濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第五十六回
「隠微」な照明こそ「淫靡」なのだ
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「人妻・石谷秀の極秘映像」を撮る場所はここだ、ここしかない、と私が思いこんだ銀座裏の路地にあるその酒場は、情感、情緒からいったら、まさしく「SM」ムードぴったりなのだが、店内はせまい。
せまいがゆえに、独特の密室感をかもしだしている。
だが、せまいがゆえに、ここで映像を撮ろうという者は、どこにもいないであろう。
まず撮影に要するスタッフの人数が限られてしまう。機材も入らない。
せまいがゆえに、AV系のSM映像のように、きまりきったライティングができない。
せまいがゆえにカメラマンが狙うアングルも、極度にせばめられる。
つまり、カメラマンがあちこちせわしなく動くことができない。
その結果、AV系のSM映像のように、型にはまった、きまりきった構図の撮影ができない。
「こんなせまい場所で仕事はできない」
と、はじめから首を横にふるカメラマンもいるだろう。
とにかく技術的には制約が多い。
が、そこが私のつけめである。
AV系のSM映像の、きまりきった、そして慣れきった、マンネリズムの極致のようなアングル、ライティング、さらに、モデルに命ずる安易なポーズのあれこれに、観賞者であるマニアたちは、じつは、もう何年も前から飽き飽きしている。
そういう多くのマニアたちの気持ちを、制作者たちは知らない。
知らないことはないのだろうが、マニアたちは既成の映像に対して、絶望に近い状態になっていることまでには、思い至らない。
自分たちの慣れた撮影テクニック、固定しきった安易な「SM」イメージの中で制作をつづけている。
真のマニアたちにとって、そういう映像は、もう刺激は感じられない。もちろん新しさも感じられない。
多くのマニアたちにとっては、真のSM魂を失った「SM」映像なんか、刺激どころが屁みたいなものだ。
女をハダカにして縛って、それをいくら明かるくきれいに撮ったところで、マニアたちの心には、なんの衝撃も刺激も感動も与えられない。
第一、縛られている女(あるいは縛られていく女)を、明かるいメイクをほどこして、きれいに撮ろうとすることがまちがっている。
まったく新味の感じられない同じような設定のもとに、変わりばえのしない同じようなポーズを女にとらせ、同じようなライティングで、同じようなアングルで撮りつづけているAV系のSM映像が、多くのマニアたちからそっぽをむかれるのは当然のことである。
と、このように歯に衣きせず書いていると、たくさんの映像好きのマニアの、同意の拍手が私の耳に聞こえる。
制作者たちには聞こえないだろうが、私の耳には聞こえる。
同時に、その制作者たちの私たちへの嘲笑も、私の耳に聞こえる。
「マニアにそっぽをむかれたってかまわないよ。こっちは少数派のマニアなんか相手にしていない。マニア以外の人に買ってもらえばいいんだから。少数派のご機嫌ばかりとっていられないよ」
営業本意に考えれば、これは正論なのだろう。いや、それはちがう、などとは言えない。
また、こういうこともおっしゃる。
「マニアだけのために作っているのではないよ。自分自身がマニアでなくても、マニアたちのそういう珍奇な性癖の実体に興味をもち、好奇心とのぞき趣味でこういう映像を買ってくださる人もいる。そういう人たちを対象にしているから、営業的に成り立つんだ」
これも正論であろう。
返す言葉はない。
や、またまた、いつのまにか、とんでもない横道にそれてしまった。
私は何を言おうとしていたのか。
おしゃべりをしているうちに、何を言おうとしていたのかも、忘れてしまった。
いくら「おしゃべり芝居」でも、これではひどすぎる。
話をもとにもどさなければならない。
私は女性編集者のA子にあてて、この文章を書いていたのだ。
こんどの私の企画の協力者であり、私の意図の理解者であるA子のための、これは「撮影メモ」なのだ。
A子には「人妻・石谷秀の極秘映像」撮影の全体のプロデュースをしてもらい、あわよくばカメラマンまでやってもらおうという魂胆なのだ。
くり返すことになるが、河出文庫の「読者投稿マル秘映像」の中に登場して、私が縛った早乙女宏美をビデオカメラで撮影したのが、このA子である。
縛った女体を撮るセンスは、実証ずみである。
この企画は、いまの段階では、まだ企画にすぎない。
実現するかしないか、わからない。
早く実現させないと、せっかくその気になっている石谷秀さんが、心変わりして、
「そんな恥ずかしいこと、やっぱりいやです。私の映像なんか残したくありません」
などと言いだしかねない。
そうなったら、すべてが無に帰してしまう。私が前に「鉄は熱いうちに打て」と書いたのはこのことだ。
実現するときのことを妄想し、私は私の「夢」を、興奮しながら、こうして「撮影メモ」みたいな形で書いているのだ。
A子よ。
鼻と鼻とがぶつかりそうなせまい酒場の中で、そのせまい空間を最大限に利用して、石谷秀を相手に、私がどんなに激しく新鮮な縛り方をするか、それを見たくはないか。撮りたくはないか。
見せてやろうじゃないか。撮らせてやろうじゃないか。
カウンターやら洋酒棚の角に、頭やら肩やら腰やらをぎしぎしぶつけながら撮らなければならないA子は苦労するだろうが、制限されたそのカメラマンの動きが、これまでに見たことのない、リアリティのあるアングルとなって、マニアをぎょっとさせるにちがいない。
ライトなんて、女の体にきれいに陰影もなくあてる必要はない。
すきまもなく、やたらに明かるくきれいにライトをあてても、そらぞらしいだけじゃないか。
モデルの体のすみずみまで照らしたライトなんて、SMには無縁で、そらぞらしいだけだ。
無縁でそらぞらしくて、ムードとしてはマイナスになるだけだ。
暗い部分が多くても、それはそれでかまわない。
マニアが見たいところも、暗くて見えないままでいい。そこへわざわざ照明をあてたりすると、もうSMのオーラは消えてしまう。
「背中の手首の縄目をもっとよく見せてくれ!」
とマニアが絶叫しても、見せてやらない。
見せてやらないほうがエロティックなのだ。刺激味が濃いのだ。エロティシズムは妄想なのだ。
妄想できない人間には、緊縛マニアの資格は与えられない。
プロを自称するカメラマンたちの、固定観念によるきまりきったライティングが、いかに作為的でつまらないものであるかを、私はくり返して、これまでに何度もあちこちに書いてきた。
A子よ。
「人妻・石谷秀の極秘映像」は、そういうAV慣れした撮影スタッフの空疎なテクニックをできるだけ排除して、あくまでもシロウトの「のぞき見」的な隠微な感覚で作りたい。
濡木痴夢男が縛った女は「隠微」な照明で撮れば撮るほど、「淫靡」な色と匂いを発するのだ。
プロのカメラマンがもつ「芸術性」(彼らは勝手にそう思いこんでいるだろうけど)を否定した、後ろ手にぎっちり縛りあげられた女の心と体を、リアルな映像で表現したいのだ。
それがいちばん、観賞する側にとって刺激的なのだ。なまなましく、いやらしいのだ。
いやらしくなければ、SMではないのだ。
なまなましくなければ緊縛映像ではないのだ。
いやらしいといっても、誤解しないでもらいたい。
私はむやみに女の股をひろげたりはしない。そんなことをしても、いやらしくも何ともない。
いや、待てよ。
石谷秀は、私が両足に手をかけてひろげようとすると、彼女だったら、羞恥のために、おそらく猛烈に抵抗してもがくかもしれない。
抵抗して悶えるようだったら、私は彼女の両膝に手をかけよう。羞恥に体をふるわせる彼女の姿が見たい。
AV女優のだれそれみたいに、彼女が平気でパカッと足をひろげるようになっていたら、その種の「責め」は、すぐにやめます。無駄であります。
(彼女とは二年間の空白があるので、そのへんの事情は正直いってよくわからないのですよ。女性は短い間に変わるものですから)
抵抗も恥じらいもなく、パカッと元気よく足をひろげる(つい先日の撮影のときも、そういう女優さんがいたのですよ)女性の足を左右にひろげて、一生けんめい縛ったところで、そんなものはSMでもなく、エロティシズムでもない。
そんなものは、緊縛マニアにとっては、まことに無意味な、シラけるポーズでしかない。
股間をひろげて、性器の奥までむきだしにしたところで、女のほうになんの反応もなかったら、こんなまぬけなことはない。
そんなことをやったら、私はマニアたちから、バカにされるだけだ。
(いや、これは失言。監督の命令とあれば、私でもやります。やらないと撮影が進行しない。進行しなければ、撮影は終了しない。撮影が終了しなければ、縛り係の私はお金がもらえない)
じつは、正直いって私、女の性器というものを、それほど見たいと思わないし、みなさんが騒ぐほどの魅力も感じないのですよ。
やッ、また話が横道に外れた。
A子よ、ごめん。
古いビルの小さな酒場へ上がる二階の階段を、後ろ手の手首だけを縄で縛った石谷秀の後ろから、私が追い立てるようにして引きずってきます。
このシーンは、白い布で彼女の目だけをふさいでおきます。これは目隠しです。
人妻の誘拐シーンをイメージさせます。このへんをファーストシーンにします。
A子よ、せまくて急な階段だから、カメラをかまえたまま、足を踏みはずさないように気をつけて。
店内へ引きずりこんでから、私は石谷秀のスカートをまくりあげて、はいているショーツを引きずりおろします。
そのショーツを丸めて、彼女の口の中にねじこみます。
本気になって力をこめ、ぎゅうぎゅう指で押しこんで、ねじこみます。
彼女の唇の端から、入りきらないショーツの布片がみえます。
私は別の白い布(晒布)で、さらに彼女の唇をふさぎます。
ねじこんだショーツを吐き出させないためです。
顔半分、鼻の上まで大きく白いサルグツワをかけます。
(サルグツワマニアの方、ご期待ください。ここは私、ていねいに、時間をたっぷりかけて、がんがんやります。じつは私のもとに、いまのSM映像のサルグツワ描写のお粗末さを不満とするマニアの方々から、いっぱい注文と期待の声が届いているのです)
石谷秀さんの悩ましくくぐもった苦悶のサルグツワの声、たっぷりと聞かせます。
ここで目隠しを取ります。
目隠しをはずしても、鼻の上までかぶさった白いサルグツワのために、彼女の人相はわかりません。
見えるのは両眼だけです。
(人妻なので顔はやはりわからないように撮らなければなりません)
不安と恐怖の目で、怪しい酒場の中を見渡す石谷秀。
口の中にぎゅうぎゅう詰めこまれたショーツのために舌の動きを封じられ、濁った官能的な声で恐怖を訴える人妻の目。
ここで私は改めて、彼女の上半身をぎっちりと後ろ手に縛りあげていきます。
ここはもちろん、なんといってもメインの見せ場の一つだから、しっかりとカメラを据えて撮ってもらいたいなあ。
石谷秀さんは、きっと、すべての緊縛ファンを魅了して勃起させる、すばらしい被虐エロティシズムの反応をみせてくれると思う。
ああ、そうだ。カメラマンであり、プロデューサーでもあるA子よ。
お願いだ。まちがっても私に、あの不粋な作務衣なんぞ着せないでくれ。
私の作務衣嫌いは、私を知る者だったらだれでも知っているはずだから、A子も承知のことと思うが、人妻誘拐犯人が、袖の太い作務衣なんかを着ていたら、だれが見たって不自然ではないか。
私は「縄師」などという偉い人ではないし、いつも単なる縛り係で、しかもこんどは人妻誘拐犯という気持ちでやるつもりだから、作務衣で格好つけるのだけはごめんです。
あれを着ると、本当に、こまかい縄の操作ができなくなるのです。
気分的にも、縄に力が入らなくなるのです。
(これはまあ、私の未熟のせいでしょうけれど)
ましてや、こんどは、せまい酒場の中での"縛り"です。
いつもより繊細な縄の動きを必要とします。そしてそれだけに、迫力のある刺激的な、十分に嗜虐的な、縛りになるはずです。
石谷秀さんにはすべて自分の服、下着をつけてもらいます。私も、いつもどおりの黒いシャツ、自前の服でやります。
どうか、どうか、私のこの願いをきいてください。
あの息ぐるしいほどせまい酒場の中で、
「濡木先生、これに着替えてください」
なんて言われて作務衣を出されたら、私はきっと逃げ出してしまうでしょう。
いや、私はもう大人だから、撮影を頭からぶちこわすような、そんなはしたない真似はしないでしょう。
がまんして顔ではニコニコ笑いながら、与えられた作務衣を着て、一応はソツなく石谷秀さんを縛ることでしょう。
だけど、相手が秀さんでも、やはり動きが制限されて、いや、動きの前に気分が殺がれて、もう一つ縄に魂がこめられないでしょう。
そして、それを鋭敏なマニアの人々に見破られてしまうでしょう。
鋭敏な感覚の所有者だからこそ、マニアなのです。
マニアに、鈍感な人はいないのです。
(つづく)
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