2009.5.20
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第八十四回

 石井常右衛門


 鶴亀劇場は、常磐線亀有駅から途歩三分ほどの距離にあって、つまり、乗物の便がいい。遠方の客も電車に乗って芝居を見にくることができる。
 隅田川にかかる白鬚橋を渡った明治通りの裏側の片隅に位置する白鬚劇場へたどりつくには、常磐線南千住駅から、焼け跡だらけの荒涼としたさびしい道を、二十分以上も歩かねばならない。
 他に最寄りの駅としては、東武伊勢崎線の玉の井(現在は東向島)駅があるが、下車してやはり三十分近く歩くことになる。
 本所寿劇場時代からのファンは、それでも毎日四、五人位はきてくれるが、客はやはり地元に住む人がほとんどである。
 武田勝頼とか、長尾輝虎、直江山城、山本勘介などが登場する、義太夫の入る重厚な時代物「輝虎配膳」よりも、同じ歌舞伎でも、吉原の花魁(おいらん)が華やかに活躍する世話物のほうが、劇場周辺、つまり向島界隈の人々にわかりやすいし、親しみやすい。
 紺屋(こうや)の職人を主人公とする「紺屋高尾」の話を、世間知らずの朴訥な武士に書き替えたような、明かるい喜劇調の「石井常右衛門」にしたのは、興行師側としては、当然だったように思う。
 このころ私は、父の書棚にあった春陽堂刊の「日本戯曲全集」とか、同じく春陽堂刊の「明治大正文学全集」を、約二百冊ほとんど全巻読んでいたが(戦中戦後のことなので、他に読むものがなかった)演劇雑誌の中にも「石井常右衛門」なんて芝居は出てこなかった。
 おそらく「小芝居」でしか演じられない演目なのであろう。あるいは現在「大衆演劇」と称されている一座でしか演じることのない芝居なのであろう。
 私はこの「石井常右衛門」によって、

「晦日(みそか)に月の出る遊里(さと)も、闇があるから覚えていろよ」
 とか、
「女郎の真実(まこと)と玉子の四角、あれば晦日に月が出る」

 などというおもしろいセリフを覚えることができた。
 坂東竹若扮する田舎侍・石井常右衛門は、田舎弁を使いながらも、口跡明瞭、歯切れがよく、セリフに軽快なリズム感があって、耳に心地よかった。
 私が、いまでいうところの「大衆演劇」のおもしろさにめざめ(現在、Rマネがこの「大衆演劇」に豁然としてめざめ、熱烈なファンとなって、ほとんど毎月、私は彼女に引きずられるようにして、あちこちで、さまざまな「大衆演劇」の一座を見続けている。その結果、得るところが多く、感動もまた多い)たのは、あるいは、この「石井常右衛門」からではなかったか、と思う。

 ――と、こういうふうに、話はまたいつのまにか横道に外れ、とめどもなく脱線し、拡散してしまう。
 ハッと我にかえり、
(これでいいのだろうか?)
 と、私のペンは戸惑ってしまう。
 谷川俊太郎氏に「いつか土に帰るまでの一日」と題した話がある。その一節に、

 日記を書きたかったが眠くて書けなかった
 一日の出来事のうちのどれを書き
 どれを書かないかという判断はいつもむずかしい
 書かずにいられないことは何ひとつないのに
 何も書かずにいると落ち着かないのは何故だろう

 というのがある。いまの私の心境に近いような気がする。
 よけいなことを書かずに、鶴亀劇場と白鬚劇場で上演した芝居の演目だけを記しておこうと思っているのに、ついつい、それらの芝居にまつわる思い出話になってしまう。
 それをまた、おもしろがって読んでくださる人がいるから、お調子者の私は(なにしろ私は浅草生まれの浅草育ちだ)ついまた書いてしまう。
(おもしろがってくださる方は、きっと、おせじにちがいないのに)自戒。
 この時代、私には他に書かねばならないことが、いっぱいあるのというのに。
 この歌舞伎の「小芝居」体験時代を経て、やがて私は「劇団東童」という児童劇団、というより、新劇の劇団に移る。
 そこで新劇俳優としての舞台経験をすることになる。
 歌舞伎役者の下っ端の体験よりも、新劇俳優としての毎日を送った年月、時間のほうが、はるかに長く、多いのだが、この時代は書きたいことが意外にすくない。
 私の体内には、汲めども尽きせぬ歌舞伎の魅力、ぐつぐつと煮えたぎるような「小芝居」のおもしろさが「骨がらみ」になって巣食っているのだ。
「骨がらみ」という言葉は、いまは死語になっているような気がしたので、ためしに辞書を引いてみた。

「骨絡み・梅毒がからだじゅうにまわって、骨がうずき、痛むこと」

 とある。いやはや。
 この「石井常右衛門」という芝居で、一刀佐忠太という意地悪な武士つまり敵役(かたきやく)は、片岡当兵衛が演じた。
 その敵役に従う門弟三人のうちの一人を市川福二郎、つまり私がいただいた。

 白鬚劇場の二の替りの狂言。

一、三日月半次黒船由来 四場
第一場・海岸 第二場・清吉宅
第三場・郷太夫邸 第四場・路途

三日月半次 ……… 沢村鉄三郎
大工・清吉 ……… 尾上音女
その弟・時松 ……… 市川福二郎
清吉女房・きよ ……… 坂東陽子
太田郷太夫 ……… 片岡当兵衛
山本一平 ……… 梅沢秀雄
山田三太夫 ……… 有沢浩太郎
横櫛おせん ……… 坂東れい子

「石井常右衛門」ははっきり覚えているのだが、この「三日月半次」のほうは、私の記憶にほとんど無い。ストーリーも覚えていない。きっと、あまりおもしろくない芝居だったのであろう。
 大工の清吉という二枚目(尾上音女という役者は、若女形か二枚目の男が役どころだった)の弟、という役が私に与えられ、セリフも動きもあったのだろうが、まったく記憶にない。
 この芝居は、過去に鉄三郎が他の劇団で実際に演じて、鉄三郎の頭の中にだけ台本があった演し物だったのだろうと思う。
 主役の三日月半次を鉄三郎自身がやっているのが、その証拠であろう。
 むずかしい歌舞伎は敬遠されて、わかりやすい芝居を多く上演するという興行師側の方針が、次第にあらわになっていく。
 この「三日月半次」には、座長の竹若や福之助は出ていない。つまり、鉄三郎の演し物になっている。

二、恋飛脚大和往来・封印切の場

梅川 ……… 市川福之助
おえん ……… 尾上音女
治右衛門 ……… 片岡当兵衛
丹羽屋八右衛門 ……… 尾上竹之助
手代・由兵衛 ……… 沢村鉄三郎
忠兵衛 ……… 坂東竹若

 これは堂々たる歌舞伎の世話狂言であり、竹若も福之助も格調正しく熱演した。
 この一幕を見るために隅田川を渡って遠方からファンがきた。
 私はこの「封印切」で、幕あけの幇間(ほうかん)つまり太鼓持ちをやり、額にひろげた扇子を結びつけて踊った。

つづく

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