2009.2.3
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第七十四回

 緩縛(かんばく)よ、さらば


「狂言」は未だ半ばのままにしておいて、私が縛り係として、他社の撮影の現場に雇われて行ったときのことを、すこし書いておきたい。
 じつはこのことは、以前から書きたいと思っていたのだが、チャンスがなかった。
 たまたま不二企画の春原悠理(すのはらゆうり)から連絡があり、
「緊美研での集まりを復活させたいのだが、先生の気持ちはどうですか」
 という問い合わせが入った。
 その問い合わせの語気に、情熱が感じられた。
 私は「やろう!」と返事をした。
 この種のマニアックな集まりに、情熱が感じられなかったら、なんの値うちもないし、私はやる気がおこらない。
 ふつうの情熱以上の、いってみれば狂気のにおいのする情熱が必要である。
 常識的な情熱ではものたりない。
 世間並みの常識的なことをやろうと言うのではないのだから、常識以上の情熱が感じられないと駄目である。
 以前の緊美研も、スタッフに情熱が感じられなくなったので、私は意欲を失ったのだ。
 その場に参加している全員に、腹の底から燃えあがるような情熱、腸がねじれるような興奮、あるいは欲情といってもいいが、そういうほとばしるような青白い熱気がなかったら、私の縄は生きてこない。
 中には、SMのことがまったく理解できず、その場のリーダーの命じるがままに、情熱もなく、感動もなく、ただ手足を動かしているスタッフのいる現場がある。
 私のやることに(つまりモデル女性を縛る行為である)情熱どころか、むしろ冷い視線を投げかけてくるスタッフのいる撮影現場もある。
(ウソだと思うだろうが本当である。そういう人間とは私は現場で口をきかない。無視して私は自分に与えられた仕事をする。命じられたことに、ただハイハイと返事して従っている)
 いや、私は今回、こういうことを書くはずではなかった。また話が横道にそれてしまった。
 先をいそごう。
 もし緊美研の集まりを復活させるとしたら、私は来ていただいた緊縛マニアの方たちにモデル女性が、三分間しか我慢できないような強烈な縛りをお目にかけようと思う。
 長くても三分間しか耐えられない、力のこもった縛り方である。
 つまり、本当の意味での緊縛をやりたい。
 強烈な縛りといっても、海老責めにして転がしたり、逆さに吊るしたり、そういうアクロバティックなことはしない。
 いつもどおりの自然なポーズで、形だけはごくふつうの後ろ手縛り(モデルによっては後ろ手高手小手)なのだが、縄のきびしさに三分間たつかたたないうちに、
「もう我慢できない、解いてください」
 と、モデルが泣き声をだして哀願するような、強い縛りをやってみたいのだ。
 撮影のためのゆるゆる縛りではなく、縄の強さに悶える女の表情と姿体を、じっくりと観賞するための縛りである。
 それが私のめざすところの本当の緊縛なのだ。
 三分間というのは、あくまでも私の目安(めやす)にすぎない。つまり標準である。
 モデルによっては、一分間以内に、あるいは縛り終えてから三十秒間たつかたたないうちに悲鳴をあげ、ゆるしを乞うかもしれない。とにかく限界ぎりぎりの強い縛りをやってみたい。
 縛られた女の真実のマゾヒズムの美しさ、エロティシズムは、こういう縄でないと見えてこないのだ。
 強い縛りを好むM女性は、私の縄に呻き、泣きながら、悶えながらも耐えて、苦痛の中の快楽に、思いもよらぬ、私が見たこともないような、すさまじい情感を発散させてのたうちまわることだろう。
 緊美研の集まりを復活させるのだったら、これをやらないと復活させる意味がない。
 形だけの縛りの時代は、緊美研ではもう終わったのだ。
 いま私の心は、妥協のない、魂のこもった緊縛をやりたい欲望でいっぱいだ。
 とはいっても、過去の緊美研ビデオを否定するものではない。
 緊美研では、常に、かなりきびしい峻烈な縛りをやってきている。
 自信をもって、私はそう言える。だから多くのマニアたちに支持され、商品としてもよく売れた。
 緊美研ビデオでは、女の性器を露出するようなポーズは一切とらせない(そういう発想も欲望も私には無い)。
 ましてや性器の中にバイブやその他の異物をねじこむような、考えてみれば、べつにマニアでなくても、だれでも、フツーに思いつくような、あたりまえの「責め」は一切やらない。
 縄だけしか使わない(だからマニアなのだ)。
 縄以外の道具を使って女体を責めることを「恥」としてきた(だから変態なのだ。だからアブノーマルなのだ)。
 ただし、ムチとか、鼻孔責めの小さな道具だけは、M女性側の要望に添ってときおり使っている。
 他社の「SM映像」の撮影現場では、二分間か三分間でモデルが悲鳴をあげるようなきびしい緊縛はできない。
 撮影開始直前に、一度後ろ手に縛り終えたあとは、そのまま一時間でも二時間でもモデルが我慢できて、縄がゆるまない状態であることが望ましい。
 カメラが回っている間じゅう、モデルも、モデルにかけてある縄も持続するような縛り方をしなければならない。
 なぜなら、縛ってから女優あるいはモデルにさまざまな芝居をさせ、ポーズをとらせ、さらに彼女のむきだした下半身に男根型バイブその他の異物をねじこんだり、果ては男優とのカラミのシーンを、延々と時間をかけて撮影しなければならないからである。
 なので、縛りはどうしても形だけのものになる。
 ホンモノらしく、しっかりと隙間なく縄をかけているように見せて、じつは撮影のための、形だけの縛りなのである。
「緊縛美」などと、もっともらしく称しているが、じつは、緊縛などというのはおこがましい、緊縛ではなく、撮影のための緩縛(かんばく)なのだ。
 思えば、私は、この緩縛を緊縛と称し、過去五十年間、五千人以上のモデルや女優たちを縛ってきたのだ。
 本当の緊縛だったら、彼女たちは二分間か三分間しかもたない。耐えられない。
 くり返すことになるが、一編のSM映像の中で、責めシーンというのは、たいていクライマックスなので、二分や三分で終わるはずはない。
 縛ったままでモデルを一時間持続させる撮影のための縄のかけ方を、私は五十種類考え、完成させた。
 その五十種類から、さらにこまかく変化させていき、約三百種類の縛り方を披露した。
 濡木痴夢男の縛り方というものを、あちこちの雑誌に、写真つきで解説し、連載した。
 縛り方のビデオも制作され、数えきれないほど多くのタイトルをつけられ、商品として流布されている。
 再びくり返す。
 緊縛と称して、じつは緩縛のこの映像を見た人たちが、あちこちで縛り方の講座のようなものを開いている。
 それはそれでいい。それで満足しているのだったら、それはそれで結構なことである。私がとやかく言うことはない。
 私は自分の「緊縛」を、常に「緩縛」だと思いつづけてきた。
 その忸怩(じくじ)たる思いが胸中から去らないので、ここに告白しただけである。

 春原悠理の情熱が実(み)を結び、真の緊縛マニアたちの集まりから進展して、緊美研ビデオが再開することになったとき、このときこそ私は、緩縛ではない緊縛を、同志たちに見せようと思う。
 新しい会員同志たちの前で、私はモデル女性を力いっぱい、気合いをこめて緊縛する。
 私の縄は最初から強烈である。
 手加減をしない。まさしく緊縛である。
 彼女は緊張し、青ざめる。
(これは撮影のための、皮膚と縄のあいだに隙間のある、ゆるゆる縛りとは違うわ)
 と、彼女は実感する。
 私の縄の力を見た会員たちの心のどよめきが、私の耳に聞こえるようだ。
 私は、「緩縛」に見飽きている同志たちの前に、いまホンモノの「緊縛」を見せているのだ。
 そうだ、ここで断わっておかねばならない。
 どんなにホンモノの緊縛であろうとも、縄のかけ方の基本は、やはり「緊縛美」の形である。
 私は、自分の美的感覚から必然的に生まれた緊縛美の形から離れることはできない。
 ただ、これまでのは、いってみれば「緩縛美」にすぎなかった。
 新・緊美研では、私の真の欲望を集中させた、文字どおりの「緊縛美」をお目にかけよう。
 私は、私の前に正座させたモデルを、一本の縄で、ぐいぐい、ぎりぎりと後ろ手に縛りあげる。
(私は一本の縄で後ろ手にきびしく縛りあげられた女の姿が好きなのだ。縄の数が増えれば増えるほど、私の欲情の熱度は低下していくような気がする)
 そして、彼女に言う。
「苦しいだろうけど、三分間だけ我慢してくれ。三分間たったら、すぐ解いてあげるから」
 彼女はうなずく。
 一本の縄で後ろ手に、高々と手首を上にきびしく縛りあげられて、私のこういうセリフに無言でうなづく女の痛々しい正座姿を、どうか想像していただきたい。
 想像しただけで、あなたは内臓のどこかがジーンとしびれ、欲情することだろう。
 もし、どこもしびれることなく、欲情もしなかったら、あなたは緊縛マニアではない。
 私は、私と彼女の周囲にいる、カメラをかまえた会員たちにむかってお願いする。
「三分間のあいだに撮ってください。これだけの強い縄です。すぐに解かないと彼女はダウンしてしまいます。三分たったら解きます」
 私は、彼女から離れる。
 ああ、しっかりと後ろ手に緊縛された女が、この三分のあいだに見せる苦痛を耐える表情、肩をふるわせ、悶えおののく姿の艶やかさ。
 やがて正座はくずれ、体は横に倒れる。
 腰はせつなげに怪しくくねり、胸は痛々しい呼吸をみせてあえぐ。
 縄一本だけのエロティシズム。
 三分間というのは、短いようだが、じつは結構長いのだ。
 会員たちは興奮と感動の吐息をつきながら、カメラのシャッターを押しまくる。
 男たちの熱い体温とシャッター音が、肌に食いこむ縄の苦痛にのたうつ女の心を、さらに妖しく、ときに甘美にマゾヒズムの波に溺れさせる。
 三分たつかたたないうちに、もう駄目です、耐えられません、と泣き声をだして訴える女の縄を私は解く。
 皮膚から引き剥がすようにして食いこんだ縄を解く。
 すこしばかりの休みを与えて、私はまた彼女を後ろ手に縛る。前よりも強く、思いをこめて緊縛する。
 三分間たったら、また解く。
 彼女の肌に縄のあとがくっきりとつく。
 五分か十分休ませて、また後ろ手に縛りあげる。容赦はしない。
 何度でもくり返して縛る。縄のあとに縄がかさなる。
 これを十度くり返した結果がどうなるか。
 それは私にもわからない。
 やったことがないから、わからない。
 わかるのは、私がこれまで見たことのない、味わったことのない、濃密な、凄烈な、緊縛エロティシズムが出現するだろう、ということである。
 そうだ、いまここに、はっきり書いておこう。
 バイブを股間にねじこんで悶えさせるエロティシズムと、縄だけで悶えさせるエロティシズムとは、私たちマニアにとっては、まったく異質のものなのだ。
 一見、似ているように思うかもしれないが、じつは違ったものなのだ。
 足をひろげられてバイブをねじこまれ、どんなに気持ちよさそうにあえいでいる女を見ても、緊縛マニアは興奮しない。
 だが、縄によってせつなげに悶える女の姿を見れば、マニアは欲情するのだ。
 女が裸になって足をひろげなくても、性器に何かを挿入して、女を無理やり悶えさせなくても、縄にリアリティがあり、縛りに迫力があれば、マニアは興奮し、どうしようもなく欲情するのだ。
 このマニアの真実の欲望を、私はこれまでに、SM関連の出版物や映像商品を制作販売している企業の責任者や、その下で働く人たちに、何度くり返して訴えたことだろう。
 だが、彼らはきいてくれなかった。
 わかったわかった、そんなことはわかっているよ、おれたちだってシロウトじゃないんだから、と言いながらも、結局はわかってくれなかった。
 考えてみれば、わからないのは、あたりまえだ。
 どんなにマニアぶった顔をしていても、彼らは本質のところでマニアではないのだから。
(ああ、こういう愚痴を、私はこれまでに何度言ったり書いたりしてきたことだろう。とくに彼らが「SMはもう売れない、やっぱりノーマルなセックスを対象にした商品でないと商売にならない」と嘆くのを聞くたびに、ホンモノだったら絶対商売になることを主張してきた)

 と、そういうようなわけで、私、こんどの春原悠理からの誘いに乗ってみる気持ちになりました。
 自分でやるより仕方がない。
 こまかいことはまだ何もきめていませんが、緩縛から決別した濡木痴夢男の緊縛に応じたい、という女性の方がいたら、不二企画の春原悠理へ連絡してください。

 以上、わざわざ「狂言」を半ばにして申し上げた、私の正直な気持ちです。
 こうして書くことによって、現在の私の心境が記録されます。
 六十年むかしのことを書きながらも、心はいつも新しい冒険と快楽をもとめて、前のほうを向いているぞ、という私の欲望の証明です。
(だれだ、老醜の色情だ、などと言うやつは!)
 緊縛という縄一本による些細な行為が、これほどまでに執念ぶかく、熱く濃密に、根強い快楽をもたらすものか、という証拠の一文でもあります。

つづく

★Rマネの補足★
現在、不二企画HPは新緊美研の再開準備を含めた大幅なリニューアル作業のために一時的に停止しております。 上記文中にありますように、新緊美研についての詳細はまだ未定ですが、不二企画へのご連絡は「濡木痴夢男の緊縛ナイショ話」内にあります各種お問い合わせ用メールフォームをご利用いただけます。不二企画への直送メールになります。ご感想やお問い合わせ等、どうぞお気軽にお声をお寄せください。

(不二企画へのご連絡はこちら→

★おしゃべり芝居第七十四回への感想★
 みか鈴さんからのcomment    2009年02月03日 16:39
先生、美香です。
たった今、73回目の「緊縛写真飢餓時代」の感想を書きましたのよ。
久しぶりに先生に美香のSMに対する思いの丈を書き終えて、美香はとてもすっきりした気分ですのよ。
そうした気分で、もう一度「おしゃべり芝居」の表紙にもどってみましたら、
「あら?……もう新しい『おしゃべり芝居』の74回目が書かれてるわ」
という感じで、早速74回を読みましたところ、「おっ!なるほど……そう、先生もそう思っておられるのだわ」と新たな共感を覚えましたの。
このように先生の書かれるSMになんでも反応してしまう美香は、もしかしたら「プライドも羞恥心もかなぐりすて、白眼をむきだして自分だけの快楽に寝穢(いぎた)なく溺れるM女群」のような浅ましさを持ってるのかも知れませんわ。

美香はプレイ経験も少しはあります。
普通に比べれば多いといっても良いぐらい遊んではいます。
ですが、このようにSMに関する思いを共感する事は少ないのです。
ですから、浅ましくとも、美香は先生の仰ることに共感を覚えるという事を書きたいのです。

>長くても三分間しか耐えられない、力のこもった縛り方である。
>つまり、本当の意味での緊縛をやりたい。

察する所、これって捕縛術の理を外さない「緊縛」ですわね。
Mでなければ、悦びも得られぬ縛り方をされようと思っておられるのですね。
先生の「緊縛術」、敢えて術という言葉を使わせて頂きますが、この術はマゾっ気のない普通の女性でも耐えられるような安全な縛りです。
そしてそれは、今のSMの縛りでもあります。
美香の感じる所では、巷に氾濫している今の縛りは先生の「緊縛術」のアレンジに過ぎない、と言いましても、過言ではないように思います。「緊縛」というジャンルで圧倒的なシェアーを誇る、技術体系が濡木流とも云える縛りの方法ですわね。

ですが、今回の「新」緊美研では、濡木流ではなく捕縛系の本当に拘束することの出来る縄を掛けられると理解しましたのよ……つまり手首や腕の負担を軽減することなく行われるのですね。

先生、これは変態です(褒め言葉と思ってくださいね)……
多分、それを見極められるマニヤは少ないと思われます。
濡木流の緊縛を本物と思っておられる方には、何で3分も持たないのかが理解できないかも知れませんわ。

ですが、先生の思いは美香には分かるのです。
SMが安全になってしまい、其処にはSMの持つ緊張感がありません。
ですから、Mが生半可な思いですると、飛んでもない、そんな本物の捕縛を復活させたいと思われたのでしょうね。
美香は最早このようなSMに耐えるだけの体力や柔軟性を持ってませんから、その縄がどのようなモノかを味わいたいけれど、出来ませんわ。
正中神経麻痺、尺骨神経麻痺、橈骨(とうこつ)神経麻痺のような神経麻痺をおこしてご迷惑をお掛けするだけだと、Mとして受けるのは諦めておりますが、それは見て見たいのです。
リミッターを外した縄がどのようにMに作用するのか。
閉塞した今のSMに対しての先生の答えが緊美研で見れるのですわね……是非それには美香は立ち会いたく思います。
緊美研観客の1人として参加させて貰いたいと思いますのよ。
無論、それが可能ならの話ですわ……
美香が参加可能なものなら、教えて頂ければ、きっとワクワクし、嬉々として参加したく思いますわ。

 Tさんからのcomment    2009年02月04日 06:37
緊美研の復活…!
すごいです。何年ぶりになるでしょうね?
私もワクワクしてきました。
 I さんからのcomment    2009年02月02日 21:51
緊美研、復活してほしいと思います。
濡木先生やみなさんと楽しい時間が過ごせる日が来ることを期待して待ってます。
寒い日がまだまだ続くと思いますので、身体に気を付けてください。
 Lさんからのcomment    2009年02月04日 20:51
今回のことが、濡木さんにとって人生の淫靡な良き時間になるように思われるのは、私の妄想癖かもしれません。読ませて頂き、想像しただけで何かこう切なく懐かしく疼くのは何なのでしょう。
このことの報告を心待ちにしております。

 ★みか鈴さん、Tさん、Iさん、Lさん、ありがとうございました。
  皆様もお読みになったご感想など、是非お気軽にお寄せください。

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