2009.10.31
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百一回

 漂泊零落趣味


野崎村は寒かった」の原稿を書き終え、すぐにFAXでRマネに送ると、まもなく、その返事があった。
「先生、今回の原稿のおしまいのほうの『長田幹彦先生小伝』のところは、前にもありますよ。九十三回目の『ドサ回りが好きだ!』で、すでに先生、書いてます」
 と、彼女は電話で言ってきた。
 いつもすぐに私の原稿に目を通してくれる。ありがたい人である。
「ええッ!」
 びっくりした。
 そして、すぐに読みかえしてみた。
 FAXで送稿すると、肉筆の原稿が手もとにのこる。これがこのFAXというやつの、一番いいところだ。
 なるほど、「ドサ回りが好きだ!」のおしまいのところに、「長田幹彦先生小伝」が載っている。私が書き写したものである。
 今回載せたのは、その「小伝」を、さらに私が省略したものである。
 しかし、その「小伝」を載せたくなった私の気持ちは、前回のときよりも、深く、思いが切実になったせいだということに気づいた。
 深く切実になったからこそ、勢いにのって、前に一度紹介したことを忘れ、再び載せてしまったのだ。
 意図してそんな失策をしでかしたわけではなく、文章の流れにのり、気合いをこめて書いているうちに、しぜんにそうなってしまったのである。
 気合いをこめて、というのは具体的には、たとえば、
「私の零落趣味は、マゾヒスティックな感覚に近かったように思う」
 などというところである。
 本当は「マゾヒスティックな感覚に近かった」ではなく、マゾヒズムそのものであった、と書くべきだったかもしれない。
 だが、そう言い切ってしまっては飛躍しすぎるかもしれない、と私は思い、ためらった。
 そして、表現をゆるめにしたのだ。
「長田幹彦先生小伝」を、この「おしゃべり芝居」の中に、二度も登場させてしまった失態について、私は、
「どうしようか?」
 と、Rマネに相談した。
「こうやって、ホームページの文字を、時間を置いて発表される場合は、読むほうはあまり気にならないとしても、一冊の本になって続けて読んでくださる読者は、おや、また出てる、と思ってしまうんじゃないかしら」
 と、Rマネ。私は考え考え、
「どうしようか、どちらかを消そうか。しかし読んでみると、両方とも、自分の気持ちのしぜんな流れ、あるいは気分の高ぶりの結果、こうなってしまったんだ。正直に言うと、両方とも消したくないんだけど」
 と言った。
 そして私は、改めて長田幹彦が、明治末期から大正初期にかけて書いた小説「零落」「扇昇の話」「零(みお)」を読みなおした。
 三編続けて読んで、やはり胸をしめつけられるような、なんともせつない重苦しい寂寥感が私の心身を襲い、十五、六歳当時に読んだときと、まったく同じマゾヒスティックな気分におちこんだのだ。
 このマゾヒズムは、よくある「女王様と奴隷男」ふうな、直接性に関わってくるような図式的なものではなく(深層心理にはあるいはそういう性的なつながりがあるのかもしれないが)全人間的な、私の全身を頭からすっぽりおおって包み込む、根源的なマゾヒズムのように思われるのだ。
 以上、「長田幹彦先生小伝」を、二度載せてしまった弁解である。
 いまのところ私には、その二度載せた片方を削除して、前後の文章を書きなおすつもりはない。
 だが、Rマネがもし、
「やはり書きなおしたほうがいい」
 と言うのだったら、一冊の本にまとめるときに、私はその忠告にしたがう。
 Rマネは、この「おしゃべり芝居」の最も良き読者であり、正確な批評家だと思うからである。
「結論から言うと、私はこのままでいいと思います。先生の気持ちが、ごく自然に表現されていて、読者も違和感なく、素直に受け取ってくれると思います」
 と、Rマネは最後に、きっぱりと言ってくれた。
 考えてみると、この時代の、この種の旅役者の舞台とか生活は、文章でしかのこされていない。
 写真にも、絵にも、もちろん映像にものこされていない。
(この小説を読むと、この時代の旅役者も、毎晩ちがう演目を舞台にかけていた、つまり歌舞伎を日替わりでやっていたことになる。だから、いまの「大衆演劇」が、毎日毎晩、日替わりの狂言を演ずるのは、伝統というものかもしれない)
 文章だからこそ、小説によって表現された世界だからこそ、このようにマゾヒズムの深遠な香りを底に秘めながら、悲惨な境遇にさまよう人々のロマンティシズムを、詩情を加えながら謳いあげることができたのだろう。

 や、いつのまにか、また話が横道に外れてしまった。
 どこから、何がきっかけで、外れたのだろう。
 ああ、そうだ、「野崎村」のお染が、自分の手で、自分の乗る舟を持って芝居をしなければならない、貧しい、わびしい舞台の話から、こんなところまで外れてしまったのだ。

 一九四六年(昭和二十一年)、白鬚劇場の正月興行、二の替わりの狂言は、つぎのようなものである。

一、慶安太平記・丸橋忠弥・濠端の場

 丸橋忠弥……………尾上竹之助
 松平伊豆守…………市川福之助
 弓師・藤四郎………片岡当兵衛
 茶店の女……………坂東麗子
 中間・一……………梅沢秀雄
  〃・二……………有沢浩太郎
  〃・三……………市川福二郎

二、黒手組曲輪達引(くろてぐみくるわのたてひき)仲之町より仕返しまで 三幕

 花川戸助六…………坂東竹若
 揚巻…………………市川福之助
 白玉…………………尾上音女
 白酒売・新兵衛……沢村鉄三郎
 鳥井新左衛門………片岡当兵衛
 門弟・一……………梅沢秀雄
 門弟・二……………有沢浩太郎
 門弟・三……………市川福二郎

三、心中天網島・河庄の場

 紙屋治兵衛…………坂東竹若
 小春…………………市川福之助
 粉屋孫右衛門………尾上竹之助
 善六…………………沢村鉄三郎
 太兵衛………………片岡当兵衛

 丸橋忠弥は、本来ならば座頭である竹若の役なのだが、竹若は二番目狂言で助六、三番目狂言で紙治という重要な役をやるので、竹之助に忠弥の役がまわったのだろう。
 この濠端の場に出てくる燗酒屋の勘助の役が、茶店の女になっている。これは以前、勘助をやった鉄三郎が、つぎの幕で重要な役をやるので、代わりに女優の麗子がやったと思われる。
 私は前と同じように中間の三と、ぬいぐるみを着て、忠弥に吠えかかる犬の役をやった。このときは濠端だけで、捕物の場はなかった。
 竹若と福之助のコンビが演じる「河庄」は感動的な舞台だった。
 衣装や装置のお粗末さを、熱演でカバーしているかのようだった。
 いや、熱演というよりも、この一座の役者たちは、芝居をやることが好きで好きでたまらない、というふうに私の目には見えた。
 それが職業なんだから、あたりまえといえば、あたりまえなんだけど、このつめたく寒い悪条件の舞台の上で、仕事という以上に情熱をもって演じているように私には思えた。
 上方(かみがた)の伝統的な和事(わごと)の芝居のおもしろさを、私は数週間前に上演した竹若と福之助の「恋飛脚大和往来・封印切」で知ったのだが、この「河庄」の良さは衝撃的で、梅川忠兵衛を上回る感動をうけた。
 竹之助の粉屋(こや)孫右衛門も、この役者の温厚な人柄に合って、人情味の濃い、すばらしい出来だった。
 いま思うと、竹若一座で上演された芝居の中で、最高の傑作が、この「河庄」であった。ついでにいえば、二番目が「寺子屋」で、三番目が「梅川忠兵衛・封印切」である。
 白鬚劇場でやった「河庄」は、週日は夜一回、土曜と日曜は昼夜二回ずつ上演したとして、合計九回。
 つぎの鶴亀劇場の興行でも、つづけてこの「河庄」をやったので、私はこの芝居を計十八回見たことになる。
 それも始めから終わりまで、まばたきもせずに、一生けんめいに見た。この芝居の魅力にとりつかれ、見ずにはいられなかった。
 主人公の紙屋治兵衛には女房がいて、その女房との間に子供も二人いるくせに、曽根崎新地の紀ノ国屋の抱え女・小春に惚れる。
 相思相愛の仲になって、ついには心中にいたるという哀感あふれる芝居であり、いま思えば、十七歳の少年に、そんな大人のせっぱつまった悲惨な恋物語が理解できるはずはないのだが、それが理解できたのである。
 遊女小春のせつない心情、不倫の恋の哀れさに涙したのである。
 小学生のころから、しかも戦争中だというのに、そんな小説ばかり読みふけっていた私は、いわゆる、ませていたのだろう。
「河庄」に心を奪われ、毎日舞台をみつめているうちに、若い頭脳としては当然のことだろうが、登場人物のセリフをぜんぶ覚えてしまった。
 そして、六十年後のいまでも、セリフの一言一言を忘れずにいる。
 覚えようとして覚えたのではなく、しぜんに頭の中に入り、刻みつけられてしまったのだ。
 やはり、名作なのであろう。名作というのは、場面、構成、人物描写がすぐれている。
 名作に触れた感動が、乾いた砂地にしみこむ雨のように、十七歳の脳の中を浸してしまったのだ。
 現在の大歌舞伎で「河庄」をやるときには、かならず見にいく。舞台の俳優に合わせてセリフが私の口からすらすら出てくる。口の中でセリフをつぶやきながら私は陶酔する。
 つい先日、私の住区の演劇祭の一部に出演した。十数行のセリフが覚えられずに、私は苦労した。私は毎年この演劇祭に出演しているのだが、年々セリフ覚えが悪くなっていくようである。
 長田幹彦の漂泊零落小説の影響も大きいが、「河庄」と向き合い、溺れて、十八回感動したことも、この後の私の生き方に、なんらかの方向を示唆したのではないだろうか。
 小説「零落」のもつ情感も詩情もない、寒気のきびしい、わびしく貧しい白鬚劇場だったが、同時にまた、竹若・福之助の演じる「河庄」の衝撃に、心身をふるわせた季節でもあった。

つづく

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