濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第六十二回
瞳の奥の青い炎
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私は、モデルモデルしているモデル嬢に対しては、あまり食指が動かない。
そういう女性は、縛る前から「反応」がわかっているからである。
(こういう言い方は不遜であり、傲慢かもしれないが、ゆるしていただきたい。私はこの世界に長くいすぎてしまって、女性とのつきあいもやたらに多い)
縛る前から反応がわかっている女性を縛ってみても、新鮮な感動は得られない。
撮影の現場で、多くの経験をかさねてきた女性は、いかにもそれらしい、いってみればモデルっぽい言動が身についてしまっている。
緊縛をテーマにした映像は、「縄」による女性の心と肉体の反応を生命とするので、その反応に「慣れ」みたいなものがあると、それだけで刺激性が乏しくなる。
刺激が乏しいということは、それをお客が観て、おもしろくないということだ。
おもしろくなければ、映像でも雑誌でも写真集でもお客は買ってくれない。
はっきりしている。
早くいってしまえば、要するに新鮮なことが一番なのだ。
(考えてみればこんなことはあたり前で、なにも緊縛商品に限ったことではないが、私たちの場合、とくにそれが顕著である)
だが、演出家でもカメラマンでも、現場経験の多いモデルのほうが仕事はしやすく、気分的にもラクなので、つい慣れているモデルのほうを再登場させてしまう。
そして私もプロの「縛り係」なので、何度もくり返して縛っているモデルの場合でも、新しい魅力を探がしだして、カメラの前に提供する。
(このへんのことは、この「おしゃべり芝居」の六十回目「『上上上』と『下下下』」にややこまかく書いておいた)
モデルっぽくなく、しかも深いM性を持つ女性に接すると、撮影を利用して、この女性のM性を確認したいという欲望に、私は猛烈にかられる。
強いM性ではなく、うっかり「深い」M性と書いてしまったが、「深い」というのは、自分自身のM性を分析し、それを表現することのできる理性と知性を持つ、ということである。
「強い」というのは、単にその種の性欲が激しいということだけ、というのが私の判断である。
深くて、しかも強い、という女性に私は魅せられる。私だけでなく、だれだって惹かれるだろう。
形だけの表面的な、世俗的な美しさなんか私にはどうでもいい。
可愛らしくなくとも、美しくなくとも、「縄」に感じて、心身をさらけだしてくれれば、女性は可愛らしくなる。美しくなる。
「縄」に感じたふりをして心身を投げ出した女性が以前何人かいたけど、そういうのはダメです(笑)。
おこがましいが、「縄」で美しく変貌させる自信が、私にはある。
本気になって「縄」に感じてくれれば、どんな女性でも美しく、艶やかに、魅力的に、そしてエロティックになる。
緊縛の場合の美しさは、単に顔だけではない。体である。
縄に反応する全身の美しさ、艶やかさである。手の指先、足指までが官能的である。
「縄」に反応さえしてくれれば、年齢を問わず、女性はすべて美しく魅力的で、そしてセクシーになる。
清田政子という女性に出会った。
会った場所は、ここには書かないほうがいいだろう。
緊縛を愛好する紳士淑女たちが集まる特定の場所とだけ記しておく。
彼女の瞳の底の色に「M」のオーラがあった。
(SとかMとかいう安易な表現を使うことに私は大反対で、いまではこの言葉に生理的な嫌悪感すらある。なぜ嫌いかという理由をこれまでくり返して、しつこく、あちこちに書いたり言ったりしてきた。「SM」といったとたんに話が軽薄になり、うすっぺらになる。だが、他に適当な言葉がないので仕方がない。一般的にわかりやすいせいもあって便宜上つい使うことになる。腹立たしいが仕方がない)
瞳の色だけでなく、彼女は全身から「M」のオーラを発し、匂いを漂わせていた。
そのことが、まず私の心をひきつけた。
で、彼女とすこし語り合った。
「知性」と「理性」の片鱗をうかがい知ることができた。
私の嫌う軽薄な言葉を口にしなかった。
たちいったことを聞く私の質問に、素直に、ひかえめだが正確に答えてくれた。
節度があった。節度とは、やはり知性のことであろう。
この女性、実際に縛ったら、どうなるだろう、という興味が私に湧いた。
興味というより、欲望だろうか。
いや、まだ欲望とまではいかない。やはり興味という段階である。
「縛ってあげようか」
と私は言い、
「はい、お願いします」
と彼女は答えた。
私はいつも縄を用意している。
二十人近い紳士淑女の見ている前で、私は彼女を後ろ手に縛りあげた。
足の指から膝下、膝上、太腿までをしっかり縄を巻きつけ、一気に宙に吊り上げた。
逆さ吊りに近い形になった。
彼女は全身の力をぬいて、私の縄に心をゆだねてくれた。
縄の呼吸と、彼女の呼吸が一致した。
彼女の快楽が、私の縄に伝わった。
縛った縄を解いたあとで、さらにたちいったところまで、私は彼女と語り合った。
彼女は私の質問に対し、さっきよりも素直に答えてくれた。
たとえば、こんなふうに。
「はい、性欲が高進したときに、縛られたい欲望が強くなります。性欲と縛られたい欲望とは、私の場合、一致します」
「月に一度の生理のあとさきに生じる性欲と、縛られたいという感情に、関係はあるのだろうか?」
という私の問いに、
「私の場合、とくに関係はありません。生理と性的欲望の高まりとは、とくにつながりはないように思います」
と答えてくれた。
「私にはノーマルなセックスをしてくれる彼がいます。しかしその彼は縛りの趣味は持っていません。私を縛ってくれるパートナーはいまおりません。ですから、そういう相手の人を、いつも求めております」
表現はすこし違うが、そういう意味のことを彼女は答えてくれた。
そして、そういう縛りの好きな男の人と出会うために、一人でハプバーへ行くこともある、と言った。
ハプバーとは何のことですか、という私の質問に、
「ハプニング・バーのことです」
と、教えてくれた。
そういう店の内容も教えてくれた。
ハプバーへ行くと、縛りの好きな人が待っていて、初対面の場合でもすぐに縛ってくれるという。渋谷にそういう店があるという。
へえーッと、私はびっくりした。
そういうことを、私はまったく知らない。
世の中、そんなふうになっていることに、まったく無知である。
私はそういうところに行ったことがない。行く必要がない。
必要があってもなくても、こういう仕事をしている以上、一度は行って見学してこなければならない、とは思っているのだが。
将来、「SM風俗史」みたいな文章を依頼されたとき、きっと困るだろうと思う。
だけど、そういう店で、初めて会った知らない女性を、いきなり縛ったりするのは、宅急便の段ボールの箱を、テープで梱包するのと同じことではないだろうか。
心と心がすこしでも通じ合わないと、縛っても、縛られていても、あまりおもしろくないし、興奮もしないのではないだろうか。
いやいや、相手はオッパイもお尻もある血のかよった女体だから、男にとっては、興奮とか快感がすこしはあるのだろう。
しかし、それはごく微量なものではないだろうか?
(私は撮影現場で、初対面のモデルや女性をいきなり縛ることがあるけど、私のほうは知らなくても、相手のほうは監督やカメラマンたちから、私のことをしっかり聞かされている。つまり、私についての情報は相手の女性には知らされている。中には私が河出書房新社から出している文庫本を、六冊ぜんぶ読んでいるというモデルもいる)
私は古いのかもしれない。
いや、言わせていただければ、私は「緊縛」による深くて甘美で豊潤な快楽を知りすぎてしまっているために、こんなことを言えるのかもしれない。
話が横道に外れてしまった(毎度のことである)。
もとにもどそう。
坂田典子さんとの会話は、さらに具体的になった。
(清田政子という名前を、出してもいいか、と私はきいた。本名ではありませんから、出してもかまいません、と彼女は答えた)
私の質問に、あまりにも素直に答えてくれるので、私はなおも会話をつづけた。
彼女の答えを、私はあり合わせの紙の上にボールペンでメモした。
その紙は、何かの広告のチラシの裏であり、うっかりすると、どこかへまぎれこむおそれがある。
せっかくのメモを紛失しないうちに、私はここへ書き写しておかねばならない。
で、順不同に、メモしたままに、書きならべてみる。
彼女は後ろ手に縛られ、目かくしされるのが好きだという。
(目かくしされると、自分だけの妄想に浸りやすいからか?)
サルグツワ、箝口具の類いも好き。
目かくしをきっちりとされて、同時にサルグツワをされるのが好きだという。
目も口も強制的にふさがれてしまう形。
つまり、被虐感覚を強く感じるのが好き。
ただし、痛いのは好きではない。
全身に強い拘束感があるのが好き。
そして、そのままの状態で放置されるのが好きだという。
このとき私は、むかしの「奇譚クラブ」に掲載された、古川裕子という人が書いた「囚衣――ある人妻の記録」という告白小説を思い出した。
「縛られて、放置されるのが好きです」
という言葉を、彼女は沈着な声音で、何度も口にした。固く拘束されたまま放置される。その状態がよほどお好みらしい。あるいは欲望を夢想するだけかもしれないが。
さらに、縛られて動けない体のあちこちを、男の足で踏まれるのが好きです、とも言った。好みの被虐形態がいろいろあるらしい。
あぐら縛りが好きです、とも言った。
あぐら縛りから海老責めの形にしてもらって、そのまま放置してもらうのが好き。
上半身を前に強く折られて、自分の足の裏をなめるほどの形で固定されるのが好き。
体が柔らかいので、後ろ手高手小手はむろんのこと、背面合掌もできます、とも言った。
彼女は以前、飯田橋の風俗資料館で、小妻容子画伯の展覧会をやったとき、一人で見に行ったと言う。
そのとき、飾ってある絵の後ろのほうに、三十年も四十年もむかしの、古いSM雑誌や本や写真集が、ずらりと並んでいるのを見た。
読みたかったけど、風俗資料館の会員ではないので、ただ眺めるだけでした、とも言った。
「水曜日の夜だったら、読ませてくれるよ」
と、私は教えた。
「水曜日の夜ですか。それじゃ、こんど、ぜひ」
と彼女は言った。
言いながら、このとき、彼女の瞳の奥が青い炎のように暗く燃えるのを私は見た。
「奇譚クラブ」の古川裕子の告白小説「囚衣――ある人妻の記録」をふと思い出し、
「人妻監禁十日間」
というビデオ映像を、この清田政子でつくってみようかという企画が浮かんだのは、ほとんどこの瞬間であった。
(つづく)
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