2008.8.12
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第五十一回

 モデルの心にある「何か」


 某誌から依頼されて「濡木痴夢男の忘れ得ぬモデルたち」という短い原稿を書いた。
 与えられた枚数は、二枚である。
 うっかり二枚と書いたが、原稿の長さのことを、いまは枚数とは言わない。
 枚数というのは原稿用紙の枚数のことである。
 こんなこといまさら言うと笑われるが、当今の出版社はパソコンで編集しているので、枚数とはいわずに「文字数」というのだ。
「字の数は八〇〇字でおねがいします」
 というふうにたのまれる。
 文字数をこまかく指示されると、文章を刻んで書かなければいけないような錯覚に一瞬おちいり、不安になる。
「枚数」という言葉には、「原稿を肉筆で、大らかな気分で書く」という、血のかよった伝統的なひびきがある。ひろがりのようなものを感じる。
 風格のある老舗の出版社の編集部からは、いまでも「枚数」で原稿の依頼がくる。
「五十枚前後でおねがいします。多少長くなってもかまいません」
 というように余裕を持たせてある。依頼されたほうも、のびのびと書ける。
「文字数八〇〇字で書いてください」
 などと言われると、なにやら機械的な、味気ない文字の羅列が脳裏をよぎる、などというのはもう古いのだろう。
 ちかごろは私でさえ、
「八〇〇字?はい、わかりました。それじゃ八〇〇字で書きましょう」
 すいすいと応答する。
 長いものには巻かれろ。
 というより、私はもともと短い原稿を小さな枠の中にはめて書くことに慣れている。
「SM雑誌」全盛のころ、ペンネームをいくつも使って、どれほど数多くの短い原稿を各誌に書いたことか。
 その内容をここに紹介すると長くなるので省略するが、要するに「SM」と呼ばれるもろもろの嗜好、性向、現実・非現実の夢想・空想のさまざまを、こまかく綴ったものである。
 いまとちがって当時のSM誌の内容は、肌理(きめ)がこまかかった。
 肌理のこまかい分だけ、読者の数も多かった。
 いまのSM誌は、見た目に派手な、センセーショナルなものばかり取り上げて、肌理が荒くなっている。
 SMの嗜好とは、もともと肌理のこまかい、磨ぎすまされた神経をもつ人間が抱くものである。肌理が荒くなった誌面から、読者が離れていくのは当然である。
 マニア各派の嗜好・性向、秘癖の数々を、読者からの告白投稿として、字数と行数の限られた小さな枠の中に入れて、私は多岐にわたってこまかく書いた。
 マニアの嗜癖の種類の多さ、その感覚の繊細さが、私にはおもしろくておもしろくて仕方がなかった。
 マニアこそが最も人間らしい人間だと思った。
 この時期の私の執筆状況を、私は「仕事メモ」として記録している。
 その記録を、先日、風俗資料館におさめたので、興味のある方はお目通しください。

 で、話をもとにもどす。
「濡木痴夢男の忘れ得ぬモデルたち」を八〇〇字で書いてくださいと頼まれ、はいよと言って引き受け、杉下なおみという女の子のことを書いたのだが、結局、三枚半になってしまった。
 千字を越したことになる。
 けずるのもめんどくさいので、そのままRマネにわたし、パソコンで送稿してもらった。
 杉下なおみについては、こんなことを書いた。
 撮影終了後、カメラマンやスタッフと一緒に食事にいくと、杉下なおみはレストランの片隅にうずくまって、両手で顔をおおって泣く。
 楽しかった撮影の一日が終わって、またしばらくは「縛り」から離れると思うと、さびしくて涙が出てくると彼女は言うのだ。
 細くて長い手足を小さく折りまげて、両膝をかかえ、背中を丸くして泣く姿は、他の客たちの目にはかなり異様である。
 みっともないからやめろ、と私は言う。
「いくら泣いたって撮影はもう終わったんだ。おれたちはひと晩じゅうきみの相手をしているわけにはいかない。あしたになればあしたの仕事があるんだ」
 だが、彼女はまぶたを赤くして子供のように泣く。
 そして、空腹のはずなのに、なにも食べない。
 そういう話を千字の中につめこんだが、その後のことを、これから書く。
 レストランを出て、スタッフはそこで解散し、おそくなったので、なおみをカメラマンの車で家まで送っていくことになる。
 その車に、私も同乗する。
 当時、私の住居は東横線の祐天寺駅近くにあり、なおみは両親と一緒に、三軒茶屋に住んでいた。
 そこで、はじめに、なおみを彼女の家の近くで下ろし、つぎに私の住居の前まで送ってもらう、という予定をたてる。
 カメラマンは、なおみと私を送ったあと、京王線某駅の近くまで車を運転して帰宅する。
 三軒茶屋は繁華街を離れて住宅地に入っていくと、急に道はせまくなり、暗くなる。
 世田谷区の裏通りには、古い木造建ての家が並び、妙にまがりくねっている道が多い。
「近道をいくわ。私が道を言うから、そのとおりに走って」
 と、ハンドルを握るカメラマンのF君のとなりにすわりこんで、なおみが言う。
 夜十一時近くになっていて人通りがなく、道はさらに細く暗いので、F君は用心ぶかく徐行させている。
「あ、ちがった。もう一つ先の道を左へまがるんだったわ。こんなところ、私、通ったことないわ。ぜんぜん見たことのない道だわ」
「おいおい、しっかりしてくれよ。このへんはもう、お前の家の近くのはずだぞ。なにか目印みたいなものはないのか」
 と、F君は早くも不安な声になっている。
 すでに十数回なおみの緊縛写真を撮っていて、彼女の性格は大体わかっている。
「暗くてよくわかんないのよ。あ、そこ、こんどは右よ。右へまがったら、きっと見覚えのあるところへ出られるわ」
 右へまがっても、道はますます暗い住宅が密集する場所へ入っていく。
 私にはもうまったく方角がわからない。
「あ、やっぱりちがうなあ。また変なところへ出たわ」
 と言って、なおみは、ふふふ……と笑うのだ。
「おい、たのむぜ、なおみ。こんなところへ迷いこんだら、お前だけがたよりなんだぞ。人の姿が見えないんだから、だれにも道をきけない、助けてくれよ、おい」
「ごめんね、F君。だめだわ、私。ほんとに迷っちゃったわ。もう私、わかんない」
「おいおい、しっかりしてくれよ。とにかくどこか明かるいところへ一度出ようよ」
 と、私も不安になって声をあげる。
「でも、道に迷うって、楽しいわねえ。私、迷い子になるって大好きなの。このまま三人で、ずうっと道に迷っていようよ」
 そしてまた、ふふふ……となおみは笑った。
 その暗い笑いの中に、冗談以上のものがあり、一瞬ではあったが、寒気が背筋に走るのを感じた。
 夜の道を迷った末にどうなったか、じつのところ、私の記憶にない。
 べつに事故もおこさず、だれにも迷惑をかけたおぼえはないから、時間はかかったけど、なおみの家のすぐ近くまで、車はたどりついたのだろう。
 心の奥に、なにか重いものをかかえている女は、杉下なおみに限らない。
 縛られて手足の動きを封じられて、あるいは苦痛を与えられて、それで「気持ちいい」というのは、やはり普通ではない。
 当時「緊美研」に、いっときの癒やしと、快楽をもとめてやってきた女性たちの心には、それぞれ「何か」があった。
 その「何か」は、根本のところでみんな共通しているもののように、私には思える。
 人間だったら、だれでもが持つ生きていく上での「業(ごう)」のようなものかもしれない。
 それをとくに鋭敏に、心身の奥にとりこんでしまう者が、この感覚を有するのだろう。
 縛られた女の姿を、異常のものと思い、多くのカメラマンは、その異常な「形」だけを撮ろうとする。
 異形の奥底にひそむ孤独感、寂寥感、不安感に気づくことなく、ただ「形」だけをいろいろ変化させて撮ろうとする。
「形」だけ、つまり表面だけを、どんなに巧妙なテクニックを駆使して撮ったところで、それは、作品とはなり得ない。
 観賞する者の心を動かすことはできない。
 縛られることを好む女性は、それ相応の重い「何か」を心の奥に持ち、あるいは、ずしりと背中に負っている。
 その「何か」をカメラで表現しなければ、観賞者の魂をゆり動かす「緊縛写真」とはなり得ない。
 どんなに形だけをさまざまな角度から撮ったところで、真の緊縛写真にはなり得ない。

つづく

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