2008.11.5
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第六十四回

 SM時代小説のネタの宝庫


「瞳の奥の青い炎」とか「"凄惨美"をめざす」とか、濡木痴夢男はこの種の文章ばかり書いていると、みなさん、お思いでしょうが、そうでもないのですよ。
 つい先日、日本の大衆古典芸能史を専門に調査され、着実な成果をあげておられる研究家の先生から、新しく出版された立派な御本をいただきました。
 その内容の濃さ、執筆精神の純粋さに私は驚嘆し、感動し、思わず、ただちに長文の礼状をしたため、郵送しました。
 以下は、その礼状の全文です。

 先生!
 吉沢先生!
 すばらしい御本をお送りくださり、ありがとうございました!
「講談作品事典」上巻、中巻、下巻、重量感に充ちたご労作、ご大作を、両手におしいただいて拝見し、記述の緻密さに感動し、興奮し、あまりのすばらしさに、私、拝読の途中で涙がこみあげてきました。

 あの埼玉県上尾市のご邸宅の一室で、このような御本をお書きになられていたかと思うと、その峻烈な魂の在り方、伝統芸能へのひたむきな情熱に、私、身内のひきしまる思いでございます。

 この「講談作品事典」に収録されている事項は、単に講談の世界だけではございません。
 日本古来の演劇、つまり歌舞伎から、能、狂言、さらに新派、新国劇にまで記述が及んでおります。
 戯曲、小説に登場する人物群にまで、納得のできるていねいな解説がなされています。
 上巻、中巻、下巻の、どのページを開いても、興味のある人物が躍動し、貴重な資料がいっぱい! まさしく豪華絢爛!
 先生もご存知かと思いますが、私はむかしからの大衆演劇愛好者で、いまもほとんど毎月、その種の劇場へ足を運んでおります。
 あの大衆演劇つまり旅芝居一座が口ダテの台本で演じられる芝居の原型が、この御本の中に、ほとんど収録されていると申しても過言ではございません。
(ということは、彼らの芝居の中に講談のネタがいかに多いかということであります)
 私は二十歳前に、あの種の一座に首を突っこんでいたことがあって、大衆演劇が演じる芝居のストーリーや組み立てのパターンを、ほとんど知っていると自負していたのですが、先生のこの御本を読むと、まだまだおもしろい話、おもしろい芝居がたくさんあるのですね。目をみはる思いです。
 私はこういう大衆感覚にべったり密着した通俗劇が大好きで、通俗もここまで徹底して極めると、むしろ超通俗とでもいいたいような味と赴きが出てくるような気がします。
 つい数日前にも、浅草の木馬館へ、大川竜之助一座を観に行ったのですが、芝居のタイトルが「下田物語」。
 下田とくれば唐人お吉の話だな、と思ったのですが、幕があいてみると、鯉名の銀平、つまり長谷川伸の「雪の渡り鳥」だということが、すぐにわかりました。
 たしかに、鯉名の銀平も伊豆下田を舞台にした遊侠世界の物語です。
 自己犠牲の権化みたいな銀平とちがって、こころざしの低い、やや下品な主人公でしたが、超満員の客席にはこれが大受けで、
「竜ちゃん、かっこいい、竜ちゃん!」
 と、ファンたちの声が飛び交っていました。
 このようなことを申しては、まことに失礼とは存じますが、私のようなもの書きにとりまして、この先生の新しい御本は、資料の事典、材料の宝庫です。
 時代小説のネタが満載されております。
 どのページをひらいても、数行拝読しただけで、一遍のイメージがぐんぐん湧き出してきます。
 なまなましい人間の体臭、そして凄絶にして魅力ある下層社会の生きざまがよみがえってきます。
 庶民というものは、なんという喜怒哀楽に充ちた、有為転変の人生を送るものかと、驚嘆いたします。
 このおもしろい、魅力ある人間の個性を、生き生きと描写して庶民に伝えた、その時代々々の講釈師、他芸人たちの面影が、先生のこの御本によって、私の目の前によみがえってまいります。
 いま、ためしに、上巻の「ア」の部のページをひらいてみます。
「雨傘勘次」という項目があります。
(雨傘勘次、という名前が、まずおもしろい。イメージがひろがります)

○雨傘勘次
 後出の○なだれの岩松 を参照。"演芸画報"三三の六号(昭一四・六)所収の「浅草巡礼=五水軒」に――
(不二洋子一座に)加盟の田中介二は、講釈種の天保水滸伝なだれの岩松(雨傘勘次)に取材した「任侠五月晴」といふ白塗の三尺物で好い心持さうに納って居た――。

 この数行を拝読しただけで、先生、あまりのなつかしさに、私、涙が出そうになりました。
 昭和二十年代、浅草の常盤座で、私は不二洋子・田中介二の「任侠五月晴」を観ているのです。
「なだれの岩松」に取材した「任侠五月晴」とありますが、じつは「取材」なんかではなく、「盗作」といってしまったほうが正確です。
 私も昭和二十年当時、関係していた旅の一座から依頼されて、この種の「盗作」を、片っぱしからやっていたのです。
(ですから「下田物語」が、長谷川伸の「雪の渡り鳥」からの「変形ネタ」だということが、すぐわかるのです)
 本当に内容の濃い、深い、すばらしい御本です。
 どのページをひらいても、すばらしい、なつかしい、すばらしい、なつかしいと感嘆し、うなり、歓喜せずにはいられません。
 いまこうやって吉沢先生への御礼の手紙をしたためながら、一冊が三センチ、四センチもある重厚な御本のページをめくり、項目の一つ一つがあまりにもおもしろく、私の興味をそそるので、つい手をとめて読みふけってしまいます。
 それにしても、こんなに生き生きした、現代に通ずるおもしろいネタがたくさんあるのに、どうしていまの芸人たち(とくに若い芸人たち)は、つまらない、人間描写の浅いネタばかりを高座にかけるのだろうと、ふしぎに思います。
 とくに新作ネタがつまらない。
 腹立たしくなるくらいです。
 おもしろいネタを、「おもしろい!」と感じる感性が、もういまの人たちにはないのでしょうか。
 吉沢先生の、この気迫にあふれる充実した御本を拝見いたしますと、若い芸人に文句を言うどころではなく、私はおのれの怠惰な日常を恥じ入るばかりです。
 自分の仕事ぶりの甘さを、この御本によって叱責されたような気がします。
 私はもっともっと真剣に、手をぬかずに、おのれに与えられた仕事をせねばならぬと思いました。
 上・中・下巻合わせると、十センチもの厚さになる、中身もぎっしりと精密に詰めこまれた、この堂々たる御労作、私は自分の心が弱ったときには、この御本をひらき、先生から勇気を与えていただこうと思います。
 吉沢先生のような方をお引き合わせてくださったマガジンハウスの長田さんにも、いま、心からの感謝を捧げたい気持ちです。
 また先生の講演会のような催しがありましたら、ぜひお知らせくださいますように。
 長田さんにお願いして、また一緒に連れていっていただきます。
 このところ晴天がつづいて、急に秋めいてまいりました。
 けさ九時に、私の部屋のドアが叩かれ、ヤマト運輸の宅急便が、このすばらしい三冊の御本を届けてくれました。
 きょうはなんといういい日でしょう。
 ありがとうございました。
 この感謝の気持ちを、どうやって表現したらよいのか、わかりません。
 ただただ、御礼を申し上げるのみです。

 以上である。
 私のこの礼状を読んで、すぐに先生はハガキで返事をくださった。
 いかにも先生らしい、シャイな文面である。

 お手紙ありがとうございます。
 お手柔らかに願います。細々とやっているだけです。資料は山となっており、整理できず、何がどこにもぐりこんだのか判然としません。北区西ケ原にいた五代目伯山邸にはいつも出入りしていました。私二十代の頃です。すべて夢の如くであります。目下続編を書いており、二百字×千六百枚まできました。二年後に私版、献呈します。今後も御指導ください。重ねて長文のご芳信、厚く御礼申しあげます。

 以上である。
 いま続編を執筆中で、二年後にはまた出版されるという。
 二年後まで、私は元気でいたいものである。(吉沢先生は私より十歳も若い)
 著者への礼状の中には書けなかったが、じつはこの「講談作品事典」上・中・下のなかには、著者自身も気づいていないと思うが、いわゆる「SM小説」のネタが、豊富に秘められているのである。
 たとえば、有名なところでは、まず「浅尾の蛇責め」。
 といっても、いまどきのマニアにはなんのことやらわからないだろうが(むかしのマニアはみんな知っている)「加賀騒動」の話であり、この「講談作品事典」の中に、千字近い字数で紹介されている。
 浅尾というのは、加賀百万石を自由にしようと企んだ大槻伝蔵一味の中の局(つぼね)である。
 この反逆はやがて露顕。一味は捕縛される。
 浅尾はさんざんな責めにあった末に、ハダカにされて風呂桶状のものの中に押しこめられ、さらに生きた蛇を大量に投げ込まれた末に悶絶して死ぬ、という物語で、むかしの「SM雑誌」には、かならずといっていい位に、イラスト入りで紹介されていた。
 この話はあまりにも有名だが、一般に知られていない毒婦、妖婦、姦婦、悪女と呼ばれた人間たちが、躍動感あふれる生き生きした姿で紹介されている。
 彼女たちの生きざまの一つ一つに、私はたまらなく「SM」の匂いを感じる。そして、私流の「SM時代小説」を書きたくなる。
 つまりこの事典が私にとってネタの宝庫というのは、そういう意味もあるのだ。

つづく

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