生のすべて(などと言ったら失礼だと思いますが)を知ったような気分になりました。SMというものの奥の深さをすこしだけ知ったような気になりました。
 中原るつ様の「解説」を読んで、濡木先生の活動の幅の広さ、奥の深さが、さらによくわかりました。
 これまでに読ませていただいた河出書房の五冊のご本の中で、先生が作家だということはわかっていましたが、まさかこういう「猛烈執筆人生」を送ってきた方だとは知りませんでした。
 私は濡木先生の小説をぜんぜん読んでいないので(以前の河出文庫の中にあった小説のような読物、あれが先生の作品だったのでしょうか)こんど、ぜひ、この「解説」の中に出てくる小説を読みたいと思いました。
 風俗資料館というところへ行ったら読ませてもらえるのでしょうか。
「解説」を読みますと、SM小説の中にはずいぶんいろんなジャンルや形のものがあるみたいで、私はぜんぜん知りませんでした。
 いまはどうしてそういういろんなジャンルのSM小説がなくなってしまったのでしょうか。
 SMというと私はすぐに女の体と心をいやらしく犯して痛めつけ、傷つけるものだと思ってしまいます。
 それは私の一度だけのビデオ出演の経験によるものだと思いますけど。
 いろんなSMがあるのですね。
 そういえば、濡木先生とのあの撮影は、とってもあたたかくて、甘い、楽しいものでした。ですから忘れられません。
 こんど風俗資料館へおうかがいして、いろんなSM小説を読ませていただこうと思っています。

*       *       *

 以上であります。
 B子さん、率直な感想文をありがとうございました。
 そうですか、私の「緊縛★命あるかぎり」を読むと、私の「性生活」がわかるのですか。こまったな、これは。
 あれは私の「性生活」のすべてではなく、ほんのゆきずりの、いってみれば小風景なのですよ、B子さん。
 毎日毎日、あんなことをやっているわけではありません。
 それに「性生活」と言われても、私の場合、結局は「縄」が中心なのです。
「縄」がないと、どんな美女が裸になってせまってきても、何も始まらないのです。
 まずは「縄」が存在してないと、駄目なんです。
 このへんのことを多くの人たちは誤解している。
 数年前、SM関係の雑誌や本をたくさん発行している出版社の編集責任者の方と、このことについて話し合ったとき、どうしてもわかってもらえず、最後には、
「あなたは縄、縄、縄と言いますけど、結局やりたいのはセックスなんじゃないですか」
 と、私のことを、あからさまに軽蔑した目で、その人は言いました。
 どうしても理解してもらえないので、この人とはもう、こういう話をするのはやめよう、と私は思いました。
(このことは以前どこかに書きましたが、そのときの彼の軽蔑の笑いがあまりにもひどかったので、くやしくて、また書いてしまいました)
 この「おしゃべり芝居」の中で、こういうことを書き始めると、またやたらに長くなるので、このへんでやめます。
 前に書いたように、結局、私たちは「SM島」の原住民であり、それをおもしろがって客集めをする観光業者にとって、私たちは観光資源の一つにすぎないのですから。
 というわけで、B子さん、あなたが言われた私の「性生活」は、「性生活」なんていうご大層なものではなく、単なる「縄の遍歴」にすぎないのです。
 でも、おもしろいご感想、うれしかったです。ありがとうございました。
 あつく御礼申しあげます。ぜひまた何か書いてください。あなたの文章、おもしろい。
 町のどこかで私の姿を見たら、こんどは声をかけてください。お相手します。
 それにしても、大衆演劇の女形の手を握って、ニタニタ笑っている私の姿なんて、とんでもないところを見られてしまいました。
 じつは、これは内緒ですが、あなたが私を見たというあの大衆演劇の演芸場へ、昨夜も私はRマネと一緒に行っていたのですよ。

つづく

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