2008.8.4
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第五十回

 縄遊びの世界


 前回の「縄ナシ、縄アリの差」をお読みになった「みか鈴」さんから、すぐに感想文をいただいた。
(ありがたいことです。いつも感謝しています)
 みか鈴さんからのお手紙を拝読し、
「あ、そうか、そういうことか!」
 と思ったことがある。
 それは、或るビデオ制作・販売会社に、二十年も前から預けっぱなしにしてある私の縄入りバッグが、盗難にあった話である。
 現在使用中の縄が二十本一度に紛失しても、すぐに使える予備の縄はつねに五十本程度は用意してあるので、撮影に支障をきたすことはない。
 が、きちんと整理されているビデオ会社の衣装部屋の棚に置かれていたものが、忽然として消えたということが、いささか不気味であった。
 私は、これも予備に買っておいた赤い大きな布のバッグの左右の腹部に、ことさら目立つように「濡木縄」と自分で書いた。
 大きく太く書いたので、ややグロテスクな感じである。
 そして、その中に縄を二十本入れた。
 これだったら、だれも持っていかないだろう、ということを、私は前回書いたのである。
 ところが、お読みくださったみか鈴さんから、
「それなら、余計に持って行く人がいますわん……」
 というお言葉をいただき、私は「ウーン!」とうなったのである。
「何故、そう思うのかと言いますと、先生はそうは思ってはいらっしゃいませんが、『濡木痴夢男』という名前は、緊縛系SMをする人にとっては、大きなブランドで御座いますのよ。そう申しますと先生は『えっ……そうなの?』と仰ると思いますけど……そうなのですのよ」
(中略)
「ですから、縄にフェティシズムを感じる方にとっては、使い古した『濡木縄』は、盗みを働くには充分な動機となりうるのは、美香の邪推ではないと思うのです。」
 以上、みか鈴さんからのお手紙を要約させていただいた。
 ウーン!
 正直なところ、そんなふうに、私は一度も思ったことがなかった。
 ほんとである。
 ホントに、ホントである。
 そんなバカなことが、あるわけない、と私がここで、いきりたって弁解すると、それはそれで、また何か自意識過剰の嫌味みたいになりそうなので、もうやめておく。
 私は、自分のこの、下品でいかがわしい、劣等感のかたまりのような「濡木痴夢男」という名前が、ブランドになっているなんてこと、思ったことは一度もありません。
 正直に申します。ホントに、一度もありません。
 ただし、みか鈴さんの私への励ましのためのお世辞、ありがたく、うれしく、うけたまわっておきます。
 このあと、みか鈴さんのお手紙は「全身性感帯」の話題に移り、
「美香の経験からしますと、縄で絞められると、性感は増すように思いますけど……どうなのかしら。」
 と書かれていますが、この一言は、私にとって、非常にありがたいのです。
 なにをいまさら……と思わないでください。こういうこと、こんなかんたんなことを、実際には、だれも教えてくれないのです。
 だれも私に言ってくれないのです。
 私が全精力をそそぎ、魂を縄にこめて縛っているのに、石谷秀さんも、落花さんも、黙っているだけで、何も言ってくれないのです。私が聞いても、教えてくれないのです。
 快感のあまり、口がきけないのではないかと私が勝手に思って満足してしまえばいいのですけれど、私には正直いって、その自信がありません。
 SMの快楽は、しばしば自己中心的、つまり自分だけよければいい、という気持ちになるといいますが、やはりそうなのでしょうか。
 自分さえよければ、快楽を与えてくれている相手の気持ちなんか、どうでもいいのでしょうか。
 こんどのC社のビデオ撮影のときのモデルである井上正子さんに、いま私が期待しているのは、私の縄に彼女が正直に反応してくれて、自分の気持ちを、素直に表現してくれることです。
 このあいだは「面接」だったので、井上正子さんの本当の姿は、わからない。
 面接というのは、いってみれば「採用テスト」みたいなものです。
 無意識のうちに、監督や私のご機嫌をとるような反応をすることだってあります。
 撮影本番のときは、井上正子さんの本当の気持ちを知りたい。
 彼女の真実の反応をたしかめたい。
 いま、ひたすら、そう思っています。
 どんなに真心をこめて女性を縛っても、相手に無反応でいられると、私は不安になってくるのです。
 縛っていても、不安感のほうが先になって、いい気持ちになれません。
 せっかくの私の欲望も、萎えてきます。これは私の本心です。
(ね、おわかりでしょう。いつもいつも気軽な顔をして女性を縛りながら、心の中ではこんなにも不安をかかえている濡木痴夢男のような男が「ブランド」であるわけがないじゃありませんか)
 でも、みか鈴さんは教えてくれました。
「美香の経験からしますと、縄で絞められると、性感は増すように思います」
 と……。
 短いお言葉ですが、これは私にとって重要な示唆になります。
 私はこの言葉を信じて、こんどの撮影の現場にいきます。
 モデルの快感を増すためだけに心を集中させて縛り、彼女の快楽神経を緩急自在に縄で絞めて刺激するように心掛けます。
「縄ナシ」のときでも「縄アリ」のときでも、モデルの反応が同じだったら、私の立つ瀬はありません。
「縄ナシ」で撮影したときのほうが「縄アリ」のときよりもモデルの反応がエロティックだったら、私は自信を完全に喪失し、もう縄を手にすることさえイヤになってしまうでしょう。
 役者を育てるのは、舞台を観ている客だ、ということが、むかしからよく言われます。
 縛り係を役に立つように育てるのは、監督やカメラマンよりも、縛られるモデルの反応かもしれません。
 井上正子さんという鋭敏な性感反応をもつモデルさんは、きっと私に、何かの新しい刺激を与えてくれそうな気がします。
 私は今回の撮影は、「縄ナシ」つまりノーマルな性行為に終始するAV映像に、いまから内心で激しく対抗しています。
「縄アリ」の効果と威力をみせつけてやろうと、ひそかに決意をしています。
 アリとか、ナシとかいう表現を、ついうっかり使ってきましたが、これは私たちの、というよりはC社の現場だけが使う言葉です。いってみれば業界用語の一つです。
 たとえば、ムチ打ちのシーンなんかに、監督が私に、
「ここは彼女を縛ったほうがいいですかね。それとも、縛らないでムチ打ちをやったほうがいいんでしょうか?」
 などとききます。
 そんなとき私は、
「そうですねえ。それじゃ、アリナシで撮っておいて、あとで編集するときに、監督がいいと思ったほうを使ったらどうですか。アリのときは、背中とお尻を叩くように、手首を高く上にして縛っておきましょう」
 などと答えます。
 お気づきでしょうが、これはあまりいい演出法ではありません。
 自信があれば、最初からどちらかにきまっているはずです。
 アリナシで撮っておいたらどうですか、などと私が言うのは、一種の責任転嫁です。
 が、便利なので、こんなやり方で撮影を早く進行させてしまいます。
 本当はドラマの流れを重視し、それにムチを使う人の上手下手、モデルの反応の良否できめなければいけないのです。
 くり返しますが、とにかく、ノーマルなセックス以上の興奮と快楽を彼女に与えなければなりません。
 しかし、さすがにC社で実力、権力ともにナンバーワンのY監督です。
 今回、三年ぶりになる監督作品に、井上正子を採用し、撮影以前に彼女を私に面接させ、私の心をこんなにふるい立たせてしまった。
 考えてみれば数年前、「濡木痴夢男の縄の世界」を、数えきれないほどの量(本当に数えきれない、二十本か三十本か、あるいはそれ以上か)を作り出した監督なのです。
 縄の世界シリーズだけでなく、「女囚幻想」という堂々たるドラマシリーズもあります。これはすべて私の台本です。
 濡木痴夢男の効果的な使い方をよく知っている監督です。
 それにくらべて、私を単なる「縛るマシーン」としか認めてくれない雑誌もあります。
 私はただモデル女性の体を縛るだけの役目で、あとはポーズも表情も、カメラマンが一人でつくってしまいます。
 カメラマンがもつ「SMの形」だけのイメージで撮影は進行し、縛られたモデル女性の「心」も「反応」も、ほとんど無視されてしまいます。
 モデルは人間ではなくなり、人形にされてしまいます。縛られ人形。
 まあ、縛られた女の「心」を無視して、人形にしてしまうのも「SM」の一つだと主張されれば、それはそれで納得するより他はありません。「なるほどね」と私も思ってしまいます。
「SM」というのは、まことに便利なしろものです。これもSMだ、といえば、たいていのものはSMになってしまいます。
 私のは、ですから、「人形縛り」のSMとは、正反対の位置にある、生きている女の快楽を追究し、表現する「縄遊び」の世界ともいうべきものなのでしょう。
 そして(ここがいちばん肝心です)この「縄遊び」の世界こそが、最も多くの「緊縛マニア」に支持されている、と信じているのですが……。
 というわけで、ずいぶん大見得を切ってしまいましたが、「全身性感帯」を「売り」にする井上正子の撮影、いかなることになるでしょうか。

つづく

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