濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第六十六回
グロテスク芝居三昧(ざんまい)
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おはようございます。
今月もまた、R子おねえさまのご厚情をいただき、いいお芝居を、たくさん、たくさん観ることができました。
いつものように、最高(観劇料としても最高)に、見やすい、いい席で、たっぷりと、当代最高の位置に輝く役者諸丈の舞台に接することができました。
至福の一カ月間でありました。
松嶋屋松王丸の、悲しみの極限の表情が、アップになったまま、いまなお私の脳の中に深く刻まれ、消えません。
生きることの辛さを、全身をふるわせて耐えている人間の青白い顔が、こびりついたまま私の脳裡から離れません。
現仁左衛門演ずる寺子屋の松王丸は、孝夫時代から何度か観ていますが、今回のものが最高にいい出来でした。
先代の仁左衛門演ずる松王丸よりも、様式美を超えた人間味を表現する芸は、やはり孝夫のほうに凄みがあると思いました(というより私の感覚に近いのでしょう)。
もちろん先代の、底知れぬ古典味と悲哀感の漂う松王丸も好きでしたけれど。
先代の松王丸の悲哀感は、ときに快感となって観客を陶酔させてくれましたが、現仁左衛門の松王丸は、悲しすぎて、胸がおしつぶされそうになります。
私のように、体にも心にも、しぶといコケの生えた末期高齢人間の魂の奥底にまで、ぐいぐいとえぐるように食い込んできた松王丸を、私は他に知りません。
(なるほど、従来の型を超え、伝統的な様式を超えて、今日を生きる観客の心をゆさぶる、これが上方役者の芸か!)
坂田藤十郎などと違って、いまや仁左衛門は、上方役者とはいえないかもしれませんが。
先代の勘三郎の松王丸は、感情が高ぶってくると、本当に鼻水がだくだく出てきて、その鼻水で顔じゅうをぬらしての、人情味にあふれた(でも、オペラグラスでのぞくと、ちょっと汚ならしかった。「籠釣瓶」の次郎左衛門のときも、鼻水ぐちゃぐちゃにぬらして……。まあ、でも彼の熱演ぶりは、何をやっても愛嬌があり、私は大好きでした)サービスたっぷりの芸でしたが、現仁左衛門の松王丸は、ああいう熱演ともちがう、現代人の魂をゆり動かす、堂々たる心理描写がありました。
なんのツミもない、七つか八つのちいさな無抵抗の男の子を、分別のある愛情ぶかい大人たちが、寄ってたかって殺し、しかも首まで切り離してしまうという、とんでもない非人間的なストーリーなのですけれど、それを感動的に納得させてしまうというのは、役者たちの芸の力と、芝居作りの巧妙さでしょう。
矛盾だらけのお話なのに、その矛盾を感じさせずに、ドラマの中にひきずりこみ、ラストまで緊張感を持続させるというのは、やはりたいへんな作劇術だと思います。
孝夫時代の澄んだリズム感のある明快きわまる口跡に、いまは微妙に重厚味が加わって、やや渋い声になった仁左衛門ですが、それがまたこの場の松王丸にふさわしく、いやもう、私のような、涙の壷の涸れ果てた人間まで感動させてくれました。
この地獄のような二〇〇八年の現世を、生きていかねばならぬ人間の業(ごう)というものまでを感じさせてくれる、深みのある「寺子屋」でした。
私は二十年近くも前の、孝玉コンビ時代の人気狂言は「桜姫東文章」をはじめとして、ほとんど観てきているのですが、今回のこの「寺子屋」を観て、
(ああ、これが役者の円熟期というものか、芸が大きくなったというのは、こういうことか)
しみじみ、思いました。
もう一つ、絶対書いておきたいこと。
それは、山城屋・坂田藤十郎扮する千代のよかったことです。
こんなに悲痛な情感のある、内面の心理を的確に、微妙に、無言のうちに表現した松王女房を、私、はじめて観ました。
まさしく、夫・松王丸と臥床を共にしてまぐあい、愛し合い、その結果、小太郎を生み、育て、そして殺さなければならない、悲運にうちひしがれた武家の女房の姿がありました。
いやも応もなく、私、感動しました。
じつは私、R子ねえさまと同じく、扇雀、鴈治郎の時代から、この役者、好きではなかったのですが(やはり口跡の悪さが好きになれない原因です。でも先代の鴈治郎はあんなにもひどいかすれ声だったのに嫌いではありませんでした。ぞくぞくするくらいに好きでした)この千代はよかった。
松王丸の大きな体のかげに小さく隠れている姿が、悲しみの極限の黒いかたまりのように見えました。
いい千代を見せていただきました。
絶品といっていい位に、すばらしい千代でした。
山城屋(やましろや)は凄い!
(ああ、私とおない年なのです!)
三百年前の人の世も、いまも人間の世は苦しくつらく、悲嘆のみが多い。
それでも生きている、生きていかねばならぬということを、この芝居は教えてくれました。
梅玉・魁春の源蔵夫婦もよかった。
こんなに若々しい源蔵夫婦、観たことありません。
「青年」という感じすらする武部源蔵で、おのれの非道、非情を知りつつ、その非道の中に、一途に足を踏み込んでいく熱血武士の姿を、チラッと見せてくれました。
ああ、こういう源蔵もあるんだ、と思いました。
私がこれまでに観てきた武部源蔵は、富十郎も、吉右衛門も、三津五郎も、羽左衛門も、松緑(先代の)も、延若も、幸四郎も、勘三郎(十七世の)も、団十郎も、猿翁も、白鸚も、坂東竹若も、坂東鶴蔵も、実川延松も、坂東竹之助も、思慮も分別もある、理知的な武士でした。
(竹若とか鶴蔵とか延松とか竹之助などという役者の名前は、おそらくご存知ないと思いますが、いずれご説明申し上げます)
先日、私どもの一座の集まりで、R子ねえさまとお会いしたとき、
「じつはぼく、寺子屋は過去に三百回位、観ているんですよ」
と申し上げましたが、観ているはずなんです。
昭和二十年代、つまり敗戦直後、私が二十歳前のころ、某一座において、この「寺子屋」の涎くりと、涎くりの親爺を、両方とも、私はやっているのです。
はじめのうち、まだ子供なのに私は親爺の役をやらされ、のちに、抜擢されて、涎くりをやりました。
(このときの松王丸が坂東竹若、千代は市川福之助、源蔵は坂東竹之助、戸浪は尾上音女という役者だったのです。つまり、そういう一座でした)
もちろん、涎くり与太郎は、名題役者のやるいい役で、親爺は名題下の役です。
親爺から涎くりは、ですから抜擢ということになります。
この時代のことに関しては、べつのところにこまかく書く予定で、いま準備をしている最中です。
「寺子屋」の登場人物すべてのセリフ、義太夫の文句までも、ぜんぶ頭の中に、いまも入っています、とこの前R子ねえさまに申し上げましたが、子供のころの記憶力というものはたいしたもので、覚えようと努力しなくても、いつのまにか脳の中に刻まれています。
そして、六十数年たったいまでも、はっきり残っています。
R子ねえさまよくご存知のように、いまの私は、わずかばかりの自分のセリフを、バケツの中や、コウモリ傘の内側や、酒場のカウンターに置く洋酒のボトルに貼りつけて、舞台で盗み読みしている始末です。
それにくらべて(まあ、くらべるのが間違っていますけど)松嶋屋は、三幕六場のあの長い長い、そして複雑怪奇な薩摩源五兵衛のセリフを、初役だというのに、みごとに覚えたのですね。
それが仕事なのだから当然、といってしまえばそれまでですが、やはり凄いというより他はない。
その「盟三五大切」(かみかけてさんごたいせつ)、鶴屋南北作の小まん源五兵衛は、ひさしぶりの上演。
たいへん、たいへん、わくわく、ぞくぞくしながら観させていただきました。
このどろどろした人間臭い、欲情芝居における仁左衛門と菊五郎という顔合わせは、当代最高のもので、いかにも南北物らしい、凄惨な快楽味漂う、充実した内容でした。
よくできた芝居なのに数多く上演されないのは、話があまりにも陰惨苛烈で、グロテスクで、人間のもつ愚業と悪業を、目の前に突きつけられるからでしょうか。
私にはもちろん、そこが素敵におもしろかったのですけれど。
源五兵衛が、惚れて惚れて惚れぬいた女・小まん(時蔵)の首を切り取ってきて、木の台の上にのせる。
すると、その首がうっすらと目をあけて笑うシーンなんかは、わかっていてもゾオーッとしました。その前後の芝居の段取りがうまいからでしょう。
だいぶ以前、新橋演舞場で、亡き尾上辰之助(いまの松緑の父)がやったのを記憶しています。
そのときは孝夫(現仁左衛門)が三五郎でした。
昭和六十年に上演したのですから、いまから二十年以上もむかしになります。
二十年たつうちに、三五郎も源五兵衛も経験をつんで、人間臭さも、悪の魅力の表現も成長したということでしょうか。
菊五郎という人、何十年も観つづけていて、うまいのか、それほどでもないのか、じつは私にはよくわからなかったのですが、今回の三五郎をじっくりと観て、ああこの人はやっぱりうまい役者なんだな、と合点がいきました。
花道の七三で、ぼそりとすてゼリフを吐いて引っ込むところに、おもしろい味がありました。
もっと書きたいことがあるのですが、長くなるとお忙しいR子ねえさまのご迷惑になると思うので、このへんでやめておきます。
R子ねえさまに観せていただいたお芝居は、今月一カ月間だけで、これほどあります。
タイトルだけでも書き連ねてみます。
「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」
私は「伊勢音頭」を通しで観たのは、はじめてでした。海老蔵の浴衣姿の美しいこと。惚れた女を斬り殺して返り血に赤く染まったその浴衣姿の悲痛な凄惨美。
歌舞伎はやっぱり喜怒哀楽の激しい、グロテスクな怪奇芝居です。
上村吉弥の万野がよかった。風格のある立派な万野でした。
猿之助一座の猿弥が、お鹿に抜擢。やはり抜擢といっていいのでしょう。このごろ猿之助一座から離れての活躍が目立ちます。
私は、むかしの「獨旅五十三驛」(ひとりたびごじゅうさんつぎ)のときからの猿弥さんファンです。かくれファンです。
猿弥さん、おめでとう。というべきなのでしょう。重宝されていることは事実なのですから。宗之助のお紺、新鮮で美しく、初々しくていじらしかった。
おじいさんの沢村宗之助は、大映映画で、長谷川一夫の相手役の、憎たらしい(けれど愛嬌のある)敵役ばかりやっていました。私は大好きでした。
と、こんなふうにおしゃべりしているとキリがないので、やはり、タイトルだけ書くことにします。
「義経千本桜・吉野山」
「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)
これも通しです。この「おしゃべり芝居」で、菊之助の政岡をほめて書きました。
「龍虎」踊りです。できそこないの変な踊りでした。
「盟三五大切」(かみかけてさんごたいせつ)これも通しです。
「廓文章・吉田屋」坂田藤十郎の藤屋伊左衛門。夕霧は魁春。夕霧のメイクは、猿みたいでした。
昭和二十一年十一月、私は東劇で、六代目菊五郎の伊左衛門、三代目梅玉の夕霧で「吉田屋」を観ています。これは私のひそかな自慢です。少年の私が一人で観に行ったのです。
「寺子屋」前述の通りです。
「船弁慶」舟長(ふなおさ)を芝翫がやりました。なんという柔軟な身のこなし。しびれました。
「嫗山姥」(こもちやまんば)この芝居を観る数日前に、上野広小路亭で、竹本土佐子の語る素浄瑠璃「嫗山姥」の「廓噺」(くるわばなし)の段を聴きました。
竹本土佐子は女義(じょぎ)です。つまり女の義太夫語りです。立派なものでした。
歌舞伎の外題では「八重桐廓話」(やえぎりくるわばなし)となります。
煙草屋源七、実は坂田蔵人時行(梅玉)、萩野屋八重桐(時蔵)で、これも蔵人が腹に刀を突き立てて切り裂き、その臓腑を妻の口の中にふくませる。
夫の一念が胎内に宿った八重桐が大刀無双の山姥となって闘うという、やはりグロテスク趣味の混ったストーリーです。
一カ月の間に、こんなにもたくさんのお芝居にご招待くださいました。
かさねてR子ねえさまに御礼を申し上げます。
このほかにも、今月はRマネを誘って(R子ねえさまとRマネ、ちょっとまぎらわしいのですが、違う人です。どちらも美人です)国立劇場へ「江戸宵闇妖鉤爪」(えどのやみあやしのかぎづめ)という新作歌舞伎を観にいきました。
この芝居、なんと江戸川乱歩原作ということなので、私としては、これは観ないわけにはいかないのです。
出演は、幸四郎と染五郎。
それに、猿之助一座から市川春猿。
結論を先に言ってしまうと、じつにくだらない、つまらない芝居でした。
これは私の勝手な憶測ですが、脚本(岩豪友樹子)は、かなりしっかり書けていたような気がします。
それを、幸四郎親子が勝手なことを言ってぶちこわしたように思います。
すみません、憶測でものを言います。
脚本を書かれた岩豪友樹子さんは、さぞかし、くやしい思いをされたのではないでしょうか。幸四郎自身が演出をしています。
芝居作りというものを、何か、かんちがいしているとしか思えませんでした。
退屈でした。
江戸川乱歩のグロテスク趣味を売物にしていながら、その気配はまったく感じられませんでした。
「三五大切」のほうが、よっぽどグロテスクです。鶴屋南北は、やっぱり凄いなあ!
でも、この出来そこないの退屈な芝居でも、部分的には、いいシーンがありました。
市川春猿扮する明智小五郎の妻が、悪人のために誘拐され、怪しげな洞穴の中に縛られて悶える、およそ十五分間の場面です。
この縛りシーンの情緒は、相当なものです。ひさしぶりに「縛られた女」をみたような気分になりました。
現在あちこちで生産され、営業のネタにされている「緊縛写真」や、「緊縛映像」には見られない、女の情感と情緒、そして、匂いこぼれるような本物のエロティシズムが、国立劇場の舞台にありました。
女形役者・春猿のもつ色気と被虐の演技が、この縛りシーンの魅力のすべてです。
私はオペラグラスを目にあてたまま、妖しく美しくエロティックに縄に悶える女形の姿を凝視しつづけました。
ふっと、伊藤晴雨が、どこかに書いていた文章を思い出しました。
その気(け)のない女よりも、若いきれいな女形を縛ったほうが、よっぽど情緒があって興奮する、と。
この場の、縛られた春猿の濃厚な色気について、つぎの機会に書くことにします。
(つづく)
★Rマネの補足
この「おしゃべり芝居 第六十六回」は2008年11月29日に執筆されたものです。よって文中の「今月」あるいは「一カ月の間」とは、2008年11月を指しております。ご了承ください。
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