2009.8.8
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第九十二回

 河原乞食


 向島(むこうじま)の白鬚劇場における竹若一座の二の替りの狂言は、つぎの通りである。

一、軽演劇・辰つぁんの人生双六……三景

辰つぁん ……… 片岡当兵衛
女房お鉄 ……… 坂東咲子
岩田屋 ……… 沢村鉄三郎
その女房お松 …… 伏見洋子

二、神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)
  頓兵衛住家(とんべえすみか)の場

お舟 ………………… 坂東竹若
渡守(わたしもり)頓兵衛 …… 沢村鉄三郎
新田義峯 ……………… 尾上音女
下男・六蔵 ……………… 片岡当兵衛
台(うてな) ……………… 伏見洋子

三、二人の踏切番……二景

三吉 ……… 当兵衛
金造 ……… 鉄三郎
芸者染香 ……… 音女
堀口新作 ……… 坂東竹若
三吉女房 ……… 伏見洋子

 同じことをくり返して書くようだが、この狂言名と配役名は、舞台下手の斜めに張り出した短い花道の後ろの板壁に貼られた、粗末な手書きの文字を、私が手帳にメモしたものである。
 プログラムなどというぜいたくなものは、一切つくることのできない、終戦直後の貧しい時代であった。
 ポスターとか、チラシなども、もちろんつくれない。
 赤と黒の二色の手書きのビラが、白鬚橋を渡った墨田区向島の、焼け残った町の塀や電信柱に、わずかばかり貼り出されていた風景が、私の記憶の中にある。
 二番目狂言の「神霊矢口渡」に登場する役の「台」は、ビラにはその当時の、画数の多い難しい字が使われている。
 それを写して手帳の中の私の字も、そのまま書いてある。
 手もとにある辞書で調べてみたが、もうその字は載っていない。
「うてな」の項には「台」とだけしか記載されていない。
 私のメモ帳には、きちんと私のペン字で「臺」と書き写されている。
 現在パソコンやワープロの中に、こういう文字があるのだろうか?
 Rマネよ、面倒だろうけど、ちょっと調べてみてください。
「うてな」という言葉も、私の少年時代にはまだ日常語として使われていたのです。
 見晴らしがいい、く建てた御殿のことをいうのです。また、上が平らで、物をのせるようになっている台のこと。
 植物の蕚(がく)のことも「うてな」というのですが、この「蕚」という字も、いまはもうないかもしれない。

 この白鬚劇場の二の替りの配役表に、なぜか私の親方である市川福之助の名前がない。
 名前が出ていないということは、出演していなかったのである。
 そして、このところ数興行、竹若一座に参加している川部サブロー一行の名前も出ていない。
「辰つぁん人生双六」は、川部一行の演(だ)し物であった。
 川部一行が不参加なので、竹若一座の当兵衛が、川部サブローがやった主役の「辰つぁん」をやり、その他の役も歌舞伎役者たちが演じている。
 要するに、この興行では、市川福之助と川部サブロー一行は休演しているのである。
 だがこのことに関して私にはまったく記憶がない。
 立女形の福之助が休演しているというのに、弟子の私だけ出演しているのは、なぜか。
 出演といっても、セリフもないような小さな役で舞台に立ち、あとは楽屋の走り使いをしていたのにきまっている。
 私はいまこの「おしゃべり芝居」を、当時の日記をみながら書いているのだが、そのへんの事情については、何も記録されていない。
 興行師側の都合が、何かそれなりにあったのだろうが、新入りの少年役者である当時十六歳の私なんかに、そのへんの事情を教えてくれる人間がいるはずもない。
 たとえ事情がわかったとしても、どうということはない。
 敗戦直後の最も混乱のひどい時期に、かろうじて焼失をまぬがれた東京の下町の片隅の、食料も乏しく、生活苦に明け暮れている人々の間で、ほそぼそと興行している「小芝居」一座の役者の不出演事情など、いまさらどうでもいいことである。
 大体こんなことを六十年たったいまになって、こうして意識の中によみがえらせているのは、私一人だけにちがいない。
 そんなむかしの些細なことを、いまよみがえらせることに、なんの意義があるのか。
 ふと、私は自問する。
 意義など、一つもないのだ。
 なぜ私は、私以外のだれもが、はるかかなたに忘れ去っている過去の、市井の片隅の、いってみれば塵芥(ちりあくた)にひとしい事柄を、こんなにもぐだぐだと、書き述べているのだろうか。
 それは、と私は答える。
 書きたいから、書いているのです。
 なぜそんなことを書きたいのかね。そんなことを書きつらねたところで、きみの自慢になるわけでもないだろう。
 自慢どころか、むしろ、世間には隠しておいたほうがいいような素性ではないのかね。
 この時代、河原乞食(かわらこじき)という蔑称が、まだ生きていた。
 河原乞食とは、役者のことである。
「河原者」ともいう。むかし、京都の四条河原で歌舞伎を興行したところから、そう呼ばれる。
 私の母親は、父に負けない位の芝居好き、演芸好きだったが、その母親にしてからが、私が鶴亀劇場に雇われることを知ったとき、
「あんちゃん、河原乞食になるのかね」
 ぼそりと一言つぶやき、一瞬悲しそうな顔をした。
 そのとき、父もそばにいたが、
「芝居なんて、素人劇団でやっているようなときが、いちばん楽しいんだぞ。仕事にしてしまったら、楽しいことより、つらいことのほうが多いぞ」
 反対こそしなかったが、母と同じように表情をくもらせ、私の顔を正面から見ようとはしなかった。
 自慢にもならない、隠しておいたほうがいいようなことを、なぜ私は書きたいのでしょうかねえ。
 私には、このような露悪趣味はなかったはずなのですがね。
 私は、どちらかといえば、虚栄心のつよい人間です。
 私がこんなむかしの、いってみれば恥を書きつらねている理由は、もう一つある。
 それはRマネが、書きなさい、書くのです、一生けんめい書きなさい、と、そばから私の尻を叩くのだ。
 尻を叩かれると、私は気持ちがいいのだ。

 どんなことを書いても、そこに呼吸しているのは、濡木痴夢男なのです。
 何を書いても、そんなふうに生きてきたのは、濡木痴夢男なのですよ。
 興味をもつのは、私だけではないはずです。みなさん、読んでいますよ。
 そうだろうか。こんなもの、読む人がいるのだろうか。
 います。いるはずです。
 さあ、お書きなさい。書くのです。書かなければいけません。
 そんなふうに言われるから、私の心に、なんだか勇気みたいな、生き甲斐みたいなものが湧いてきて、これまで書いてきたのです。
 はい、書きます。
 でも、私の書くことなんか、やっぱりつまらないですよ。子供のころのことなんか、書きのこす値打ちは、何もありません。
 いいのです。お書きなさい。とにかく書くのです。

 私は、考えてみると、Rマネ一人を読者として、この「おしゃべり芝居」を書いてきたのかもしれない。
 それだったとしても、それでいいのだ。
 そういうふうに、腹をくくってしまえばいいのだ。

 白鬚劇場の二の替りの興行には、前述のように、川部サブロー一行と、市川福之助は出演していない。
 三つ並んでいる狂言の、その三本すべてに、伏見洋子という女優の名がある。
 伏見洋子は、川部サブロー一行には属していない。
 坂東竹若一座の役者でもない。竹若一座の女優は、すべて身分としては竹若座頭の弟子ということになっており、頭に坂東という名がつくので、すぐにわかる。
 伏見洋子は、いってみれば、一座の客演という形であった。
 年齢は私より三つ四つ上のように見えたが、あとになって私と同年だったことがわかった。
 つまり、一般的にいえば、まだ少女であった。
 しかし、舞台は大胆であり、おとなびていて、芸達者であった。
 喜劇では、娘の役はもちろん、子供のいる人妻もやった。
 歌舞伎でも、気品のある武家の女房などを、そつなく演じた。
「二人の踏切番」で、夫に裏切られ、赤ン坊を抱いて電車の線路に身を投げようとする人妻の役をやったとき、舞台の袖で見ていた沢村鉄三郎が、感嘆して、
「達者なもんだなあ。若いうちからあんなに達者な芝居をしてこの先どうなるんだ」
 と、つぶやいていたのを覚えている。
 この伏見洋子は、もう一つの名を小森昭子という。
 鶴亀劇場と白鬚劇場を働き場所とする「新生花形歌舞伎」は、坂東鶴蔵を座頭とする一座と、坂東竹若を座頭とする一座、つまり、二座に分けられて興行しているということは前に述べた。
 伏見洋子は、坂東鶴蔵の日本舞踊のほうの弟子であり、富士竜子という芸名もあった。
 鶴蔵の弟子が、鶴蔵一座の舞台に出演しないで、なぜ竹若一座に参加して客演していたのか、何かの理由があったのだろうが、当時の私には知る由もない。
 この伏見洋子という少女役者が、数年後に、浅草の舞台で華々しくデビューし、一躍人気者になる浅香光代である。
 現在も元気で活躍されている座長役者さんなので、呼びすてにしては申しわけないのだが、この「おしゃべり芝居」は、はじめから敬称略で通しているので、どうかご勘弁いただきたい。
 浅香光代のこの時期のことは、彼女自身がリアルな筆致で書いており、昭和三十三年、豊島区長崎にあった学風書院という出版社から「女剣劇」というタイトルで刊行されている。
 いかにも彼女らしい、率直な、気っぷのいい書き方で、この時代の世相、興行世界の裏面、人々の交流が描かれていて、いまでは貴重な資料の一冊になっている。

つづく

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