濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百二十一回
新人SM作家登場!
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佐伯香也子さん。
風俗資料館の中原るつ館長のお手を経て、あなたの御本「佐伯香也子小説集・1」を頂戴いたしました。
ご恵贈と、私へのお手紙、ありがとうございました。
手にとった瞬間、
「おッ、すばらしい、これはいい、なんていい本なんだ!」
中原館長の前で思わずうなってしまいました。
もちろん、装丁、造本、重さなどの瞬間的な印象ですが、パソコンとか、ケータイに現われる横書きの電子文字と違って、まず、両手の指に感じた感触の確かさ、あたたかさ、質感、紙の厚み、表紙の画の繊細な配置に、作者の魂の、ひたむきな存在感を感じました。作者が訴える熱い、純粋な血を感じ、ドキドキしてしまいました。
すばらしい表紙デザインです。私は好きです。
奥付けを見ると、編集も製本も山之内幸、中原るつとなっており、そして、印刷と発行所は風俗資料館とあります。
なるほど、なるほど。
「SM」に、深い理解と、愛情と、情熱を持っておられるこのお二人が、本作りに参加されたとあれば、出来ばえのすばらしさは当然のことでありましょう。
いわゆる自費出版ということであり、商業主義の卑しさ、あさましさ、編集者たちの「上から目線」が、一つも感じられないことが、私には涙が出るほどうれしい。
(商業SMに従事している人たちの、この「上から目線」のいやらしさについては、いつかは徹底的に書こうと思っています。彼らは自分たちが「上から目線」でマニアたちに接していることがわからない。自覚してない。だからこまるのです)
奥付けを見て私がもう一つおどろいたのは、この「佐伯香也子小説集」という一冊の本が、印刷も製本も、すべて「手作り」という事実です。
手作りというのは、自分の手で、一冊一冊を、何から何まで、すべて手作業で作ったということです!
出版関係の仕事に、六十年間たずさわっていて、本というものは、印刷屋、紙屋、製本屋の手にかからなければできないと思いこんでいた私としては、もうびっくり仰天、腰をぬかしそうになりました。この手作りの本の中には、カラーの挿画まで入っているのですよ。
(私はいつもパソコンとか、インターネットを、ときには敵視するような言辞を吐いているが、こうなるともうパソコンの威力を認めざるをえない)
この本を両手に持ち、しずかにページを開いて、じっとみつめると、この本作りに協力した人たち(すべて女性なのだ!)の純粋な「SM心」が、ひしひしと伝わってきて、胸が熱くなる。
各ページ、表紙の裏表を、両手の指で撫でさすってしまう。
パソコンの中の電子文字から生まれたにせよ、紙に印刷された文章の魅力が、確かに実在する。
文章を書く人間の熱く生きている血を、脈々と紙面から感じることができる。
「佐伯香也子小説集・1」には、つぎの四編の小説がおさめられている。
「雨利練九郎手控え帳」
「コレクターズ・クラブ*リナ」
「球形の淫夢」
「机の下の楽園」
読後の感想をここに私が書くより、この本の著者の「あとがき」の一部を紹介したほうが、小説の内容の濃さ、熱さが伝わると思うので、抜粋させていただく。
ただ、この小説集を読んだあとで、私は猛烈な刺激をうけ、嫉妬のような感情がむらむらと湧き上がって、中原館長に、
「私も小説の新作を書くから、こういうふうに立派な本にして出してください」
と、哀願した。
「いいですよ」
と、中原館長はにっこりと笑ってうなずいてくれた。
(でも、河出書房新社から依頼されている書き下ろしの「美濃村晃の世界」の執筆に、私はまだ全然手をつけてないのだ。しめきりがせまっているというのに! だから小説執筆なんて、まだ先のことだ、くやしい!)
佐伯香也子さんのこの小説集の「あとがき」は凄い。ナマな言葉だけに、凄絶である。
私は圧倒された。
「奇譚クラブ」時代の、あの純粋で、孤独で、熱烈で、苦悩に充ちていたころのマニア群像を私は思い出した。みんな正直だった。
いまは、マニアとは称していても、羞恥を知らない軽薄な行動ばかりが目につく。
真に深く苦悩する者は、「奇譚クラブ」時代と変わりなく存在すると思う。
だからこそ、こういう小説は貴重なのである。その「あとがき」の、ごく一部だけをつぎに紹介させていただく。
「――書いているうちにあぶり出されてきたのは、誰か、熱烈に私を愛してくれる人に監禁され、その人の性に奉仕する体に変えられたいという、乙女の夢のような想いであった。
これこそが、私のM妄想を支える雛形だったのだ。
『苦痛』は『愛の深さ』に換算され、それを想像する私の肉体に喜びをもたらす。裂かれたり広げられたりしながら、『神』とも思う人の好みに変えられ、苛まれることにより、私は甘美な『生け贄』となる。
三島由紀夫の『拷問や隷属のかなたには、永遠の歓喜と死と美が横たわっている』(「拷問と死のよろこび」)という言葉は、まさに真実であると思う。『かなた』に行ける者だけが、それを知っているのだ。
妄想の中で自我を手放し、ただ使用される肉体だけになる時、私はある種の墜落感を味わう。
もっと正確にいうならば、落下する瞬間、肉体から魂が分離し、現実では味わえない至福の光へと入ってゆくのである。
小説を書くことは、その光を描くことだ。
私にとっての『聖なる物語』を綴る事だといってもいい。」
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こういう観念、想念のもとに書かれた小説集です。
こうやって一字一字書き写してみると、「あとがき」だけでも、やっぱり凄いです。
いくじなしの私、つまり濡木痴夢男には、とてもこんな面倒なことはできません。
私、とてもこんなに、女性を愛することなんてできません。
(空想、妄想の中でもできません)
私は自分がやっぱりエゴイストであることを、佐伯さんの小説を読んで思い知りました。
ですが、この小説集を購読された女性、数人の方から、中原館長のところに感想文が寄せられ、とくに「机の下の楽園」を読まれた女性からの声。
「空想の世界だとわかっていても、すばらしい小説でした。涙がでてとまらなくなりました。こういう愛の生活ができたら、どんなにか感動的ですばらしいことでしょう」
著者は解説文の中で、この小説を「SM純愛小説」だといっています。
なるほど、わかる気がします。
とにかく女性は、主人公の男から愛されつづけ、さまざまな形で、エネルギッシュにもてあそばれるのです。
私には、この小説の中の「僕」のように、情熱と欲望を持続させることは、とてもできないように思います。
(実際にはできないから「空想小説」なのでしょうけど)
でも、いくじなしの私は、空想するだけで疲れてしまいそうです(ゴメンナサイ、私は弱虫です)。
ということは、この小説の中で展開するSM妄想が、いかにおもしろく、刺激的で、すばらしいか、ということです。
いってみれば、SM小説のおもしろさは、いかに現実から遠く離れて、非日常の世界を描くか、にあるのかもしれませんね。
また、快楽度が高ければ高いほど、その行為の疲労度が高いのも、当然でありましょう。
この本をお読みになりたい方は、風俗資料館の中原館長までご連絡ください。
私は著者から頂戴いたしました。ありがとうございました。とても勉強になりました。
「佐伯香也子小説集」の「2」を早く出してください。
「1」を読んだ方は「2」も読みたいと思っているはずです。
新しいSM小説を待っている読者こそ、私は本当のSM愛好者だと思っています。
SM小説を読まないマニアは、マニアとは言えない、言ってはいけない、と私は思っています。
空想力、妄想力を持たないマニアなんて、私はとても信じることはできません。
SM小説の同人誌を作ることも、私の夢の一つです。
(つづく)
★Rマネの追記★
文中の『佐伯香也子小説集 I 』は実際に風俗資料館にて販売中です。風俗資料館は会員制の図書館ですが頒布作品は会員以外の方でも購入可能です。また直接の来館が難しい方には通信販売もしてくれます。興味のある方はお問い合わせになってみてください。
風俗資料館サイトでのご案内ページはこちら→★
現在、佐伯香也子さんは三和出版の「マニア倶楽部」誌上にて「拷問コラム〜香也子の妄想ノート」を連載中です(2008年11月号より連載開始。その前号の2008年9月号には佐伯香也子さんのインタビューも掲載されています)。「串刺し刑」や「焼きごて」や「木馬」など、毎回テーマを変えて、死に至るほどの凄まじい拷問の情景が、胸を締めつけられるような甘く切ない思いで綴られています。瑞々しい掌編の数々、是非あわせてお読みください。
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