2008.10.21
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第六十一回

 縄を背負った直次郎


 二年ぶりに、横浜の貴婦人・石谷秀さんを縛った。
(この秀さんのことに関しては、河出書房新社から出ている私の六冊目の文庫本「緊縛★命あるかぎり」の中にこまかく書いてあるので、興味のある方はご参照ください)
 秀さんを後ろ手に縛りあげながら、無意識のうちに、その感触を、現在の落花さんと比較していた。
 いまから二年前、二人から受けていた私の感触は、ほとんど同じであった。
 二年前には同じだったが、いまはかなり違っているように感じられた。そのことを書いてみようと思う。
 秀さんと落花さん、二人の女性をいま書くということは、私自身の心を書くことになる。
 そしてこれは、私のような職業の者にとっては、書いておかねばならないような気がする。
 この日、秀さんを縛るのは、いわば「仕事」であった。
 つまり、A社から依頼されてのビデオの撮影である。
 撮影という仕事で、秀さんと接したのは、もちろん初めてである。
 秀さんを縛るのは「仕事」になってしまったが、落花さんを縛るのは「仕事」ではない。
 であるので、二人の「縛り」の感触を比較することは、そもそもまちがっている。
「仕事」における縛りと、そうではない個人的な快楽のための「縛り」とは、まったく違うものだということを、現実の体験で、私はこの日、はっきりと感受し、認識した。
 こんなわかりやすい、あたりまえのことをいまごろになって実感するなんて、なんともマヌケな話である。
 恥ずかしくて、人に言えないような愚かな話である。
 だが、私は元来マヌケな性格なのである。
 粗忽で、浅薄で、非論理的で、超直感的な対応しかできない軽薄そのものの人間なので、いままで、こんなかんたんなことに気がつかなかったのだ。
「人妻監禁酒場」という仮タイトルをつけた、いってみれば、ドラマである。いや、すこし気どって、ドキュメント・ドラマとでも言おうか。
 誘拐され、監禁される人妻に、秀さん。
 人妻を誘拐し、監禁し、何度も縛ったり解いたりして責める男に、私つまり濡木痴夢男。
 二人だけのドラマ。シチュエーションだけを設定し、そのあとカメラは私の行動だけを追う。
 ドキュメントには違いないのだが、人に見せるための映像を意識して私は動く。
 見る人を興奮させ、欲情させ、快楽的な気分にさせるための映像である。
 他人に快楽を提供する仕事というものは(つまりサービス業である)自分自身にとっては、あまり快楽にならないことが多い。
 快楽よりも苦痛のほうが多い場合もある。
 好きなことをやっていて何が苦痛だ、ぜいたく言うな、とだれかに叱られそうで、そのへんのことをもうすこし書きたいのだが、またまた横道に外れそうなので、あわてて話をもどす。
 誘拐してきて後ろ手にぎっちり縛りあげた秀さんに、白布によるサルグツワを二重三重四重に掛ける。
 彼女のスカートをまくりあげ、はいている白いショーツをはさみで切って剥ぎ取り、それを丸めて彼女の口の中にねじこむ。歯のあいだに白布を噛ませ、ショーツを吐き出すことのできないようにおさえて、後頭部でぎゅうぎゅう縛る。
 その上からさらに幅の広い白布を口と鼻にかぶせ、首の後ろにまわして固く縛った。
 秀さんは一瞬呼吸困難におちいり、喉をぐうぐう鳴らし、肩をヒクヒクさせて悶えた。
(プロデューサーのA子がこの場にいて、私のサルグツワの掛け方の残酷さに、自分の心臓が息苦しくなり、見ていて倒れそうになったと、撮影終了後に私に語った。感受性のつよい、心のやさしいお嬢さんである)
 A子の他に、若いI青年がいて、これが今回のカメラマンである。
 新人カメラマン大歓迎。
 カビが生えたような古臭い感覚のベテラン・カメラマンよりも、カメラの操作は幼くても(実際には幼くなかった。いまどきの若者である。デジタルカメラをこなしきっていた)新鮮で鋭敏な感覚をもった新人カメラマンのほうを、私は歓迎する。
 古いプロカメラマンは自信ばかりが過剰で、おのれの感受性がマンネリになっていることに気づかない。
 A子と若いカメラマンのI君、あとは出演者である秀さんと私。
 撮影現場には、この四人しかいない。
 私の希望どおり、理想どおりの人数である。
 これ以上スタッフを増やすと、どうしても従来のAV映像の画面になってしまう。
 落花さんとの二人きりの「快楽緊縛」のときには、私はぜったいにサルグツワをしない。
 なぜか?
 答えはかんたん明瞭である。
 それは、サルグツワなんかしたら、彼女の唇を吸うことができなくなるからである。
 一本の縄で、私は約三十秒間で落花さんを後ろ手高手小手に縛りあげる。
 縛りあげると同時に、私は彼女の唇を吸う。激しく吸う。
 舌と舌をからませ、暴力的に強く吸う。
 彼女の舌を私の口の中に強引に吸いこむ。舌の根がのびきる。
 つぎに私の舌を彼女の口の中にねじこむ。舌の先で彼女の喉をふさいでしまうほどの勢いで押しこむ。
 快楽である。
 このとき私は勃起している。
 そして彼女は失神状態になっている。
 椅子にすわっているときは、その椅子から体がずるずるとずり落ちてしまう。
 怪我をしないように私はかなりの腕力を使って彼女の体を支え、床の上に軟着陸させる。
 ほとんど失神している彼女は、私が体を支えなければ、ぜったいに怪我をするだろうと思うほどの勢いで、ときには頭を下にして椅子からずり落ちてしまうのだ。
 椅子から落ちた彼女は、そのまま床に体を横たえたまま動かなくなる。自分ではもう起きあがることはできない。一種の昏睡状態になっている。
 であるから、落花さんという女性は、本質的に、モデルはつとまらない。
 他者の指示によって体を動かす、という「モデル行為」ができない。
 ところが、石谷秀さんは、モデル行為ができる。
 もし秀さんが、落花さんのように、縄で縛られると、すぐに全身全霊の緊張を解放して失神してしまうような女性だったら、私はあのようなビデオ台本を書かなかったであろう。
(このときのビデオ用のこまかい台本も「緊縛★命あるかぎり」に掲載してある。ただし実際の撮影には至らなかった)
 私が石谷秀さんの口と鼻にサルグツワを掛けたのも、今回が初めてである。
 二年前、彼女と二人きりで過ごした十数回にわたる「緊縛快楽」のときにも、サルグツワのようなものは、一切しなかった。
 しない理由は、落花さんの場合と大体同じである。
 そしてまた、私にはサルグツワに対してのそれほど強い執着心はない。
 だから、秀さんに対して、今回初めてサルグツワをしたことになる。
 しないわけにはいかない。
 なにしろ「人妻監禁」という設定である。
 せっかく誘拐してきたのに、大声だして救いを呼ばれたら困る。
 撮影終了後に、私は秀さんにきいた。
「サルグツワはどうでしたか。かなりきびしく本格的にやったので、苦しかったでしょう?」
 すると彼女の答え。
「私は口をふさがれて、呼吸が苦しくなるのが好きなんです。ですから、よかった!」
 あっ、と私は思った。
 初めて知ったのだ。それを二年前に言ってくれれば、私は二年前の秀さんと二人きりの緊縛遊戯のときに、彼女の好むサルグツワをしてあげたのに。
(二人きりで緊縛遊戯を行うときの、これが私の基本姿勢である。私の心には、つねに相手の女性に快楽を与えたい、快感を捧げたいという願望がある。この願望はほとんど欲情となっている。相手のよろこびが私の性的快感となる。相手がいやがることは、まず、しない。私の性格として、相手の女性がいやがり、拒否することは、ぜったいにできない。無理に頼んでやってもらうということができない。私がやっていることは、いわゆる俗に「S」と呼ばれる行為だが、私の本性は非常に「M」性のつよいものだと思う)
 誘拐に成功して、せまくて急な階段を目かくししたままで引きずりあげ、逃げられないように、改めて後ろ手に厳重に縛りあげるとき、私は秀さんに、
「ここはドラマの導入部で、大切なシーンだから、おとなしく縛られていないで抵抗してください。逃げようとしてください。それをおさえこむために、縄の掛け方は多少乱暴になるが、ここではこれまでの緊縛映像には見られなかった迫力を出したい。思いきり、リアリズムでいきたい」
 と言った。
 彼女はうなずいた。
 私の狙いと願いを、素直に納得してくれた。頭のいい女性である。
 そして、かなり激しく抵抗した。
 彼女の左右の手首をつかんで背中へねじりあげ、縄を掛けるのに私は腕力を使い、苦労した。彼女の抵抗には、リアルな情感がこもっていた。
 おかげで、私の思いどおりのシーンが撮れたように思う。女性器に異物を挿入することよりも十倍も百倍も刺激的で、エロティックな場面のはず(ただし緊縛マニアにとっては、であるが)である。
 彼女が本気になって抵抗し、あばれた分だけ、私の縛り方も荒っぽく、乱暴だったはずである。
(私はまだこの映像を見ていない)
 いわゆる「緊縛美」をかなぐりすて、こんなに真剣になって力をこめ、気合いを入れて女を縛ったことなんて、私の記憶にはあまりない。
 このシーンについても、撮影終了後、私は彼女に聞いた。
「あの最初の縛りのシーン、痛くなかったですか?」
「いいえ」
 と、秀さんは答えた。
「せいいっぱい抵抗していても、男の力に屈服して、むなしく自由を奪われ、縛られていくところに、快感があります」
 表現はやや違うが、このような意味のことを彼女は私に言った。
 なるほど、と私は思った。
 その被虐感覚は、十分に納得できた。
 彼女の返答には、媚びとか甘えとかいうものはなく、冷静で、ひかえめであった。知性的なひびきがあった。
 私はそこに彼女の羞恥心をみた。
 表面には出さないが、深くて重い羞恥心をみた。
 二年前の石谷秀が、そこにあった。
 ラブホの中の二人だけの密室遊戯ではなく、カメラの目がすぐそばにあるドラマであるがゆえに、二年前の秀さんとは違う、べつの姿も、また見ることができた。
 私の手による強烈多重サルグツワ、そしてこの暴力縛りも、彼女にとっては初体験なのだ。
(ただしこの二年の間に、私以外の人物の手で、このような体験を味わっていたかどうかはわからない。そういうことを私は聞こうとしない。詮索しようという意志が私にはない。それをたずねたとしても、正確な答えが彼女の口から返ってくることは、まず、ないと思うからである)
 この日の撮影について、私は彼女になおも二、三の性急な質問をした。私は興奮していたのかもしれない。
 きょうの私の縛り方について、どんなふうに感じたかを、いささか無遠慮に、具体的に、説明するように迫ったのだ。
 それは私の知りたいことだった。たとえば固い柱の後ろ側に両腕をまわさせ、かなり長いあいだ縛りつづけた。このとき柱は完全に責め具となった。
 ふつうは腕の中に縄を五ミリ食いこませるところを、一センチ以上沈ませた。
 緊縛された両手首、両腕の間の柱は、強固な枷具となって彼女の体に、これまでにない苦痛を与えつづけたに違いない。
「濡木先生に縛られて、どんなふうに感じたかは、いまはわかりません。今夜家に帰ってお風呂に入って、心が落ちついたときに、きょう一日のことが、すこしずつよみがえってくると思います」
 落ちついた表情のまま、低い口調で秀さんは答えた。
 そうなのだ。
 このようなことを聞かれても、答えられるはずはない。
 私は愚問を発したのだ。
 この撮影場所は極端にせまい。
 彼女の目の前には、私の他にプロデューサーであるA子と、カメラマンのI君がいる。
 内心をあらわに口にするのは、恥ずかしいことにきまっている。
 よほど心をゆるした相手でないと、このような質問に、素直に答えられるはずがない。
 彼女の内心を知りたくて、他に聞きたいことがあったが、私もまた、そばにA子とI君がいては、聞きたいことも聞けない。
 このへんの私の心理状態は、いささか、いや、かなり微妙である(ビミョーとカタカナで書くような微妙さである)。
 帰り仕度を終えて、四人一緒に、撮影場所として借りた酒場を出た。
 いや、待てよ、そうだ、石谷秀さんは二年前と同じように「美乳」だったことを書いておかねばなるまい。
 二年前以上に「美乳」になっていた。二年前よりも、乳房そのものにエロティシズムの輝きがあった。
 形よく盛りあがった左右の乳房の内側からにじみ出てくる甘熟した「色気」があった。
 それを感じた瞬間、私は彼女に、いま「男」(俗っぽい言い方でごめんなさい)がいるのではないか、と思った。
 夫ではない「男」である。
 そして嫉妬した。
 私はその美乳を責めた。二年前にはしなかった方法で、しつこく責めなぶった。
 酒場を出た私たち四人は、ゆっくりと歩いて銀座通りへむかった。
 そして秀さんだけがタクシーに乗った。
 私はホッとした。
 とにもかくにも、ひと仕事終えたのだ。
 秀さんも私もA子の手から出演料を渡され、領収書にサインした。
 出演料は現金で、いわゆる「トッパライ」である。
 秀さんが乗ったタクシーを見送りながら、私の心は落花さんを思っていた。
 私が落花さんを思うように、石谷秀さんもまたタクシーの中で、彼女にサルグツワの快楽を教えただれかのことを思っていたのかもしれない。
 A子とI君は、JR山の手線に乗って、会社にもどると言う。カメラなどの撮影機材はI君が片手で持てるほどのものである(これも私の希望どおりだった。何台もの照明器具、録音器、モニターなどの撮影メカニズムに取り巻かれると、私の狙いである緊縛リアリズムが消滅してしまう。)
 私はこれから歌舞伎座へ行く、と言い、A子とI君に、
「お疲れさま、また」
 とあいさつして二人に背をむけた。
 歌舞伎座の夜の部が、ちょうど始まった時刻であった。
 一番目狂言は、玉三郎の「十種香」「狐火」である。
 二番目の「直侍(なおざむらい)」を観ようと思った。直次郎は当代の菊五郎。
 外題は「雪暮夜入谷畦道」(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)である。
 私の好きな狂言で、月のうちに二度三度とくり返して観る。
 菊五郎の「直侍」は家(いえ)の芸で、年じゅう演じているが、私は足が長くて細い仁左衛門の片岡直次郎が好きだ。
 江戸吉原の花魁・三千歳と、市井無頼の徒・直侍の、あまりにも先の暗い、みじめで愚かな交情。
 死の世界に半ば足を踏み入れている悲惨な情緒。
 歌舞伎座へむかって歩きながら、私は直次郎の気分になっていた。
 背の低い、足の短い、腹が丸く前へ突き出ている後期高齢者の私が、縄を十数本入れたバッグを、ぶざまな格好で背負い、よたよたと歩いていく姿は、江戸末期の粋な男の代表みたいな直次郎と較べようもないが、私の気分は、すっかり直侍になっていた。
……冴えかえる春の寒さに降る雨も、暮れていつしか雪となり、上野の鐘の音もこおる細き流れの幾曲り、末は田川へ入谷村。
 浄瑠璃「忍逢春雪解」(しのびあうはるのゆきどけ)を口ずさみながら、私は歌舞伎座へむかう晴海通りの三原橋を渡っていた。

つづく

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