濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第八十八回
よだれくりのじい
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つづいて、鶴亀劇場における二の替りの狂言。
一、軽演劇・辰つぁんの人生双六……三景
辰つぁん
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川部サブロー
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女房お鉄
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川部春江
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岩田屋
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山本ジュン
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女房お松
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坂東陽子
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二、菅原伝授手習鑑・寺子屋の場
武部源蔵
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尾上竹之助
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女房戸浪
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尾上音女
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よだれくり
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片岡当兵衛
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その祖父
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市川福二郎
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春藤玄蕃
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沢村鉄三郎
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松王丸
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坂東竹若
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女房千代
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市川福之助
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三、喜劇・借りた女房・一幕
西山良吉
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尾上竹之助
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女房お蝶
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市川福之助
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おきみ
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伏見洋子
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先妻おたか
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坂東咲子
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この外題と配役表は、前にものべたように舞台下手から斜めに張り出している花道の後ろに貼ってあるビラの文字を、私が書き写したものである。
戦後すぐ、つまり一九四五年(昭和二十年)の時代なので、「菅原伝授手習鑑」の「伝」の字は「傳」と書かれている。
「芸者」の「芸」の字は「藝」と書かれている。
そして「いかけや政次郎」の「い」の字は「ゐ」となっている。
それはともかく、この興行で私に与えられた「寺子屋」のよだれくりの祖父の役は、私が竹若一座の座員になって、最もセリフの多いものであった。
「よだれくり」というのは、いつもよだれを垂らしている、だらしのない子供、というような意味である。
「寺子屋」のよだれくりは、幕あきに登場する大勢の寺子の中で、最も柄が大きく、いたずら好きの子供で、これはふつうの子役ではなく、名題つまり名のある大人の役者が演じるしきたりになっている。
「坊や、ここは自由にたっぷりやれる場面だから、坊やと二人でお客を笑わせてやろう」
と、よだれくり役の当兵衛が私に言った。
当兵衛は、日立の広報劇団のときのように、まだ私を「坊や」と呼んでいた。
「菅原伝授手習鑑」は、「忠臣蔵」「義経千本桜」と並んで、歌舞伎の中でも名狂言とされていて、ご存知の方も多いと思うので、あらすじは省略する。
「寺子屋」の場だけを、かんたんに記しておく。
赤ッ面の敵役(かたきやく)春藤玄蕃と、この幕の主人公である松王丸が、捕手を大勢従えて、菅丞相(かんしょうじょう)の一子・菅秀才がかくまわれている武部源蔵の家へやってくる。
そして、菅秀才の首を切って差し出せという権力者・藤原時平公の命令を、源蔵に伝える。その首実検にやってきたのである。
寺子屋の師匠をしている武部源蔵の家には、村の子供たちが大勢、手習子(てならいこ)としてきている。
村人たちは、自分の子や孫が、菅秀才と間違われて、首を切られては大変とばかりに、ぞろぞろ連れ立って花道をやってくる。
子供たちは、父親や祖父に名前を呼ばれ、つぎつぎに帰っていく。
「……つぎは十五のよだれくり……」
と、ひと声高く張り上げるチョボ(義太夫)を合図に、祖父に扮した私が、門口にすすんで腰をかがめ、
「ぼんよ、ぼんよ」
と、よだれくりを呼ぶ。
すると、よだれくりは、いかにもいたずら小僧といういでたちで、草紙鎧(そうしよろい)を身にまとい、箒を槍、なぎなたに見立てて振りかざし、ドタドタと足を鳴らして奥から出てきて大見得を切る。
それまでの緊張感が解けて、ここでお客はどっと笑う。
よだれくりは、門口にいる私を見ると、
「おう、じい(祖父)きたか」
と言って、外へでようとする。
すると、待ちかまえていた春藤玄蕃が、
(お前のような下品な汚ない子供が、菅秀才であるはずがない。ええ、腹立たしい!)
という気持ちで、手に持っている鉄扇で、よだれくりの頭を、パチンと勢いよく叩く。
叩かれたよだれくりは、わあわあ大声でだらしなく泣きながら、祖父である私のところへくる。
「じいよ、あの赤い顔のおさむらいが、ぼんの頭を、ぺんぺんしたあ」
と、だらしなく泣きつづける。
「そうか、そうか、おお、こわやの、こわやの(こわいのう、こわいのう)」
と、あやしながら私は当兵衛の手を取り、家に帰ろうとする。
だが、よだれくりは駄々をこねて、動こうとしない。
ここから当兵衛が、
「ここは自由にやっていいところだから、二人でお客を笑わしてやろう」
と、私に言った即興の芝居が始まるのである。
花道の際に突っ立った当兵衛が、
「ぼんの言うことをきいてくれなけりゃ、動かんぞオ」
と、駄々をこねつづける。
「おお、よしよし、なんでも言うことをきいてやるわい」
と、私。
「じい、ほんとになんでも言うことをきいてくれるか」
「おお、きいてやる、きいてやるとも。言うてみい」
「そんなら、なあ、じいよ。駅の向こう側にある、赤い電気がいっぱいついているところへ、ぼんを連れて行け」
と、当兵衛。
「なにをバカなことを言う」
と、両手を大きく横にふって私は叱る。
ここで客席は、どっと笑う。
駅の向こうというのは、常磐線亀有駅の向こう側のことで、日立の亀有工場や鶴亀劇場とは、反対側の一角である。
そこには、アメリカ空軍による三月九日夜の下町一帯の大爆撃で焼け出された、江東区亀戸の「三業地」の人たちが、移転してきたのである。
「三業」というのは、料理屋、待合い、芸者屋の三種の営業を称していた俗語で、今は死語になっているが、私の子供のころは、まだ「三業地」という呼び名が残っていた。
「あのへんは三業地だから、子供は近寄ってはいけないよ」
などと大人に言われると、それだけで私は、子供が近寄ってはいけない場所なんて、どんな怪しい、おそろしい、魅力のある人たちが住んでいるのだろうと、妄想をふくらませて、胸をときめかせた。
「駅の向こう側にある、赤い電気がついているところへ連れて行け」
という、よだれくりのセリフに、客席が湧いたのは、つまり、そういうわけである。
「なにを言うだか。あそこはな、お前みたいな子供が行くところではない」
と、私が叱る。
「いやだ、いやだ、ぼんは行きたい、赤いべべ(着物)を着て、白粉ぬった、きれいなおねえちゃんがいっぱいいるところへ、行きたいよう」
客席の笑い声に調子ののった当兵衛は、なおも大声でわめき散らす。
祖父に扮している私がまだ十六歳の子供で、わがままな孫に扮しているのが、四十前後の体の大きい当兵衛なので、その珍妙な対照だけでもお客は笑うのである。
このとき、私はまだ「童貞」であった。
亀戸から亀有へ移転してきて営業しているという一角を、まだ見に行ったこともなかった。
興味はあったが、おそろしい感じがして、行けなかった。
男と女の恋の芝居などを平気で書いて、とんでもない早熟なガキだと人に言われていたが、そういう売春場所に対しては、私は極端に臆病だった。
その臆病さは、じつは、いまでもそうである。信じられないだろうが、事実である。
よだれくりの祖父は、駄々をこねつづける孫をなだめすかすと、ようやく背中にして、歩きだす。
二、三歩あるくと、孫は祖父の背中から下り、逆に、祖父を背中に背負い、
「じい、しっかりつかまっていや」
と言って、おどけた足どりで花道を引っ込むことになる。
客席からは笑い声と拍手。
「寺子屋」という芝居は、このあと、なんの罪もない松王丸の伜が、犠牲になって首を切り落とされるという、凄惨きわまりない悲劇になっていくので、こういう「笑い」が前半にあるのも、ゆるされるのであろう。
歌舞伎独特の演出の妙というものである。
主人公の松王丸も、敵役の春藤玄蕃も、この「笑い」の場では、厳肅な表情のまま、黙って動かずにいるのである。
坂東竹若の松王丸は、気合いがこもっていて、悲痛味きわまる、すばらしい松王丸だった。
その松王丸から、幕が下りた直後、
「福二郎さん、なかなかうまいよ」
と私はほめられ、天にものぼる心持ちになった。
(つづく)
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