2009.6.20
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第八十七回

 小芝居讃歌


 前回、私は「寿の門松」という外題を「ねびきのかどまつ」と読む、と書いた。
 この歌舞伎狂言について、くわしく説明すると長くなるので省略するつもりだったのですが、どうも気になるので、すこし書いてみます。
 書くことは、私の勉強にもなります。

「ねびき」というのは「根引き」のことで、①木・草などを根のついたまま引き抜くこと。ねこぎ。②身の代金を出して遊女・芸者などを自由な身にすること。みうけ。

 と、辞書にあります。
「寿の門松」には、吾妻という美しい遊女が登場し、身代金(みのしろきん)がストーリーにからんでくるので、題名は当然、②のほうに重く、意味をもたせてあります。
 あらすじは、こうです。
 零落した難波屋与平は、新町(しんまち)で全盛の藤屋吾妻という遊女を見染めて懊悩する。
 吾妻は与平のその真情にうたれ、自分には与次兵衛という恋人がいることを打ちあけて、客となって呼んでくれと、与平に十両の金を与える。
 その意気に感じた与平は、その十両をもとでにして出世して、吾妻と与次兵衛を一緒にすることを誓う。
 そして、与次兵衛と兄弟の義を結び、その恋敵(こいがたき)である葉屋の彦介という男に傷を負わせて江戸へ下る――。

 ここまでが前編で、これだけでもこの芝居が、いまのお客には(いや、いまから六十年前の終戦直後の客にも)通用しないだろうということは、容易にわかる。
 Aという高校生が、同じ高校生の女の子を好きになった。
 その女の子には、Bという恋人の男の子がいて、それも高校生である。
 Aは、そのBが邪魔になり、憎らしく思って、なんとそのBを殺してしまった……というニュースを、きのうテレビでやっていた。
 まあ、これは極端な例だろうが、いまは、こんな時代である。
 この芝居を現代ふうにやると、ソープ嬢が自分を好きになってくれた客のAに対して、
「私には、Bという恋人がいる。だから、あなたとは一緒になれない。あなたにこのお金をあげるから、このお金で店にきて、私を抱いてちょうだい」
 といって、十両……近松門左衛門が生きていた当時の十両というのは、いま、いくら位になるのだろう。
 不勉強でよくわからないけど、かなりの大金であることに、まちがいはない。なにしろ何かの商売のもとでになるほどの金額である。
 Aは感激する。
(だれだって感激するだろう。私だったら、大大大感激で、逆立ちして引っくり返る)
 そして、その金をもとでにして大金持ちになって、彼女とその恋人Bとを一緒にすることを誓う……という話が、この芝居の前編である。
 いくら芝居だからといって、あり得ない話である。
(あり得ない話だから、近松は芝居にしたともいえるが)
 さて、それから話は、「山崎浄閑住家の場」へと進展する。
 与平は、与次兵衛と吾妻を一緒にさせるために、彦介という男に傷を負わせ、役人に追われる身となって江戸へ逃げる。
 与次兵衛は、男の義理から、その与平の罪を自分でひっかぶって、父親である浄閑のもとに監禁されることになる。
 それを案じた遊女の吾妻は、廓(くるわ)を抜け出す。
 そして、浄閑と与次兵衛の妻おきく(なんと与次兵衛には妻がいるのだ!)の情けで、恋しい与次兵衛を連れ出し、二人で逃げていく……という話になる。
 座頭の坂東竹若が、このおきくを女形になって演じる。
 ということは、このおきくが、この場では最も重要な役ということになる。
 浄閑を尾上竹之助がやり、遊女の吾妻を若女形の尾上音女が演じた。
 与次兵衛という辛抱立役(しんぼうたちやく)を市川福之助が演じたのは、一座に適当な二枚目役者がいなかったためである。
 こうやってあらすじをざっと説明しただけでも、やはり今日の観客にはついていけないものがある。
 おきくは、夫の与次兵衛に深い愛情を抱いている。にもかかわらず、遊女の吾妻にくっつけて逃がしてやるのだ。父親の浄閑もそれに同調する。
 こんな理不尽な話を、いま歌舞伎座で上演しても、観客の共感はおそらく得られないと思う。
 しかし、この登場人物たちの心理が、むかしの見物人たちには、百パーセントわかったのだろう(じつは私にもわかるのだ)。
 いまはとくに若い観客たちに共感してもらえそうにないので、大歌舞伎ではあまり上演されない。
 歌舞伎座ではやらないが、小芝居ではやるのだ。そこに小芝居の値打ちがあるのだ。
 歌舞伎座でやることができないから、小芝居でやるのだ。そこに小芝居役者たちの意地と矜持があるのだ。
 子供だった私には、そこまでの認識はなかったが、私の父はそのへんのことが、すこしわかっているらしく、そういう小芝居をおもしろがって私を連れて見に行っていたのだ。
 そんなときの父のセリフ、
「大歌舞伎は上品な鯛の味、小芝居はちょっと下品だが、こってりした旨味のあるイワシの味」
 このセリフを、たとえば、本所の寿劇場へ連れていかれたときなど、よく聞かされた。
 そんなときの父の浮き浮きした上機嫌な声音は、いまでもはっきりと耳に残っている。

 話がまた横道に外れたような気がする。
 横道に外れたついでに、調子にのって、小芝居讃歌を、もうすこし書かせていただく。
 その「讃歌」は、私の文章ではなく、文芸評論家の野口武彦氏が、二〇〇七年八月十九日の日経新聞の朝刊に書かれたものである。
江戸の風格」という欄があり、その小見出しに「小芝居芸」とある。
 私はいま、野口武彦氏がどこにおいでになるのか、わからない。連絡する方法を知らないので、無断でここに転載させていただく。
 連絡の方法がわかり次第、すぐにお伺いして、無礼をおわびして、ご諒承を得たいと思っている。
 それまで、どうかおゆるしをいただきたい。

「今は昔の一九六〇年代のこと、浅草松屋デパート六階の『すみだ劇場』を根城にして活躍していた『かたばみ座』という小芝居の一座があった。
 坂東竹若(たけじゃく)、坂東薪車(しんしゃ)、市川女猿(じょえん)、市川門三郎といった役者たちは、すでに相当な老優だったが、舞台では大車輪で熱演し、歌舞伎座ではまず見られない独特のコッテリした芸風が楽しめた。
 小芝居とは、中村・市村・森田の江戸三座のような大歌舞伎以外の芝居の総称である。明治になってから大歌舞伎が『芸術』として洗練されたのに対して、小芝居の方は、江戸以来の庶民性を持ち伝え、他では見られない演(だ)し物や珍らしい型を見せた。『かたばみ座』はその貴重な生き残りだったのである。
 最初に見たのが『盛綱陣屋』。戦国の習いで佐々木盛綱・高綱兄弟が敵味方に分かれて戦う悲劇である。陣屋に持ってこられた高綱の首は贋首(にせくび)だったが、囚われの実子小四郎は、敵を欺いて本物と思わせようと刀を腹に突き立てる。子役が腸を掴(つか)んで苦悶する姿は残酷までにリアルだったし、それを見破りながら骨肉の情に引き裂かれる盛綱の思い入れが凄(すご)かった。あんな風に顔面筋肉を総動員する表情作りは、お上品な大歌舞伎ではゼッタイにやらない芸である。
 こんな芝居もあったのかと驚いたのが、『馬盥(ばだらい)の光秀』。織田信長が部下の明智光秀に加えるひどいイジメの場面だ。信長の不興を買って額に三日月型の疵を付けられた光秀は、それでもじっと我慢し、主君の勘気を解こうと目通りを願う。その光秀に、信長はなんと馬を洗う盥(たらい)から酒を飲ませるのである。
 竹若の演じる光秀の無念の形相は、ほとんど《顔芸》の無形文化財といえた。歯ぎしりで顎が歪み、寄り目になった眼の奥で怨念の炎が青く燃える。
 隣席にいた地元の老人が『どうだ、うめえだろう』と言わんばかりに得意げな顔をして見せたのを思い出す。(文芸評論家)」

 さすがは、野口武彦氏である。
 この文章の、とくに終わりの三行に「かたばみ座」の魅力が、生き生きと活写されている。
 まさしくこれが「かたばみ座」の芝居を愛する五十年前の観客の姿であった。
 野口先生、すばらしい文章で、このようなお褒めの言葉、ありがとうございました。
「かたばみ座」に、多少なりともゆかりのある人間として、私、心からお礼を申し上げます。
 涙の出るほど、ありがたい思いです。
(Rマネージャーよ、野口先生の連絡先を、どうかみつけてください。お願いします。私はどうしても野口先生の前へいき、お礼を申しのべたい)
 鶴亀劇場や白鬚劇場で奮闘、いや苦闘した坂東竹若、坂東鶴蔵、市川福之助たちの一座が、同志を集めて再結成したのが「かたばみ座」である。
 私、つまり市川福二郎は、このときはもう福之助の弟子ではなかった。
 辛い生活に耐えきれず、私は小芝居の世界から逃げ出してしまっていたのだ。
 しかし、濡木痴夢男が、いまでも「奇譚クラブ」を故郷と思うように、福二郎はいつまでも、鶴亀劇場や白鬚劇場を故郷と思い、市川福之助の弟子であったことを、心の中で誇りに思っているのである。

(鶴亀劇場も、白鬚劇場も、いまはもう、もちろん無い。影も形もなくなり、まったくべつの新しい建物が建ち、風景も変わっていることだろう。だが、六十五年前には確かにあったその場所を、共に、たずね歩いてみようと、私はつい数日前に、Rマネージャーと約束したのである)

つづく

★Rマネの追記★

野口武彦氏の『江戸の風格』が単行本になりました。こちらの御本には上記本文中にて引用させていただいた「小芝居芸」も収録されております。濡木先生も早速購入し、日本経済新聞出版社気付けにて野口武彦氏にお手紙をお出しいたしました。大変素晴らしい御本です。ご興味のある方は是非お読みになってください。(Amazonのご案内ページはこちら→★

   『江戸の風格』 野口武彦【著】
   1,575円/日本経済新聞出版社/2009年4月22日発行

内容(「BOOK」データベースより)
東京の町には特異点のような場所があり、日常の皮膜の陰に不思議な空洞が口を開いている。歴史地理の痕跡は現在の地形に埋もれているだけだ―文芸の珠玉を渉猟し、史実と幻想の辺境を巡る旅。

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