2008.7.16
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第四十八回

 「解説」への賛辞


「緊縛★命あるかぎり」について、さまざまな感想、読後感をいただいています。
 反響があるというのは、ありがたいことです。ありがとうございました。
 何も言ってくれなかったり、無視されるのはさびしいことです。
 お寄せくださった方々に、何かお礼をしようと思っても、本の内容が内容なので、具体的なことは何もできない。
 こういう場所でお礼を申しあげ、紹介させていただくより他はありません。
 Cさんからいただいたメールには、これまでとはいささか違った雰囲気があり、どなたが読まれても興味があると思われたので、例によって個人情報的なところは伏せながら、書き写させていただきます。

*       *       *

「縄師」とか「調教師」とかいう存在に対して、私には偏見があったようだ。
 なにやら怪しげな作務衣のようなものを、もっともらしく着て、妙に気取った人かと思っていた。
 女性を縄で縛るという大それたことをして、偉そうにしているのだから、やはり本当に偉い人なのかと思っていた。
 女を裸にして自由自在に縛ることのできる人なのだから、確かに普通の人たちとはちがう、偉い人なのだろうと思うこともあった。
 インターネットをみると、実際に金銭を取って、縄で女を縛る術を、多くの人に教える「縄師」が存在する。
 教えを乞う人たちに対して、「段」とか「級」を与えたりするのだから、偉い人にちがいないと思っていた。
(いうまでもなく、これは皮肉である)
 第一、「縄師」とか「調教師」とかいう名称が、尊大でいやらしく、ものものしいと私は感じる。妙にいかがわしい。
 ビデオ制作業者や雑誌社が、自分たちが作った商品に、なんとか値打ちをつけようとして、わざと仰々しく、もっともらしく、尊大に、「縄師」とか「調教師」などと騒ぎ立てているような気がする。
 濡木氏の「緊縛★命あるかぎり」を読むと、氏ほどの「縄師」も、われわれと同じ次元で劣等感に悩み、ときに迷い、欲情にふりまわされ、苦悩している姿が活写されている。
 自信や自慢やうぬぼれの裏に、劣等感が垣間見えるところに興味を抱いた。
 極めて人間的な、われわれマニアと同じ心情が、平易な文章の中に感じとれる。
「縄師」といえども単なる職業の一つにすぎない、ということがよくわかった。
 一般の職業人とはやや変わった生活を送っておられるからといって、べつに雲の上の人間ではないのである。
 雑誌社などはひたむきになって、異次元の人間扱いにし、雲の上の人間扱いにして誇大宣伝をしているが、濡木氏はそれをすべて否定しているところがおもしろい。さすがだ。
 中原るつ氏は、その解説文のなかで、
「限りなく広がる無上の快楽そのものを味わわせてくれる濡木氏の作品世界。そこには、想像力豊かな者だけが持つ特権である、イマジネーションの快楽と幸福があります。その意味で濡木氏の作品は、五十年変わらず、自らの深淵を表現した、ロマン溢れる『純文学』なのだと、私は確信いたします」
 と賛辞を送られているが、私は濡木氏がおのれの劣等感を吐露する部分に、とくに純文学の匂いを嗅いだ。
 中原氏の解説を読むと、濡木氏の一種超人的な活躍ぶりは、本当だろうかと、疑問に思ってしまう。
 濡木氏の作家としての筆名は、いくつかは知っていたが、中原氏の解説によって、詳細を知ることができた。
 これだけでも、この解説は単なる形式だけの解説以上の労作と言えるだろう。
 何十年間にわたって発表しつづけた小説類の大部分を読まなければ、これほどの解説は書けない。
 本文の執筆者はもちろんマニアにちがいないが、解説者も堂々たるマニアだと感じ入った。この誠実な熱意のある解説には感動した。実は私もマニアの一人として、かなり以前から濡木氏の存在が気になっていた。
 いってみればファンの一人と言うべきかもしれない。
 濡木痴夢男という名前を出現させたときから、SMに対する考え方、趣旨が一貫しているところに信頼をおくことができる。
 中原るつ氏もそのことに十分の価値を置いて、解説を引き受けられたにちがいない。
 以上、思ったことを、とりとめもなく綴ってしまった。
 濡木氏のこんどの本は、露出的、露悪的な箇所がとりわけおもしろく、私に感銘を与えた。それを重ねて申しあげておく。
 ここまで本心をさらけ出されては、マニアとしては信頼するより他はない。

*       *       *

 以上であるが、このあとC氏は、突如としてご自分の性癖を告白される。
 SM雑誌などで、よく編集部の創作だと思われる記事よりも、よほどリアルで熱っぽく興味深い心情があふれていて私は感動したのだが、やはりこれは「個人情報」だと思われるので、ここにはのせられない。
 なにかの形で、ぜひ発表されるように、C氏におすすめしておく。もちろん匿名でもかまいません。
 真実の告白は、多くのマニアの心を救い、悩みを癒やすことになります。
 逆に、レベルの低い通俗的理解と解釈のもとに制作された「SM商品」は、マニア読者に軽蔑され、マニアはぜったいに買わないということを、この際申し上げておく。
 マニアどころか、「ノーマル」な一般読者だって、真実味を持たないコケおどかしの「SM商品」なんか、買うはずがない。
「コケおどかし」という言葉を辞書で調べてみますと……あ、あった、あった、ありました。
 フーン、「虚仮脅し」と書くのか。
 なるほどね。意味は、
「外見だけおおげさなこと。あさはかなおどかし方」
 とあります。
 あ、私はまたよけいなことを書いてしまった。私はどうもおしゃべりでいけない。

 この他にも好意ある感想文をたくさんいただきました。
 ここでこういうことを言うのは、風俗資料館の館長である中原るつさんにおもねるようでためらってしまうのだが、「解説」を書かれた彼女への賛辞が多い。ほんとに多いのですよ。
「おもねる」というのを漢字で書こうと思って辞書を引いてみたら、なんと、
「阿る」
 と書くのです。知らなかった!
 私はやっぱり無学な人間でありました。
「阿る」と書いてあるだけでは、私にはとても「おもねる」と読めません。
「ある」
 と読んでしまう。考えてみると、
「阿諛追従」(あゆついしょう)の「阿」であります。
 で、「阿る」の意味は、「人のごきげんを取ってその人に気に入られるようにする。へつらう。こびる」とあります。
 ま、じつを申しますと、たしかに彼女に対して「阿る」気持ちが私にあります。
 それというのも、この私の本の「解説」を彼女にお願いしたとき、彼女は、はじめはイヤだ、そういうものは私に書けない、と拒否されました。
 私はあきらめずに彼女の足もとにひれ伏し、おがみ倒し、執拗に食い下がってくどき落としたのです。
 私のしつこさが功を奏して、とうとう彼女に書いてもらうことに成功しました。
 結果は大好評です。
 まず第一に、河出書房新社の編集の方によろこんでいただけました。
 ありがとうございました、と私はまたここで、すこしだけ「阿る」気持ちもあって、私に送られてきた感想文の中から、「解説」に関するところだけを、これから書き写してみます。
 お読みいただければ、私が単に「阿る」だけの気持ちで紹介するのではないことがおわかりいただけるでしょう。
 彼女の「解説」を読んで感心して、みなさん、内容の濃い、意味の深い感想文をお寄せくださいました。
 はじめに、D氏からいただいた手紙。
「SM誌の歴史的な流れを、編集者や作家たちの精神面まで捉えておられ、しかも分かりやすく書かれているのに感動いたしました。お仕事柄、という以上の丁寧な配慮、さすがです。中原るつ館長の解説文は、この本の価値をさらに高めていると思います」
 このD氏というのは、じつは私に「濡木緊縛日記」を毎月書かせてくださる雑誌の編集者である。
 その連載が四十五回分まとまって、「緊縛★命あるかぎり」という一冊の本になったのである。
「濡木緊縛日記」は現在も毎月「S&Mスナイパー」に連載されています。
 つづいて、E氏から送っていただいたお手紙。
「濡木先生はずいぶん自由にのびのびと書きたいことを書かれていますね。だから読んでいて楽しいのでしょうね。深刻なところもありますが、全体的に明かるい感じがします。そしてその濡木先生の作品の解説者として、中原さんは最高の人ですね。最高の適任者が、最高の解説を書かれましたね。濡木先生の過去および現在のお仕事を紹介されるのに、これ以上の文章はないでしょうね。これ以上の文章が出現するのは、中原さんご自身が、これ以上のものを書かれたときでしょう」
 つぎにFさんからいただいたお手紙の中から「解説」に関した部分だけを抜粋して紹介します。
「この解説は本当に勉強になりました。黄金期と呼ばれていた時代には、ずいぶんたくさんのSM雑誌が発行されていたのですね。しかも、いまと違ってマニア読者に密着した内容の濃い、範囲の広い、楽しいSM誌が……。そのことが中原るつ氏の解説の中に紹介されていて、夢のような思いでした。SM雑誌の歴史というのは、そのまま日本のSM風俗そのものの歴史でもあるのですね。歴史というのは、何かにしっかりと書き残されてないと、後世の人たちにとって、歴史として認識されないのだから、風俗資料館というところは、そのまま日本のSM史が記録されている場所なのですね」
 このFさんからのお手紙を読んだとき、私は、ああ、そうか、「奇譚クラブ」の実物が無かったら、あの戦後のSMマニアの存在も精神史も、すべてこの世に無かったことになるのか、ということに気がつきました。
 私が前にこの「おしゃべり芝居」に書いたように、マニアのためのSM誌といえども、結局は利益を目的として作られる。
 だから、利益がなくなれば、ただちに発行は停止され、消滅してしまう運命にある。
 個人がどんなに愛情をこめて収集し、保管していても、その個人がこの世にいなくなれば、つまり死んでしまえば、保管されていた資料も史料も、ただちに消滅する。
 私はこの世界に長くいるので、無残に資料が消滅していく現場の姿を、何度も見ています。
(なんだと?SMは市民権を得ただと?ふん、きいたふうなことをぬかすな!)
「きいたふう」という言葉を、辞書で引いてみました。
「利いた風」と書くのですね。
 漢字をまぜて書くより、ひらがなだけで書いたほうが感じが出るなあ。
「もの知りぶってなまいきな態度。知ったかぶり」
 という意味です。
 どのような形であれ、SMの史料、そして資料を、しっかりと受け継いでいく人間が必要です。
 だって、自分が死んだら、いままで熱い思いでつきあってきたこの世界がすべて消滅してしまうなんて、さびしいじゃないですか。
 人間死ぬと同時に、自分の意識も消滅してしまうこと位、私にもわかっています。
 だけど、自分が死んだあと、それこそ命をかけて収集した資料などを、愛情をもって、きちんと受け継いでくれるひとがいる、と思うだけでもいいではありませんか。
 そう思うだけで、安心して、楽しく死ねます。
(SMは市民権を得た!などときいたふうなことをぬかすやからは、マニア当人が死んだあと、その家族たちによって、せっかく収集した資料を、どのような冷酷な仕打ちで破棄されたかを、おそらく知らないのでしょう。私は職業柄、その無残な現場を数回目撃しています。私自身が、私が生きているというのに「奇譚クラブ」時代の貴重な愛しい資料を、家族の手によって棄てられたという経験があります。市民権を得たどころか、SMはいっそう忌避されているとしか私には思えない)
 そういう意味でも、中原るつさんのような存在はありがたい。
 私はときどき、この人は「SM」の神様が天から授け給うたのではないかと、本気になって思うことがあります。
 おや?
 私は何を書こうとしていたのだ。
 自分が書いた「緊縛★命あるかぎり」の宣伝をしていたはずではないか。
 どこから横道に外れたんだろう。
 どうも私はおしゃべりでいけない。

つづく

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