「上上上」と「下下下」
「人妻監禁酒場」についての文章は、前回で終わりにしようと思ったのだが、「みか鈴」さんが、また、ドキッとするようなご意見を送ってくださったので、もう一回、つづきを書くことにします。 (ちなみに、私がいまこの文章を書いている時点では、まだ「人妻監禁酒場」の撮影はきまっていないのです。――こういうマニアの勝手な妄想に、まず営利を考えなければならない企業としては、とてもつきあってはいられない――と言われてこの企画は不採用、となる可能性がある。ま、それはそれでいいのです。私としては私なりの「妄想快楽」をたっぷりと楽しみましたから。いえ、ほんとです。なんだかいま、妙にさっぱりした気持ちです。私の心の中では「人妻監禁酒場」の映像はもう出来上がってしまいましたから。実際の撮影現場では、わずらわしい、現実的なめんどくさい障害がおきて、結局、妄想のようにすべてが楽しく、理想どおりにいかない場合が多いのです。ま、妄想というのは「夢」ですからね。何度もくり返すようですけれど、SMの快楽は、妄想が一番です。妄想だったら、自分のやりたいことが、自由にのびのびと百パーセントできます。私はもう「人妻監禁酒場」を、十分に楽しんでしまいました) そう思っていたときに、「みか鈴」さんが前回の私の文章にすばやく反応されて、こういうご忠告をくださったのです。 こんどの「人妻監禁酒場」撮影の前に、石谷秀さんと私と二人きりで、一度会おうかと思ったことについての、みか鈴さんからの忠告です。 私としては、二年前と同じだろうか、違っているだろうか、現在の彼女の反応を、前もって確めたいという気持ちからでした。 こういう私の気持ちは、撮影現場でのこんどの「仕事」を、スムーズにうまくやりたいという、まあ、常識的なものでしょう。 (いやいや、白状すると、助平心みたいなものも多少ありました) みか鈴さんは、こう言います。 「予め確める、つまりはリハーサルですわね。 先生、それでは、いい『仕事』になるでしょうけど、面白いSMにはならないと思うのです。」 グサリ。 言ってくれましたね。 そのとおりであります。 私、つまり濡木痴夢男は、まず何よりも、おもしろいSMを作らねばならないのでした(この道六十年、いかに卑小な私でも、このくらいの自負はあります)。 おもしろいSMこそ、濡木痴夢男にとって、いい仕事なのでした。 「あらかじめ想像できる事が多いSMって、美香には魅力が半減するのです。 判ってるSMより、どうなるか予測のつかないSMが好きです。どうなるか判らないからこそ、ゾクゾクするのです。」 この「SM」のところを「小説」としても「芝居」としても、ぴったりあてはまります。 小説、物語や芝居に限らず、その他あらゆる芸術分野にあてはまります。 予測できるというのは、既視感があるということであり、どんな芸術でも、既視感があったら新鮮味に欠けるし、おもしろくありません。だれも評価してくれません。 「たとえ『仕事』としては失敗に終わろうとも、彼女の反応を前もって確めるべきではないと思うのです。 先生、先生は彼女が、そういうシチュエーションで、どう反応するか判らない方が、ドキドキしませんかしら。」 はい、ドキドキします。 カメラの前にはじめて登場する彼女が、どんなにすばらしい反応を見せてくれるかという、期待のドキドキ感。 そして、この二年の間に、なんらかの事情とか、原因が彼女の身にあって、まったく無反応の、俗にいうマグロ状態になってしまい、私にとっても、映像にとっても、つまらない個性になっているか、その不安によるドキドキ感。 二つのドキドキ感があります。 反応がすばらしい場合は、その反応をさらに上昇させていけばいいのですが、逆の場合には、お金をたくさん出してくれた撮影プロデューサーの心中を察して、私は冷汗をながします。 そして彼女の肉体に対し、私ひとりの悪戦苦闘になります。 「前もって確めて、どう反応するか判ってしまって本番に望むのと、そうでなく、その時、初めて、Mの反応する姿を観るのでは、S側の先生の『反応』も違いますでしょうし、Mである彼女の『反応』もそれにより歪んでしまうか、もしくは初回より弱い反応になるように思うのです」 いまから二、三年前の、いわゆる「SM雑誌全盛」のころ、同じモデルを、一ヵ月のうちに、三度も四度も縛ることがありました(つまり、それだけSM雑誌が数種類、数多く発行されていたということです)。 そのモデルの名を、仮にマコとしておきます。 第一回目の撮影でマコを縛ったときには、とにかく初めてのモデルですから、私は自分の心覚えで「A」としている掛け方で縛ります。 「A」は、まあ、標準的な、ごくふつうの後ろ手縛りです。 この「A」の縛り方で、マコは十分に反応してくれ、カメラマンにも編集者にもよろこばれ、私は自分だけの「緊縛日記」に、つぎのように書き記します。 ○月○日、○○出版撮影。モデル・マコ。評価「上」。 この「上」というのは、上中下の「上」です。つまり、良い反応だったという記号です。 それから三日後に、べつのSM雑誌の撮影現場で、再びマコをモデルとして縛ります。 マコを相手に、二度目の縛りです。 そして評価は「上上」となっています。 二度目だから、私の縛りも「A」から「B」にしようと思い、やや強めにしたのです。 ただ強めにしただけでなく、一回目の撮影で、マコの縄に感じる体のツボがわかったのでそのツボに圧迫感のある縄をかけ、反応がよかったので「上上」となったわけです。 三回目にマコを縛ったときの評価は「上上上」です。 このときの私の縛り方は「C」です。 つまり、マコを反応させるツボをさらに発見し、もう一段階強めたのです。 こんな仕事を長い間やっていて、たくさんの女体をこねくりまわしていると、ツボとは思えないところに、ツボを発見したりします。 手や指でツボを確めるのではなく、縄が発見するのです。 たとえば、足の指のあいだに細縄を通した瞬間、ヒイッと快楽の声をあげ、大きくのけぞったモデルがいました。 (こういうツボの話になるとキリがないので、後日、さまざまな実例を書きます) ついでだから言っておくと、この「SM雑誌全盛時代」における、私の手書きの緊縛日記を「風俗資料館」で見ることができます。「仕事メモ」として、たとえば、モデル、マコ。撮影八回目。「上上上上上上上上」などと書かれています。 もう一つ、ついでだから書きますけど、駄目なモデル、つまり、ヤル気のない、無表情、無感動なモデルの場合は、こんなふうに書きます。 ○×社撮影。モデル、ダメコ。評価「下下下」。二度と会いたくない女。 こういうモデルの場合は、編集部で使うのも、たいてい一回限りです。 「下」が三つも四つもついているのは、まず、性格そのものがよくない女です。 「あんたち、こんな仕事をしていて、毎日が楽しいの?」 などと、意地の悪い目つきで、麻生太郎氏のように唇を歪めて、とんでもない毒舌を吐いたりします。 「中」という評価もあります。 まあ、良くもなし、悪くもなし、何をやっても無反応で、縛っていておもしろくもなんともないけど、出来上がりとしては一応、緊縛写真にはなっている、といった感じのモデルです。 こういうモデルでも、二度三度とくり返して使っているうちに、ひょいとツボに触れて、「縄」にめざめ、突然、お尻をぶるぶるふるわせたりして、すばらしい反応を見せることがあります。 つまり、A社での撮影のときは「中」だったけど、数日後にB社で縛ったときには、いきなり「上上上」になったりします。 モデル一人一人に対する私の縛り方は「A」から「P」まで、アルファベット順におよそ十六段階あります。 これは私だけの心覚えで、他人には言いません。言ってもわかってもらえません。 「P」になると、最後のシーンで縄を五十本使ったりします。 「G」のあたりでは、途中で「後ろ手高手小手」が入り、「H」あたりになると「背面合掌縛り」に加えて「海老責め」を混じえたりします。 縛り方の種類を、こまかく分けて数えると、三百六十五種ほどになりますが、これは写真付きでないと説明不可能です。 足の指への縛り方だけでも、三十種類位はあります。 やッ? いつのまにか、また脱線してしまった。 もとへもどそう。 みか鈴さんからの「忠告」に話をもどそう。 「心を撮りたいと仰っています先生の撮られる『人妻監禁酒場』は、ぎこちないアラが沢山出ましょうとも、リハーサルなしの本番一発勝負のものを観たいと美香は思うのです。 美香は、最高のSMプレイとは、音楽でいうとクラシックよりフリージャズに近いプレイだと思うのです。 フリージャズはアドリブが命です。どんな風になるのか、プレイヤーにも観客にも予測が付かないハラハラ感が、演奏に緊張と楽しさを生みだします。(中略)前もって確めるっていうのは、美香は面白くないって思いますのよ。」 みか鈴さんに言われて考えてみたが、私は「縛り」の撮影で、リハーサルなどというものは、一度もしたことがない。 これまでに撮影のための「緊縛」を五千五百回(恥ずかしいことだ、五千五百回、女を縛ったということは、五千五百日のあいだ、他には何もしなかったということではないか、頭がバカになるのはあたりまえだ!)やってきたが、 「一度リハーサルをやりましょう」 なんて言った監督は一人もいなかった。 大体「緊縛」などというものは、リハーサルなどでできる性質のものではない。 勢いと流れとリズムで完成させる一発本番のものである。 本質的にアドリブでなければ成立しない。 緊美研の会員は延べにすると三千人位はいるが、その人たちは、そういう私の縛り方をはじめから終わりまで見ているはずである。 午後一時から夜七時までの間に、五人の女性を縛り、吊り、五本のビデオを作ったことがある。緊縛だけの六十分ものである。 五本とも、すべて縛り方、責め方を変えてある。女性たちのそれぞれの個性によって、アドリブで縛り方を変えた。 緊美研ビデオがすべてアドリブで成立していることを、緊美研の会員たちはみんな知っている。 なぜなら、会員たちもその撮影現場にいるからである。アドリブは常識である。 (いや、待てよ。それとも、リハーサルを必要とする「緊縛」というものが、あるのだろうか。私は、私の関係してきた世界しか知らないので、なんともいえない。もしかしたら、そういうリハーサル付きの「緊縛」というものがあるのかもしれない。しかし、私にそんな要求があったら、私は即座にお断りするだろう) ――と、ここまで書いたとき、編集部のA子からFAXで連絡が入った。 「人妻監禁酒場の撮影が決定いたしました。つきましては、カメラマン同道でこまかい打合わせをしたいと思いますので、先生のごつごうのよろしい日をご指示ください」 私はすぐ返事を書き、五日後にA子とカメラマンに会うことにした。 べつの日に、「人妻・琳」にも会おう、会わなければいけないのではないか、と私は思った。 だが、ざんねんなことに、私はいま忙しかった。 私が所属する演劇団体の公演日が近づいているのだ。 それでこのところ、毎日けいこをつづけている。けいこは夜、白熱する。 撮影の日まで「人妻・琳」に会うひまはないな、と私は思った。 でも撮影前になんとか一度位は会いたかったな、と私にはまだ未練があった。 その「人妻・琳」からの電話があったのは、A子からの連絡をうけた日の夜おそく、十一時をまわってからであった。 (つづく)
(つづく)